庭から、幽霊画の押し売りが来た。
断っているのに、
「こいつは、男の幽霊画なんですけどね」
見れば、青白いガリガリの着物姿の男性の絵が描いてある。立ち姿で、こちらを振り向いた様子を描いたもの。足元は透けている。いかにも幽霊、という風貌だ。あまり長いこと見ていたくない。目を逸らすと、商人はからからと笑う。
「お兄さんは、幽霊は苦手ですかな」
「まあ……こういう絵はちょっと、」
幽霊画に目を戻すと、ゾクリとした。何かおかしいような気もする。少し眺めて、気付いた。目が、僕を見ている。さっきまでは、商人の方を向いていたはずだ。
「騙し絵とか、細工のある絵なんですか?これ」
商人は、僕を見てにんまりと笑う。不意に、腕を掴まれた。
「っ!?」
バランスを崩して、前のめりに倒れる。細くて白い手が、僕の手首を掴んでいた。凄く冷たい。顔を上げたら、絵の男がいた。掛け軸は白紙になっている。商人は、僕と、僕の手首を掴む幽霊男を見て、楽しそうに笑っていた。
「何ですか?これ」
手は振りほどけない。商人は笑って言う。
「いやね、この絵は寂しがりのようで。仲間を欲しがるんですよ。誰でも仲間に出来る訳じゃないもんで、広げてみないと分からないのですが。お兄さんは気に入られたようだ」
商人は、白紙の掛け軸をとんとんと叩く。老若男女複数の人々の絵が、浮かび上がる。この幽霊男が仲間にした人々、ということなのか。言葉が出ない。押し売りに来て、勝手に他人を商品にするつもりなのか。僕は縁側に転がっていたハエ叩きを取り、とりあえず男の手を叩いてみた。手がパッと離れる。男は驚いたように僕を見た。まさか、ハエ叩きで叩かれるとは思わなかったのだろう。というか、物理攻撃が効くのか。立ち上がると、男は音もなく近付いて来て、僕の首を絞めた。力が強く、身体を少しずつ持ち上げられる。苦しくて霞む視界に、男が笑っているのが見える。殺すなよ、と笑って言う商人の声も聞こえた。もうダメかな、と思った瞬間、急に身体が落ちた。空気が急に入って来て、咳が止まらない。
「押し売りに来て強盗するとは、良い度胸だな?テメェら」
低すぎて一瞬違う人の声に聞こえたが、叔父さんだ。咳き込みながら起き上がると、幽霊男は呻き声を上げながら伸びている。側にはそこそこ大きい石が転がっていた。叔父さんが投げたのだろう。本当に、何で物理攻撃が効くんだ。叔父さんが掛け軸を庭へ蹴り飛ばし、ライターで火を点ける。煙が上がり始めた。伸びていた幽霊男は、ぎゃあ、と叫びながら跳ね起き、文字通り掛け軸へ飛んで行く。商人も血相を変えて掛け軸に駆け寄る。
「なんてことを!」
「こっちの台詞だ馬鹿野郎が!この家に押し入ったこと、後悔するんだな」
燃え盛る掛け軸からは、大勢の呻き声が溢れてくる。幽霊男は断末魔を上げ、掛け軸が燃え尽きた途端に消えた。商人は、わなわなと震えている。
「二度とここに来ないか、荷物全部燃やされたいか、どうすんだ?」
叔父さんは、ライターをカチカチさせながら商人を睨んでいる。眼光が凶悪過ぎて、叔父さんの方が悪役っぽく見えてしまう。商人は震えながらも叔父さんを睨むと、荷物を全てまとめる。叔父さんは商人を見たまま、掛け軸の灰を集めた。よく見たら、下に掛け軸を包んでいた風呂敷がある。いつの間に。叔父さんは灰を包んだ風呂敷を持って商人に近付くと、中身を彼にぶちまけた。頭から。
「何をする!」
灰は何故か、一瞬で消えた。代わりに、青白く細い火の玉みたいなものが無数に、商人に纏わりつく。呻き声も聞こえた。商人の口から、情けない悲鳴が上がる。
「返すぜ。大事な主様だとよ」
叔父さんは不敵に笑う。だけど、商人はもう何も聞いてなかった。手で火の玉を払いながら、踊るような足取りで逃げて行く。
「二度と来んなよ!」
その背へと、叔父さんがぶつけるように怒鳴り、足音は遠ざかって行く。
嵐が過ぎ去った。
「すみません、追い出せなくて。叔父さんのことを知ってるみたいでしたが」
声が掠れている。僕も、追い返せなかったことを怒られるだろうなと思って覚悟した。叔父さんは縁側に座る。左耳の大きな金魚が揺れた。
「仲良くした覚えねぇけどな。旭が変な幽霊画掴まされても、それはそれで面白いと思ったけど。強盗は違うからな。ーーそれより、ハエ叩きで殴ってんの傑作だった、やるじゃん」
どこから見てたんだろうか。叔父さんは愉快そうに笑う。
「……ありがとうございます」
釈然としなかったが、無事に済んだから良しとする。
「包帯、巻いてやるよ。手の跡くっきりついてるぜ」
「え。……お願いします」
前言撤回。無事じゃなかったみたいだ。僕は自分の弱さに自己嫌悪しながら、包帯を取りに行った。