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第2話

   2


 それから僕と陸はしばらく商店街をうろついたのち、昼頃にはそれぞれ家に帰ることにした。


 やはり特に用事もなく遊びまわると言っても限界があったし、ふたりしてお昼を食べに行くほどの小遣いを持っているわけでもない。


 一旦家に帰ってご飯を食べたあと、もう一度会って遊びに行こうか、なんて話にもなった。


 けれど、どんどん上昇する気温に対して僕らが選んだのは、どちらかの家でゲームをするか、さもなければどちらも家に引きこもってゲームをするか、という二択だけだった。


 他に適当な選択肢なんて浮かばないほど、気温の高さにやられて僕らの頭もふやふやに蕩けてしまっていたのかもしれない。


 陸との別れ際、陸は思い出したように口を開いた。


「実はさ、蒼太の様子もおかしいんだ」


「蒼太も?」


 それはいったい、どういう意味だろうか。


「あそこは蒼太だけじゃなくて、家族全員がおかしいんだよ」


「だから、何がおかしいんだよ」


 すると陸は小さくため息を吐き、

「今日さ、お前に会う前に、アイツの家にも行ってみたんだよ。昨日、体がだるいって言ってたから、ちょっと気になってな。そしたらさ、なんか家の中がしんとしてるんだよ。まぁ、中っていうか、外から見た感じな。チャイムを鳴らしても、声をかけても誰も出てこなくて。留守なのかなって思ったんだけど、車も自転車もそのままだったし、室外機もガンガンに動いてたんだ。なんか心配でさ、こっそり庭に忍び込んで、家の中を覗き込んでみたんだ」


 それ、不法侵入なんじゃないか? なんてことは言わなかった。


 僕はごくりと唾を飲んで、

「それで、どうだったんだ?」

 と恐る恐る訊ねる。


 陸は眉間にしわを寄せつつ、声を落として、

「みんな居たよ。蒼太も、おじさんも、おばさんも、あいつの弟も、全員な。でも、みんなぼうっとしてた。まるで生気がないんだ。全員で居間の机を取り囲んで座ったまま、ぴくりとも動かないんだ。俺、なんか怖くなってさ。何も見なかったことにして、逃げてきたんだ」


「それって、もしかして、例の」


「たぶん、無気力症候群だと思う」


「……そうか」


 それっきり、僕も陸も口ごもった。


 なんて言えばいいのか解らなくて、しばらくの間、炎天下でふたり立ち尽くしてしまう。


 僕はふと商店街を振り返り、通りの様子を窺った。


 人通りはそう多くはないが、観光客もそこそこいる。そこだけ見れば普段とさほどかわりない。


 けれど、明らかに違う点も確かにあった。


 地元民の姿が減っているのだ。


 全くいないわけではないのだけれど、二、三割ほど少ない気がするのだ。


 そのうえ、道を行く地元民の顔も心なし暗く感じる。


 中には、ぼうっと足元に視線を向けたまま歩く主婦らの姿もあって、やはりなんとも気味が悪かった。


 店の従業員ですら、とても怠そうに店番をしている。


 夏の暑さ、だけじゃない。


 何か別の要因で、僕らの町はおかしくなっているのだ。


 ……無気力症候群。


 それがいったいどういう病気なのか知らないけれど、町全体に広がるようなものなのか?


 春先から徐々に徐々に広がっていっているらしいけれど、これは、いったい――


「なぁ、この町、何が起きてるんだと思う?」


 陸が再び口を開いて、僕は「えっ」と顔を戻した。


 陸は続ける。


「絶対、何かおかしいよな? なんかみんな、変な病気にかかってるんじゃないのか。無気力症候群とかいうんじゃなくて、もっと別の病気とかに。千花も言ってたじゃないか。まるでゾンビみたいだって。もしかして、本当にそうなんじゃないか?」


