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第9話 患いのリズム

 昼飯を食べた後の午後の授業というものは辛いものだ。理由は言わずもがな、飯を食ったことで血糖値が上がってしまったから。

 脳みそが体に向かって強制的に眠れと言ってくるのに、教師は生徒に向かって強制的に起きろと言う。誰がこれを拷問でないと証明することができるのか? ……いや、誰もできないな。断言できるぞ。


 脳みその命令と教師の命令どちらがより大事なのか? 人によって意見が分かれる話だろうが、この場合俺が取る選択というものは決まっている。

 いや、決める以前の問題かもしれない。なぜなら選ぶ前に行動に移しているからだ――。


 コテン。

 バシンっ。




 放課後のチャイムが鳴り響く夕方。


「あぁ……今日も授業が終わった。あと数日で夏休みとは言え、それまで真面目な学生を演じなきゃならないのはやっぱり辛いなぁ」


「真面目、ねぇ……。つかぬ事を聞くけど、君は授業中に夢を見る学生をどう思う?」


「夢があるっていいじゃないか。夢の持ち方は授業じゃ教えてくれないぞ、自分で見つけていくしかないんだ」


「…………ふぅ」


 呆れる崇吾をよそに、帰り支度を始める俺。授業が終わったら即帰宅……これも帰宅部の特権だ。このクソ熱い中スポーツに精を出すなんて、俺にはとても出来ない。


「じゃあな崇吾、また明日」


「あ、うん。またね良くん」


 俺は鞄を引っ掴むと教室を飛び出した。目指すは校門だ!

 ……いや、まあちょっと早歩きで廊下を進んでいるだけだが。



 そんな中、玄関への曲がり角へと差し掛かった時の事だ。俺は不覚にも誰かとぶつかってしまった。危ないなぁ。

 胸元にすっぽりと収まってしまったその人物へと話しかける。もちろんお互いの注意不足について言わなければならないからだ。だって危ない。


「おいおい、俺も悪かったけどそちらさんももう少し先を予想してだな。だろう、じゃなくて、かもしれないで行動……を゛!!?」


「…………ん」


 なんてことだ! 俺の胸元に飛び出してきた人物は元カノだった。

 その小柄で華奢な体、ショートボブの黒い髪にこちらの顔を見る黒曜石のような瞳。

 間違いない、元彼女のちかりだ!


「あ、ああ……」


「……」


 俺の体は雷にでも打たれたかのようにしびれて動かなくなった。当然、そのあまりに突然の出来事に脳がショートしてしまったからだ。だというのに心臓だけはバクバクと動く自分の体が分からない。


「ん、心臓の音」


「お、音?」


「大きい……」


 決して声が大きいわけではないのに妙に透き通って俺の耳へと届く。ちかりの声の特徴か? 将又俺の耳性能が人より高いのか? その真相は分からない。が、一つ言えることは俺の体がまだ動かないことだ。


 いや動かないじゃないんだよ、動かせ間抜けの俺! いや俺は間抜けじゃない! はず!!


「ぐ、ぐぅうう……」


 だが残念なことにかろうじて動くのが口だけだった。誰が俺を口だけ野郎でないと証明することができるのか? それは俺自身が証明しなければならないことだ。だ!!


「心臓、うるさい」


「そ、それはお前……っ!」


「不整脈?」


「なわけねぇだろ!!」


 動悸が激しいからといってもそれはこの状況がさせることであり、俺は健康優良児だ!


 言いたいことだけ言って、ちかりは俺の胸に顔を埋め数秒。パッと離れる。


「ばいばい」


 それだけ言うと何事もなかったかのように去って行ってしまった。


「な、何だったんだ一体? ……いかんいかん。別れた女にいつまでも翻弄されるなんて、これは恥だぜ」


 身を震わせ、頭を振るい、気を引き締める。

 終わった女は終わった女、前を向いて新しく生きなきゃならないんだよ。過去の恋愛を振り返る年じゃないぞ俺。


 ……でも、相変わらずいい匂いがして――。


「って、何考えてるんだ俺は! 馬鹿か!?」


 またも首を振り、気を引き締める。

 ……でも、抱きしめ甲斐があったなぁ。いや、俺ってやつは……。


 バシっ!


「よし!」


 両頬を叩き気合を入れ直すと、今度こそ帰路につくのだった。


 ……が、柔らかかったなとか考えてしまう。


 バシっ!



 ◇◇◇



 崇吾がその光景を目撃したのは偶然のことだった。

 教室を出て、廊下を歩くその先に妙なポーズで固まる親友の姿を見た。


(何をやってるんだろう?)


 気になって観察をしていると、良介から飛び出してくる制服の少女の姿。

 重なっていた、いや抱きついていたとでも言うのだろうか。


 その小柄な――おそらく自身と変わらない――少女の去っていく後ろ姿、その合間にちらりと見えた顔を見て、崇吾は言いようもない……強いて例えるならば戦慄に近いものを感じとる。


 そう、決してポジティブな感覚では無かった。戦慄、と単にそう片付けていいのかもわからない何か。


(何を馬鹿な)


 崇吾の脳には一つの言葉が残った。

 しかし、その思い浮かんだ考えを小さく振り払う。一目見かけただけで思う事ではない、それは失礼以外の無いものでもないはずだからだ。


 ――もし、得体の知れないものが姿を持ったならば、あんな感じなのかもしれない……。


 取り消そうとする崇吾の胸に不安、心臓が掛けるリズムは不正に早まっていく。



 ◇◇◇



「ねぇ良ちん、これからウチとデートしない?」


「……へ?」


 つまりどういうことかと言うと、半ばぼーっとした頭のまま校門を出て数歩を歩いて、そうして出会ったのが幼馴染ギャルこと彩美だった。ぼーっとしてるから幻でも見てるのだろうか?


