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夕暮れ過ぎ。
階下の店の方はいつも通り、近所のおじさんやお爺さんが集まって野球の中継を見ているらしい。
一喜一憂する声が二階の僕の部屋にまで響いてきて何ともうるさかった。
あれだけ日中の町中は気だるげな人たちでいっぱいなのに、うちに来る常連には関係ないようだ。
僕は野球には興味がないから何が楽しいのか解らないけれど、あれだけ盛り上がれるのだから大したものだ。
僕はひとり自室に閉じこもり、エアコンをガンガンにかけてテレビゲームに興じていた。
数年前に買ったRPGで、僕はこれまでに何度もその世界を救ってきた。
これほどやりこんだゲームは他にないんじゃないだろうか。
何が楽しいのか、と問われればいまいち答えに困ってしまうのだけれど、まぁ、本当に好きなものはそういうもんなんだ、と思うようにしている。
中でも僕は魔法を使って敵を一掃するのが好きだった。強力な魔法を使う、魔法使いのキャラクターを好きになることが本当に多いのだ。
そう、魔法使い。
魔女。
坂の上の魔女、八千代さん。
まさか、本当にあのお婆さんが魔女だなんて思えないけれど、僕らにとってはそれくらい迫力のあるお婆さんだった。
ぎろりと睨みつけられただけで、何かの呪いにかかったような気がしたし、捕まれば喰い殺される、なんて噂話もあったりなかったり。
……うん、たぶんそんな噂話はなかったような気がする。
けれど、それくらい眼光鋭いお婆さんだった。
そんな八千代さんと何らかの繋がりがあるらしい、自称ただの旅行者である、楸真帆さん。
いったい、あのふたりはどういう関係なんだろうか。
顔は全く似ていないから、たぶん親戚なんかではないと思う。
あのひょうひょうとした雰囲気の真帆さんと、険しい顔つきの八千代さん。
まるで反対の印象のこのふたりの関係とはいったい……?
それに真帆さん、二日連続で似たようなことを訊いてきたな。
『この町で最近、何か変わったことはないか』って。
それは猫がワンと鳴いたとか、犬がニャーと鳴いたとか、カラスの大量発生だとか、死んだ人の霊を見たとか、学校の体育館に大量の達磨が現れて運動会をやっているとか、この辺りで石仏が壊されたとか、祠が壊されたとか、祟りが何とか、災いが何とか云云かんぬん――
そう考えると、無気力症候群なんて、もろにこの町で一番変わっている出来事じゃないか。
春先から続いている謎の病気。それが本当に病気なのか何なのか解らないけれど、確かにここ数日、町の様子がおかしいのは確かだった。
陸から無気力症候群の話を聞いてから気になるようになったことだから、実際のところいつから町がおかしくなってきたのかまでははっきりしないのだけれど、間違いなくこの現象は真帆さんの言う『変わったこと』になるはずだ。
だけど、それを真帆さんに話したところで果たして何が変わるのか。
そんなことを話して、いったい何の意味があるというのか。
どう考えたって何の関係もない話だし、真帆さんがどうにかしてくれるだなんて思えない。
そもそも、真帆さんが聞きたいのはそういう話じゃないと思う。
どちらかというとオカルト的な話。夏場における怪談話。
真帆さんだって言っていたじゃないか。
『こう暑いと怖い話とか恋しくなっちゃうでしょう?』
そう、結局はそういうことだ。
あの人が聞きたいのは、涼を求めるための情報であって、無気力症候群みたいなガチな異変の話なんかじゃない。
僕は小さくため息を吐いて、戦闘中のゲーム画面にポーズをかけた。
下の階からは相変わらずおじさんたちの大声が聞こえている。なかなかの盛り上がりようだ。
うちにくる常連客のあの元気さ加減、無気力症候群にかかっている人たち、とりわけ湊に分けてやりたいくらいだった。
僕は立ち上がり、自室を出て階下に向かう。
ちょっとのどが渇いてしまったのだ。
店に降りるにつれて、おじさんたちの声がより大きく聞こえてくる。本当に賑やかな人たちだ。野球の何がそんなに楽しいのだろうか。単なるボール遊びじゃないか。ワケがわからない。
そう思いながら、僕は母さんに声をかける。
「母さん、ジュース一本貰っていい?」
「え? 何?」
おじさんたちの声が大きすぎて、全然聞こえないらしい。
僕はもう一度、「ジュース頂戴!」と少し大きめに声を出した。
「一本だけよ?」
母さんは店の分から一本、オレンジジュースを僕に手渡しながら、
「ゲームばっかりしないのよ?」
「わかってるよ」
僕は言って、店の中を見回した。
すぐ隣の電気屋のおっちゃん、三軒先の古いアパートに住んでいる田中の爺さん、隣の通りの榊さん、その隣に座っているのは神田さん……全員が全員、知っている顔ばかりだった。
彼らは皆一様に店に設置されたテレビにくぎ付けで、それぞれのテーブルの上には父さんが作った魚料理や酒、つまみが並んでいる。
なんかもう、本当に近所のおっさんの集会場だな。
野球でわぁわぁ盛り上がるおっさんどもを尻目に、僕は二階の自室へ戻るべく階段に足をかけた。
僕は絶対に、あんな中年にはならないぞ、と思いながら。