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#59.最後に殺したのは自分

 シルビアを連れて向かったのは、かつて彼が根城にしていたあの家であった。

光の灯さぬ夜の街。

歩き慣れた道を二人、手を繋ぎ、無言のまま歩く。


 静かな夜であった。

月は美しく輝き、雲一つ無い、澄んだ空。

どこからか虫の音色が聞こえ、まるで二人を先導するかのように、美しい鳴き声を耳に届ける。


「……」

「ついたぞ」


 やがて、その家へと到着するや、緊張気味に押し黙ったままのシルビアを連れ、ドアを開ける。

ぎぃ、というさび付いた音と共に、暗いままの部屋は開き――月明かりに、クロウが旅立つ前のままの、変わらぬ部屋が映し出された。


 そのまま、シルビアの手を引き、部屋へと入る。

シルビアも自然と引かれるままに入り、そのまま、クロウの胸へと収まった。


「あ……」


 風にドアが閉じられる。

まるでそれが合図であったかのようにシルビアは唇を奪われ、強く抱きしめられた。

初めてでもないというのに、酷く緊張していた。

初めて想いを告げたのが、今になって気恥ずかしく。

そして、今にも溢れ出そうな気持ちが、シルビアを困惑させていたのだ。


「んん――ちゅ……ふ――」


 強く唇を求め合う。

月明かりは、そんな二人を薄暗く照らしていた。





「――ん」


 目が覚めれば、可愛らしい小鳥の鳴き声が聞こえる、平和な朝であった。

裸のままベッドに横たわっていたシルビアは、昨夜、意識が堕ちきるまで隣にいたはずの男の姿を見ようと、部屋を見渡す。

ぼんやりと。しかし、やがて思考が鮮明になっていくにつれ、何かがおかしい事に気付く。


「ベルク……さん?」


 いなかった。昨夜あれほど愛し合った男が、どこにもいなかった。

すぐに状況を理解し、シルビアは、慌ててその場に脱ぎ捨てた服を身に纏っていく。



「――ベルクさんっ!? ベルクさんっ、どこですか!?」


 どこにもいなかった。

狭い家の中。家の周辺。通り沿いにある彼のなじみの雑貨屋。

彼の恋人だった娘が看板娘をしていたはずのパン屋はいつの間にか無くなっていて。

彼の近所に住んでいたはずの人々は、彼に関する記憶を全て無くしていた。

盲目の女店主も、釣り好きの老爺も、パン屋の看板娘も。全てが消え去っていた。

まるで最初からそんな人などいなかったかのように、街は、彼の事を隠していってしまう。

それでも、かつての彼に関しての記憶を振り絞って、シルビアは街を駆け回る。


「ベルクさっ――けほっ……あっ!?」


 声を大に、駆け回る。

むせて転んで、動けなくなるまで。


「う……くぅ……っ」 


 動けなくなって、その場にひざまずくように泣き出してしまう。

震える膝。こんな事で動けなくなるやわ・・な足に、シルビアは悔しさのあまり爪を立てる。

ぎちりとした痛みが、それでも立ち上がれない自分の不甲斐なさに拍車をかけ、情けなさ過ぎて、涙が止まらなかった。

生まれて初めて愛した男も、大好きだったこの街も。

全てがそのままの頃の姿をしていなくて、どこにもなくて。

今目の前にある全てが、どうにも変わり果てて見えて、虚しさばかりが募ってしまう。

自分にはもう何もない。何一つ残されなかった。すべて失ってしまった。

そんな絶望が、彼女の心を埋め尽くそうとしていた。



「――あら」


 地べたを見つめながら泣いていたシルビアの前に、赤い靴が目に入る。

小さな、女物のブーツ。

今流行りの、可愛らしい羽毛のアクセントのついたブーツ。


「こんな所で泣き虫な女騎士がいますね。どうしたんですか?」


 シルビアが見上げると、見覚えのある少女であった。

白い羽根つきの帽子を被って、少女めいたフリルのついたエプロンドレス。

かつてはベルクの恋人としてその隣にいたはずの、その少女の名は。


「あなた――たしか、エリー、さんよね?」


 唯一のベルクとの接点が、そこにいた。

かつてベルクがこの街にいたことをはっきりと示せる証拠が、そこにあった。

何もかも霧を掴むようで絶望しそうになっていた心に光明がともるのを、シルビアは眩く感じていた。


「『エリー』はお母様の愛称。私はエリスフィア。初めましてですよね? 女騎士さん?」


 にこやかあに手を差し伸べるその少女に違和感を覚えながら。

しかし、シルビアはここにきて、自分がその少女と初対面だった事を思い出す。

知ってはいた。けれど、話したことなど一度も無かったのだ。

そして、その名すら知っていたはずのものと違っていた。

そして、相手に名乗られ笑顔で手を差し出され、まだ自分の名すら伝えていなかった事に気づいたのだ。


「え、ええ……初めまして。あの、私は、シルビア――」

「知ってますよ。グリーブ=エレメントの長女。そして、騎士団の騎士さんですよね?」


 手を伸ばしながらも返そうとしたシルビアに、しかしエリスフィアはにこにこ笑顔のまま問い返す。

