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第23話 ハロウィン怪怪

ハロウィンの前日の、夕方。

家のチャイムが鳴って、旭が応対した。

ドアの前にいたのは、南瓜かぼちゃ頭の異様に背が高い人。男のようだが、ボロボロの雑巾のような格好で、旭を覗き込むように見ている。手には、口を開けた紙袋。

「……お菓子か悪戯か?」

「うわ、」

「なんだ、ハロウィンか?」

弥命がやって来て、旭の後ろから、紙袋へと飴を何個か投げ入れる。南瓜頭は、じっと紙袋の中を見つめ、きびすを返す。

「もうこの家には来んなよ」

去ろうとする背に弥命がそう言えば、南瓜頭は振り向いて、旭を見、弥命も見た。睨まれているように感じた弥命は、眼光を凶悪なものにし睨み返す。南瓜頭は何を言うでもするでもなく、そのまま立ち去った。


翌日。ハロウィン当日の夕方。

帰宅中の旭の耳に、後ろから近付いて来る足音が聞こえた。

「……お菓子か悪戯か?」

「えっ?」

耳元で不意に聞こえた声に、旭は振り向いた。そして、ぎょっとして身体を強張らせる。昨日家にやってきた、南瓜頭の男。それが、旭の顔を覗き込むように見ている。

(どうして……)

旭が呆然と見ている間に、男は再び問う。

「お菓子か悪戯か?」

旭は異様な雰囲気を察し、少し後退る。

「何を言って……」

「選ばないならーー貰うぞ」

「うわ、」

南瓜頭は旭の手を掴み、共に闇へと飛び去った。


同じ頃。

「あ?木刀だ?何で俺に」

友人であるヤリハルの工房にいた弥命は、作務衣姿で作業中のヤリハルから唐突に渡された木刀を手に、友人へ怪訝な顔を向ける。弥命は、黒地に、浮世絵に描かれてそうな雲の主張が激しい柄シャツ姿で、左耳には硝子の大きな朱い金魚が揺れていた。いつも通りの格好だ。

「今日ハロウィンだろ」

「答えになってねぇよ。渡したいもんあるから来いって言われて来てみれば。俺に職質されてほしいのか」

「一回しょっぴかれとけ、とは思うわな」

ヤリハルは愉快そうに笑う。木刀をくまなく見やってから、弥命は友人をじろりと睨む。

「お前、不要なもんはよこさないだろ。何に使うんだ」

その視線を受け、ヤリハルは作業の手を止めて弥命を見る。

「刀なんだから、斬るに決まってんだろ」

「何を」

「さあ。“ニセモノ”とかじゃねぇの。そこまで分からんよ」

弥命は、凶悪な目で木刀を睨んだまま、ため息をついた。


専用の袋に入れられた木刀を携え、弥命は自分の店である『BAR KOTOこと』へと向かっている。

辺りは暗い。人や車の通行もほとんど無く、静かな通りを弥命は一人歩いていた。

(妙な雰囲気だな。何か出そうな)

普段と変わらぬ様子で歩きながら、弥命は辺りに気を配っている。肌が微かにピリつく感覚の奥から、うっすらと焦燥感が湧いて来る気配。

「ーー御剣みつるぎ叔父さん」

後ろから声を掛けられ、弥命は肩越しに振り向く。

「旭?」

大学帰りらしい旭が、片手を上げて立っていた。弥命が立ち止まると、歩いてやって来る。

「仕事に行ったのかと思いました」

「これからだよ。旭は帰りか?」

旭が並ぶと、弥命はまた歩き出す。旭もそのまま、並んで歩く。

「そうです。でも、丁度良かった。仕事に行く前に、一緒に来て欲しい場所があるんです」

「一緒に来て欲しい場所?」

弥命は旭の顔を見る。旭は弥命を見、少しだけ笑った。何か探るように目を細めて旭を見た後、弥命は息をつく。

「早めに終わらせてくれよ。仕事行くんだから」

「分かりました」

旭は、案内するように少し前を歩き出した。


旭が弥命を連れてやって来たのは、家からそう離れていない場所にある廃寺だった。

「へぇ、ここに廃寺があるって、よく知ってたな」

感心したように、弥命が呟いた。

「最近、たまたま見つけたんですよ」

前を歩く旭は、振り向きもせずそう言う。弥命は無言でその後をついて行く。敷地はそう広くないが、本堂があり、荒れた墓地があり、枯れた井戸もある。二人以外には、誰も居ない。風も無く、虫の声もしないこの場所は、無音だった。本堂の前で、旭が止まる。弥命も止まった。旭は一向に、振り向かない。

