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翌日。僕は昨日の湊のことが気になって、朝起きて親の手伝いを終わらせたあと、すぐに陽葵たちの家まで自転車を走らせた。
すでに日差しは強く地面を照り付け、蝉たちの鳴き声は辺り一帯に大きく響いていた。
これだけ暑苦しい毎日だと、僕もそのうち熱中症に倒れてしまってもおかしくない。
一応、念のために家からミネラルウォーターのペットボトルとタオルを持参し、背中のナップサックに詰め込んで持って出てはいるが、どこまで効果があるのかはよく解らなかった。
深く帽子をかぶり、なるべく日差しを避けて走ること数分。僕は陽葵たちの家の前で自転車を停めた。
玄関前のインターホンに指を伸ばし、ボタンを押す。
ほどなくして、
『はい』
とスピーカーからおばさんの声が聞こえてきた。
「あ、天満です」
『あらあら、ハルト君、ちょっと待ってね』
プツン、と応答の途切れる音がして、パタパタと中から足音が近づいてくる。
がちゃり、と玄関の扉を開けて出てきたのは、おばさんでも湊でもなく、陽葵だった。
「おはよう、ハルト。昨日はありがとね」
「ううん、気にしないで」
と僕は首を横に小さく振って、
「それより、湊の様子はどう?」
すると陽葵は「ううん」と少しばかり唸ってから、
「まだ、調子悪いみたい。これから病院に行くところなんだ」
「え? そんなに悪いの?」
「食欲はあるみたいだから大丈夫だとは思うけど、やっぱり体がだるいって、ご飯食べたらすぐに横になっちゃって。ほら最近、無気力症候群なんて呼ばれてる病気みたいなのもあるでしょ? やっぱり気になるから……」
「――うん、そうだね」
「だから、ごめんね。せっかく来てもらったのに」
「いや、いいんだ。大丈夫」
と僕は首を横に振ってから、
「でも、何かあったらすぐに教えてね。俺も、ミナトのこと心配だから」
「うん、もちろん」
陽葵は笑顔で頷く。
「それじゃぁ、またね」
「うん……それじゃぁ」
僕たちは互いに手を振りあって――ぱたん、と陽葵は玄関の扉を閉めたのだった。
辺りからは、暑苦しいセミの鳴き声が響いているばかりだった。
その帰り道の事だった。
自転車に乗ってダラダラと自宅に向かって走らせていると、
「お、ハルトじゃん!」
道の向こう側から陸が歩いてくるのが見てとれた。
「おはよう」
と僕が挨拶すると、
「おう」
と陸は頷いて、
「真帆さんの泊まってるところ、わかったぞ」
嬉しそうに、にやにやと口元に笑みを浮かべながらそう言った。
僕はその言葉に、思わず眉間にしわを寄せる。
もしかして、昨日アイス屋で別れたあと、ふたりして真帆さんを探し出してまた後ろを付け回していたのだろうか。
何してんだか、と呆れていると、
「おいおい、なんだよハルト。そんなあからさまな顔すんなよ!」
「いや、だって、そこまでして真帆さんのこと知ってどうすんだよ」
「どうもしないさ。ただの暇つぶしだよ」
と陸は鼻を掻いてから、
「それよりさ、聞いてくれよ。真帆さんがどこに泊まってんのか」
「いいよ、別に」
気にならない、と言えばウソになってしまうけれど、そんなこと知ったところで僕には関係ないし、真帆さんがどこに泊まろうがそれは真帆さんの自由なのだ。
だけど、そんな僕の返答を無視して口にした陸の言葉に、僕は思わず目を丸くした。
「聞いて驚け。なんと真帆さん、あの坂の上のババァん家に泊まってたんだ!」
――坂の上のババァ。
昨日、商店街で湊に虹色ラムネをくれた、魔女とも呼ばれるおばあさん。
あの眼光鋭い視線に睨まれた時、僕は怖気づいてほとんど何も言えなかった。
たぶん、優しいおばあさんなのだとは思う。苦しそうな湊を見て、声をかけてくれるくらいには。
その坂の上の魔女の家に、真帆さんが泊まっている……?
もしかして、真帆さんはあのおばあさんの孫? それとも娘?
