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第八話 腕輪の秘密

「あ、レイア起きたようね。 アーサーお手製のミルカを温めたんだけど、食べる?」


 台所から優しげな声がした。

 部屋の奥から、背中まである赤褐色の髪を緩やかな三つ編みに結った、水色の瞳を持つ小柄で儚げな美人が姿をあらわしたのだ。

 彼女は、ベージュ色のワンピースを着ており、そのすそが空気を含んでひらひらと舞っている。その上からオレンジ色のエプロンをつけているのだ。見かけは華奢な体格なので妖精のようである。


 美味そうな匂いが部屋の中へと漂ってきている。レイアは思わず鼻をひくつかせた。


 ミルカとは、鶏の骨をじっくりと煮込んで出来たスープで米を柔らかく煮た、粥のようなものである。

 卵を割り落とし、塩で味付けしてある。

 ほろほろ崩れるほど柔らかく煮た鶏肉や根菜類も入っており、疲れた身体にはほっとする味だ。


「うん。食べる食べる! ありがとうセレナ」


 昔を思い出し、やや影を指していた顔色をレイアはぱっと明るくさせた。そこでタイミング良く腹の音がぐぐぅとなるのが聞こえ、頬を赤くする。


「私はセレナの料理も美味しいから好きだけど、アーサーのこれはしんどい時に効くから、良いんだよねぇ」

「うふふ。ミルカやスープ系は彼本当に上手よね。アク取りも丁寧だし」


 アリオンをちらと見たセレナはしずしずと近寄り、右手の手首に人差し指と中指をあてた。脈を診ているようだ。


「こちらの彼は……目が覚めたらで良いかしら? 煎じた薬の効果で少しは戻ってきているようだけど、随分〝力〟を消耗しているようね。それに全身傷だらけだったから、傷を治すだけではなく〝力〟を回復させるように促す膏薬を貼ってみたけど、完全回復するには最低でも二・三日はかかるかも」

「消耗?」


 レイアは目をパチクリさせる。

 セレナは、アリオンの左手首にはめてある腕輪を指さした。それは黒く、鈍い色を放っている。


「これは〝シャックルリング〟というものらしいの。普通の腕輪ではないわ。カンペルロ人がアルモリカの人魚達につけた〝枷〟のようなものね。彼等の〝力〟を抑え込む為につけられているものだと、この前出先でこっそりと聞いたの」


 どうやら表では出回っていない情報らしい。

 ここはコルアイヌ王国の領地内にあるアモイ山の中だ。

 地理的にはカンペルロよりにある地域の為か、色んな情報が入りやすいのだろう。

 同じ国内のはずなのに、自分が住む国の中心部とここまで違うのかと、レイアは首を大きく傾げた。


 セレナが言うには、その腕輪は専用の鍵がないと外せないらしい。

 無理に壊そうとすると、腕輪に仕込まれた毒が身体に回って、その者を死に至らしめる代物だそうだ。おまけに〝力〟を無理に使おうとすると、心臓に負荷がかかるらしい。


 (鍵ねぇ……一体誰が持っているんだろう……? )


 レイアはアリオンの左手首をじとりと見た。

 見た目は何の変哲もない腕輪なのに、アリオンの生殺与奪を握っているだなんて、凶悪だ。

 どこからか、はらわたがぐつぐつと煮えくり返る音が響いてくる。


「ねぇレイア、こちらの彼が多大な力を消耗したことって、崖から落ちたあなたが無事だったことと、何か関係があるのではないかしら?」


 セレナに指摘され、レイアは鞭で背中を打たれたようにはっとなった。


 (そう言えば……)


 崖から落ちた時、一瞬だが青緑色の光に包まれ、誰かの腕に強く抱き寄せられたような、そんな記憶がレイアの脳裏に、かすかだが残っていた。

 あれは、アリオンの仕業だったのだろうか?


 (まさか、崖から落ちた私を助けようと、〝力〟を無理して使った? )


 そうだとすれば、つじつまが合う。


「馬鹿……〝力〟を使うなとあれほど言ったのに……」


 助けられたのはありがたい。

 だが、素直には喜べない。


 (あの時の〝光〟を奴らに見られていなければ良いのだが……)


 妙な不安が首をもたげてくる。

 急に、複雑な気分になった。


 ⚔ ⚔ ⚔


 毛布の上に乗っている指がぴくりと動き、形の良い二重まぶたがうっすらと開けられ、金茶色の瞳が見えた。


「……ここは……?」

「私の友人達の家だ。心配しなくていいよ。どうだ? 気分は」

「少しすっきりしてきたかな。身体はまだ重たく感じるが……」


 何とか上半身を起こそうとするアリオンの背中に、レイアは右手を回して支えた。ゆるくウェーブのかかった明るい茶色の髪が額にこぼれ落ちているのを、指でよけてやった。ヘーゼル色の瞳が、どことなく揺れ動いている。安堵しているようだが、彼のことが心配なのだろう。その様子を温かく見守りつつ、セレナはアリオンに声をかけた。