「まさか、そんなこと」


 否定するも、陸は「わかんないぞ?」とにやりと笑んで、

「もしかしたら、新種の病原菌かも知れない。この町で発生して、どんどん広がっていって。そのうち県全体に広がって、日本全体が感染して――」


「それ、本気で言ってるのか?」


「まさか」

 と陸は首を横に振って、

「単なる妄想だよ。たぶん、全部気温のせいだろ? 俺だって暑くってやってらんないもん」


「……だよな」


 なんだか変にほっとする僕に、陸は、

「んじゃ、俺、帰るわ。さっさと帰って、エアコンガンガンの部屋でゲームするんだ!」


「おう、じゃあな」


 僕は陸の背中を見送ると、帽子を深くかぶりなおし、ナップサックからペットボトルを取り出して残った水を一気に仰ぎ飲んだ。


 温くなった水がなんとも言えない。帰る前にコンビニで新しく水を買いなおすか、と思って商店街の方に身体を向けたところで。


「あらあら、また会いましたね」

 すぐ目の前に、真帆さんの姿があって、

「うわっ!」

 と僕は思わず驚きの声をあげてしまう。


「い、いつの間に……!」


 すると真帆さんは「ぷぷっ」と笑い、

「驚かせようと思って、ゆっくりと近づいてました」


「なんでわざわざそんなことを」


「面白いじゃないですか、驚いた人の顔って」


 なんなんだ、この人は。


 僕は思わずむすっと顔を歪めてしまう。


「それにしても、毎日毎日暑いですねぇ。今日も最高気温を更新してるそうですよ。晴人くんは大丈夫ですか?」


「えぇ、まぁ、なんとか……」


「それは良かった」

 と真帆さんはにっこりと微笑んで、

「……ところで、またちょっと聞いてみるんですけど、この辺りで石仏が壊されたとか、祠が壊されたとか、そんな話はありましたか? ほら、そういうことがあったら、祟られるとか災いが降りかかるとか、怖い話になるじゃないですか」


「ない、と思うけど、また怪談話ですか?」


「こう暑いと怖い話とか恋しくなっちゃうでしょう?」


「……なりません」


「ぷぷっ。もしかして、怖い話、苦手ですか?」


「……なんでそうなるんですか」


 真帆さんは「あははっ」と笑い、

「まぁ。何かそういう話を聞いたら教えてくださいね。それじゃぁ」

 と僕の脇を抜けて、アイス屋のある高架下の方へ足を数歩向けたところで、

「あ、そうだ」

 何かを思い出したように、くるりと身体ごと振り返り、小走りに僕のところまで戻ってくると、

「これ、どうぞ」

 どこから取り出したのか、僕のすぐ目の前に『虹色ラムネ』を差し出したのだ。


「え、あぁ」

 僕はそれを受け取りながら、

「あ、ありがとう、ございます……」


「こう暑いと、冷たいものが欲しくなりますよね」


 そう言い残して、再び真帆さんは背を向けた。


 そのラムネと真帆さんの後ろ姿を目にしたとき、不意に坂の上の魔女のことが思い浮かんだ。


 昨日、坂の上の魔女は僕らにこの虹色ラムネを分けてくれた。


 その坂の上の魔女の家に、真帆さんは泊っているという。


 今日はその真帆さんから虹色ラムネを貰ったわけで――


「ね、ねぇ、真帆さん!」

 思わず僕は、その背中に声をかけた。


「はい?」

 真帆さんは振り向き、小首を傾げる。


「真帆さん、坂の上の魔女とどういう関係なんですか?」


 訊ねてから、僕はハッと口を閉じた。


 いきなり坂の上の魔女、なんて言って判るはずがない。なにしろ、この呼び名は僕ら地元の子供たちの間でしか通じないのだ。数日前からこの町に滞在しているような真帆さんに、それが誰のことを示しているのか、判るはずもない。


 けれど、

「坂の上の魔女……八千代さんのことですか?」


「や、やちよさん……?」


 そういえば、僕だってあの人の名前をちゃんと知っているわけではなかった。


 あの人は坂の上の魔女、或いはババァであって、僕らにとってはそれ以上でもそれ以下でもなかったのだから。


 だから僕は、思わずしどろもどろになりながら、

「え? あ、あぁ、はい、たぶん?」


 真帆さんはそんな僕の様子を気にするふうでもなく、

「そうですねぇ」

 とわずかに視線を上に向け、少しばかり考えるようなしぐさをみせてから、

「――ヒミツですっ」


 口元に人差し指をあてて、意地悪く微笑んだだけだった。

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