けれど、ふたりの雰囲気はあまりにも似ていなくて。
「な? 気になるだろ?」
ニヤリと口にした陸のその表情に、
「なんだよ」
と僕は思わず返していた。
「あのババァと真帆さん、全然結びつかなかっただろ。いったいどういう関係なんだろうな? な? 気になるだろ?」
「気にならない」
「嘘つけ」
陸は僕の顔を覗き込んでへらへら笑う。
「気になるって顔に書いてある」
「だからって、そんなん知ったって俺達には関係ないだろ」
言ってやると、陸は「ふぅん?」と首を傾げて、
「まぁ、いいや。それよりこれから暇か? 暇ならどっか遊びに行こうぜ」
「遊びにって、どこ行くんだよ」
一昨日はプール、昨日は釣り。けれど、こんな小さな町で遊びに行く場所なんて、たかが知れている。ちょっと遠出してモールに行くか、それとも……
「別にどこでもいいだろ?」
陸は言ってから、
「とりあえず商店街行ってみようぜ」
仕方なく、一旦うちに帰って自転車を置き、僕と陸は商店街へ向かった。
途中、本屋へ寄って漫画の新刊をチェックしたり、コンビニによって涼をとったり、ダラダラと夜に見たテレビや動画、ゲームの話なんかをしながら歩き続けた。
やがて古臭い小さな遊園地|(この辺りでは公園のことを遊園地と呼んでいる)の前を通り、潮風にあたりながら海側の裏道を歩いてスーパーの横を大通りへ抜ける。
そこから更に駅前を通過していつもの商店街へ入ると、
「……なんか、シャッター下ろしてる店、多くないか?」
不意に陸がそう口にした。
見れば、昨日までは開いていた店が数店舗ほど閉まったままになっており、そのシャッターにはどれも張り紙が貼られていて、『本日臨時休業』『店主体調不良につきしばらくお休みします』など、手書きの文字が並んでいた。
「急にどうしたんだろうな、これ」
思わず眉間にしわを寄せながら、僕らは商店街の中を恐る恐る進んでいく。
もちろん、開いている店もたくさんある。
けれど、まるで活気というものが感じられなかった。
通りを歩いている人たちの様子もどこか鬱々としている。なかには深く肩を落としたまま、まるで魂が抜け切ったように、ふらふらと歩いている子連れの主婦やおばさんなんかもいたりして、どう考えたって何かおかしいし、どこか不気味だ。
「おいおい、どうなってんだよ、これ……」
陸のつぶやきに、僕は何も答えられなかった。
何がどうなっているのかなんて、僕にだってわかるはずもない。
お年寄りの夫婦や、その家族だけでやっている昔からある古い個人商店ほど閉まっている率が高く、新しく入ってきた全国チェーンの店ほど開いている率は高かった。
けれど、その中で働いているアルバイトやパートの人たちの表情も、どこか死人のようで。
そんな商店街の中をしばらく歩くうち、僕らは『フラワーCHIKA』まで辿り着いた。
店の中を覗き込めば、そこには千花の母親の姿だけがあって、
「こんちわー、おばちゃん。おっちゃんは?」
陸が訊ねると、おばさんは「あら、いらっしゃい」と僕らの方に顔をあげて、
「それがね、夏バテみたいで昨日から寝込んでるのよ。食欲自体はあるからすぐ治るとは思うけど、ほら、ここ最近、春からのアレがあるでしょ?」
「無気力症候群?」
「そう、それなんじゃないかって。実は千花も今朝から怠いって言ってたから、さっき病院に……あら、おかえりなさい、千花」
「ただいまぁ」
そこへ当の千花が、どこか怠そうな声で言いながら帰ってきた。
千花は僕らの姿に気が付くと、
「あれ? 何してんの、あんたたち。花なんて誰に買うの? わたしに?」
と小首を傾げる。
陸はそれに対して笑みを浮かべながら、
「買わねーよ。それより、そんなに体調悪いのか?」
「ううん。ちょっとだけね」
言って千花は僕らの横を通り抜けて店の奥まで行くと、老人客用に置かれた椅子に腰かけながら、
「夏バテだろうって。最近あんまり食べてなかったし」
「おじさんもなんだろ? 大丈夫?」
僕が訊ねると、千花は「う~ん」と小さく唸り、
「あっちはたぶん、例の無気力だと思う。明らかに様子がおかしいし。ずっとぼうっとしてる感じ。話しかけたら返事するけど、心がないっていうか、じいちゃんは河童に尻子玉を抜かれたみたいだって言ってたよ」
「シリコダマ?」
「河童が人のお尻から抜いてく、魂みたいなやつ」
「ふーん?」
「隣のかばん屋のおじいさんも、向かいの布団屋さんもそうみたいだよ。話しかけるまでずっとぼうってしてるんだって。心ここにあらずっていうのかな。病院もなんか異様な雰囲気だった。じぃっと床を見つめてるだけの人がたくさんいて、なんかゾンビみたいだった。そうそう、ヒマリとミナトくんもいたけど、ミナトくんはすごいダルそうで、無気力を通り越して息をするのも辛そうだった」
「……えっ」
僕は思わず眉間にしわを寄せる。
昨日の湊の様子を思い出して、胸が締め付けられるような感じがした。
「そんなに悪いのか、ミナト」
「いや、私が見た感じの話だよ? 入れ替わりで診察室に入っていったし、わたしも早く帰って休みたかったから、先に帰ってきたんだ」
それからゆっくりと立ち上がると、店の奥、母屋へ続く扉へ身体を向けながら、
「だからごめん、わたしもちょっと横になってる。じゃぁね、ふたりとも」
「あぁ、ゆっくり休めよ」
陸の言葉に、千花は小さく微笑みながら、
「うん。ありがと」
言い残して、ぱたんと、扉の奥へと姿を消したのだった。