一つの決心を胸に月曜日の朝を迎えた。
今週で一学期も終わり、学生にとって何よりの楽しみ大型連休の始まりだ。当然俺も楽しみにしていた。だってそうだろ? そこそこ長く続いた初めての彼女とどこにデートするかとかそんな贅沢な悩みを味わうこともできる特別な休みなんだ。
今となっては何のワクワクもしない。その悩みとも今週中に完全にケリをつける。好きな女に浮気をされてそれでもその女と楽しくデートなんて、俺はそんなにかっこよくできてない。彼女の女としての魅力を褒めるよりも男としての嫉妬の方が圧倒的に上回る。
だから終わらせる。ここできっちりケリをつけて、新しい恋で心を癒したい。……っていうのは高望みか?
「良くんおはよう。……今日は何となく暗そうだね」
校門の手前で出会ったのは、高校入学から付き合いのある高羽崇吾。ちかり並みに小柄で俺のクラスの中で一番のチビだ。
一番仲が良い事もあってか、恋人のちかりについて話を聞かせた事がある。直接合わせた事は無いが俺達が付き合ってる事を知っている人物だ。
俺がちかりと別れたいって事をこいつに話しておくべきか? いや、他人の別れ話なんて聞きたくないか。
「あぁ、ちょっとショックな事があってよ。ま、もう直ぐ夏休みだしな、丁度いいリフレッシュになるだろうし気にすんなよ」
「そう? 君がそう言うなら……。そう言えばこの前の夏祭りに彼女さんと一緒に行ったんだよね? どうだった? 大人しい女の子らしいけど流石に楽しくはしゃいでたりしたとか?」
「え、あぁ……うんそうだな……」
まずいな、こいつに非は無いが地雷を踏まれて空返事になってしまった。
明らかにテンションの落ちた俺の雰囲気を察したのか、崇吾は少しだけ気遣った表情を浮かべている。
「ご、ごめん。よく分からないけど……分からないままでいた方がいいかな?」
「いや、変な気は使わなくていい。この際だからもう言ってしまうが、浮気されちまった。……はは、笑ってくれよ」
「いやそれは……。ちょっと難しいかなぁ」
気を使わせないつもりだったんだけど、こいつの性格じゃ流石に無理だったか。友人同士の朝の雰囲気というには暗くなりすぎてしまった。いかんいかん、根が真面目なこいつの性格じゃいつまでも気にしてしまいそうだ。ここは無理にでも明るく話題を変えないと。
「まあでもなんだな! 恋で負った傷は新しい恋で癒してみせるさ! せっかくもうすぐ夏休みが始まるんだぜ? その手のチャンスはいくらでもある、はずだ。お前も恋人作ってさ、それで今度できる予定の俺の新しい恋人とダブルデートでもしようぜ、な?」
「う、うん……。そ、そうだね! 僕と違って一度でも彼女ができたならすぐできるさ! 僕は難しそうだからダブルデートはできそうにもないけど。はは、なんてね」
話題変えに無理がありすぎたせいか、崇吾の無理のある明るい返事が少しばかり痛々しく見えてしまった。
真面目な奴に無理な演技をさせてしまった。なんて情けないんだ俺は。
その後もぎこちない会話を続けながら、俺たちは自分の教室へと向かって行った。
今更だが、俺とちかりの関係を知っている人間は崇吾以外に存在しない。
あいつ自身は間違いなく美少女だが、物静かであまり誰かとつるんでるところを見ないのもあってか地味な印象を拭えない。一部の男子にはたまらない女だろうが……目立たない女なのは間違いない。
有象無象の一般男子である俺と美少女とはいえ目立たないちかりのカップルなんて、周りにとってはあってもなくても同じもんだ。
だから周りはいつもと同じように過ごす、たかだか目立たないカップルの破局なんて、イベントにもなりゃしない。ショックを受けて傷つくのは結局のところ俺一人だけ、浮気をされた俺だけなんだ。
って俺は悲劇の主人公か何かか? ……いかんな、こんなことを考えるなんてネガティブに酔い過ぎてる。
こんなことをつい考えてしまうのは、今が昼休みでいつもなら一緒に飯を食ってるはずの女の元へと行かずに、結局逃げ腰になって校舎の片隅で弁当食ってるからか?
