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第2話

   2


 陽葵と湊の家まで案内する道中、真帆さんの隣を並んで歩いていたのだけれど、不思議と涼しい風が吹いて心地よく、その風に乗って花の香りみたいな匂いが真帆さんから流れてきて、僕は何だかどぎまぎしてしまった。


 陽葵と一緒にいるときも、陽葵からはどこかふんわりと甘い香りが漂ってドキドキしてしまうことがあるが、それとはまた少し違った感覚だ。


 どうして女の人ってこんなに良い香りがするんだろう。


 特に真帆さんがすごいのは、こんなに暑い中でも汗一つかいているようには見えないところだ。


 うちの母親はこれだけ暑いとすぐ汗だくになって、たまに遊びに出るときなんて何度か化粧直しをしに化粧室を探しに行ったりするのだけれど、そんな様子もまるでなかった。


 それだけじゃない。


 真帆さんの隣は何故か空気がわずかにひんやりしていて、少し離れて歩いてみると、途端にいつもの暑さに気温が戻った。


 まるで真帆さんの周囲だけ、気温が下がっているように感じるのだ。


 いったいこの人は、何者なのだろうか。


 怪しく思いながら真帆さんに視線を向ければ、真帆さんは手にした虹色ラムネを口元に運び、ごくりと一口、喉を潤す。


 それから僕の視線に気が付いたのか、くすりとひとつ笑んでから、

「どうかしましたか?」


「あ、いえ、なんでもないです」

 僕は慌てて視線を戻し、どこかからかうような表情の真帆さんから逃れるように、

「ほら、そこです。あそこが陽葵とミナトの家です」


 僕は真帆さんの数歩先を歩くように軽く駆けると、玄関のインターフォンを鳴らした。


 ほどなくして、「は~い」と陽葵の声が聞こえ、玄関の扉が開く。


「あ、ハルト……と、えっと……真帆さん?」


 不思議そうに、陽葵が僕と真帆さんを交互に見やる。


 真帆さんはにっこりとほほ笑むと、軽く手を振ってから、

「こんにちは、ヒマリさん」


「えっと……何か御用ですか?」


 訝しむように眉を寄せる陽葵に、真帆さんは、

「実は私、学校の養護教諭の仕事をしていまして。最近、夏休み中に体調を崩してしまう生徒が増えているということで、各生徒さんのお宅を訪問して様子を見て回っているんです。ミナトさんの体調が悪くなっているとハルト君から聞きまして、是非面会させて頂いて、症状を確認させて頂けないかと」


 え? そうなの?


 僕は思わず目を見開き、真帆さんに顔を向けた。


 陽葵も首を傾げながら、

「つまり、保健室の先生、ですか? ミナトの?」


「まぁ、そんな感じです」


 にこっ、とほほ笑む真帆さんの怪しさったらない。


 そんな感じって、どんな感じだよ。


 肯定しないってことは、違うってこと?


 一瞬、陽葵が僕に視線を向けてきて、僕は首を傾げて見せた。


 本当かどうかわからないけれど、しかし何か悪いことを企んでいるような気もしない。


「……今、両親とも留守にしてるんですけど」


 そんな陽葵に、真帆さんは、

「お気になさらず。ミナト君の様子を見たら、すぐに帰りますので」


 困ったような表情を浮かべる陽葵の代わりに、僕は真帆さんに訊ねる。


「真帆さん、これって詐欺か何か?」


 すると真帆さんは「違いますよ!」とわずかに声を大きくして、

「これはこの町で起こっている無気力症候群の原因を探る調査の一環です。ちゃんと然るべきところからお金は頂いているので、完全無料です!」


 ぷくっと頬を膨らませるその姿に、ようやく陽葵も少しばかり心を許したのか、ふんわりとほほ笑んでから、

「……わかりました。どうぞ」

 と僕と真帆さんを家の中へ案内してくれたのだった。


 玄関を抜けながら、僕は真帆さんに、

「然るべきところって、なに?」


「キョウカイです」


「キョウカイ?」


「はい、そうです」


 キョウカイ……教会? 何かの宗教?


 ちょっと何か怪しくなってきたぞ、と心配になりながらも僕は真帆さんの後ろをついて歩き、陽葵とミナトの部屋へ向かう。


 陽葵はとんとん、と部屋のドアを軽く叩き、ゆっくりとドアを開いた。


「……ミナト、保健室の先生が様子を見に来てくれたよ」


 話しかける陽葵の言葉に、けれどベッドに仰向けで寝ているミナトは視線をこちらに向けるだけで、一言も喋ることができないほど苦しそうだった。


 真帆さんもそんなミナトの姿に眉を寄せながら、ゆっくりとベッドまで歩み寄ると腰を下ろし、ミナトに視線を合わせるようにして、

「ちょっとだけ、我慢してくださいね」

 言ってから、ミナトの眼を軽く指で開いてみたり、おでこに手を当てたり、腕を取って脈を計ってみたり、ミナトの容態を調べていった。


 それから小さくため息を吐いてから、

「まさか、こんなにひどい症状が現れるとは思ってもいませんでした……」

 呟くように言って、肩にかけていた小さなバッグから虹色ラムネ(いったいいくつ持っているのだろう)を取り出すとぷしゅっと開栓して、

「これを飲んでください」

 言って、ゆっくりとミナトの背中を軽く支えながら、ラムネをミナトの口に持っていく。


「えっ、ラムネ?」


 陽葵も僕も一瞬驚いて眼を見合わせたけれど、そういえば坂の上の魔女から貰った虹色ラムネでも、あの日ミナトはわずかでも回復したことを思い出した。


 いったい、この虹色ラムネとは何なのだろう。


 何か不思議な薬でも入っているのだろうか。


 そんなことを考えながら、ミナトにラムネを少しずつ飲ませる真帆さんの様子を窺っていると、見る見るうちにミナトの顔色が良くなっていくのが判った。


 あれだけ苦しそうにしていた呼吸が、今ではすっかり良くなっている。


 やがてミナトは真帆さんの持つラムネを自分で持ち、ぐびぐびと一気に飲み干して、

「……すごい。なんか、すっごく楽になった」

 驚いたように、真帆さんの顔を見つめた。


 真帆さんはミナトの頬をムニムニすると、その眼をじっと見つめて、

「それは良かったです! でも、あまり無理はなさらないように、よく寝て、よく食べて、体調を整えてくださいね」

 にっこりとほほ笑むと立ち上がり、こちらに身体を向けて、

「さぁ、これ以上ご迷惑にならないように、そろそろお暇しましょうか」


「え、あ、はい」

「あ、ありがとうございます」


 困惑する僕や陽葵に、真帆さんは「そうそう」と再びバッグに手を突っ込むと、未開封の虹色ラムネを二本ほど(その小さなバッグからどうやってか)取り出して、

「こちらをどうぞ。一日一本、ミナトくんに飲ませてあげてください」

 と陽葵に差し出す。


 どこかおろおろしながら受け取る陽葵の横で、僕は眉を寄せながら、

「これ、いったい何なんですか?」


「虹色ラムネです」

 ふふん、意地悪く笑う真帆さん。


 僕は「そうじゃなくて!」と首を横に振って、

「そんなの見たらわかりますよ!」


 すると真帆さんは、「そうですねぇ」と口にしてから、

「元気が出る、魔法のラムネです」


 にっこり笑って、そういった。

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