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#60.生き延びた男達

 シルビアがエリスフィアに連れられたのは、墓地に近い場所にある、小さな酒場だった。

あまり人の来なさそうな、静かな立地。

時間的には賑わっていてもおかしくない頃合だというのに、中には客の一人も座っていなかった。

バーテンの姿すらない。「まだ準備中なのでは」と思える様相である。


「あの、何故酒場に……? バーテンもいませんし、それに、今はお酒を飲むような気分では――」


 困惑のまま、手を引かれていたシルビアは店内を見渡し、少女に問う。


「安心してください。私もお酒は飲みませんし」


 エリスフィアというと、そんなシルビアに微笑を見せながらも、カウンターの奥へと足を進める。


「えっ? あの、ここ、勝手に入っては――」

「大丈夫ですから」


 不安げに足を止めようとするシルビアに、エリスフィアは構いもせず奥へと進んでしまう。


「ふぁっ」


 突っ張っていく腕。抵抗する訳にもいかず、シルビアはそのまままた、歩き出す。


 手を引かれるままに、カウンター奥の階段を降りて地下へ。

ややひんやりとした空気に支配された、酒樽の並ぶ地下階層は、小ぶりな店構えとは裏腹の、中々の広さを誇るフロアであった。


「――なんだぁ? 誰ぞ来たかと思えば、お前ぇ、シルビアじゃねぇか?」


 そうして、そこで予想外の人物を、シルビアは見る事になる。


「――団長! そ、そんな、こんな事が……っ!?」


 困惑のままに対面したのは、死んだはずの騎士団長であった。

クロウに敗れ、どこぞへと打ち捨てられたはずの彼が、やけに健康そうな顔でくつろいでいたのだ。


「随分と顔色がよくなりましたね。ここに運ばれた直後はかなり危ない状況だったはずですが」

「いやあ、ここの店主の医療知識っていうのは全く大したもんだぜ。おかげでほれ、この通りよ!」


 最初からそれを知っているのか、エリスフィアと団長は打ち解けた様子で話している。

御前試合では胸元をまともに抉られていたはずだが、これも致命傷にはならなかったのか、包帯こそ巻かれてはいるものの、血すらにじんでいない。

おかげで一人驚いたシルビアはおいてけぼりを食わされた感じがしてしまい、ちょっと遣る瀬無かった。


「……団長」

「いやすまねぇなシルビア。俺もあの時ばかりは死んだものと思ったんだが、どういう訳か生きててよ。ここで傷が癒えるまでの間休んでたのさ」


 唇を尖らせ抗議めいた視線を送っていたシルビアであったが、夢でも何でもなく生きているこの団長の姿に、内心、心底ほっとさせられていた。


「驚かされましたが……団長が生きていらした事は嬉しく思います。ですが……これは一体?」

「多分、ベルクの奴、最初からこうすることを企んでたんじゃねぇかなあ。何で俺を殺さなかったのかは解らんが、俺を斬った後そのままにしてたら検分されちまうだろうし、ここに運び込んだ事も含めて考えると、な」


 全て計画的な行為。王の面前での戦いですら、ただのブラフだったという事。

そう考えると、体面も無くあの場で泣き叫んだ自分が恥ずかしく思えてきて、シルビアは頬を赤らめていた。


「まったく大した野郎だぜ。俺相手に、殺さずに勝ってみせたんだからな。あれほどの技量を持った奴を、俺は見た事がねぇ」


 どのような技巧か、急所を狙いながらに、致命傷を避けたという神業である。

それを認めるようにため息混じりに自分が刺された場所に手を当てながら、団長殿は楽しげにニカリと笑うのだ。

この男、このような状況になってもやはり、戦いを好む性質たちらしかった。


「そうですよ、お父様は強いのです。天下無双と言ってもいいほどですわ」


 そうして、その勝者の娘たるエリスフィアは、父親が褒められたのが嬉しくてたまらないらしく、少女らしい微笑を見せていた。



「それにしてもアレだなシルビア。あいつに娘がいたとなるとお前ぇ、子連れの男と一緒になる事になるのか?」


 随分と大変そうだなあ、と、暢気な事をのたまう団長。


「こほっ――な、何を仰いますの団長!?」


 だが、その一言にシルビアは噴出してしまう。

予想外のタイミング過ぎるというか、「何故この場面で?」という不意打ち感が強すぎたのだ。


「いや、だってよぅ。お前ぇ、あの男に惚れてるんだろ? あいつだってまんざらじゃなかったようにも見えたし、いずれは一緒にって思ってなかったのか? その場限りでぽい捨てするにゃ、お前ぇはちょいと気高すぎるだろう」


