王都では今、二つの流れが起きようとしていた。
一つは、騎士団という過去からの化け物による蹂躙。停滞。
騎士団長が亡き者となり、押さえの利かなくなった化け物は、己が欲望のまま暴れまわっていた。
人々は嘆き苦しみながらも、これに抗う力は無く、ただただ、嵐が通り過ぎるのを待つばかりであった。
もう一つの流れは、その化け物を討ち倒さんとする、革命の気風。
過去からやってきた化け物の暴走を止めるべく、ようやく動きを見せ始めた、人々の希望。
二つの流れは逆向きにあり、いずれ来る正面衝突に備えての、前哨戦が始まろうとしていた。
「こっちだ! こっちの方に妙な動きをしてたガキが!」
中央通り裏。
白昼堂々と住民らに接触しようとしていた怪しげな少女を見かけ、呼び止めようとしたところ逃走。
探索中の部隊が追跡を始めたものの、暗がりでその姿を見失い、どこへいったのかと、周囲を見渡していたところであった。
「くそ……さっきガキと接触してた女を連行するぞ! 拷問にかけて吐かせてやる!!」
「その合間にお楽しみって奴だな。最近は隊長も副団長もやたらやかましくて、女を抱いてる暇すらありゃしねぇ」
「違いねぇ! 拷問っていう事にして部屋に押しこんじまえば、後は思うままだしな――へへ、最近ご無沙汰だから困ってたんだよ」
背を向け、暗がりから歩き出そうとした――その瞬間を、
「……死ね」
すと、と、壁から降り様に一振り。
「……あ?」
一番後ろの騎士は、自分に何が起きたのかも解らぬままに、首が地面へと落ちていった。
「うぉっ」
「なっ――」
中ごろを歩いていた二人は、これに気付き剣に手を構えるも、既に遅く――少女の二の太刀をまともに浴び、二人ともが一撃の下斬り倒される。
「くっ、くそっ! ガキだと思ったが、お前――」
最後の一人に詰め寄る。
すかさず剣で応戦する騎士は、それなりに腕が良いのか、少女の一撃を剣の腹で辛うじて弾き返す。
「か、軽いわぁっ! くおぉぉぉぉぉっ!!」
そうして歯を食いしばりながら、突進。
腰を低くしたまま剣を横に構えて突っ込むも、既にその場には少女の影は無く。
「なっ――うわっ、とっ、とっ……」
前のめりになってしまう騎士。なんとか踏みとどまるも――少女は真後ろに降り立った。
ため息混じり。呆れたように見つめながら、曲剣を振りかぶる。
「こんなのが団長やシルビアの下にいたなんて――二人が可哀想過ぎる」
「なぁっ、い、いつの間に!?」
「死ね」
驚愕していた騎士の顔に、歪んだ円月の剣がゆらり、
「……ふぅ。これで一班片付いた。ベルクはちゃんと仕事してるかな……?」
ククリを大きく構え、強く虚空に向け振り下ろす。
残った汚れは、先ほどまで生きていた元人間達の身につけている布で綺麗に拭いて落とす。
「こうやって丁寧に手足をもいでいけば、やがて大物が前に出ざるを得なくなる、っていう話だけど……ちょっと大変な気がするなあ」
一通りの手間が終わると、おもむろに首を捻りながら歩き出す。
ククリを帯に巻き、背中にそっと隠して。
次の目標へ向け、頭に入っている騎士団の巡回ルートへと。
少女――センカはにたり、口の端が吊り上がっているのを自覚せぬまま、明るい街の中へと躍り出た。
同じ頃、シルビアをはじめ騎士団を抜けた者達を
なんとも物々しい雰囲気で、苛立っているのか、近くに転がる桶などを蹴飛ばしながら、ズカズカと肩を怒らせ街を往く。
先頭を歩く強面の中年騎士は、いつ襲撃があってもいいように、と、警戒ながらに進んでいた。
このあたり、今まで容易に斬り捨てられた者達とは違うのだとでも言わんばかりに、角に立つや部下を前に歩かせたり、物陰の前ではわざと半歩離れた道を進もうとしたりなど、強い警戒心を露にしていた。
「……ここが、疑いのある商家だな?」
騎士らが足を止めたのは、北通りにある一軒の商店。
「――なんだ?」
鍵がかけられた訳でもなく、難なく開いてしまう。
