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#56.死闘

その日の夜、クロウは鎧を脱ぎ、街外れにある酒場へと足を運んだ。

墓地や処刑場も近いこの酒場は、以前から暗殺ギルドの死体運び『掃除屋』が店主として切り盛りしている。

『変わった味のする酒を出す』と、好きモノの間で奇妙な知名度があるこの店だが、今宵はクロウの他には誰も客がいないようであった。


「……おや、懐かしい顔だ」


 小太りの店主が、どこかほっとしたような顔でクロウを迎える。

クロウはかつて、この店主に命を救われたこともあり、そして仕事の関わり人として顔を合わせた事もあった。

一度限りで二度目会う事はほとんどない暗殺ギルド関係で、珍しく幾度も会う間柄。

クロウ自身、奇妙な縁と若干の面白みを感じ、こうして足を運んでみたのだ。


「ジンジャーガー、ロックで」

「レモンは?」

「要らんな。塩をくれ」

「通だねぇ」


 嬉しげに笑いながら、マスターは背後にある青い瓶を手に取る。

それをよく磨かれたグラスに注ぎ込み、それから石箱の中の氷をピックで砕いて溶かすように注いでゆく。

こうやって注がれた細やかな氷の感触を舌先で楽しみながら、ピリピリとくるジンジャーの辛味を味わうのが、この酒『ジンジャーガー』の飲み方である。


「……いい塩だな」

「解るのかい?」

「まあな。かすかに渋みを感じるのがいい」

「大したもんだね。暗殺者なんてやらせるには惜しい気がするよ」


 塩を舐めながら味わうジンジャーガーは、ピリリとくる中にかすかな甘みを感じさせてくれる。

これが通の知る、この酒の楽しみ方であった。

塩の渋みは、酒の甘さをより強くしてくれる。

元々甘くなどないはずのこの酒だが、ある種の特殊な塩を使うことにより、まるで果実酒のような芳醇な甘さを感じるようになるのだ。

この店主はそれがよくわかっているらしい、と、クロウは言葉には出さないながら、感心していた。


「あんたなら、変わった酒も好みそうだとは思うが。試してみないかい?」

「……あの樽・・・の酒か?」

「ああ、そうさ」


 クロウの玄人っぷりが気にいったのか、店主はにやり、口元を善くない風に歪めながら誘いの言葉を掛ける。

クロウもわずかばかり迷って見せるが、小さく笑って返す。


「すまんが、深酒をするつもりはないんだ。今回は、あんたに『仕事』を頼みに来た」

「そうかい、そりゃ残念だ……個人の『仕事』ってのは、わたしゃ受けない主義なんだがねえ」

「だが、これを読めば、あんたは受けたくなるはずだ」


 渋る店主に、クロウは懐から出した紙を渡す。


「うん……これは――」


 何事かと、渡された手紙を読み始める店主。

これでもう、確約されたも同然であった。


「じゃあな、後は頼んだぞ」


 返答など聞くつもりもなく、金貨袋をテーブルに置くとそのまま席を立ち、店を後にしようとする。


「ま、待ってくれ! あんた、この手紙っ――」


 内容にまで眼が行ったからか、店主は血相を変えてクロウに声をかけるが、振り向きもせず。


「――安心しろ、悪いようにはせんさ」


 ただ、背を向けたままに手を挙げ、そうして立ち去っていった。




 その頃、レイバーとシルビアは、取り戻された拠点『ラノマ・カノッソ』団長室にてその日の事を振り返っていた。


「……」

「……」


 互いに無言のまま。どうしたらいいか、何をすべきなのか。

これからの騎士団について語る事も出来ず、ただ俯く二人。

だが、そのままの空気でいいはずもなく、やがて、シルビアがその小さな唇を開く。


「あの方は……何故、王の傍にいたのでしょうか?」


 彼女が思い浮かべるのは、王の傍で、側近の風を演じていた『かつての仲間』だった。

昨日まで自分の傍にいて、自分の事を助けてくれた、自分の唇を奪ったり、抱きしめたり、抱いたりしていたあの男の事であった。


「王は、あいつの事を『ガイスト』と呼んでいたな……ありゃ、もしかして、『改革』を主導した『近衛騎士ガイスト』なんじゃ……なんて思ったが、それにしちゃ若すぎるよなぁ?」


