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第十三話 潮騒の記憶

 ──おや? 何の音だろう?

 静かだが、懐かしい音が聴こえてくる。

 それは、いつも当たり前のように聴いていた、

 子守歌代わりの音だ。


 寄せては返し、

 返しては寄せ、

 寄せては返し、

 返しては寄せる波の音。


 それは、

 いつまでも尽きること無く繰り返され、

 時に激しく、時におだやかに、

 大地を揺り動かし、地の果てまで伝わってゆく。


 青い空、青い海、

 明るく眩しい太陽。

 渚に輝かしく踊る水と光。


 見上げれば、たなびく真っ白な雲。

 見通しがよくきき、砂浜が白々と広がっている。


 魚達やサンゴ礁、ウミガメ。

 海の中は、泳ぎ回る生き物達の息づかいで、満ちている。


 地上は木陰の風に誘われ、

 海に沈んでいく夕日は、光の道を作っている。

 夜には満天の空が待っている。


 見渡せば、真っ白な壁と青い屋根の建物が見える。


 ここは……私の祖国、アルモリカ王国か?

 おかしい。

 私は今、コルアイヌ王国内にいるはずだが。

 夢の中なのだろうか?


 おや? あの浜辺にいるのは誰だろう?

 〝私〟だ。

 小さい頃の〝私〟がいる。


 〝私〟は一体どこに向かっているのだろう?

 その行く先に、女の子が一人立っているな。

 誰だろう?


 ああ、彼女か。

 確か、ダムノニア王国に住んでいる子だ。

 年齢も私と近かったと思う。

 人間に会うのは彼女が初めてだった。

 艷やかな黒い巻き毛がとってもチャーミングで、

 明るくて、笑顔がとても可愛い子だったな。

 おっとりとして、どこか上品だったし、

 上質で綺麗な衣服を着ていたから、

 きっと、王族か貴族の娘だったのかもしれない。

 ああ、そうだ。彼女は王女だった。

 ダムノニア王のたった一人の愛娘……。


 あの時、彼女は何故か一人で海に遊びに来ていた。

 確か、落とした帽子をとろうとして、海に落ちてしまったのだったな。

 そして危うく溺れそうになったのを、私が助けた。


 あの時は、供の者達が慌てて探しに来ていたな。

 私はとっさに岩陰へと隠れ、

 彼らの目の前に自分の姿を見せることはなかったけど……。

 父親の仕事の都合で、この国に時々一緒に来ていると彼女は言っていた。


 それを機会に、私達は一緒に遊ぶようになった。

 彼女がこの国に来る度に、

 岩陰で隠れんぼしたり、

 波打ち際を走り回ったり、

 素足を波に洗わせたり、

 やってくる波の水を蹴ちらしたりした。

 とても楽しかったことを、今でも昨日のように思い出せる。


 私達はいつの間にか、互いに好意を持つようになっていた。

 人間と人魚と種族の違いなんて、頭になかった。


「大きくなったらきっと君を迎えに行くよ」

「本当? 私をあなたのお嫁さんにしてくれる?」

「うん。大人になったら僕達結婚しよう!」

「嬉しい! 約束ね!」


 子供は素直で正直だ。

 あの時、私は本当に彼女のことが好きだった。

 だから、そう告げた。

 約束したんだ。

 彼女に。


 あの頃は何も知らなかったし、文字通り平和だった。

 ああ、何て幸せな夢なのだろう。


 だけど、それから間もなくダムノニア王国はカンペルロ王国によって攻め滅ぼされ、彼女は行方不明になってしまった。

 あれ以来、会っていない。


 波にさらわれてゆく砂のように、

 姿も、声も、何もかも消え失せた。

 波打ち際が、砕ける波のしぶきで一面霧がかったようになった。


 彼女は一体、どこに行ってしまったのだろう。

 あの戦争に巻き込まれて、死んでしまったのだろうか?

 いや、そんなはずはない。

 きっと、どこかで生きているに違いない……。


 一陣の風がなぎさの潮騒とともに、胸の中をかき乱して吹き抜けて行った。


 ⚔ ⚔ ⚔


 懐かしい、夢。

 今は遠い、過去の出来事。

 十年位前のことだったな。 

 まさか、自分の国まで同じ目に遭うとは思いもしなかったが……。


 今自分は、養生でコルアイヌ王国内にいる。

 追手から身を隠す為に。


 今いる家の者達は、すこぶるお人好しだと思う。

 自分のような者を家に招き入れてくれた上、力をかしてくれると申し出てくれた。


 でも大丈夫なのだろうか?


 カンペルロ人達は、自分を連れ戻そうと躍起になって探している。何かあったら彼らまで巻き込んでしまう。


 それに……。

 コルアイヌ人達は、自分達アルモリカ族をどう思っているのだろうか?

 カンペルロ人達大半は、あの王のせいだとはいえ、アルモリカ族を人間未満の扱いをするというのに。


 彼等を信じて良いのだろうか?

 自分を利用しようとしていないのだろうか?

 今はまだ、分からない。

 だが、誰かの助けなしに、先へは進めないのも事実だ。


 他のコルアイヌ人達はともかく、今この家にいる三人の者達のことは、信じて良いのかもしれない。

 だけど、油断は禁物だ。

 何かあったら、彼らの前から消えようか。


 それでも、彼女だけは妙だ。

 濃い茶色の髪とヘーゼル色の瞳を持つ彼女だけは、何故か心に引っ掛かる。


 ──アリオン。あんた、愛国心が凄まじいんだな。その件だけど、私に協力させてもらえないだろうか? ──

 ──それに『旅は道連れ世は情け』と言うものじゃないか?──


 どういうわけか、彼女には自分の現状を知って欲しい、分かって欲しいと無意識に思ってしまう。

 まだ出会って数日も経っていないのに。

 一つ気になるのは、彼女の瞳だ。

 ダークグリーンとライトブラウンが混ざったような、美しいヘーゼル色。

 どこかで見た覚えのある色……。


 カンペルロ王国から侵略攻撃を受けて以降、故郷に戻っていない。

 アルモリカの波の音を聞きたくて、たまらない。

 国に残されたみんなは、今どうしているだろうか?

 自分ばかりがぬくぬくとした生活をしているのは、針のむしろの上にいる心地がする。


 ──早く知りたい。今のアルモリカの現状を……。


 寄せては返し、

 返しては寄せ、

 寄せては返し、

 返しては寄せる波の音。


 アリオンは、自分の胸中に沸き起こる潮騒に暫く耳を傾けていた。

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