 それはないわな、と、団長は勝手に話を進めて行ってしまう。

シルビアはたまらず熱くなった頬を手で覆い隠すが、エリスフィアはさほど気にした様子もないのか、冷めた顔のままに二人の話を聞くのみであった。


「……それは、確かに、考えなかった訳ではありませんが。一緒にいたいとは、思いましたが」


 実際問題惚れていたし、いつまでも傍にいたいと、いて欲しいと思っていた。

ソレが叶わず彼が死ぬというなら、自分も一緒に死にたいとすら思うほどに焦がれていた。

だから、団長の言う事は理解はできていたし、そのように考えてもいたにはいたが……難しかった。


「でも、あの方は私ではなく、そちらの、エリスフィアさんのお母様の事を忘れられずにいたのではないかと思うと……自信が持てなくて」


 結果的に死ななかったとはいえ、クロウが選んだ最期の場所は、自分の隣ではなく、既にこの世にはいないエリスティアの傍であった。

その事実が、シルビアには途方もなく重く感じられて辛かった。

死者という、既に手の届かない場所にいる相手にどう勝てば良いのか。

それが、彼女にはまだ想像もつかないのである。


「あの方の中に、私という女はいなかったのではないでしょうか……?」


 自然、視線が彷徨う。

どうしたら良いのか解らなかった。

自分では命を賭したつもりだった。一緒に死ねるならそれでいいと思った。

だが、そんな想いは伝わらなかったように、今では感じられたのだ。

敗北感。絶対に勝てないのではないかいう、そんな絶望感すらそこにはあった。


「そうかもしれませんね」


 そんな彼女に容赦なく笑いかけたのは、それまで黙っていたエリスフィアであった。

死んで尚、母が父に選ばれたのが誇らしいとばかりに屈託も無く笑うのだ。


「だって、お母様はすごく美人でいらっしゃって、性格もお淑やかで、誰からも愛されるような方だったそうですもの」


 勝てなくて当たり前ですわ、と、追い討ちにしか聞こえないような事を平然と言ってのける。


「……」


 シルビアも言い返す言葉が見当たらず、黙りこくり俯いてしまっていた。


「おいおいお嬢ちゃん、そりゃいくらなんでもばっさり言いすぎじゃねぇかなあ?」


 あまりにはっきり言うので、思わず団長がフォローに入ってくる始末であったが、エリスフィアは気にしない。


「何言ってるんですか団長さん。こんな程度で心折れてしまうような方がお母様の代わりになんてなれるはずがないのです。つまり、最初からお父様はお母様の代わりとしてこの方を選んだ訳ではないのでしょうに、そんなことにもこの方は気付かないのですよ?」

「……えっ?」


 てっきりそのままこき下ろされるものと思っていたシルビアは、意外な話の進み方に思わず顔を上げてしまう。

無邪気な笑顔だった少女はもういなくなっていた。

代わりにいたのは、真面目な顔でじ、と自分の瞳を覗きこんでくる少女。


「私は、そう思っています。目的はともかくとして、あの方は何度も貴方の傍にいて、貴方を守り、そして愛した。お父様は不器用な方ですから、きっと貴方を愛した時は本気で『この娘を愛しよう』と思ったはずですわ」

