3
陽葵と湊の家をあとにした僕と真帆さんは、来た時と同じように、ふたり並んで海沿いの道を歩いていた。
真帆さんは吹く風にその長い髪を流しながら、小さく鼻歌なんかを口ずさんでいる。
僕はさっきから真帆さんの様子を窺いながら、何をどこから訊ねたらいいのか考えあぐねていた。
間違いなく、真帆さんは何かを知っている。
けれど、気がするばかりで確証があるわけではない。
ただ漠然と、この夏の、ここ数日の、或いは五月から始まったと言われている無気力症候群の、全てが繋がっているような気がしてならなかった。
そして、あの虹色ラムネ。
元気が出る、魔法のラムネ。
僕が飲んだ時にはそんな効果はあまり感じられない、何の変哲もない、ただのラムネのような気がしたのだけれど、確かに湊は坂の上の魔女や真帆さんからラムネを飲まされて元気を取り戻した。
いったい、あのラムネはなんなのだろうか。
真帆さん、坂の上の魔女、伯父さん、そして武田の兄ちゃん。
彼ら彼女らは、どこからあのラムネを手に入れているのだろうか。
そんなことを考えていると、
「この町で流行っている無気力症候群は、地力がどこかに流出していることが原因で起きていると思われます」
ふいに真帆さんがそう口にして、僕はしばらく返事をすることができなかった。
地力? 流出? どういうこと? なにそれ?
首を傾げる僕に、真帆さんは続ける。
「地力というのは、大地に宿る魔力のことです」
「ま、魔力?」
何言ってんだ、この人は。
僕は思わず眉間に皺を寄せる。
真帆さんは、けれどそんな僕を気にするふうもなく、
「その地力がどこかに流出してしまっている為に、大地の魔力が枯渇して、それを補うために相性の良い魔力を、つまるところ生命力を、大地が人々から吸い上げているんです。それが恐らく、無気力症候群の原因です」
「……はい?」
もはや意味不明だった。
そんな非現実的な、漫画やアニメみたいな話をされたって、信じられるはずもない。
開いた口が塞がらない、とはまさに今、この状況に違いない。
真帆さんは、地面を指さし、指先をくるくるしながら、
「けれど、吸い上げた先からその魔力すらもどんどんどこかへ流れていくものだから、結局また人から生命力を吸い上げて――その繰り返しです。人々も吸われた生命力、つまり魔力を取り戻すために、無気力ではありながらも食欲はそのままです。そして人々が食事で補給した魔力をまた大地が吸い上げて、という感じで、今この町では悪循環が起きているみたいなんです」
ふざけているんだろうか、と真帆さんの顔を覗き込んでみたのだけれど、真帆さんは大まじめにそんな話をしているらしく、眉間に皺を寄せながら、困ったような表情で、
「それだけであれば命に別状はないので、のんびり観光気分で調べていたんですけれど」
と大きくため息を吐いてから、
「ミナト君の様子を見る限り、そういうわけにもいかないみたいですね。あの様子では近い将来、どこかで最悪の事態になるかも知れません」
「……最悪って?」
「補給する分より吸い上げられる方が上回って――命を落とすことになるかも知れません」
「……」
「……」
「……」
「……」
しばしの沈黙ののち、
「本気で言ってんの?」
「はい、本気です。マジの話です」
真帆さんは、深く頷いて僕の顔をじっと見つめた。
いや、だって、急にそんな話をされたって、それこそ何をどう言えば良いのか解らない。
それに、もしその話が本当だったとして、
「真帆さんは、いったい、何者なの?」
すると真帆さんは、口元に微笑みを浮かべながら、
「私、実は魔女なんです」
「……は? 魔女?」
「はい、魔女です。魔法使いです」
真帆さんはこくりと頷いてから、
「八千代さん――坂の上の魔女さんの依頼で、ゼンマキョウから呼ばれてきました」
「ゼ、ゼンマキョウ?」
「全国魔法遣い協会。略して全魔協、ですね」
そんなの、聞いたことがない。信じられるわけもない。
「……もしその話が本当なら、何か魔法を使って見せてよ。例えば、空を飛んで見せるとか」
魔女といえば、ほうきに跨って空を飛び回る、あの姿だ。
もし本当に真帆さんが魔女だというのなら、それくらいできるはずだろう。
「それが出来たら、信じてあげてもいい」
けれど真帆さんは、小さくため息を吐いてから、
「そうしたいのは山々なんですが……今は無理なんです。私の魔力もこの地に吸われているせいで、私もろくに魔法が使えなくて。使った先から魔力が地に吸われて消えていく、みたいな感じになっちゃうんです」
例えばほら、と真帆さんは人差し指で空を指さして、
「ハルト君と初めて会ったあの日。私、実はあの時、空を飛んでいたほうきから落ちてしまったんです」
「えぇっ? 木から落ちたんじゃなくて?」
「まさか、本当に蝉取りのために木に登っていたとでも思っていましたか?」
「い、いや、そういうわけじゃないけど――」
確かにあの時も何かおかしいと思いはしたけれど、そんな、まさか、でも、魔女って、魔法って、本当に……?
「代わりに、これならどうですか?」
言って真帆さんは、僕に一歩近づいた。
目と鼻の先に真帆さんの綺麗な顔、そして鼻腔をくすぐる甘い香り。
それに混じって、ひんやりとした空気が感じられる。
さっきから気になってはいたけれど、まさか、これが。
「今の私には、自分の周囲の気温を下げる程度の魔法しか使えません。それも、この虹色ラムネを飲み続けて、私の中の魔力をある程度保持した状態でないといけません」
信じて頂けませんか? と首を傾げる真帆さんに、僕は、
「……わかったよ。まだ完全にじゃないけど、信じるよ」
「ありがとうございます」
真帆さんはにっこり微笑むと、
「とにかく、時は一刻を争うようです。何か原因があって地力がどこかへ逃げています。これをどうにかしない限り、この町で広まっている無気力症候群は止まりません。ミナト君の症状も改善はしないでしょう」
それから両掌を合わせて、
「そこでお願いです。ハルト君も、どこか怪しげなところを探してもらえませんか? この町のどこかに、魔力の“栓”になっていたと思われる何かがあったはずなんです。何かのはずみでその栓が外れてしまい、そこから魔力が大量に流れ出しているんじゃないか、と私は考えているんですが、なかなか見つからなくて。それなりに大きな町なので、私たち三人だけではどうしても限界があって……一緒に探して頂けると助かります」
「それはいいけど、私たち三人って?」
「今この町には、私を含めて三人の魔女がいるんです」
「……マジで?」
「はい、マジです。大マジです」
「…………」
ひとりは当然、真帆さんのことだろう。
もうひとりは多分、依頼をしたという坂の上の魔女――八千代さんか。
まさか、僕らが魔女魔女と呼んでいた人が本当に魔女だったとは思わなかったけれど。
それから、あともうひとりは?
「――真帆さん! やっと見つけた!」
聞き覚えのある声がして、僕も真帆さんもそちらに顔を向ける。
「あら、おはようございます。どうされました?」
笑顔で手を振る真帆さんに、その少女は駆け寄ってくると、
「怪しいところを見つけたから、真帆さんにも一緒に調べてもらおうと思って――って、あれ? テンマ?」
「え、潮見? あれ? お前も真帆さんのこと知ってんの?」
思わず目を見張る僕に、真帆さんは、
「……そうですね、ハルト君にも手伝ってもらう以上、秘密にする必要もありませんよね」
とくすりと笑んでから、
「実は、芽衣さんも魔女なんです」
思いもよらなかった言葉を、口にした。