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第1話 殴られる覚悟

 萌と悠は大学4年、後3ヶ月あまりで卒業だ。悠は東京都の某信用金庫に、萌は東京都のとある区の公務員として就職が決まった。


 2人は翌年4月から同棲して、結婚資金が貯まったら結婚しようと約束している。


 年末年始に萌はいつも青森の実家に帰省している。大学生活最後の年末年始は、卒業後の同棲の許しを得るために悠も付いていくことになった。


 年末も近づいたある日、萌と悠は予定通りに東北新幹線に乗って青森に向かった。


 最初、悠は普通に萌と話していたのに、新幹線が新青森駅に近づくにつれてどんどん口数が少なくなってため息ばかりついていた。


「はぁ~……」


「悠、さっきからため息ばっかりついてるよ」


「俺、お義父とうさんに殴られるかなぁ……」


「そんなことないよ。でも『お義父さん』って呼ぶのはまだよしたほうがいいかもね。『お前の父さんになった覚えはない!』って怒鳴られるかもよ」


「えっ?!」


「冗談だよ! しっかりして!」


 青くなった悠を見て萌は慌てて励ました。


「うっ……新幹線って酔うのかな? 気持ち悪くなってきた気がする……」


「え?! き、聞いたことないけど……ちょ、ちょっと待って。ビ、ビニール袋、どっかにあったはず!」


「い、いいよ。トイレ行ってくる……」


 あわててバッグの中をゴソゴソ探し始めた萌を制止して、悠は座席を立ってフラフラと通路を歩いてトイレに向かった。その背中を見ながら、萌はちょっぴり不安になった。


 それからすぐ『まもなく終点、新青森です』というアナウンスが流れた。悠はまだトイレから帰って来ていなかった。萌が座席から腰を浮かしかけた時やっと、悠が車両のスライドドアから戻って来たのが見えて萌はホッとした。


 新青森駅に着くと、2人は早速西口駐車場へ向かった。萌の父が車で迎えに来てくれているのだ。萌は駐車場でキョロキョロと父の車を探した。


「あった!」


 年末とあって広い駐車場にも停まっている車は多い。でも萌はすぐに父の黒いSUVを見つけて運転席側に近づいて窓をコンコンと叩いた。


「お父さん!」


 萌の父はすぐに運転席から降りてバックドアを開けてくれた。


「荷物はこれだけか?」


 父は萌と悠からキャリーケースを受け取って車に積み込んでくれた。


「お父さん、彼が私の彼氏、園田悠君。同じゼミの同級生でバイトでは先輩なんだよ」


「は、は、初めまして、おと……む、迎えに来て下さってありがとうございます!」


 悠は挨拶をかみまくって米つきバッタのようにカクカクと何度もお辞儀した。


 萌の父は、ぶっきらぼうに自己紹介して2人に早く車に乗るように促した。


「ん……萌の父です。関東の人には寒いだろう。挨拶はもういいから、早く乗りなさい」


 萌は当たり前のように後部座席の悠の隣に座った。パパッ子の萌は、いつもの帰省の時は助手席に乗っていた。例外はリコが遊びに来た時ぐらいだ。


 父は何も言わなくても、実は何気にショックを受けているのかもしれない。そう思って萌は運転する父の顔を後部座席から斜めにチラッとのぞき見た。心なしか、苦虫を噛み潰したような顔に見える。『お嬢さんを下さい!』と目の前で土下座されると思ってるのかなと萌は思った。


 車内は不気味なほどに無言だった。突然萌はとってつけたかのように話し出した。


「あっ、こんなレストランあった? 前は何だった?」


「ん……前からんだっきゃ」


 会話がブッツリと途切れて終わってしまった。


 また萌が声をあげる。


「あっ、コンビニがなくなってる!」


「盆前にはなくなっでだっきゃ。盆の帰省ん時に見だびょん」


 また会話はここで終わってしまった。


 その間、悠は萌が指さす方向を全く見ておらず、下を向いてガチガチになっていた。


 萌は悠の手をそっと握ってささやいた。


「大丈夫。ちゃんと話してあるから。リラックスしてね」


「う、うん……」


 悠は緊張しすぎて吐きそうな顔をしていた。萌の実家に到着すると、車からダッシュで降りて息を大きく吸おうとした。


「ウワッ?!」


「悠! 大丈夫?!」


「う、うん……」


 悠は慌てて車から飛び出したので、家の前の地面の根雪にスニーカーの靴底が滑って転びそうになってしまい、決まり悪そうにしていた。

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