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#53.所詮彼は報われぬ袖役

 男は、薄ら笑いを浮かべながら倒れたままの女の肌を見ていた。

白く美しく、自身の目を惹き付けて止まぬ艶やかさと、それでいて清純さを持ったその肌を。

他の男になど触れさせたくない程に好いたその女の露になった身体を見て、欲望がたぎり立って抑えが付かない。

布切れを剥ぎ取ってゆく手は自然、普段以上に力が入り、意味もなく服を引きちぎってしまう。


「くっ、やめ――っ」


 ここにきて抵抗しようとしたシルビアであったが、男の力には抗えない。

元々抵抗しづらい姿勢だったのもあり、次々に隠すべき部位がさらけ出されてしまう。


「ははははっ、最初から――そうだ、最初から、こうやって力ずくでモノにしてしまえばよかったんだ! 他の男なんかに、よく解らん男なんかに奪われる前に、自分の手で奪ってしまえばよかった!!」


 憎しみや狂気も入り混じった瞳は、こいねがったひと時に歓喜の色を見せていた。

白昼堂々。最早騎士どころか、人の理性すら欠片も残さず。

ケダモノとなった男は、剣すら地べたに放り投げ、鼻息も荒く倒れた女に覆いかぶさろうとしていた。


「――そこまでにしておけ。確かにその女はいい女だが、あんたには勿体無さすぎる」


 誰も助けなどこないと思われたその場面。

唐突に響いたその声に、男は、ライオットは、びくりと身を震わせ、吸いつこうとしていたシルビアの背中から顔を離す。


「――誰だ、貴様」


 そして、強い殺気と憎悪をないまぜにしたような表情で振り向き、声の主を睨みつけた。

自分の幸福の瞬間を邪魔する者が、居てはならぬはずの邪魔者が、そこに立っていた。


「その女は私のモノだ。お前のモノではない。私がもらったのだ。私だけのモノだ」


 ライオットの視線に臆する事無く、声の主――クロウは笑っていた。

手にはショートソード。

だがそれを構える事すらせず、シルビアに覆いかぶさったままのライオットを見下ろし、ニヤニヤと侮蔑を籠めた笑いを向けていたのだ。


「お前が……どうやら死にたいらしいな」


 その挑発的な表情が癇に障ったのか、ライオットはシルビアから離れ、立ち上がる。

放ったままの剣を拾い、ため息ながらに構えてみせた。


「シルビアは……俺のモノだ。どうやら一晩モノにして得た気分になってるようだが、これから俺のモノになるのだ」

「ほう、口先だけは一人前の男の台詞だな。やってる事は童貞男の惨めな強姦なのにな」


 それがおかしくて仕方ないとばかりに、クロウは両手を広げ苦笑していた。


「ベルクさん……」


 なんとか半身だけ起こしながらもこちらを心配そうに見ているシルビア。


「――安心しろ。こんな男に後れを取る私ではない。強姦も満足にできん素人男に、私は殺せんよ」


 視線を向け、小さく笑って気遣いながら、クロウは剣をライオットに向けた。


「なめた口を――そんなショートソード一本で、俺のツインソードに叶うと思ったのか!!」


 この男の言うそれら全てがとにかくかんに障ってしまう。

ライオットは激昂しながら武器を構え、一気に駆け出した。

両者の距離、およそ十歩ほど。

さほどのモノではないとばかりに、棒立ちするクロウを前に数歩跳んで一気に距離を詰めてゆく。


「シルビアは――俺のっ」

「私が先に唾をつけた。私のモノだ」


 ぎちりと剣と剣とが舐め合う音が響き、熱が走る。

ざらりとした銀色と銀色のぶつかり合いは、しかし足回りの動きによって優劣が切り替わってゆく。


「なっ、こいつ――」


 正面から剣を受けたように見えたクロウは、しかし器用に足先をずらし、その力の向き加減を左手前へと逸らし、二の刃を凌ぐ。

剣先がずらされあらぬ方向に向かってしまうのを感じ、ライオットはすぐさま飛び退き剣を構える、が。


「――遅いっ」


 クロウはさらに踏み込み、ライオットの喉元へと剣を突きつけんとした。


「うぉうっ!! くそっ!!」


 だが、間一髪。ライオットはそれを左手の剣で受けきり、お返しとばかりに右手の剣を振りかぶる。

当然のようにそれを剣の腹で受けるクロウ。


――かかった!