「初めまして。私、セレナ・スノーデンと申します。こちらはアーサー・シルヴェスター。二人ともレイアの昔なじみなの。あなたがアリオンね。どうぞよろしく」

「アリオン・シアーズだ。こちらこそ。どうもありがとう。色々迷惑をかけたようで、申し訳ない」

「困った時はお互い様だ。レイアから話しは大体聞いたぞ。ここまで随分苦労してきたそうだな。俺達はあんたの味方だから、安心してくれ」


 アーサーはそこで一旦言葉を切った。

 少し時間を置き、再び話し始める。


「アルモリカ王国のシアーズ家と言えば歴とした王族だ。本来なら身分の高いあんたに対して失礼なのは重々承知だが、敢えて砕けた口調のままでいかせてもらうぞ。目立たない方が良いしな」

「ああ。構わない。そちらの方が私も気が楽だ。ここは自国でもないし」


 アリオンは言葉遣いに関して、全く気にしてない様子だった。むしろ、自分の身分をあまり表沙汰にしたくないような、そんな雰囲気だ。彼はふと視線をヘーゼル色の瞳を持つ娘へと向けた。金茶色の瞳の視線を感じたレイアは顔を上げる。


「……すまない……」

「?」

「つい君との約束を破ってしまった。あれほど力を使うなと言ってくれたのに……」


 セレナが見抜いた通り、アリオンは崖から落ちたレイアを助ける為に〝力〟を使った。

 あの時は緊急事態で、どうにもならなかった。

 追手をまく為にも、自分も一緒に崖から落ちた方が良い。彼はそう判断したのだ。

 気を失ったレイアを抱き止め、自身の〝力〟で落下時のスピードとその身に受ける衝撃を周囲に散らし、和らげた。

 その結果、地面に強く叩きつけられることはなかった。

 ところが腕輪の力により、心臓を握りつぶされるような激痛が彼の身体全体に走り、そのまま昏倒して……今に至る。


 ──誰かに会っても喋らないこと。下手に力を使わないこと。私の指示に従うこと。この三つを極力守って欲しいのだが、良い? ──


 彼は律儀にも、約束を守らなかったことを大層気にしているようだ。眉尻を下げており、少ししょげている。レイアは相手の不安を払拭するかのように、口の端をゆがめた。


「ああ。だが、おかげで私は無事だった。そうでなければ今頃墓の下だったに違いない。……あんたには感謝しているよ」

「あと私は自分の〝力〟が今どれだけ使えるのか、知りたかった」

「……確かに、己の今の力量を確かめるのは大切なことだな。で、どうだった?」

「どうやら、今の場合、通常の三分の一から半分未満位なら〝力〟や〝術〟を使っても大丈夫なようだ」


 (いつもの半分しか力が使えないのか……全力が出せないだなんて、色んな意味で苦しいだろうね)


 あの時、小屋の中でアリオンが無意識下で発動させた超音波は、彼女の背後にあった薪の山を四方へとふっ飛ばした。

 人間と人魚と姿を自在に変えた。

 他にはどんな術があるのだろうか。

 彼の本当の力って、どんなものだろうか。

 万全の場合、人魚の力ってどんな威力を持っているのだろうか。


 魔法のような力を目の当たりにするのが初めてであるレイアは、天井を仰向き思いを馳せた。


「この腕輪は元々両手首にはめられていたんだ。両方だと力も術もほぼ使えない。今のような人間の姿にすら……なれない」


 アリオンは一旦言葉を切ると、腕輪をはめられた左の拳を握りしめた。


「あの時、誰かが腕輪を片方を外してくれたお陰で、ランヴェネスト牢獄を抜け出すことが出来た。だから、それだけでも感謝しないと」


 握られた拳が、震えている。

 力いっぱい握りしめるには体力的にもまだ程遠く、上手く力を入れることが出来ないせいだろう。


「その腕輪を外せる鍵を持つ者か、鍵のありかを探そうよ。それが大切だ」

「まるで宝探しね」

「宝探し……そうだな。命がけになるが、その例え良いな」

「どんな形の鍵なんだろうね」


 三人があれこれ話し始めるのを見て、アリオンは胸の中に、小さい温かい灯りがともったような、温かい心地良さを感じた。

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