力づくで押し入ろうとしたのがこれである。
容易に入り込めてしまい、拍子抜けする騎士らであったが、すぐに全員が店の中に入り、警戒のままに武器を構える。
元々、捜査などと甘いことをするつもりは無かった。
この店にいる全員を殺してしまえば、少なくとも敵のいる疑いは消えるのだから。
だが、それにしても人の気配が希薄すぎる事には騎士らも薄々気付き、顔を見合わせたり、背後を確認したりと、落ち着きが無くなってゆく。
「誰か居らぬのか!? 騎士団の家宅捜査だ! 店と住居を
中年騎士が、店の奥まで届くほどの大きなダミ声で聞かせてみても、反応一つ無い。
これはいよいよ以っておかしい。こんな昼間に、商家が鍵もかけずに留守にするはずもない、と、疑いの目を向け始めた、そんな時であった。
店の奥からがしゃり、何かを割って落としたような音が響いた。
「むっ」
「逃げようとしたか!?」
中年騎士をはじめ、四名ほどがそのまま店の奥へと向かう。
同時に手で合図し、他の騎士らには店の外からの回りこみを指示する。
挟み撃ちにしてくれようという騎士達の画策は、
「うん……?」
「誰もいないではないか」
「いや待てっ、なんだこれは……?」
商家の奥へと向かった騎士らが目にしたのは、見慣れぬ黒い紙包みが入った
そうして板張りの床はぐちゃりと濡れており、紙包みからは短めのこより紙が添えられており――火がついていた。
「なんっ――」
それはやがて、紙包みへと引火していき――
直後、耳をつんざくような爆発音が、静かな北の通りに響き渡る。
騎士達以外、人影一つ無い商人通りが、突然の光と爆音に小さく揺れた。
「一体何が起きた!?」
「レガートさん! アイヒマンっ、ペギー!? ミストスもか!?」
店の外から回り込もうとした騎士らは、痛む耳を押さえて屈み込みながら、突然の出来事に驚かされていた。
困惑のまま声を張り上げるも、自身の声が自分では全く聞こえず、その事態に気づいた時にはもう――彼らは詰んでいた。
「あっ――かひゅっ」
「ひぎっ――ぁっ」
「あっく……」
声にならぬ声をあげ、苦しげに
全員が全員、首に小さな針を突き刺され即死していた。
「……よかったのか? 『暗殺者フィアー』は死んだんじゃなかったか?」
「ええそうですよロッカード兄さん。私はもう暗殺者じゃありません。ただの人殺しのパン屋の娘です」
やれやれ、と、ため息を漏らしながらに肩を回す青年と、ニコニコと機嫌よさげに微笑む少女の姿が、そこにはあった。
「――どうしたのですか? 私を殺すのではなかったのですか?」
「殺したとも。私は、お前が私と同じ道を歩もうとする、その道を殺した」
クロウによる襲撃を受けたフィアーは、しかし、実際には彼の刃を身に受ける事無く、ただただ、その瞳を『名も無き職人』へと向けていた。
「お前の、暗殺ギルドの幹部としての人生はこれで終わりだ。もう、この道に関わる事もない」
「ソレは困りますね」
じ、と、見つめ返し覗き込んでくるクロウに、少し照れくさそうに微笑みながら、フィアーは口を開く。
「私は、大切な人の生きられる世界で生きたいのです。その人がようやく生きられる世界を見つけたのに――そこで生きられなくては、生きている意味がありません」
全く意味が無いです、と、小さくため息など吐きながら。
しかし、どこか寂しげに、眉を下げていた。
「……」
その一言に、クロウは黙りこくってしまう。
「……」
あわせて、フィアーも黙る。
二人、ともすれば睦み事の最中であるかのような姿勢のまま、しばし見つめ合っていた。
「私は、まだお前と向き合うことが出来ない」
いつしか口を開いたのは、クロウの方であった。
囁くように、耳元で聞かせるようにぽそり、小さく語られるそれを、フィアーは静かに聞き入る。
「私には、まだやらなくてはならない事がある。大切な事だ。何に代えても成さねばならぬ事だ――それが終わって尚、まだ私の居場所に在りたいと、お前が願うのなら――」