 ライオットは口元を歪め、一気にその剣を身引きする。


「調子に――乗るな!!」


 敢えて一撃をクロウに受け止めさせたライオットは、渾身の力を籠めて右手の剣をクロウの肩めがけ振り下ろした。


「ふっ――」


 だが、軸足からの回転運動で距離を離され、一撃は、まるで届きもせずに空振ってしまう。

そして避けた次の瞬間にはまた踏み込まれ、下から喉元へと放たれるショートソードの一撃。

すかさず前に出されたライオットの大剣だが、その勢いまでは殺しきれず、顔の方へと弾き返されてしまう。


「ぐぅっ――貴様っ」

「速さだけは悪くない。なるほど、それがお前の強みか」


 恋敵の剣捌きに驚きながらも体勢を立て直し、じりりと構えを取るライオットに、クロウは愉しげに笑いながらぴた、と動きを止める。


「だが――私の動きについてこれるか?」


 次の瞬間、自身の動きについていくのがやっとのライオットを嘲笑うかのように、クロウの姿が消え去った。


「な――くそっ、そこかっ!?」


 真後ろにブレた何かを感じ、ライオットは振り向き様、全力の一撃を見舞う。

勘が当たり、大剣とショートソードとがぶつかり合う音。

異様な重さに弾く事も出来ず、刃はギリギリと舐めあってしまう。


「ほう、思ったよりは勘が良いな?」


 しかし、ギリギリ対応が間に合ったかに見えたが、その背には軽く刃で撫でられたような後が残っていた。

やがてそれがにじみ出て……真っ赤な汚れを街に落としていく。


「ぐぁっ!? ぎっ……貴様ぁっ!!」


 激痛に身をよじりながらもクロウに一撃を喰らわせんと必死に暴れるが、一撃を加えてしまえば心理的には相当な優位である。

傷に苦しみながら、冷静さすら失った動きは、手慣れた暗殺者からすれば幼稚でしかなく。


「どうした? そんなものか? やはりお前は『下手糞な強姦』しかできない男だったか」


 落胆とも侮蔑とも取れる曖昧な表情のまま、少し離れた位置に立ったクロウは、にたりと笑いかける。


「く、くそぉっ!! 調子に乗るなよ優男やさおとこがぁぁぁぁぁっ!!」


 絶叫とも取れる叫び声と共に、ライオットは両手の剣を上段中段との二段構えで駆け――クロウを斬り潰さんと襲い掛かった。


「……色々と、惜しかったな」


 一気に距離を詰め、その刃はクロウの喉元を貫ける、その範囲まで入り込めたというのに。

かすかな動きによって本命の大剣の一撃は頬に掠めるにとどまり、ショートソードも、ギリギリ喉の手前で止まってしまっていた。

わずか、ほんのわずか前に出られれば、恋敵を仕留める事とてできたかもしれなかった。

だが――


「うっ……うぐっ――」


 ライオットの腹には、背骨まで抉られた刃。

鮮血を噴き出しながら、それがぐるりと|蠢(うごめ)き、それがつかえ・・・となって最後の一撃が届かなくなっていた。

これさえなければ、目の前の男を殺せたかもしれないというのに。

そうして剣を引き抜かれれば、それ以上立っていられなくなり、膝をついてしまう。

ほんのわずか前まで幸福の絶頂に居たはずの獣は、今はもう、腹を押さえうずくまり、見下ろされるだけの存在となっていた。


「あ、あとちょっと……ちょっとで、シル、ビアを……俺の、てに――」

「馬鹿を言え。最初からお前の手に届く距離に、あの娘はいなかったのだ」


 剣を落としながらも、視線の先にいたシルビアへと手を伸ばしながら……ライオットは、どう、と倒れこむ。

クロウは冷めた顔のまま、倒れ付した愚か者を見やっていた。

追撃の必要すらない。毒になど頼らずとも、この男は遠からず死ぬのが解っていた。

だからこそ、好きに話させていた。


「こ、こんなに……こんなに、想っているのに――んで……な、で……」


 苦しげに呻き、それでも尚諦めきれぬのか、ライオットは視線でシルビアを追う。


「……私こそ解りません」