「そう、なのですか?」

「ええ、娘の私が言うのだから間違いありません」


 とても不器用なのです、と、少し困ったように眉を下げながら、しかし真剣にそんな事を言うのだ。


「……ぷっ、く……ふふっ」


 シルビアは思わず、吹いてしまった。

娘にまでそんな事を言われるほど不器用すぎる男なのだ。

確かに、それは彼女の知るあの男の、それらしい・・・・・部分であった。

様々な顔を見せるクロウに色々と翻弄され続けたシルビアは、しかし、彼の確かな一面を知っていたのだ。


「そう。そうやって笑っているなら、貴方もそれなりに美人さんですわ」


 エリスフィアもどこか満足げで、噛み締めるようにそんな事を呟いていた。




「ひゃー、遅くなりました。偶然騎士団の人達と出くわしましてね、いやあ焦らされましたよ」


 場が和んできたあたりで、『掃除屋』がずぶ濡れのままのクロウを担いで現れた。

その姿に団長は驚かされたが、シルビアとエリスフィアは横たわったクロウの姿に小さく安堵していた。


「何を思ったのか知らねぇが……女を置いて自刃しちまうなんざ、身勝手な野郎だぜ」


 腕を組みながらに、麦わらのベッドの上に寝かされたクロウを見やり、団長殿が呟く。

クロウがこのような事になるいきさつといい、一時は仲間として協力しあった団長としては、彼の自刃はあまり面白くないものであった。


「だが……それだけ重いものを、こいつは一人で背負い込んでいたんだろうな」


 同時に、クロウが今まで感じていた重責や、苦しみ等も察して、やや同情的な見かたもしていた。


「誰かを頼る事のできない人でしたから。自分でそうと思い込まないと、思い込んで納得しないと、なんにもできない人だったんです」


 暗殺者としての彼を知るエリスフィアも、沈痛の面持ちでクロウの顔を見つめる。


 どこか安らかにすら思える眠り顔は、しかし、一歩間違えれば死に顔にもなっていたのだ。

死んでようやく安らかになれたとも言える。

そんな父を、死なせてやれずに生かした自分の罪深さも重ねて。

エリスフィアは、重くそれを受け止めていた。


「『ガイスト』という枷に縛られたお父様は、無意識にその枷から逃れようと、全く別の存在である自分を形成しようとしていたんだと思います。ですが、それが例え自分ではめたものであっても、その枷はきっと、お父様にとって苦痛になってしまっていたんでしょうね」


 可哀想なお父様、と、その手を取って握り締めながら、エリスフィアは小さくため息する。


「俺にはこいつが何を思って、何をしていたのかも解らなかったが……結果として騎士団は生き延びられた。国がどうなるのかは解らんが……俺にはこいつは、ただの悪党だったようには思えなかった」


 様々な側面があって、どのように受け止めればいいのかが解らない。

だが、それでも団長にとって、この男は一時共に戦った同胞であり、暗殺者としてはその背を追い続けた仇敵でもあった。

そして今では、ただ哀れみばかりが映っていたのだ。


「……身勝手でも、受け入れますわ」


 さきほどまで迷いを見せていたシルビアは、しかし、今では確固たる想いに気付いていた。

実際にこうして意識を失ったままのクロウを見て、気付いた事があったのだ。


「気がつけば、この方のことをずっと想っていたのです。それは、最初は恋情とは異なる気持ちだったのかもしれませんが……今なら、はっきりと想いを感じられます」


 唇を噛み締めながら、エリスフィアとは別の手を握り、涙を流す。


――このひとを愛している。


 強く高鳴る胸の想い、意識すればそれだけで身体が熱くなり、目元が潤んでしまう。

押さえが利かないくらいにこの気持ちは昂ぶっていて、誰より傍にいたいと想ってしまう。

そんな気持ちを否定したくない。受け入れたい。


 彼が、どんな男でも良かった。

自分達に協力的な謎の剣士でも良かった。

王や父に対して影響力をちらつかせられる謎の近衛騎士でも良かった。

例え犯罪者であろうと、例え過去に愛した女を利用して処刑させたのだとしても、そんな事はもう、大分前からどうでもよくなっていたのだ。

ただ、愛している自分を、この男に肯定して欲しかったのだ。

認めて受け入れて、抱きしめて欲しかった。愛して欲しかった。

それさえ叶うなら、その先が死であっても構わなかった。

彼女はもう、愛慕の末に死ですら超越してしまっていたのだ。


 自覚すればするほどに、自分がどれだけ愚かな女なのかがわかってしまい辛くもあった。

結局彼女には上手な恋愛なんてできなかったし、ただ振り回されるだけの哀れな女にしか映っていなかったに違いなかった。

それでも、見つめられれば嬉しくなり、抱きしめられれば想いが止まらなくなり、抱かれれば必死にしがみつき、想いを口にし続けていた。

好きな男に少しでも可愛いと思ってほしかったし、役に立ちたいと思っていた。


 これら全て、不器用にしか表現できなかった自分が悔しく、そしてだからこそ、これからは全部、全部伝えたいと思っていた。


「目を醒ましたら、怒られるでしょうか? 溜息をつかれるでしょうか?」

「どうでしょうね? 怒られるというならシルビアさんではなく、私の方では? 『なんで死なせてくれなかったのだ』って」


 手を握る二人が、二人とも。

視線をそのままに、ぽつり、語り合う。


「でも、もしそんな事を言ってきたなら、二人してほっぺたを叩いて言って聞かせてやればいいんです。『私達を残して死ぬなんて馬鹿なことしないで』って」

「……叩いても良いのですか?」

「当たり前です。残される者の辛さっていうのを知らないから自殺なんてつまらない事ができるんですよ。イメージが足りないんです。泣いちゃうくらい辛いのに」

「そう……ですね」


 この娘も、辛かったのだ。

肉親が死ぬなんてことは、それこそ筆舌に尽くしがたいほどの苦痛に違いない。

だからこそ、生きて欲しいと願ったのだろう。

彼女の気持ちひとつで愛するこの男は死なずに済み、苦しみ続けるところだった自分は、安堵の中彼の手を握れるのだ。


「だから、この人には生きていてもらわないと困るんです。私なんてまだ挨拶すらしたこと無いんですよ? 自分の名前すら言ってもらった事も無いのに死なれたのでは困ります」

