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第二十話 湯けむりの中で

 レイア達の宿泊している宿には、大浴場があった。

 大きなお風呂の存在が明らかになった時、二人の少女達は歓喜の声をあげた。

 アーサーの家を出てからかれこれ一週間になる。

 野宿もあった分、二人共そろそろお風呂に入りたくてうずうずしていたのだ。


 まだ酒を飲んでいるアーサーとアリオンをお店に置いて、一足先に宿に帰ってきた女子二人はお風呂に入ることにした。


 白い湯気で覆われた浴室内は、想像以上に広そうだ。

 石でできたタイルの上を裸足で歩いて行くと、

 大きな岩で縁取られた浴槽が現れた。

 鯉の形をした湯口からはどばどばと、透明なお湯が浴槽へと注がれている。


「わぁ岩風呂だ。凄いな! おっきい!! そして誰もいない!!」

「時間帯的にもまだ人が少ない頃合いだもんね。レイア、早く入りましょ」


 衣服と下着を脱いで脱衣用のかごに入れた後、セレナは部屋の鍵を己の右手首にくくりつけた。

 手ぬぐいを片手に二人は大急ぎで髪と身体を洗ったあと、髪を頭上に巻き上げた状態で大きな湯船に身を沈める。

 湯の温度は熱過ぎずぬる過ぎず、丁度良い湯加減だ。


 レイアは湯船の中で「ん~っ!」と手足を伸ばし、思いっきり背中を伸ばした。つい「ふあぁ」と大きなあくびが出る。


「やだぁレイアったら大きいお口!」

「ごめんごめん。ついねぇ……」


 妙に面白くなってきて、二人できゃはは!と笑い出した。二人以外誰もいない浴室に甲高い声が響き渡る。


「温度も丁度いい! 気持ちい~い!!」

「私はこういう大きなお風呂に入るの久し振りだけど、たまには良いわね」

「せっかくだからしっかり温まろう~」

「レイア、人がいないからって泳いじゃ駄目よ」

「やだなあ。アーサーみたいなこと言わないでよ。何か興醒めしちゃうじゃん」


 まだ真冬の季節ではないが、程よい温もりは二人の旅の疲れをゆっくりと連れ去っていってくれる。


 (浴槽がこれだけ広ければ、アリオンも人魚の姿に戻ってゆっくり出来るだろうな……)


 と、レイアは人魚姿のアリオンをぼんやり思い浮かべた。

 しかし彼は現在、人前で人魚の姿をあまり大っぴらには見せられないことを思い出し、頭をぷるぷると左右に振った。

 顔が妙に赤いのは、のぼせているわけではない筈だ。


 (馬鹿馬鹿馬鹿! 何能天気な想像をしているんだ私は……!! )


 アリオンは目下指名手配中なのだ。

 今のところ追っ手の影や気配は感じないが、きっと心休まる間もないだろう。

 アーサーの家にいた時とは異なり、周囲の目がある。

 いつ狙われてもおかしくない状態だ。

 彼を絶対に一人にしてはいけない。


 (まあ、アーサーが一緒だから、心配ないのだが……)


 きっと、入浴時ぐらい本来の姿でのんびりしたいだろうにと思うと、王子を少し可哀想に思った。


 まあ、幸いこの宿は部屋にも浴室がある。

 身体を清めること自体に問題はなかろう。


「ところであの二人、お酒を酌み交わしてたけど、まだ飲んでるのかなぁ?」

「どうかしらね。……レイア、ひょっとして気になる?」


 セレナはくすくす笑う。

 その目は「妬いてるんじゃないの?」と言いたげで、どこかいじわるだ。

 レイアは慌てて二つの膨らみの前で両手を左右に振り、否定のジェスチャーをした。バシャバシャと湯に小さな荒波が生まれる。


「き……気になるほどではないけど、二人ともあっという間に仲良くなっているから、ちょっと安心した……というところかな」

「そうね。アーサーはほとんど一人だし、あまり友達と騒ぐタイプじゃないしね」

「ところで、アーサーには言った?」

「え? 何を?」

「あなたがアーサーのことを好きだということ」


 突然寝耳に水なことを言われ、セレナは頭から熱湯をかけられたような気がした。

 顔を桃色に染めながらレイアに反論しようと、口をもごもごさせている。


「え? え? え? ……言えるわけないじゃない! レイアったら突然何よう!」

「へぇ~まだ言ってなかったんだ。一緒に住んでるのなら、タイミングはいつだってあるのに……」 


 彼女は薄い胸を押さえつつ、雪の妖精のような色白の肌を、ゆでダコのように真っ赤にした。

 余程恥ずかしかったのだろう。

 いつの間にか、浴槽の湯に鼻から下を沈めていた。その周囲でぶくぶくと泡が出来ている。


(セレナったらカニみたいだ。面白いなぁ)