 肌が露になるのを気にしながらも、シルビアは服を抑えながらライオットの前に立つ。


「そんなに想っていたなら、こんな事をせず、人の為に生きていてくれれば――普通に愛を囁いてくれれば、私は、正しい人の元になら、喜んで妻にでもなったでしょうに」


 哀しげな、寂しげな表情で出た言葉に、心底辛そうなその言葉に、ライオットは目を震わせ……眉を下げ。


「そ、んな――ああ……そ、だったのか……」


 瞳を震わせ、痙攣する腕をなんとか前に、シルビアに向けようとして……しかし、動かない事に憤りながら。


「おれは――まちがっ――た、のか……」


 大切な、間違えてはならない道を間違えてしまった自分に気付き、一筋、涙を流しながら息絶えた。




「……」


 その死に様に思うところあってか、シルビアはしばし黙したまま、ライオットの死体を見つめていた。

その肩にぽん、と、優しく手を置き……クロウは同じように、死体に目を向ける。


「もしかしたら、この男が私の位置に立っている『今』もあったのかもしれないな」

「どうでしょうね……ああは言いましたが、もし本当に彼が正しくあって、その道程で口説かれたとして……私が彼に靡いていたかどうかは……」


 苦笑いのような、困ったような顔をしながらクロウの顔を見るシルビアは、どこかバツが悪そうであった。


「好みではなかった?」


 クロウも敢えて茶化すように問う。それが慰めであればと願いながら。


「私は、職場での恋愛は、何か違うモノと思っていましたから……」


 恋と仕事は別なのです、と、曖昧に笑って返す。


「でも、そうですね……確かに、好みではなかったのかも。幾度話しても胸が高鳴る事はありませんでしたし、離れていて何故か顔が浮かぶような事もありませんでした。きっと、彼とは恋が出来ない運命にあったのですわ」


 悪意はないのだろうが、死した者にとってはあんまりな一言のようにも思えて、クロウも眉を下げる。


「それはまた……その為に死んだこの男も、大概に可哀想な奴だな」

「ええ、本当に……」


 端から届かないことが確定していたのなら、あるいは力ずくででも奪おうとしたのは、彼にとっては正しい道だったのではなかろうか。

不意にそんな事を思ってしまい、虚しい気持ちになる。

死の間際、恐らくシルビアは彼を、最後くらいは正しく死なせてやりたくてあんな事を言ったのだろうが……「やはり、この娘は男心というのが解らぬらしい」と、内心、ライオットが哀れに感じてしまっていた。

暗殺者としての彼が仕舞い込んでいたはずの同情が、今しがた殺した対象に向けられていたのだ。



「まあ、いずれにしてもこれで副団長は手足をもがれたも同然だな。他の地域でも、順調にあの男の部下は殺されるか捕らわれるかされていっている」

「そうですね……こんな嫌な思いをするのも、これで最後――」


 最後くらい笑いたいわ、と、辛そうな微笑みを向けるシルビアを、不意にぎゅ、と、抱きしめる。


「あっ――」

「すまなかったな。急いで駆けつけたつもりだったが、少し遅くなってしまった」


 シルビアの状態、あわやという所だったのを見れば、後一歩でも遅れれば取り返しの付かない傷を受けていたのは解っていた。

それを押さえつけ、闘いの為に一時心を静まらせてはいたものの……それが抑えられなくなっていた。


「……私は、彼よりも、貴方の方が怖いですわ」


 抱きしめられながら、シルビアはうっとりとしそうになる自分を感じ、困ったように眉を下げていた。

今さっきまで殺し合いをしていたこの男が、どうにも傍に居るだけで安心できてしまって。

非日常の塊だったはずのこの男が、それだけで自分の心を酷く落ち着かせてくれる事に、困惑してしまう。


「こうやって抱きしめられているだけで、心が蕩けてしまいそうで……さっきだって、貴方の顔を見ただけで、もう安堵してしまった自分に気が付いてしまって、恥ずかしくて――」

