家に帰ると、叔父さんが台所にいた。
紺色地に、紅い大きな彼岸花が咲き乱れている柄シャツ姿。左耳には変わらず、朱い大きな金魚が揺れている。珍しく、何か作っているみたいだ。叔父さんは、家ではほとんど料理をしない。バーで料理を作っているから、家でまで作りたくないと、以前怠そうに言っていたのを思い出す。それはそうかもしれないと納得したことも。だから、僕は叔父さんが料理している姿を見たのは、今まで一回か二回くらいだった。驚いて立ち尽くしていると、叔父さんが僕を振り向いて笑う。
「よお。菊の酢の物作ったぞ。食うか?」
「え?いただきます。どうしたんですか?」
テーブルには小鉢に盛られた、菊の花の酢の物がある。毎年僕も作っている、好物だ。叔父さんは、小鉢の隣に置いてある透明の瓶を持って僕に見せる。中には、透明の液体と、無数の黄色い菊の花びらが揺らめいていた。鮮やかな黄色が綺麗だ。
「菊酒作ったついでに作った。あと。旭、今日誕生日だろ?」
「……僕、話しましたっけ?」
今日は重陽の節句であり、僕の誕生日。でも、叔父さんにそんな話をした記憶は、一切無い。
「雅に聞いた。バカ高いテンションで電話して来たから、何かと思ったけどな」
「……なんか、すみません」
母とは、家に帰るまでの間に通話した。お祝いの言葉を貰ったが、その時叔父さんのことは話してなかったのだけれど。叔父さんはくつくつと笑う。
「気にするな。あいつの性格は知ってる」
そりゃそうだ。兄妹である。僕より知ってるだろう。叔父さんが酢の物の小鉢を持って、居間へ向かう。僕も、お酒の瓶を持って後に続く。居間のテーブルには、ご飯と味噌汁と焼き魚と青菜の和え物に煮物が既に並んでいた。
「叔父さんが作ってくれたんですか?」
「おいおい……俺が料理出来るの、知ってるだろ。作らないだけで」
「まあ、もちろん」
呆れた顔でじろりと睨まれたので、僕は頷いておく。でも、どういう風の吹き回しなのだろう。
「誕生日だからな。あばら家のラーメン食いに行くかで悩んだが、こんな飯もたまには良いだろ」
「ありがとうございます」
誕生日ではあるけど、叔父さんがそんな風に考えてると思ってなかったから、かなり驚く。叔父さんが作ってくれたものは全部美味しくて、食べ終えるのが惜しいなと思いながらおかわりした。菊の酢の物も美味しい。毎回自分で作っていたから、不思議な感覚だった。
「全部美味しいです、叔父さん」
「そりゃ何より」
叔父さんは不敵に笑った。
夕飯の後。
お風呂上がりに縁側を通り掛かったら、菊酒を飲んでいた叔父さんに呼び止められる。側に座った僕の手に、何かを落とした。
「ほれ。これやるよ」
ガラス細工の、金魚の根付。少し黄みのある朱い金魚だ。
「これ。良いんですか」
「誕生日プレゼントだな。俺とヤリハルから。ヤリハルのやつ、勇んで作ってたぜ」
僕は聞きながら、金魚に目を落とす。透明な朱が綺麗で、今にも泳ぎ出しそうだった。初めて、叔父さんから金魚の根付を貰った時のことを思い出す。
「ありがとうございます。初めていただいた金魚が無くなったの、本当に悲しかったので」
手の中の金魚が、見つめる内、膨らむように大きくなる。黄みを含む透明な鰭の向こうに、夜空が見えた。夜が水中になったようで、視界が水面のように揺れる。金魚の鰭が動いたところで、パン!と音がした。叔父さんの声が響く。
「浮かれるのも大概にしろ」
気付くと、縁側に仰向けに寝ていた。起き上がると、叔父さんが僕の手の中の金魚を見ている。前にも、こんなことがあったような。
「そっちの金魚の話な。旭を気に入ってんだよ」
僕は金魚を見る。もう、大きくなったりはしなかった。気に入られてるとかは、よく分からないけど。
「大事にします」
「おう。そうしてやれ」
叔父さんは、菊酒を煽って笑う。それを見て、良い誕生日だなと、じんわり暖かい気持ちになった。