真帆さんはすっと立ち上がると、ごそごそとあの何でも出てくるショルダーバッグに手を突っこみ、まるでどこぞの猫型ロボットのように「あれでもない、これでもない」と何かを探すような仕草をしたあと、
「あぁ、ありました。これですこれです」
言いながら取り出したのは、坂の上の魔女――八千代さんに見せに行った、あのこぶし大の丸い石だった。表面には『魔女文字』と呼ばれているらしい、ミミズが張ったような文字がうっすらと刻み込まれている。
これですこれです、って、これをいったい、どうするつもりなんだろうか?
「どうすんの、それ」
潮見が真帆さんに訊ねると、真帆さんは口元に笑みを浮かべてから、
「陽葵さんが見つけたこれ、八千代さんも言っていましたが、大昔に川の治水工事か何かの際に埋められたおまじないの道具で、今ではもう何の意味もなしていない、ただの石ころ同然です」
確かに、八千代さんはそんなことを言っていたっけ。
……で、それで?
「けれど、もともとこの石は、地の魔力の流れが変わったり、枯渇してしまわないよう、地中に埋めたり、祀ったり、要石として機能していたわけですから――」
「なるほど。それを再利用しようっていうわけね」
千花が口にして、「そうですそうです」と真帆さんはこくこく頷いた。
「見たところ、それなりに年季の入った代物のようですからね。新たに要石やそれに代わる魔法道具を用意するよりも、地に馴染みやすいと思うんです」
「それをどうすんだ?」
と陸は首を傾げて、
「まさか、ここのアスファルトを引っぺがして埋めようってんじゃないよな?」
だとすると、それはなかなか苦労しそうだ。
というより、僕たちで勝手にアスファルトを剥がしても良いものなんだろうか。そもそも剥がすことなんてできるのだろうか。そんなの、やったことなんて一度もない。
思いながら、まじまじと茶色のアスファルトを陸と一緒に見つめていると、真帆さんは「ぷぷっ」と噴き出すように笑ってから、
「そんなメンドーなことしませんよ! 見ていてください!」
言って、両手でその石を包み込むようにして胸の高さに持ち、瞼を閉じた。それから、ぶつぶつと何か呪文のようなものを口にし始める。その言葉はほとんど聞き取ることができないような、まったく聞いたことのない、僕の知らない言語だった。
その言葉に合わせて、真帆さんの持つ石に刻まれた文字が、ぼんやりと輝き始めた。
「おわ、すげぇ、本当に魔法みたいだ!」
陸が、僕とまったく同じ感想を口にした。
陽葵と千花も、興味深そうにその様子を見つめている。
その隣では、潮見も真剣な眼差しで、真帆さんの姿や言葉に耳を傾けているようだった。
石に刻まれた魔女文字は、真帆さんの言葉に呼応するように、だんだんとその輝きを増していった。今ではもう、直視できないほどの眩しさだ。
やがて石は文字だけでなく、それ全体が強い光に包まれていった。
真帆さんがすっとその石から両手を離すと、石は宙に浮いたまま、ゆっくりと、けれどだんだんそのスピードを増すように、くるくると回転し始めた。
小さな風が、光と共に石を包み込んで、そのまま石は回転しながら、ふわりふわりと真帆さんの足元へと降下していく。
まさか、このまま石の回転でアスファルトに穴を開けて、無理矢理埋め込もうってことなのか?
なんて思っていると、不思議なことに、石は強い光を放ったまま、するするとアスファルトの中に、まるでその表面をすり抜けるかのように、地面の中へとそのまま降下し続けて――あっという間に、その姿をアスファルトの中へと消してしまったのだった。
もちろん、アスファルトの表面には穴なんて開いていない。
まるで吸い込まれるように、あの石はアスファルトの下へと埋め込まれた、ということだろう。
真帆さんは瞼を開き、腕を下ろした。
ほうっ、とため息を吐いてから、口元に笑みを浮かべて、
「――終わりました」
僕たちの顔を見渡すように、そう口にした。
僕も陸も、陽葵も千花も、そして潮見も、しばらく互いに眼を見合わせ、何も言うことが出来なかった。
全員の眼が、先ほど石の吸い込まれたアスファルトの表面に向けられて、
「……これで、もう、大丈夫なんですか?」
陽葵が、真帆さんに訊ねる。
「はい、大丈夫だと思います」
「無気力症候群も、解決するわけ?」
千花が、確かめるように、真帆さんに訊ねる。
「はい、すぐにとはいかないかもしれませんが」
「優斗も蒼太も、元気になるってことで、いいんだよな?」
陸が、期待を込めた強い言葉で、真帆さんに訊ねる。
「もちろんです。安心してください」
「いったい、どんな魔法を使ったの? 空間転移的な感じだったけれど……」
潮見が、とても興味深そうに、真帆さんに訊ねる。
「地鎮と転移の合わせ技、ですね。無理に魔力を使ったので、正直、疲れちゃいました」
真帆さんは、苦笑するように、そう答えた。
僕は、そんな真帆さんに顔を見上げて、それからふと海の方を振り向きながら、
「……それで、あの龍はどうするの? もしかして、ずっとあそこに居続けることになるの?」
龍は相変わらず、海の中を悠然と、ぷかぷかと、ゆっくりと、泳ぎ続けていた。
全員の視線が、その龍に向けられた時だった。
ざばぁんと大きく水が跳ねるような音と共に、ついに龍が、その顔を僕らに晒したのだ。
龍は龍の頭をしていた。
昔から絵に描かれているような、長いひげの生えた、鋭い目つきの、ギザギザ歯のズラリと並んだ半開きの大きな口が、僕らの方に向いている。
その距離、十数メートル。
「――ひっ」
「で、デカい!」
陽葵と千花は互いに抱き合うように一歩あと退り、
「お、おい、大丈夫なのか? 食われたりしないよなぁ?」
陸も情けない裏声で怯えている。
当然、僕だってそんな間近で龍の顔を目の当たりにして、平然としていられるわけがない。
思わず真帆さんの方へと数歩、助けを求めるように近づいていたことは言うまでもない。
そんな中で、意外にも潮見は平然とした様子で、
「どうすんの、真帆さん」
「そうですねぇ」
と真帆さんはクスリと笑んでから、
「とりあえず、この
龍の頭に右手を差し伸べながら、そう言った。