余計なことばかり考えて、箸も禄に進まない。口に入れても味もしない。……ああ! また暗いこと考えてやがる!! 俺って男はこんなに女々しい人間なのか? はぁ……。
「こんな調子で別れを告げられるのか? そもそも俺は本当に別れたい……いや別れたいはずだ流石に! これから先も自分の彼女が他の男とキスをしたりするかもしれないなんて、そんな心配をしながら生活をしたくない。間違いないのはこんなことでグダグダ悩むなんて無駄な時間でしかないってことだな。そして、無駄だってわかっていながら悩むのをやめられないってことだ。傍から見たらただの間抜けだぜ」
自嘲気味に吐き捨てるが、そういうところも含めて間抜けなんだよ。なんて自分で自分を責めたところで自体が好転するわけでもなく……。
スマホで別れをつけるより、やっぱり直接会って別れを告げた方がかっこがつく、とか考えて今だ実行することができないんだ。ダサいなぁ。
ため息を一つ吐いても格好がつくわけないか……ん?
不意に人の気配を感じた。こんな校舎の片隅にわざわざやってくるやつがいるなんてな。ちょっと気まずい。
そう思って弁当箱片手に物陰に隠れることにした。
大きくなってくる足音。二人いるな。じっと息をひそめてそいつらがやってくるのを待つ。……スパイ気取りか何かか? そんなこと考えても物陰に隠れてしまったんだから、せいぜいスパイごっこを楽しむことにしよう。
やってくるのは誰だ……? そんな悠長なことを考えていたが、すぐに後悔することになる。
(あ、あいつらは!?)
やってきたのは男と女。男の方は見たことがある、いつぞやの祭りの男だ。そして当然、その隣にいるのは――今となってはどういう感情を向ければいいのか――俺の元恋人予定の女、ちかりだ。
(あいつら、こんな人気のないところで何の用だ?)
さっき以上に慎重になる俺。
男の方はこの学校の生徒だったのか。しかしなんだあの野郎は? 本人じゃ気づいてないかもしれないがヘラヘラしてやがる。あれは美少女と話ができてるからってレベルじゃないな。きっと今まで女の子と会話すらしたことないような奴なんだろう。見た目地味だし、モテるような男に見えない。
それに対してちかりの方は、いつものように無表情。相槌に加えて二、三言と話すだけだ。……俺に対してもそうしたように。
俺にはわかる、それなりに長いこと恋人だったんだ。ちかりの無表情の中には表情があるんだ。それがわかる俺だからこそあいつと恋人になれたんだぞ。あんなヘラヘラしてるような男と楽しそうにして……!
耳をかっぽじってあいつらの会話を聞き逃さないように、俺は息を殺しながら物陰から二人を睨みつけた。……もちろんバレないようにだ!
「は、晴空さん! こ、こうしていると僕達って周りからどう思われるんだろうね?!」
テンパり過ぎだろあいつ。これで間違い無い、あの男は非モテで女子との会話に慣れてない野郎だ。会話の入りが不自然過ぎる事に気付いてない。
それに対してちかりの方は、ただ首をかしげるだけだ。質問の意図を読み取れて無いんだろうな。
「そんなの、その人の勝手だと思うけど……」
「そ、そうだね。周りがどう思うなんてどうでもいいよね……。ははは……」
あの男、調子を崩されて乾いた笑いしか出てないな。まぁ、あんな返しをされたら仕方がないか。
「うん……で、でもさ! 晴空さんは僕と付き合ってるって思われてもおかしくないよね?」
(……は? お前とちかりが釣り合うわけないだろ。ちょっとキスしたぐらいで、身の程知らずにもほどがあるだろうが)
そんな俺の心の中の突っ込みなど聞こえるわけもなく、今度はちかりが口を開いた。
「ん、確かにあなたの呼び出しに付き合ってる」
「い、いやそういう事を言ってるんじゃなくて」
「?」
「あ、いや、だから……」
ちかりの方は相手の男の言葉の意味を理解出来ずにいるようだ。
相手も元が気の弱い奴だからなのか、それ以上はボソボソ聞こえないような声で何かを言っているが、ちかりには届かない。
結局そのまま、その二人はこの場を去って行った。
その肩を落とした野郎の背中には、哀愁が付きまとっているようだ。
はははは! ざまぁないぜ。あの野郎全く相手にされてないじゃないか。
あの野郎が、ちかりと釣り合うわけない。だってそうだろ? ちかりは俺の……!
……………何やってんだろ、俺?
昼の終わりを告げるチャイムが、俺の脳髄を殴り起こした。