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第4話 卒業アルバム

 結局、悠は客室に戻ってしばらく横になることにした。


 その間、萌は両親とお茶を飲みながら、思い出話をしていた。


「私のアルバムと卒業文集ってあるっきゃ? 悠に見せたいんず」


 母親がアルバムと文集をすぐに持ってきてくれて、萌はページをパラパラとめくって懐かしくなった。


「あった、あった! 『私の将来の夢はケーキ屋さんになることです』でらよぉ! かっちゃお母さん、なんて言ったか、おべてる覚えてる?」


おべてる覚えてるおべてる覚えてる!」


 当時、萌の将来の夢を見た母は『毎日生クリームの匂いを嗅いだらケーキ嫌いになるかも』と言い、萌はそんなことないと反発した。


 でも母の言うことは、当たっていたかもしれない。


 萌が上京してすぐに決めたバイトは、ケーキ屋さんのバイトだった。余ったケーキはもらえなくてがっかりしたけど、バイトは割引で買えるので、バイトを始めてからはバイトの日はほぼ買っていた。


 ある日、萌は無性にたくさんケーキを食べたくなってバイトあがりに生クリームのケーキをたくさん買って帰った。リコの呆れる目を尻目に、リコにあげた1個以外食事抜きで完食したら、食べ過ぎたみたいで気持ち悪くなった。


 その後しばらくの間、生クリームのケーキを見ると萌はいつも気持ち悪くなってしまった。でも不思議と、ココアとかウィンナーコーヒーの上に載っている生クリームは大丈夫だった。ケーキ屋のバイトはもちろん辞めるしかなくなった。


 本当は生クリームのケーキが大好物だから、萌はまた食べられるようになりたくてしばらくは辛かった。


 数ヶ月経って勇気を出してショーウィンドウのケーキが美しいケーキ屋さんに入ってみると、ケースに飾られている生クリームのケーキを見ても気持ち悪くならなかったので、買ってみた。


 帰宅して箱から出したケーキは相変わらず綺麗に見えたし、恐る恐る口に入れたケーキもおいしかった。それ以来、生クリームのケーキを見ても気持ち悪くなることはなく、財布にも体重計にも悪くない程度にたまに食べている。


 もしかしたら、売れ残りのケーキを電車で持ち帰って大量に食べたから、あの時は気持ち悪くなったのかもと萌は思っている。


「あっ!」


 萌は、卒業文集を閉じて今度は卒業アルバムをめくっていた。運動会のページを見ると、萌の『初恋の君』が写っていて思わず声を出してしまった。でもこれが初恋だったなんて、こっぱずかしくて両親に知られたくない。だから萌は素知らぬ顔をして『懐かしい』って言いながらページをめくっていった。


 胸がドキドキしたのは、親に知られたくないからだろう。彼の顔を見てももちろん、当時のようにもう胸が高まらない。ただ、かわいい男の子だなと思うだけだ。でも悠に話したら、焼きもち焼くかもと思うと、萌は思わずニヤニヤとしてしまった。


 次から次へと思い出があふれてきたけど、萌は悠に見せて話したくなった。


 萌は11時まで待って客室のふすまをそっと開けた。悠は布団の中でまだウトウトしていたけど、ふすまが開く音で起き上がった。


「うーん……萌?」


「悠、気分はどう?」


「まだちょっと胃はムカムカするけど、だいぶよくなったよ」


「そっか。よかった。でもまだ寝ておく?」


「えー、ご両親に挨拶に来たのに寝てばっかりいちゃ、なんて思われるか心配だよ」


「大丈夫だよ。お父さんは悠のこと、気に入ったからあんなに一緒に飲みたがったんだよ」


「そうかなぁ。でも俺、最後まで付き合えずに潰れちゃったし……」


「そんなの、お父さんが悠にお酒勧めたのが悪いんだよ。具合悪いならまだ寝てなよ」


「ううん、もう起きるよ。今何時?」


「11時過ぎたよ」


「えー、もうそんな時間?! ご両親、引いてなかった? 大失敗だ……」


 悠は二日酔いで元々顔色が悪いのに更に青くなった。それを見て萌はちょっとからかってみたくなった。


「大丈夫だよ。お父さんは悠とは飲みまくれないなってちょっとがっかりしたみたいだけどね」


「ええっ、そんな……俺、お義父とうさんの飲みには付き合うよ」


 酒に弱い悠が本当にとことんうわばみの父親に付き合ってしまったら心配だ。真面目な悠をからかってしまって萌は申し訳なくなってしまった。


「体に悪いから、そんなの付き合わなくていいよ」


「ううん、お義父とうさんが俺と一緒に飲みたいって言ってくれるのは嬉しいから……うゔ……頭痛い……」


「大丈夫? 私はそれより悠に無理しないでほしいよ。今日は家にいたほうがいいね」


「え、でもせっかく帰省したならお父さん達とどこかに出かけたいでしょ? 俺のことはいいから行きたい所へ行ってきて」


「帰省してもどこかに出かけたり、あんまりしないよ。特に年末に帰る時は雪もあるから買い物以外は家にいることが多いの。それより朝ご飯食べたら、私のアルバムと卒業文集一緒に見ようか? うちらはもう食べたけど、悠はお腹すいたでしょ?」