 団長も、思い当たりはいくばくかあるようであったが、頭を軽く振りながら、皮肉げに笑って見せる。

年齢が合わないのだ。

彼がもし件の改革の主導者ガイストだというなら、もう一回りは老けて見えねばおかしい。

常識が、その非常識を肯定する事を拒んでいた。


「元々よく解らない方でしたが……今のあの方は、一体何を考えてあのような事を……」

「解らねぇなあ。俺ぁあの男は只者じゃねぇとは思ってたが。思ってはいたが、まさか近衛隊長と同列か、それ以上の側近だったなんて、思いもしなかったぜ?」


 意味わかんねぇよな、と、頬をぽりぽり掻きながら、団長は席を立つ。


「どちらへ?」


 そのまま部屋を出ようとする彼に、シルビアは声を掛けるも。


「ちょっくら、素振りでもしてくら。何せ明日は決闘だ。『近衛隊一の腕利き』とやらが誰になるかは解らんが……俺もまだ、死にたくはねぇからな」


 こんな状態のままの騎士団を見ながら死ねるか、と、振り向きながらにニヤリと笑い、また背を向けて部屋から出て行った。



「……近衛隊一の、腕利き、ですものね……」


 ため息ながらシルビアは団長の去っていった後をしばし眺め、やがてまた、俯いてしまう。

真剣勝負、という話である。

御前試合ともなれば不正も出来ない。

もとより、あの団長が不正などするはずもないだろうが……シルビアの懸念は、王の言った言葉にあった。

団長が生きて再び騎士団を纏める為には、剣によって闘い、生き残らなくてはならないのだ。


 彼女が知る限り、近衛隊で一番強いのは彼女の父であるグリーブであった。

その剣術は公の場で披露される事など無く、戦果を挙げにくい近衛隊という立ち位置上その実力は広く知られてはいない。

だが、その父により剣の道を叩き込まれた彼女には、その実力は痛いほどによく解っていた。

対して、団長もまた、父を除けばシルビアが知る限りでは国一番なのではないかと思えるほどに強い。

この両者が闘えば、どちらが勝つかなど解らないが。


(私は……結局、何の役にも立てない……無力だわ)


 少なくとも、片方は確実に死ぬのだと思えば、シルビアにはどうも、歯がゆく納得が行かないものを感じていた。

どちらが勝とうと、彼女にとっては尊敬する上司か父が死ぬ事になるのだから。

その選択肢しか残されていないのがなんとも悔しく、そしてそうでありながら蚊帳の外である自分の無力さを噛み締めていた。





 そうして当日。王城内部の近衛隊鍛錬場にて。

現実は、シルビアにとってあまりにも想定外な方向に転がってゆく。

御前試合という体を取った為、これを見届けるのはシルビアの他にはハスミスやアムリスなどの大貴族や城内要人ばかりであったが。

いざ、白と赤の形式服を纏った騎士団長の前に立ったのは――近衛隊長グリーブではなく、クロウだったのだ。


「ああ、やな予感がしたと思ったが……あんたが俺の倒すべき相手になっちまったか」

「まあ、そうなるな」


 複雑そうな顔をしている騎士団長に対し、クロウは――近衛騎士ガイストは、無表情なまま、腰の鞘に手を置く。

彼の登場に驚かされていたシルビアは、しばし声をあげる事も出来ないでいたが。


「両者、準備はよいな――はじめ!」


 間近でそれを見物する王の掛け声により、『二人の騎士』は、己の存亡を賭けた殺し合いをはじめてしまった。




「つぇぁっ!」


 まず開幕に声を上げ挑んだのは、騎士団長レイバーからであった。

腰の鞘に手を掛け、七歩ほど開けた土の上を強く踏み込んでの突進。

そのまま、有効な距離まで詰めた瞬間の横薙ぎの一撃が、ガイストの腹を寸断しようと狙いかける。


「――ふっ」


 だが、『ギャキリ』という鋼同士の撃ちあいの音が場に響く。

神速で繰り出された居合いの一撃は、しかし、同じかそれ以上の速度で以って打ち払われたのだ。


(……速ぇっ)


