シルビアに連れられた先は、街から北に出た先にある廃屋であった。
かつては街の門を固める衛兵らの使っていた簡易防衛拠点を兼ねた宿泊施設だったらしいが、街の内側に専用の施設を設けられた今では使われる事も無く、打ち捨てられていた。
そのような場所であるから、
そう、こここそが、死んだはずの騎士団長、レイバーらの隠れ潜む拠点だったのだ。
「騎士団長が死んでいなかった、というのもそうだが、このような場所に隠れているとは思いもしなかったな」
廃屋を前に、感慨深げに足を止めるクロウ。
シルビアは静かに頷きながらも同じように足を止め、クロウを見上げる。
「ここは街の目と鼻の先ですが、賊が居つくには衛兵の目もあり難しく、騎士団員からはただの廃屋にしか映らないはずですので……」
「それを知っているからこそ、という事か。なるほど、騎士団にいなければ解らない盲点だな」
迂闊に街に入れば何が元で露見するかも危ういし、街から離れすぎれば有事に間に合わない恐れもある。
拠点としてはこれ以上ない絶妙な距離と言えるだろう。
いずれにしても、このような物件をよく見つけた物だ、と、クロウは感嘆した。
「ここでぼーっとしていて他の者に見つかってもよくないですし、入りましょう」
「ああ、すまない」
だが、いつまでも話をしているような場所でもないのだろう。
シルビアに促され、クロウもその愚に気づいて廃屋の扉に手を掛けた。
「シルビア、おかえりなさいっ」
廃屋とは言っても掃除が行き届いていて、意外と人の住める環境のままであったが。
中に入ったクロウらの前に現れたのは、場に似つかわしくない少女だった。
「……あっ」
満面の笑みでシルビアを出迎えようとしたらしいその少女は、クロウを見て一気に不信感を露にした。
何も下げていない腰に手が伸びていたのは、かつての癖だろうか。
「あの時シルビアと一緒に居た娘か」
「あんたはあの時のっ――シルビア、そいつから離れて!!」
一度はシルビアを助けるために協力もしただろうに、まだ警戒されているのだ。
クロウも苦笑するしかないが、シルビアは少し困ったような顔をして、両者を交互に見ていた。
「その……センカ、大丈夫なのよ? 彼は、ベルクさんは、私の……私達の、協力者だから」
途中まで言いかけて『私達の』と言いなおす辺りで頬を赤らめ、視線を逸らす。
クロウをして素直に「かわいいな」と思ってしまう仕草であった。
「……協力者?」
そして、シルビアの言葉で娘はぴたりと止まる。
そうして今一度クロウをじろじろと上から下まで品定めするように見て、ふう、と小さなため息。
「……なんだ?」
「協力者だって言うなら、別に良いけど。シルビアは、男の趣味が悪かったんだね……」
「なっ!?」
なんとも散々な言われようであるが、シルビアの態度からある程度察してしまっていたらしい。
まだ子供っぽさすら残す面立ちながら、中々の推察。
クロウは思わず噴出しそうになったが、こらえて隣のシルビアに顔を向ける。
「中々に賢そうな娘だな。シルビアの友人らしいが、名は……なんと言ったかな?」
真っ赤になってぷるぷる震えていたシルビアに、気の利いた言葉の一つも、と思ったのだが。
少女の名前を思い出そうとして、度忘れしていたことに気づく。
彼としては珍しいことながら、どうしても出てこなかったのだ。確かに聞いた事があるはずなのだが。
「ふえっ!? あっ、え、えーっと」
予想以上に動揺していたらしいシルビアは、クロウの顔を見るやますます真っ赤になって混乱してしまう。
思いのほか重症だった。意外と思い出しながら混乱するタイプだったらしい。
「前にもシルビアが教えたじゃない……センカ。センカ=リーベ。もう解ってると思うけど、あの教団の生き残りだよ」
結局、少女の方がため息混じりに自己紹介していた。
「まあ、私とエリーを襲ったのだからそこは隠してもな。だが、その後どういう経緯でシルビアと?」
疑問といえばそこにあった。
クロウから見ればセンカもかつての敵と言える存在のはずだが、それが何故シルビア、ひいては騎士団長のいるこの廃墟にいたのかが謎なままだったのだ。
「……教団はなくなったみたいだけど、姉さんは、まだ見つけられてないから」
「姉さん? そういえば、フライツペルで会った時もそんな事を言っていたな」
「この娘のお姉さんが、教団に傾倒してしまっていたとかで……この娘は、お姉さんを人質に取られて教団に操られていたのです」
ようやく元に戻ったのか、シルビアがセンカの隣に立って、その小さな肩を抱きしめる。