「アルバムと卒業文集は見たいけど、朝ご飯は……まだ胃がちょっとムカムカするし、もうすぐお昼でしょ? でも俺、まだお昼も食べれないかも」


 悠は顔を洗って萌の両親に挨拶をしてから、2階の萌の部屋へ行った。


「これが小学校の時の卒業文集。私が『将来の夢』に何て書いたかわかる?」


「んー、スチュワーデスとか?」


「ブッブー! はずれ!」


「じゃあ、ケーキ屋さん?」


「ピンポン、ピンポン! 大当たり! ほら、見て! お母さんったら、ケーキ屋さんになって毎日生クリームがそばにあったら、匂いで気持ち悪くなるかもって言うんだよ。ひどいよね」


「うん、まあ、でも当たってるんじゃない?」


「そう、その通り。その時はひどいって思ったんだけど、当たってたよ」


 萌は、大学入学後に初めてしたケーキ屋さんでのバイトの顛末てんまつを悠に話した。


「悠の卒業文集にも『将来の夢』コーナーあったよね?」


「うん、あった」


「もしかしてパイロットって書いた?」


「まさかぁ。漫画家だよ」


「今度、悠の実家に行ったらアルバムと卒業文集見せてね」


「まだあるかなぁ。捨てちゃったかも?」


「えー、そんなぁ。そしたら新田さんちに行って見せてもらっちゃおうかな?」


「あるよ、まだあるよ!」


 萌の両親が同棲を許可してくれたので、2人は正月明けに今度は悠の実家へ一緒に行くつもりだ。


 萌は小学生の悠の姿を思い浮かべて顔が綻んだ。もし卒業アルバムがなくても真理の家で見せてもらうのは癪なので、真理の家に行くと本気で言ったわけではない。でも真理が小さくてかわいかった悠を知っているのは何だか腹が立った。


 卒業文集の次に萌は、小学校の卒業アルバムを開いて、萌のクラスの生徒の顔写真と名前が載っているページを見せた。


「萌はこんなんだったんだ。か、かわいい……」


「い、今もかわいいでしょ!」


「うん、もちろん……」


 2人とも顔が真っ赤になって固まってしまった。


 萌は、悠の反応を見たいと思っていたことを思い出して声を絞り出した。


「さてここでクイズです! この中に私の初恋の男の子がいます。誰でしょう?」


「えぇ~、ひどいよ、萌! そんなの知りたくない!」


「焼きもち焼きだね! 悠だって初恋は新田さんでしょ?」


「そりゃそうだけど……最後は黒歴史だし」


「じゃあ、教えないでおこっと!」


「えー、教えてよ! やっぱり知りたい!」


「じゃあ、当ててみて」


 悠はちょっと太目で眼鏡をかけてる男の子を指さした。今の悠に少し似ていないことはない。多分、悠の願望も入っている。


「はずれ!」


「ええー、じゃあ、この子?」


 今度は悠の正反対、陽キャっぽい美少年を指すと当たりだった。


「この子はね、スポーツ万能で勉強もできてかっこよかったから、女子にすごいもてたんだよ。北大医学部に行ったって聞いた。今もモテモテだろうね」


「ふぅーん……何だかおもしろくない……」


「私には悠が一番……か、かっこいいよ……悠、大好き!」


「へっ?! あっ! お、お、俺も、萌のこと……大好きです!」


「ありがとう! 悠、だーい好き!」


 萌が悠に抱き着いた。二日酔いの胸と腹への圧力は悪い方へ効く。


「ぐえっ」


「えー、ロマンチックじゃないなぁ! ちょっとそこは悠ももう1回『大好き』って言うとこでしょ?」


「ご、ごめん! 萌、だ、大……好きだよ」


 悠は首まで赤くなった。腕を萌の背中に回そうとしたが、ここがどこか急に思い出して腕が宙ぶらりんになった。初めて来た恋人の実家で抱き合っているのを向こうの両親に見られたら、誰でも決まりが悪いだろう。でも2人の幸福感はそれを吹き飛ばすのに十分だった。


 2人が幸せな感覚に浸って抱き合っていた正にその時に、夢を破る声が聞こえてきた。


「萌~? お昼だよ!」


 萌の母がそう呼びながら、階段を上がって来る足音が聞こえて2人は慌てて離れた。

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