 息を呑みながらも飛び下がるレイバー。

直後、ヒュンヒュンとガイストの神速剣がレイバーの腹や首めがけ繰り出される。

キルトでできた形式服は容易く切り裂かれ、その下の皮一枚を切り裂いて、レイバーの集中力を削ぎ取っていく。


「くっ、この――」


 そのまま下がれば負ける、と、ジリ貧を感じたレイバーは敢えて踏みとどまり、剣の柄を器用に使ってガイストの一撃を防いで見せた。


 そのまま一歩、二歩と踏み込みながらにガイストの剣を弾き返し、急所狙いの一撃から腕や足などの防御の甘くなりがちな部位狙いへと転換してゆく。

急所への一撃は完全に防がれてしまうが、剣先の届き難い足周りはそうもいかず、わずかずつながら、ガイストのズボンが、その下の皮膚が切り裂かれてゆく。


「ほう……あの団長、中々味な真似をするようだな」


 シルビアが言葉もなくその『次元違いの闘い』を見ていたその時、隣から不意に聞き覚えのある声を感じ、一瞬、意識がそちらに向いてしまう。


「父上……」

あの方・・・は、私の幼少からの師であった。剣の腕はいわずもがな、その度胸も、闘うための気概も、すべてが備わっていらっしゃる方だ。騎士団長もがんばってはいるようだが……少しずつ、追い詰められているな?」

「そんなっ――」


 そんなはずはない、そう言い返そうとした矢先であった。


「――つぇぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 気合の篭ったレイバーの一撃が、ガイストの胸へと一直線に突き出される。

その純粋な速度、力のこもり具合からして一撃必殺。

腕や足への執拗な攻撃に集中力を削がれ、ガイストは最早避ける術もないはず。


「――っ!!」


 そう見えた瞬間、シルビアは何故か、その間に割って入ろうと、身を乗り出そうとしてしまう。


「やめぬかっ」


 それを、父であるグリーブに止められる。


「あっ、わ、私……何を」


――彼が殺される。死んでしまう。


 そう思った瞬間、つい動いてしまったのだ。

グリーブが止めなければ、彼女はそのまま両者の間に割って入り、代わりに殺されていただろうか?


「……くくっ」


 団長の渾身の一撃を、持ち手ずらしの受け手でそらし、ガイストは愉しげに笑っていた。

久しぶりの闘争であった。ただ獲物をほふるだけの日々ではない。

全力で闘える相手であり、全力で殺しにかかれる相手であった。

こんな事は、今まででもそうはない。

自分がこうなって・・・・・から一体幾度あったか。

もしや初めてのことなのではないか。

彼自身が、その愉悦に頬を緩めてしまう。


「何が愉しいっ! 殺し合いが好きなのかっ!? それとも――闘うのが好きなのか!?」


 剣を引き戻しながら、一歩下がり、再び勢いのまま飛びかかる団長。

百舌鳥もずの如く鋭き一撃は、しかし水のように自在に繰り出される防剣を貫けない。


「さあ、なんだろうな? 愉しくて仕方ないのは間違いないが、何故、何が愉しいのかはよく解らん」


 彼はもう、どうでもよくなっていた。

闘いの場が愉しいというのはおかしな話であり、異常なことのはずであった。

近衛騎士としての彼はあくまで冷徹な策略家のようなものであったはずで、このような感情を感じること自体ありえないことのはずであった。

だが、その感情は肯定したかったのだ。そんな自分を、彼は自覚し始めていた。


「もしかしたらこれが本能という奴なのかもしれんなっ! あんたと殺し合い、あんたに殺されそうになり、あんたを殺そうとする――闘いの中に確かに宿る、殺し殺される本能なのかもな!!」

「たっ――ふざけやがって! 昔の俺みたいな顔しやがって!!」


 シュバ、と、空を引き裂く音を立てどちらかの剣が揺れると、ガイストの右腕から、ピシャリと音を立て、血が弾ける。

グシャ、と何かをつぶすような音が鳴ったかと思えば、レイバーの足には無数の浅い刺し傷が浮かび上がる。

互いに剣の味をその身で受けて知り、それでも尚、剣を手放せずに互いの命を刈り取ろうとしていた。

そこにはひとつの迷いもなく、ひとつの疑いもない。


――これが闘いであるならば、相手を打ち倒し、生き残るのが自分という生き方なのだ。


 ただそれだけの為に、両者は闘い、そして相手の一撃を受け、相手に一撃を見舞っていた。

互いに口元はにやけ、まるで夢中で遊戯で興じる子供のように、剣を振るい、叩き付け、斬りつける。


 だが、手数で言えば互角の両者でも、優劣で言えば明らかにガイストに分があった。

負った手傷の数はほぼ同じだが、ガイストが比較的腕や腰周りに浅い傷を受けているのに対し、レイバーは足周りに多く傷を受け、その速度は少しずつではあるが、陰りが見え始めている。