そのまま、その形のいい鼻に向け、優しく唇をあてがい、至近で見つめる。
「……っ」
これにはフィアーも驚かされてしまう。目を見開き、頬はカァッと赤くなっていく。
しかし声を漏らすことすら出来ず、身体がぴしり、緊張に堅くなっていくのを、フィアーは自分で感じていた。
それが、例え父性愛を意味する鼻先へのキスだったとしても。
暗殺ギルドの幹部という殻を脱ぎ捨てた少女にとっては、いささか刺激の強すぎる出来事であった。
そうして、父はそんな彼女に囁くのだ。
「――その時は、共に地獄に落ちてくれるか?」
とても娘に聞かせる言葉ではなかった。まるで口説き文句のような言葉であった。
恐らく、誰に聞かせてもそれはプロポーズにしか受け取れぬ、乙女の心を震わせる殺し文句のはずであった。
「――ぷっ」
そんな言葉しか娘に向けられぬ、その不器用さに――フィアーは、つい、笑ってしまう。
「ぷくっ、ふふっ、も、もう、何でそんな事――貴方って、本当――っ」
からかっているつもりなどなかった。嬉しかったのだ。
この男は、きっと素でもこうなのだろう、と。
不器用で、どこかはっきりしない、曖昧な、それでいてどこか寂しげな。
そんな、今まで見られなかった本来の父親の顔を見る事が出来て、少女は、歓喜していたのだ。
「――結局、あの人の帰る場所を用意したって、あの人が自分の目的を果たせなければ、いつまで経っても私のところには帰ってきてくれないんです!」
えへん、と、胸を張りながら語るフィアー。
先ほどの爆破会場から幾分離れた路地裏での事であったが、父親の事を楽しげに語るフィアーに、ロッカードは穏やかな面持ちで見守っていた。
慈愛すら感じられる、優しさばかりの顔である。
「なんか、久しぶりに素のお前を見た気がするな。そうやって楽しそうに父親の事話すの、かなり久しぶりに見た気がするぜ」
「そうですか?」
「ああ、子供の頃の――つったって、今でも十分子供だけどよ、それでも、もっと小さい頃のお前は、そうやって楽しそうに父親の事を語ってたからな」
顔どころか名前すら知らない、実際にどんな人なのかすら知らない父親の事を、幼少のフィアーは想像で語りながら、幸せそうに笑っていたのを、彼は思い出していた。
そこに居た他の誰もが持っている『家族との思い出』すら持っていないこの少女の想像語りは、だからこそ一層涙を誘うものであり、これを止める者など誰一人居らず、暖かな笑顔を以って耳を傾け、相づちを打ってやったりしたものだった。
そんな修道院の日々を思い出しながら、ロッカードは小さく頷き、そうして笑って見せた。
「お前は、自分の思い描いた『いつかの幸せ』をずっと諦めずに抱き続けてたんだな。そして、それを得る為に頑張ったんだ――大したもんだぜ」
ぽん、と、その小さな肩に手を置き、にかり、悪戯っぽく笑いかける。
「……ロッカード兄さん」
フィアーもそれが嬉しくてか、口元を手をやりながら、小さくはにかむ。
未だクロウの前では見せていない、子供じみた表情であった。彼女にとっては歳相応の。
まだ少女なのだ。
役割柄大人びて演じたりはしていたが、彼女はまだまだ人に守られてもいい年頃だった。
「俺の分まで幸せになってくれよ。俺は、なんだかんだ言って、まだまだ自分の中の気持ち悪い感情を捨てられそうにねぇ。明るい世界を生きてるつもりでも、心はどんどん黒い方に、暗いほうに流れていきそうになってやがる。俺はきっと、弱かったんだな」
「兄さんだって、きっと明るい世界で生きられるようになります。私達と一緒に暮らしましょう? 全部終わったら、三人で―――」
「……ああ、それはいい。きっと楽しいだろうな」
小さなその背を正面から抱きしめ、美しい髪を優しく撫でてやりながら。
ロッカードは、今だけのその幸せを噛み締めていた。
せめて、それが叶う事を願うくらいはいいだろう、と。