 レイアはセレナがアーサーに想いを寄せていることを知っている。

 彼女にとってアーサーは大切な人間だ。

 お互い一人っ子である為、話せる兄弟姉妹がいない。互いに兄妹代わりと思いながらすくすくと育ったのだ。

 生まれも育ちも分かっていて、付き合いの長いセレナならアーサーのことを任せても大丈夫だとレイアは本気で思っている。


「言いにくいなら私からそれとなく伝えようか? ……と言いたいところだけど、それは自分で言ったほうが良いよな。やっぱり止めとくよ」


 セレナは元々一人住まいだったが、火付け強盗に襲われたところを、通りかかったアーサーに助け出されて以来、彼の家に居候している。


 アーサーの家は、一人住まいにしては広い。

 台所や浴室以外で四・五人住める位の部屋があり、それぞれ広すぎず狭すぎず……という塩梅だ。

 強盗に襲われて以来、セレナはアーサーに色々護身として短剣の扱い方や弓術の指導を受けた。

 昔と異なり、自分一人の身を守るだけの力を身に付けている。医術師としての資格はあるし、本来であれば一人でも充分やっていけるのだ。

 でも、前のように一人暮らしをするには今の生活があまりにも心地良すぎて、すっかり離れ難くなってしまった。


 誰かと一緒に生活すると生み出される〝温もり〟。

こればかりは一人住まいでは得られない。


 アーサーはアーサーで特に何も言ってくることもなく、いつの間にか一緒にいるのが当たり前となっている状態だ。悪く言えば所帯じみている。


「そうね。いつかは言うわ。はっきりしないまま二年も過ぎているんだもの。言葉にしてはっきり伝えないと相手も分からないし」

「私は思うんだけど、多分、口に出して言わないだけで、アーサーはセレナのことを大事に思っていると思うよ。早いうちに言いなよ」

「うん。ありがとう。レイアは良いな。アーサーとあんなに自然なやり取りが出来るんだもの。羨ましい。私には絶対無理」


 レイアはそれを聞くと盛大に吹き出した。

 そして、腹を抱えて笑い出す。周囲のお湯にさざ波が生まれた。


「あはははっ! セレナ~私を真似しちゃ駄目だよ。アーサーと私は兄妹や男友達みたいな、どちらかというと家族みたいな付き合いなんだから。彼とは仕事関係者繋がりでもあるわけだし」

「そうね。次元が違ったわね……ところで、レイアの方はどうなの?」


 突然話題を振られたレイアはきょとんとなる。

 豆鉄砲を食らった鳩のような顔だ。


「へ? 私?」

「うん。あなたよ」

「どうって……」

「気になっているんじゃないの? 王子様のこと」


 一方的にやられっぱなしのセレナではなかった。

 反撃に出られたレイアは、アーサーの家を出る少し前のことをぼんやりと思い出していた。


(そう言えば、全然考えたことなかった。私は彼のことをどう思っているのだろう……?)


 今は異常事態だから、言葉遣いも態度もあえて砕けたままで通しているが、アリオンは一国の王子である。

 彼は将来の為政者であり、本来であれば失礼に当たる為、今のような対等なやり取りは出来ない。


(私は至って普通の平民だもんな。生まれも育ちも平民育ち。尊い生まれであるアリオンとは住む世界が違うのだから)


 今は当たり前のように見ていても、

 いつかは顔すら見られなくなる日が来るのだ。

 たくさんの家臣達に囲まれ、その姿さえ見られなくなる日が。

 声一つ聞こえなくなる日が。

 来るのだ。

 いつか。

 良く分からないが、その日は正直来て欲しくなかった。


(……妙に虚しくなってきた。思い出すなら別のことにしよう)


 つい先日崖から落ちた時のことを思い出した。

 あの時は途中で気を失っていた。

 最後に覚えていたのは、

 自分の身体を包み込んだ青緑色の光と、

 自分を守ろうと強く抱きしめる、

 誰かの腕と体温だった。

 その相手が誰なのかは、分かっていた。

 絶対絶命のはずなのに、何故か全く恐怖を感じなかったのだ。

 全てを委ねてしまいたくなるような安心感が、そこにはあった。


 記憶はないのだが、身体が覚えているようだ。

 前にもどこかで似たようなことがあったような気がする……。

 そう考えていると、鋭い痛みが脳の底から込み上げて来そうになった。


(痛っ……まただ。これ以上は考えないでおこう。せっかくの極楽気分が台無しだ)


 妙に頭の芯が痛みを訴え続けたが、レイアは素知らぬ顔で湯につかったままやり過ごすことにした。

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