妙なテンション。矢継ぎ早の言葉に、シルビアは困惑を隠し切れない。


「あ、あの……何故、そのようなことまで?」

「何故だと思いますか? そんなことより、貴方はもっと知りたいことがあって、ここに来たのでは?」


 違うのですか? と、愛らしく微笑みながら、立ち上がったシルビアに場所を譲るように、自分の後ろを見せる。

手を引かれながらも見えた、その先――


「あっ……」


――そこは、教会であった。

必死に駆けずり回った末に、最後の最後、無意識のままにたどり着いた場所。

かつてベルクとエリーとが、二人で訪れた教会。

その時のシルビアは、二人は結婚するつもりで、その下見で訪れたのだと思っていたものだが――エリスフィアは、さらさらとした芝生の上、ゆったりとした足取りで歩き出す。


「あ、あのっ」

「私も、この教会に用事があったんですよ」


 笑顔は崩さず、しかし疑問を抱くシルビアを気にもせず、エリスフィアは歩いていってしまう。

まるで「ついてきなさい」とでも言うかのように。

年下のように見えるその少女の言葉に、しかし、妙な強制力のようなものを感じてしまい、シルビアはそれ以上問う事も出来ず、その背を追う。




 教会の裏手にあったのは、小さな修道院。

その周りにはたくさんの花とたくさんの十字架。

そして――男が一人、うずくまる様にして座り込んでいた。


「――ベルクさん!?」


 シルビアが追い求め続けた男の、その姿であった。

目を見開き駆け寄るも、自ら腹をダガーで突き刺し、口から血を流していた。


「そんな……ベルクさんっ!! 起きてくださいっ!! ベルクさんっ、ベルクさん!!」


 慌てて駆け寄り、声をかけても肩を揺すっても、彼が意識を取り戻す事はなかった。

ぴしりと緊張したままの筋肉が、何かの拍子にずるりと緩み、そのまま、十字架へ向けて崩れ落ちてしまう。


「――ああ、やっぱり。なんとなく、こんな事になる気がしました」


 ため息混じりに、その身体をそっと支えたのは、エリスフィアであった。


「あ、貴方も彼に声をっ! このままじゃ、ベルクさんが――」

「貴方は、さっきから誰の名前を呼んでるんです? ベルク?」


 あまり真剣みの無い様子に、シルビアはすがりつくように声を振り絞るが――当のエリスフィアはというと、そんな彼女を皮肉るように首を傾げて見せ、男の身体を持ち上げ、再び十字架に寄り掛からせた。


「この方は、私のお父様ですよ。名前は――なんでしたっけね。そう、クロウ・・・さん。ベルクなんて名前じゃありませんよ? 間違えないでください」


 元通り。ただそれだけのことが満足であるかのように「ふぅ」と息をつき、その髪を撫でたりしながら微笑んでいた。

とても楽しそうに。とても幸せそうに。

シルビアには、もう訳が解らなかった。


「お父様って……貴方、さっきから何を――」

「貴方、この人の事、なんにも知らないんですね。恋人面してなんにも知らないのって、恥ずかしくないです?」

「そ、それは……」


 困惑から出た言葉は、エリスフィアの呆れたような一言にあっさりと邪魔されてしまう。

こんな問答している場合じゃないというのに、シルビアはどこか痛いところを突かれた様な、そんな気になってしまい、まともな反論もできない。

事実、シルビアには、クロウを見つけられなかったのだから。

そして、エリスフィアはそれができたのだ。

ここにきてどうしようもない疎外感が、シルビアを襲っていた。


「まあ、安心してくださいな。お腹はそんなに深く抉ってないから即死はしてません。血は流れてるけど死ぬほどの量じゃない。刃先に多分毒が盛られてますけど――約束どおり・・・・・なら死ぬような毒ではないはず」


 余裕ぶって笑いながら、クロウの胸元に耳をやる。

そうして、確信しながらに小さく頷いて、また微笑んだ。


「……うん。やっぱり、生きてる」


 今までのソレはただのやせ我慢。

少女はそれを隠していただけだったのを、今更のようにシルビアは気付く。

その微笑みは、先ほどまでよりずっと幼く、そして明るく見えたのだ。




「このお墓……お母様のものなんですよ。『改革』に関わったお爺様やお父様と共に捕らえられて。一番最後に私を産んで――それから処刑されたらしいです」


 クロウが生きていることに安堵してか、立ち上がったエリスフィアは、ぽつり、十字架を眺めながらに語り始める。

どこか満足げに、かつて愛した女の墓にもたれかかる、自分の父親を見やりながら。


「お母様の名前は『エリスティア』。お母様のお母様は『エリステーゼ』という名前で、お母様がお生まれになった時に大層苦労して、涙ながらに歓喜を以って迎えられたから、『エリスの涙』という意味で名付けられたらしいですが――そうなると、『エリスフィア』と名付けられた私はやっぱり、お母様が、自分が殺される、その死の恐怖を伝える為に生まれたような……そんな子供だと思われたんでしょうかね」