「こんなとこに連れて来て、何すんだ?」

いつもの調子で、弥命は旭の背へ話し掛ける。

「“僕”の邪魔をしないでほしくて」

「邪魔?」

振り向かないまま、旭は続けた。

「はい。もう少しで成功しそうなので」

弥命は、顎に手をやり、思案げにふうんと呟いた。

「何の話だ?ちゃんと話してくれないと分からねぇよ」

空気が変わったことに、弥命は気付いている。小さく笑った後、弥命から切り出した。

「ところで、今朝、万寿破れてたよな?張り直しておいたか?」

「……ええ、大丈夫ですよ」

呟いた旭は、ゆっくりと振り向く。弥命は袋を開け、掴んで出した勢いのまま、木刀の切っ先を旭の喉元へ突き付ける。左耳の朱い大きな金魚が、揺れた。

「……お前は誰だ。旭は何処にいる?」

「叔父さん?」

旭は微動だにせず冷静に、弥命を見つめている。弥命は凶悪な眼光を宿した目で、旭を睨む。

「バレてんだよ。旭が、万寿がなにで出来てんのか知らねぇ訳が無い。そもそも。俺のことを『御剣叔父さん』なんて呼ばねぇんだよ。ーー観念しろ」

それを聞いた旭は、声を出して笑い出す。

「それは残念だ」

旭のものではない、濁った声。旭の姿は、昨日やって来た南瓜頭になる。素早く木刀を引き、弥命は飛び退いて距離を取った。

「お前は昨日の」

(やっぱ人じゃねぇ。だが、普通の幽霊でもない。化け物が近い、か)

南瓜頭を傾げ、それはケタケタと笑う。

「あの子は、お菓子も悪戯も選ばなかったから、貰ったんだ。ーー入れ替わる為に」

弥命は一瞬、天を仰ぐ。

(ハロウィンだからって、こんなの聞いてねぇぞ)

廃寺に、南瓜頭の化け物と、それに対峙する木刀を構えた自分。現実感を失いそうになりつつ、弥命は嘆息した。


旭は、知らない廃寺の景色を見ていた。

(僕、どうしたんだっけ……身体が動かない……)

そこには枯れた井戸があり、中からあの南瓜頭の男が這い出て来る。南瓜頭は、町から一人の人間を連れ去って来ると、その人間に姿を変えた。連れ去って来た人間は、井戸に放り込む。旭の方を見た南瓜頭は、人間の姿のまま、不気味な笑みを浮かべる。ゾッとしている旭の耳に、声が響いた。


“起きて”

“入れ替わられちゃうよ”

“あいつはね、人の身体が欲しいんだよ”

“ハロウィンの晩だけ貰えるから”

“暗闇から出たいから”

“お菓子も悪戯も選ばない人の身体”

“入れ替わると、忘れちゃう、みんな”

“君はまだ大丈夫だから”

“教えてあげる”

“悪いモノはね”

“『跳ね返す』んだよ”


「ーーはっ!?」

旭は、ぱちりと目を開けた。荒れた木目の床に寝ている。

「ここは……」

寝たまま、辺りを見る。寺の本堂のようだが、荒れてあちこちが朽ちていた。明かりも無く、無人で暗い。旭はゆっくりと起き上がる。

「お寺?何でこんなところに……」

(さっきまでのは……夢?)

旭は、今までの記憶を辿る。

「南瓜頭の人に出会って、手を掴まれて、それで……」

そこで旭の記憶は途絶えていた。

(僕はここまで、あの南瓜頭の人に連れて来られたのか)

まだぼんやりする頭で、旭はため息をつく。

(跳ね返す、って何だろう)

旭はぐるりと辺りを見渡す。かつて仏像が安置されていたのであろうその場所に、鈍い光を見つけて立ち上がる。近づくと、それは丸く古い銅鏡だった。

「鏡?」

旭はそれを手に取り、首を傾げる。

(何でこんなものがここに)

そんな旭の背後から、何かがぶつかり合う音と足音が聞こえて来た。

(外に誰かいる?)

旭は鏡を抱えたまま、音の方へと向かった。


弥命は、南瓜頭の得物である金属の棒を木刀で受け止め、押し返す。

邪魔をするなと言い、南瓜頭は棒を手に弥命へ踊り掛かって来たのだ。攻撃をかわし、弥命も刀を構え直して斬りつける。そのまま互いに攻防が続いていた。弥命は距離を取りながら、舌打ちする。

(攻撃が入らねぇ。長引けば俺が不利だ)