「……恋人の振りをしていた時には?」

「あれはあくまで仕事上必要だったからしていたものに過ぎませんから。この方は、自分の娘とも知らずに相棒として恋人の振りをしていたんですよ? おかしいったらないですよね」


 バカみたい、と、自嘲気味に語る。

なんとなく皮肉なものだが、そんな日々が楽しかったようにもシルビアには映り、複雑であった。


 実際、シルビアには二人は恋人同士のように映っていたのだから、演技とはいえ思うところはあったのではないかと思うのだ。

だが、それすらこの娘にとって、純粋に父を想ってのものだとしたら、と考え、目元が熱くなっていくのを感じていた。


「だから……これからは、普通の父娘おやことして過ごせたらなあって思います。私からすれば貴方は邪魔者以外の何者でもないですけど、まあ、こちらも邪魔者が一人増える予定ですから、許してあげますよ」


 そんな尊大なことを言いながら、眠ったままのクロウの手をベッドに戻し、静かに離れる。


「お父様の自刃した刃についていたのは、即効性の神経毒と強度の睡眠薬。本来なら即死できる猛毒だったはずですが、この方が注文した相手は掃除屋。つまり私の息の掛かった者でして」


 かつかつと階段の前まで歩き、そんな事を背中越しに呟き、思い出したかのように振り返る。


「まあ、目が覚めるまではしばらく時間が掛かると思います。神経毒は消せても、睡眠薬はちょっと種類が選べませんでしたから、解毒は難しいんです。少しの間、面倒を見ていただけたらと思います」

「貴方は?」

「各方面に話をつけてこないといけません。あ、私が暗殺ギルドのマスターだっていう事は団長さんには話してありますけど、内緒でお願いしますね?」


 そんな適当なノリで、衝撃の事実をぶちまけていくのだ。


「なっ――」


 シルビアも唖然として開いた口が塞がらなかった。


「また明日顔を出します。それでは――」


 構わず去っていってしまうエリスフィア。


「――団長っ!?」


 シルビアは我に返り、団長に視線を向ける。


「あー……まあ、気にしないでやってくれ。これまで街を騒がせてたのは、前のマスターの命令でやってたことだったって話だからな……」


 手をひらひらさせて、バツが悪そうに顔を背ける団長。

流石に命を救ってもらった手前、逮捕の為どうこうというのはできないらしかった。


「……うぅ。私たち、一緒になって暗殺ギルドに弱みを握られてしまいましたのね」


 片や命を救われ、片や愛した男の命を救われ。

二人にとっての協力者だったクロウは、暗殺ギルドのマスターの父親だったというのも酷い話であった。

あんまりな状況に、「もう笑うしかないのでは」と、諦めの気持ちすら湧いてくる。

先ほどまでとは別の意味で、嫌な空気が流れていた。


「ま、まあ……仕方ねぇだろう。ここから立て直していけば、な。それよりシルビア、その男の容態、本当に大丈夫なのか? その、命に別状は――」

「ええ、それに関しては……こうして手を握っていても脈の流れを感じますし――」


 とくん、とくん、という血液の音が掌越しに伝わり、シルビアは目元を緩める。


「そりゃ良かったぜ……死ぬはずだった俺が生きて、生きるはずのこいつが死んだんじゃ、後味が悪いったらねぇからな!」

「……えぇ、本当に」


 生きていてくれてよかった、というのは、団長に限らず。

シルビアも同じく感じていた、安堵の気持ちであった。


「言いたいことは沢山ありますわ。ですが、伝えたい事も伝えられないままいなくなられたのでは、辛すぎますものね」


 それこそ、さっきのエリスフィアと同じで、シルビアだってまだこの男に伝えていないことは沢山あるのだ。

自分の想いだけじゃない。疑念や怒り、辛かった気持ちなど、知って欲しい事は沢山ある。

それを言わずして逃げられたのではたまらない。だから、死なないで欲しかった。


「団長。私もしばらくはここでこの方をますわ。少し邪魔になるかもしれませんが……」

「まあ、いいんじゃねぇか? 店主が文句言わなきゃ、な」


 その店主はというと、クロウを置いてそのまま上へと戻ったまま、降りてくる様子も無かった。

あまり構う気もないのだろう、とシルビアは勝手にそう思うことにして、少し汗ばんできた手を一旦離し、そっと麦わらの上に置いた。

それからわずか。はっと気づき、自分の服の袖を鼻へと近づける。


「……一旦家に帰って、それからにしますわ」


 クロウがいないのに気づいて街中を駆けずり回っていた所為か、今更のようにシルビアは、自分の身体が汗臭いことに気付いた。


「うん……? ああ」


 団長は気付きもしないが、好きな男を前に、女心的には中々に辛いものがあったのだ。

先ほどとは別の意味で頬を赤くし、シルビアは足早に酒場を去っていった。

家に帰って水浴びをする為に。

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