 どこか遣る瀬無いようなそんな表情をしながらに、シルビアを見つめる。


「私はきっと、望まれていない子だったんです。私がいつまでも生まれなければ――お母様だけでも、処刑は免れたかもしれないのに」

「……そんなはずは、ないでしょう」


 クロウの事がまだ気になるシルビアであったが、それでも、この少女の言葉を無視はできなかった。

生まれてこなかった方が良いなど、そんな事、母親が思うはずは無い、と。

確信を以って、シルビアはエリスフィアをじ、と見つめた。

先程までの困惑ばかりのとは違う、まっずな眼であった。


「私は、この方と貴方と――そちらのお墓の方との間にあった事は、何も存じません。『改革』に関わることだって、私は知らない事の方が多すぎますもの――」

「ええ、そうでしょうね」

「ですが! それでも……母親に望まれない子なんて、いるはずがありません。貴方は、勘違いしてますわ。『スフィア』は、この国に古より伝わる伝説の姫君の名前。『栄光ある星』『誇らしき宝』という意味の言葉です。貴方のお母様の愛称が『エリー』だというなら、それはきっと『エリスの恐怖フィアー』ではなく、『エリーの宝物スフィア』という意味のはずです!!」


 はっきりと。それだけは言って聞かせたかったのだ。

さっきまで混乱していて何も言えなかったが、この娘は、大きな勘違いをしていると。そう思っていたのだ。


「……そう、だったらいいですね」

「そうに決まっています!」


 シルビアの言葉にはっとさせられた少女は、再び掛けられた力強い言葉に、びくり、背を震わせる。

それから、瞳を潤ませて、顔を見られたくないのか、そっぽを向いてしまった。


「――ありがとう、ございます。貴方に、そんなやさしいことを言われるなんて思いもしませんでした。軽く見ていたようですね。ほんとは、ただ、お父様を見せてあげたくて――ここに連れてきただけなんですけどね」


 どこか上ずったような声のままに目もとを拭いながら、やがてキリリと気を張った顔に戻った。


「――『掃除屋』。いるんでしょう?」


 ぱちりと指を鳴らすと、修道院の影からのそり、太った男が現れた。


「あ、貴方――」

「やあ、どうも……なんというか、感動的な場面に似つかわしくない猟奇的な場面だが……あたしゃ、『彼』を運べば良いのかな?」


 後ろ手に頭を掻きながら近づいてくるその男は、騎士団長が倒れた際に、その遺体を運んでいったあの男・・・であった。

何故この男が、という疑問を口にする暇も無く、男はクロウの横に立つ。


「ええ。丁重に運んで頂戴。悪化させたら殺しますからね?」

「ひひ……解ってますよ。そんじゃ、ちょいとカートを持ってくるからね。待っててくんな」


 にやけたように笑いながら、再び修道院の裏へと歩いていき――次に現れたときには、荷物運搬用のカートに大樽を載せての登場であった。


「まさか、この樽にクロウさんを入れるつもりでは……」

「勿論。そのつもりさね。さあさ、ちょいとどいとくれ。邪魔だよ」


 どいたどいた、と、傍に立つエリスフィアとシルビアを手で払いのけながら、『掃除屋』はクロウの身体を慎重に抱えて、そっと樽の中にしまいこむ。

座らせるようにしまった後は、丁寧にトボトボと何かの液体をふりかけ、草をまぶしていく。


「『エリクサー』と『魔よけ草』だよ。血止めと神経系の毒抜きを同時にってなると、この組み合わせが一番効くんだ」


 どや顔で説明しながら、蓋を閉めてしまう。

そうしてガラガラとカートを押し、歩き出す。


「では、私達は先に向かっていますから。できるだけ急いでくださいね。当然、人には怪しまれないように」

「慎重に運べって言ったり急げって言ったり忙しいねえ全く……まあ、解ってますよ。あたしゃまだ死にたくないからね」


 軽妙にすら聞こえるエリスフィアとのやり取り。

唖然としたまま、シルビアは愛した男の入った樽が運ばれていくのを見ている事しかできなかった。



「さ、行きましょう」

「……えっ? あの、行く、というのは? それに、さっきの方は、どこにクロウさんを――」


 急に話を振られてびくんとするも、シルビアの心境は相変わらず困惑ばかりが占めていた。

だが、エリスフィアはもう涙ぐんだりはせず、晴れがましい笑顔のまま、その手を引いて歩き出す。

答えるつもりも無く、強引に、シルビアの意思など気にもせず、歩き出すのだ。


(……色々気になる事はあるけれど、確かに、あの人に似てる――)


 クロウの娘なのだというこの少女が、確かに娘らしいと感じられる、そんな一瞬の仕草であった。

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