間を開けずに飛んで来る棒を、弥命は木刀で受け止めた。互いに競り合い、真正面から睨み合う。弥命の凶悪な眼光が光る。

「旭はやらねぇぞ」

「出来るかな」

南瓜頭はカラカラと笑った。飛び退いた弥命は、何か気付いたように辺りを見渡す。数多の人影が、わらわらと湧いている。

「今夜はハロウィンだから」

「……面倒くせぇな」

半透明に揺れるそれらは、弥命に向かって来た。それに気を取られた一瞬に、弥命は南瓜頭に吹き飛ばされ、井戸の側にある木の幹へ背を打ちつける。

「ぐっ、」

衝撃で息が詰まり、座り込んだ弥命の視界が歪む。弥命の近くまで歩いて来た南瓜頭は、再び旭の姿になる。弥命に向け棒を構え直したところで、その場に凛とした声が響く。

「弥命叔父さん!」

本堂の方から、旭が駆けて来る。旭は、弥命に対峙している己と同じ姿の存在を見、目を見開く。

「ああ、急がなくちゃ。邪魔者を完全に潰してから、君と入れ替わりだ」

もう一人の旭は、旭を見ながら怪しく笑う。手に持つ棒が更に長くなり、先端には大きなランタンが黒い明かりを灯して揺れている。

旭は急に目眩がして、膝をつく。自分の手や身体が、一瞬透けて見えた。“入れ替わり”という言葉と共に、さっきの夢の景色が、旭の脳裏を過ぎる。

「何を、」

呟く旭を、ランタンを持つ旭は、光の無い目で笑ってそれを翳す。ランタンから黒い光が飛び出し、弥命へ向かって行く。

(跳ね返す、)

旭は弾かれたように、弥命の前へ飛び出した。手にしていた鏡を掲げる。黒い光は鏡に返され、偽物の旭を貫く。その瞬間に、また南瓜頭の姿に戻る。鏡は、旭の手の中で盛大に割れた。そのまま、一欠片も残さず消え去る。旭は背後から、何かが飛び出して行くような気配を感じた。

「てめぇは、ハロウィンの化けもんらしく暗闇彷徨さまよっとけ、南瓜野郎!」

一閃いっせん

駆けて行った弥命は、南瓜頭を叩きった。綺麗に割れ、ごろりと落ちる。その南瓜の中から、漆黒の闇が溢れた。人の形になったそれは、呻きながら旭に手を伸ばす。

「……俺の盾が出来んのは、旭だけだ。今も昔もな。お前なんかに出来るかよ」

「え?」

(今も昔も、って?)

旭は弥命の言葉に、一瞬違和感を覚えた。だが、更に斬り掛かろうと構えた弥命の、その更に後ろを見て声を上げる。

「あ、井戸が、」

旭の声で弥命も振り向いて井戸を見、絶句する。井戸から数多の半透明の老若男女が溢れ出し、無言で南瓜頭だった影を捕らえて井戸へ戻って行く。

「嫌だ!今年は身体が!まだ!」

悲痛な叫びは、底へ底へと小さくなっていった。何の姿も全て消え去った後で、旭と弥命は井戸を覗き込む。井戸は浅く、水も枯れていて、数メートルほどで底が見えた。何も無い。二人は顔を見合わせた。

「終わった……んです?」

「みたいだな」

どちらからともなく、二人はほう、と息を吐き出した。


弥命は、木刀を袋に収めた後、割れた南瓜を見やる。

「この南瓜、本物だったんだな。持って帰って食うか」

目を剥いて、旭は弥命を見る。

「え。本気ですか」

「煮付けでも作ってやるよ。俺、どうせ仕事遅刻だし。丁度良い言い訳になるな」

弥命は、不敵に笑って旭を見る。

「ところで、今朝、万寿破れてたよな?張り直しておいたか?」

旭はぽかんとした顔で、弥命を見た。

「硝子の万寿は破れませんが……大丈夫ですか?弥命叔父さん。頭とか打ったんですか?」

段々不安そうな顔になって行く旭に、弥命は安堵したように笑う。

「本物だな。間違いなく」

「何ですか?それ」

心配そうにしている旭の手に目をやり、弥命は目を細める。

「あーあー、また両手怪我して。鏡が割れた時か。火傷治ったばっかなのに」

旭は思い出したように両手を見た。無数の擦り傷、切り傷がある。

「そんなことは良いんですが。……何かあったら、叔父さんに言えば良い、んでしょう」

どきまぎとした様子で言う旭に、一瞬言葉に詰まった後、弥命は楽しげに笑い出す。

「分かってんじゃん。ーー帰るぞ。俺は疲れた。三日後の筋肉痛が恐ろしいわ」

旭は、傍らの弥命をまじまじと見やる。

「まだよく分かってないんですけど……ありがとうございます、弥命叔父さん」

「んや?俺も正直よく分かってねぇけど。さんきゅー」

弥命は雑に旭の頭を撫でると、さっさと歩き出す。旭はその背を少し眺めてから、後を追った。


持ち帰った南瓜は、弥命が本当に煮付けにした。

「……複雑ですけど、美味しいです」

何とも言えない顔で、でも箸を止めない旭に、弥命はゲラゲラと笑う。

「そりゃ何より」


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