「って言っても1時間くらいだけどね。今日も学校あるし」


「はえ?」


 現在時刻は四時ちょっと過ぎ、部活に入っていない連中が大量に外に飛び出すこの時間帯。母校の柵に背中を預けて待っていた女がいた、それが彩美でこれは現実らしい。

 何でも俺と一時間ほどデートがしたいとのこと。


 何故に?


 降って湧いて出た展開と疑問は、最適化されない俺の脳みそでは処理しきれない。


「ほらほら、行こう! さあ行こうレッツゴー!!」


「ふぇ?」


 つまるところ現実とイメージのオーバーラップだ、という言葉が頭に沸いて出たが、何を言っているのか今の俺の脳みそでは理解できない。自分で考えておいて無責任だと思う。

 簡単に言えば、さっきから現実についていけないんだ。

 今だってほら、気づいたら何故か腕を彩美に取られて俺の足は釣られるように前へと歩く。


 ところで何の用だっけ? ああ、デートか……えっデートッ!?




「はい、良ちん。これ持ってね」


「……おう」


 彩美が俺の腕を引いて向かったデート先は――チェーン店の大型百円ショップだった。

 なんだよ、デートって単に買い物に付き合えって事か。期待しちゃったんだよな俺。


 内心首を落としながら、甘い想像に期待したのが悪いとも思わないでもない。やっぱ現実っていうのは、そう上手く出来てないな。


 目的は聞かされてないが、要はあれだろう。一人暮らしに必要なあれやこれやを安く済ませようって事で、俺という手近な荷物持ちが欲しくなったってとこか。

 俺がどこの高校に通ってるかは知らせてないんだが、一度制服姿で会ってるからそこから調べがついたんだろうな。


 彩美がこの街に戻ってきてどのくらいの月日が経っているかは知らんけど、それでも数ヶ月ぐらいは経ってるんじゃないのか? 今更何を欲しがるんだか。


「あ、これ可愛い! これもいい匂いするじゃん! ほら、良ちんも一緒に選んでよ」


「へいへい」


 彩美が楽しそうに商品を吟味する横で、俺は適当に相槌を打つ。女の子の欲しがる生活雑貨に対してアンテナを張っていない俺は、どう答えればいいのかはよくわからないからね。

 何だろ? とりあえず全肯定すれば理解のある彼君を演じる事が出来るのか?


「ねえ良ちん、これどう思う? キュート感じちゃう?」


「うん感じちゃう感じちゃう」


「……なんか適当じゃん? もっと意見欲しいかなーって」


 ジロっと軽く睨まれてしまった。とりあえず肯定すれば、なんて浅はかな考えと散ってしまったぜ。

 なんとか挽回せねば、男として一歩先のステージへと進むんだ!


「うんとっても可愛いね。まるで君という、森の奥深くに咲いた一輪の花に彩りを与える太陽のような神々しさすら感じるよ!」


「何、そのキャラ……? ちょっと何言ってんのか分かんないけど」


「あ、はい。ごめんなさい」


 彩美がドン引きしているのを見て、俺は自分の見栄っ張り加減を恥じた。これは酷い……俺の脳みそも恥を知ったようで何よりだ。


「ま、まあいっか! 良ちんはこういうのが好きって事ね! ね?!」


「……うん、そうだと思……そうだよ」


 挙句、女の子の方からフォローをされてしまう。これは酷い。




 エコバッグが一杯になるくらいに買い込み、荷物を持って運ぶ俺。ちなみにもう片方は学生鞄、だって学校帰りだったんだ。

 彩美の方は財布とスマホぐらいしか入りそうに無いちっこいバッグのみ。ま、荷物持ちとして俺を使ってるんだからしょうがないか。


 美少女の彼氏役……にはなれなくても荷物持ちにはなれたんだから独り身男子としては上等だろう。そう納得させることにする。……いつか普通にデートしたいなぁ。


 そんなことを考えているうちに彩美の住むアパートへと到着。

 ちなみに彩美の通っている学校はここから歩いて十分もしないところにある、そういうことも考えてここを借りたんだろうか? でも、確かにこれならギリギリまで好きに過ごせるってわけだ。


「ごめんね、疲れたっしょ? ちょっと家に上がっていく? ……って言いたいトコだけど、もうあんまり時間無いんだ」


「まぁその、お邪魔する機会はまた今度ってことで」


「ごめんね。あ、でも……」


 扉を潜り玄関に荷物を降ろした。言われるほど別に疲れてもないんだけどね、だってエコバッグ一つ一杯になってるからって、こっちは現役の男子高校生。この程度屁でもない。

 彩美は降ろした荷物をガサゴソと漁り、何かを取り出した。


「はい、これ」


「これは……アロマ?」


 さっき店で意見を聞かれてドン引きされたアロマディフューザー、それを突き出された。


「買い物に付き合ってくれたお礼。安物だけど、気分が落ち着くって評判なんだよ」


「あ、あんがと……。俺ってそんなに落ち着きないと思われてんのか?」


 ボソッと口に出したが、確かに最近浮き沈みが激しいような気がするような。


「色々大変だと思うけどさ、良ちんならガンバれるって!」


「そうか。……おう、じゃあまたな!」


「うん! ……今度はゆっくりと、ね」


 手を振る彩美に見送られて、俺は玄関の扉を閉める。


 励まされてるな俺、もしかして脈ありか?! だといいけど。

 ……そういや最後の、ゆっくりって何だろう?





(大丈夫かな? 良ちん。無理、してなきゃいいけど……)

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