「――やめてくださいっ」


 見ていられなくなったシルビアは、また、声をあげてしまう。

衆目の関心は既に両者の闘いに釘付けになっており、グリーブですら気にも留めず捨て置いていたが。

シルビアはただ一人、それを許せず、認められず、何より、見たくなかったのだ。


「お願いです、もうやめてっ」


 再び叫んでしまう。だが、誰も気にしない。

闘いは止まらない。何の影響もなかった。

彼女の言葉は、彼女の行動は、この闘いの何一つすら変えられず、止められない。


「――むんっ!」

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 あくまで無表情のまま柔剣を振るう男と、鬼の形相となって剛剣を振るう男とが、互いに幾度目かのぶつかり合いを果たし……そうして次の瞬間、ついに決着がついてしまう。



「……ほう。大した物だな、勢いを殺したつもりだったが、届かせたか」

「――ちく、しょう……足りねぇ」


 剣の長さは同じ。剣の質も同じ。技量、度胸もほぼ互角と言えた。

だが、ガイストの一撃はレイバーの胸元に突き刺さり、レイバーの一撃は……盾代わりに突き出された左腕を貫通し、ガイストの胸に浅い傷を作るに留めていた。

とっさの思い切りでは、ガイストの方が圧倒していたのだ。


 悔しげに歯を噛みながら、どう、と倒れたレイバーは、その場に血溜まりを生み、やがて動かなくなった。

ガイストも浅からぬ傷を受け、剣の突き刺さったままの左腕からは止め処なく血が流れ出ていたが……こちらは余裕の表情であった。


「――勝者、ガイスト! そこまで!!」


 王の言葉に剣を鞘へと収めるガイスト。

そうして彼は何事もなかったかのように王へと傅いた。よろめきもしなかった。


「見事であった、ガイスト」

「お褒めに与かり……ですが、汚らわしい死体を陛下の目に触れさせるのもよろしくありません。ただちにどこぞへ・・・・と捨てさせましょう」

「そうか……うむ、許す。誰ぞ、この死体を片付けよ! まがりなりにも騎士団長だった男だ、丁重に弔ってやれ!」


 ガイストの言葉に、王は機嫌よさげに笑い、その意思を尊重する。



 言葉を失い立ち尽くすシルビアをよそに、すぐさま姿を現した従僕らしき男によって団長の死体が片付けられていってしまう。


「あ……あぁっ」


 それを目の当たりにして、ようやくシルビアははっと気付き、それからガイストを強く睨み付ける。


「あ、あなた……貴方という人はっ」

「……」


 自分でも何を言うつもりなのかすら考えていなかったシルビアは、ただ無言のまま自分を一瞥いちべつした男に、それ以上の言葉を向けることが出来なかった。


 彼は、生き残ったのだ。団長が生きた結果ならば、彼は死んでいたのだ。

自分がついさっき、闘いを見ながらに何を願ったのか。


「うっ……ひ、ひどい……やっと、やっと、騎士団が綺麗になったのに、こんな――」


 それを今更のように思い知らされ、その場に崩れ落ちてしまう。

無力であった。騎士団の存続に多大な貢献をしたはずの彼女は、しかし最も大事な場面で、何一つ手を出せなかったのだから。

そしてそれでいて、どこかで目の前の男が生きているのを見て安堵してしまった自分が居て、余計に矛盾した気持ちに胸が締めあげられるのだ。

もう、涙を止める事すらできなかった。


 そんな彼女を気に掛けてくれる者は、その場には誰一人いなかった。

ただ泣き続けるシルビアを放置し、勝者であるガイストの周りに集まり賞賛の声をかけてゆく観戦者達。

そんな異様な光景が当たり前であるかのように、敗北者の関係者は無視されていたのだ。


(……シルビア)


 ただ一人、勝者であるはずの彼だけは、チクリと、胸に痛むものを感じてはいたが。



 こうして『騎士団長』レイバー=トゥースは、御前試合で発生した事故・・により死亡した、ということにされた。



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