八月が叔父さんの誕生月であると知ったのは、つい最近だった。
今月である。何も用意出来ていない。プレゼントを貰っても喜ぶような人なのか怪しいけど、この家に住まわせて貰っているし、いろいろお世話になっているのは事実だ。何か用意したい。良いプレゼントの候補が何も浮かばないまま、僕はとりあえず外出した。
大学の方へ向かって歩いていると、見たことの無い店に会った。木製の古いドアに、『開店中』の掠れた文字のプレートが掛かっている。骨董屋。気付いたら、ドアを開けていた。
中は薄っすらと暗い。何か買おうとも思っていないのに、足が勝手に進んで行く。いろんな物が置いてある棚は、見ていて面白い。ーーと、
「ライター?」
箱に入った、銀色のライター。火に見える模様が美しく、見入ってしまう。
「気になりますか?」
背後から聞こえた声に、身体がびくりと震える。振り向くと、白髪の男性がいた。年配の人に見えるけど、すらりとしていて姿勢が良く、スーツをビシッと着こなしている。老紳士、という言葉が頭に浮かんだ。
「……はい。とても綺麗なライターだと思って」
もう一度、ライターに目をやる。見れば見るほど、良い物だと思う。値段も、それなりにするだろうとも。バイトをしているとは言え、学生の自分にそんな高価な物は買えない。
「ご自分用に?」
「ええと。叔父の誕生日プレゼントを考えていて。何も思い付いていないんです。それで、こちらのライターを見つけて」
穏やかに問われて、つい話してしまう。老紳士に向き直ると、彼は重ねて尋ねて来た。
「叔父様は喫煙なさるとか?」
「ええ。煙草を吸っています」
背後が不意に熱くなった。振り向くと、ライターから銀色の火が柱になって立ち昇っている。
「えっ」
炎が人の顔になって、僕を見下ろして来た。じっと、僕の目を覗き込む。銀色の揺れる熱い目に、一瞬見惚れる。どれくらいそうしていたか。顔は一つ頷いて、炎の中に戻った。燃え盛っていた炎がスッと、ライターの中に吸い込まれて行く。ライターは、蓋が開いた様子も無く、さっき見た時と同じ状態で箱の中にある。老紳士を振り向くと、穏やかに笑っていた。
「あの、今のは」
「なるほど……。貴方に買って欲しいようですね、そのライター」
「え?でも僕は、」
そんな予算は無い。老紳士は棚に近付いて、ライターの箱を手に取る。
「このライターは気難しい子です。もう、貴方以外の方の元へは行かないでしょう」
「叔父へのプレゼントで見ていたんですが」
僕の言葉に、老紳士はライターをちらりと見た後、一つ頷く。
「それも含めて、貴方に買って欲しいようですよ」
そうまで言われては、観念するしかない。
「……おいくらでしょう」
老紳士は小さく笑った。
「そうですね。金銭では無く、一つ頼まれていただきたいことがありまして」
「え、」
身構える僕に、老紳士はまた笑う。
「法に触れたり危険なことではありませんよ。ご安心ください。後日、またこちらに来ていただきたいのです」
「どのような内容か、今聞いても?」
「この店で、箱を開けていただく作業をお願いしたいのです。安全な作業ですよ。ご心配なく」
まだよく分からないけど、そういうことなら……。
「分かりました。またお伺いします。……本当に、お代は宜しいのですか」
財布を出しかけた手を、老紳士に静かに制される。そのまま、ライターの箱に蓋をして、手渡された。
「またこの店に来ていただければ。ーー叔父様も、きっとこの子が気に入られると思いますよ」
穏やかに微笑む彼から、僕は箱を受け取る。こんなことになるなんて。箱は、ずっしりと重く感じた。暖かな重み。僕はお礼を言って店を出た。
「誕生日プレゼント!?」
家に帰ると叔父さんがいた。黒地に、朱色の炎と白い龍柄のシャツを着て、縁側で煙草を吸っている。丁度良いので、そのままライターを渡してしまうことにしたのだ。やはり、骨董屋で買った物をプレゼントするのは良いのだろうか?という疑問は浮かぶ。叔父さんは、目を丸くしていた。
「俺、誕生日旭に言ったっけ?」
「日付は分かりませんが、母から今月誕生日というのは聞きました」
「なるほどねぇ。
雅、というのは母の名だ。叔父さんは煙草の始末をして、箱を受け取ってくれた。
「さんきゅー、旭。開けても?」
「どうぞ」
叔父さんが箱の蓋を開ける。銀色の炎のライター。それを見た途端、叔父さんは目を見張った。
「こりゃ……凄いな。これどうしたんだ?」
「骨董屋さんで見つけました。誕生日プレゼントに骨董屋の物ってどうかとも思ったんですが……良いなと思って」
叔父さんの驚きように、やはり僕が分からないだけで良い物なのだろうなと改めて思った。叔父さんは箱からライターを出して、手に持つ。
「
嬉しげに、それでいて面白いものを見るような目で笑う叔父さんに、僕は戸惑う。
「シルバー……何です?」
「シルバー・フレイム。まんま、銀の炎」
ライターに、そんな厨ニ病みたいな名前が付いていたことにも驚く。
「有名なブランドの物なんですか?それ」
「ブランドかと言うと違う。良い物なのは間違いない。幻の一品、て言った方が近いか。気難しくて扱いづらい、とは聞いたね。作者が気難しかったから伝染ったとも聞くが」
まだよく分からないけど、とんでもない物を見つけて贈ってしまったのかもしれない。あの骨董屋さんて、一体。
「……ライターなんですよね、それ」
「ライターだな」
叔父さんは、愉快そうに笑っている。左耳の大きな金魚も揺れていた。もう、僕の手には負えない。
「……話すと長いので、夕飯食べながらでも良いですか」
「もちろん」
叔父さんを置いて、頭を整理しながら台所に向かう。後ろから、肉が良いと声が追って来る。思い出して、僕は振り向く。
「叔父さん、結局何日が誕生日なんですか?」
「三日」
「……明日?」
「良いイブだよ、本当に」
僕を見、ライターを見、叔父さんは嬉しそうに笑った。いつもと違う目で笑うのが珍しくて、それも何だか良いなと思ってしまって、僕は結局何も返せないまま背を向けた。