(自分がこうしている間にも、一人ずつ命を落としているに違いない……早く何とかしなくては……)
その時、アリオンの頭の中で渦巻いていた暗い想いを、セレナの明るい声が一気に吹き飛ばした。
「そこで提案なんだけど、二人とも暫くここに泊まっていったらどうかしら? ここは滅多に来客はないし、静養するにはうってつけよ」
「ああ、セレナの言う通りだな。レイア、お前は奴らに一度目をつけられているから、自分の家にはしばらく戻らない方が良いぞ」
同居人であるセレナの独断に異を唱えることもなく、アーサーはあっさりと二人の宿泊を許可したのだ。そして、幼馴染みの足留めにかかっている。レイアはその案に対して特に深く考えることもなく、首を縦に振った。
「そうか……その方が良いかも。せっかくだから、お言葉に甘えさせてもらおうかな。街のみんなに不必要な迷惑をかけたくないし。ご近所さんには所用で立ち寄る場所が出来たから、暫く家には帰らないと、後で手紙を出しておくよ」
「奥の部屋を片付けておいたから、後で案内するわね」
「ありがとう。暫く厄介になるよ」
三人の間でとんとん拍子に話しが決まっている中、アリオンは待ったをかけた。その弾みで肩から上着が滑り落ちる。
「ちょっと待ってくれ。私は……その……」
「どうしたの?」
「いやその……ただでさえ急に転がり込んで迷惑をかけているのに、更に迷惑かけるだなんて、申し訳ない……」
アーサーは床に落ちた上着を広い、再びその肩にかけてやった。そして王子を安心させるかのように、そのまま肩をぽんぽんと軽く叩いた。
「仲間のことが気になるんだろう? 今のうちに体調を整えてからでも遅くないと思うぜ。気持ちは分かるが、焦るのは良くない。まず、今の状態ではあんたは三下相手に潰されてしまう」
「私は、彼等を助け出すことに全てをかけている。それさえ叶えば、私がこの世に生を受けた価値があると思うんだ」
すると、ヘーゼル色の瞳が金茶色の瞳を真っ直ぐ覗き込んだ。射抜くような、視線だ。
「あのさ、あんた自身はどうなんだ?」
「え?」
「まるで、仲間が無事であれば自分は死んでも良いような物言いが引っかかる。それじゃ駄目だろ? 結果としてあんた自身が幸せにならなければ、あんたに助け出された仲間達だって幸せになれないぞ」
レイアの真っ直ぐな視線に対し、アリオンは目をしばたたかせていたが、やがてその目元をゆっくりと細めた。
「そうか……そうだな。君は中々良いことを言う」
「良いこと? 普通だと思うけどな」
「ありがとう。レイア」
金茶色の瞳に優しく見つめられ、妙に照れくさくなったレイアが頬をやや紅く染めた。
(何だ? 顔が熱いし、妙にどきどきしている。私発熱でもしているのだろうか? )
そんなレイアの額にでこピンがヒットする。
「痛っ!」
「……お前なぁ、他人のこと言える口じゃないだろうが」
「だからって……怪我人に手を出すなんて最低」
「はいはい。俺、この前の依頼以降、丁度仕事も入ってないから、お前等に付き合うことにするぞ。良いな」
「……分かったよ。助かる。ありがとう」
アーサーは槍使いであり、時々「依頼」を受けることがある。護衛の依頼だったり、王宮の兵士への武術指南だったり、種類は色々ある。
内容にもよるが、仕事の依頼を受けると、彼は家を不在にすることが多い。早くて二・三日。遅くて三・四週、それ以上の時もある。
依頼を完遂したその帰り道、たまたま通りかかったサンヌ崖の下で、倒れていた二人を見付けた。
あの時は本当に偶然だったのだ。運が良かったのは本当だ。
「そうと決まれば、そろそろご飯にするわね。レイアの大好きなあぶり肉、もう少しで焼き上がるわよ」
「やった!! 嬉しいなあ!! 何ヶ月ぶりだろう!!」
舌舐めずりをし、ほくほく顔で喜ぶレイアだった。
「タレの出来も上出来だ」
「そのタレって、アーサーのお手製か!?」
「あったりまえだ。特別に俺が給餌してやるから、怪我人は座って大人しくしてろ。アリオンは無理して動かなくて良いぞ。その目の前の机に運ぶから、遠慮せずに食ってくれ」
「……ありがとう」
天板の上に焼き上がったばかりの仔牛のあぶり肉が乗っていた。焦げ目がこんがりとついていて、その上からぽっぽっと白い湯気が立ち上っている。まるまると太っていて、食べごたえがありそうだ。ナイフの刃を通すと、切り口から肉汁があふれ出してくる。
アーサーの手によって一枚一枚、食べやすいように切り分けられ、皿に乗せられてゆく。セレナはその上に彩り野菜を見ば良く飾っていった。きれいに整えられた食卓が、一段と賑やかになる。
「アリオンは食べられそう?」
「少しなら、何とか」
「何か食べないと力が戻らないぞ。最初はミルカが良いかな。私が手伝おう」
「急に食べると胃に負担がかかって良くないから、ゆっくりね」
湯気のたつミルカ入りの皿と匙とカップが乗った盆を受け取ったレイアは、それを寝台の傍にある机の上に置いた。それから背中のあたりにクッションを置いてやったりと、彼女は甲斐甲斐しくアリオンの世話を焼き始めた。
匙を自力で持てそうなので、静かにゆっくりと口に運ぶようすを見守っていると、やがて色白の頬に少し赤味がさしてきた。目元とともに少し表情が柔らかくなっていくのが分かる。思わず口元が緩むのを感じた。
「アーサー、美味しいって。良かったな」
「ああ。口に合ったなら、安心だ。見たところ彼は大丈夫そうだから、お前もこっちに来たらどうだ? 肉が冷めちまうぞ」
「ああ、もう少ししたら行く」
「アリオン、それが大丈夫なら肉を少し持っていくから教えてくれ」
「ありがとう……本当に、色々……」
ミルカをすくって口に入れる度に、心の尖ったところが春の陽に撫でられた氷のように優しく溶け、穏やかに、平らになってゆくのを感じた。
情勢が悪化して以来、カンペルロ王国のみならず、人間に対してやや不信感を持っていたアリオンだった。
心身共に一番弱っている時ほど用心せねばと、どうしても疑う想いがよぎる。
しかし、今ここに集っている人間はみんな親身になって自分を助けてくれる。疑う余地がない。それなのに……
アルモリカ王国内で生活していた頃は、どうしても身分がつきまとう為、心から信頼出来る仲間がほとんどいなかった。
その彼等でさえ、カンペルロ王国による急襲で、無事に生き延びているのかさえも不明だ。
牢獄に囚われている部下達。
アルモリカ王国のどこかで生きている仲間達。
何としてでも助けたい。
(彼等の言う通り、早く回復して、みんなを一刻も早く助けに行かねば)
今ここにいる優しい者達を信じて、頑張ろう。
そう思うとつい目元が緩みそうになったが、ぐっとこらえる。腹の中がじわりじわりと暖かくなると共に、胸の中に明るい灯火がほのかに灯るような、そんな気がしたアリオンだった。