「そうか」


 そんなシルビアの告白に、クロウは心ならずも口元が緩みそうになるのを押さえ、真顔となってシルビアと向き合う。

そうして――強引にその唇を奪った。


「んっ――むっ……ん、んぅ……」


 驚いたように目を見開いたシルビアであったが、抵抗はしない。

やがて身を任せるように眼を閉じ、されるがまま、唇をこすり合わせた。



「――そのままでは流石に街を歩けまい。私の服を着るといい」


 ほとんど全裸に近くボロボロになっていたシルビアを見ながらに、クロウは自分の上着を脱ぎ、差し出す。


「あ……そうですね。ありがとう、ござます」


 長めの上着とシャツは、シルビアの肌を覆い隠すには十分と言い切れないながらも、はだけたままの胸を隠し、余った布地を下半身に当てるくらいの余裕は生み出せていた。


「……歩けないか?」

「う……」


 だが、やはり問題は下半身であった。

シルビアも、残った布地を集めてなんとか覆い隠そうとするも、隠しきれるのは前が精々。

これでは街をストリップしながら歩いているのと何ら違いがない。

これから正しき騎士として人の目に触れるようになるだろうに、人前に出るたびに「やらしい格好をして歩いた女騎士」だなどと後ろ指指されては台無しである。


「も、申し訳ありません……私が、もっと抵抗できていれば」


 今になって恥じらいが上回ってきたのか、涙目になりながらその場に座り込んでしまう。


「仕方ないな……」


 そんなシルビアに、ため息混じりにかがみこむクロウ。


「えっ……あっ!?」


 そうして、正面から抱きしめるように手を回し、膝を折り……そのまま、抱きかかえた。


「なっ、ちょっ!? ちょっと待っ――ベルクさんっ!?」


 途端に慌てだすシルビア。わたわたと手を振り、その途端に下半身に当てていた布が落ちそうになり、尚のこと慌ててしまう。


「落ち着けシルビア……こうすれば、君が上を押さえていれば見られることはあるまい?」


 隠されていない下の部分はクロウの手の上にあった。

直に当たる感触にぞわぞわするものを感じながら、シルビアは先ほどとは別の意味で涙目になる。


「そ、それはそうですがっ……お、お尻に、手が……それに、こんな姿勢……っ」

「恥ずかしいか? 奇遇だな。私も恥ずかしいぞ。このまま人の目に触れたりなどすれば恥ずかしすぎて死んでしまうかもしれん」


 どうしてくれる、と、皮肉げににたりと笑ってみせる。


「あ……」


 そこで、ようやくシルビアは「この方も恥ずかしいのか」と気付き、それ以上は何も言えなくなってしまった。

全ては自身の不手際によるもの。

そして、それをフォローしてくれてるのだから、本来ならば文句を言うことなど、許されるはずもないのだ。


「まあ、解ってくれたならそれでいい。ではいくぞ。あまり心地はよくないだろうから、人に見られぬ様にちゃんと隠してな」

「は、はい……」


 既に恥じらいで死んでしまいそうになりながらも、シルビアは小さく頷き、ぎゅ、と、布地を押さえつける。



 こうして、まるで新婚か熱が上がりすぎた恋人同士のような状態で教会へと戻った二人は、それを見たアンゼリカの「結婚式の予行演習ですか?」という皮肉たっぷりのからかい文句に赤くなり、その場に居合わせた者達を妙な笑いへと誘った。


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