「んう……」
シルビアの栗毛が耳元に触れるのがくすぐったいのか、センカは眼を閉じて身を揺すっていた。
「……なるほどな。
まさかそんな偶然もあるまい、と、助けた娘の顔を思い出しながらに、首を小さく振る。
「その、助けた人ってどんな人? 今、どこにいるの?」
「信頼できる者に預けたが、今どうしているかは私には解らん。セルジオの貴族、ラークという者に聞いて欲しい」
食い気味に聞いてくるセンカに、「そこまで気になるならば」と、娘を預けた先を伝えはするが。
話しながら「そういえばあの娘の名も聞かぬままに聖馬車に預けたままだったな」と思い出してもいた。
いずれにしても、フィアーを討つ為にラークの屋敷に押し入った際にはその姿も見られなかったし、事前にどこぞへと避難させられているのかもしれない。
ラーク本人には手を出していないので、特に何事もなければ彼女はラークの手で安全な場所に移されているだろう、とは考えるが、具体的なことを説明する訳にも行かなかった。
「そういえばベルクさん。その……貴方には、恋人のエリーがいたはずですが、彼女は――」
「……死んださ。でなければ、ベルクがいて近くに彼女がいない訳がないだろう?」
少し聞きにくそうにしながらの問いに、クロウは眼を細め、口元を歪めながら、幾分皮肉げに返した。
「それは、どのように……?」
「私が殺した。けじめのようなものでな」
恐らくはシルビアの想像している時期とは異なるはずだが、クロウは気にする事無く、しれっとそれだけ伝え、一歩、前へ。
「シルビア。私の事を尋問する為にここに連れてきたのか?」
「あ、いえ、そういうわけでは――ごめんなさい、私の、ただの興味本位なのです」
恋した男の前の恋人の所在なのだ。彼女としては気にもなろう。
けじめとして殺されたというエリーがどのように死んだのかは、場合によっては自分自身の末路にも直結するかもしれない事なのだから。
だが、それを一々聞かれるのは、クロウとしては面白いものではなかった。
結局、それ以上雑談で足を止めるわけにも行かず、三人、奥へと進む。
最奥にはドアで閉じられた一室。
シルビアがノックを三回鳴らすと、奥から「入れ」と、静かな男の声が聞こえた。
「失礼しますわ。団長、ただいま戻りました」
一番に入ったシルビアが声をかけながらに見つめるその先には――
奥間に用意されていた椅子に踏ん反り返り、入ってきたシルビアらをじ、と見て、口を開く。
「よく戻ったなシルビア。で、そこにいるのは……雑貨屋で会った兄ちゃんじゃねぇかい?」
「……あんたが騎士団長だったのか」
その鋭い視線は、遠慮なくクロウへと向けられていた。
クロウも臆する事無く、その視線にしっかと対峙する。
「……」
「……」
しばし、沈黙が部屋を支配した。
陽が射し込み暖かなこの部屋であったが、その空気の冷たさは、シルビアもセンカも居心地の悪さを感じるほどであり。
だからこそ、余計な口一つ挟めず、両者の対峙を見ている事しかできずにいた。
「紹介が遅れたな。私の名はベルク――名も無き暗殺者だ」
「ああ、そうなんだろうなあと思ってたぜ。俺の名はレイバー。知ってるだろうが、騎士団長なんかをやってる」
先に口を開いたのはクロウであったが、団長もそれにあわせて自己紹介し、その空気の冷たさは払拭されていった。
女二人は、一触即発のように見えた状況が緩和された事もあって、静かに胸をなでおろしていたが、そんなものは二人は知らない。
「団長、ベルクさんは、私達の協力をしたい、と申し出てくださったのです」
「ほう、こいつがねぇ。そいつぁ殊勝なこった」
シルビアの説明が始まり、団長はにたり、笑って皮肉を飛ばす。
「ありがたいことだが……お前ぇに何のメリットがあるんだい? お前ぇ達暗殺者にしてみりゃ、騎士団なんておっ潰れちまった方がありがたいくれぇだろうが」
「我々は無法の徒ではない。単に己を律する規律が、人と異なるだけの集団に過ぎん。そして私は、善意でも悪意でもなく、今この街がこのままでいられては困るから、手伝いたいと思っているのだ」
団長は依然容赦の無い視線をクロウに向けてはいたが、クロウはそれを気にした様子もなく、表情一つ動かさずにそれに返す。
「だが、もしわかりやすい理由が必要だと言うなら、そうだな――この街の民として、『鬼』と言われた騎士団長殿が不在のまま騎士団が潰れる所は見たくないという事か。あるいは、このシルビアに縁を感じたからかもしれんな?」
好きなように取ってくれ、と、語るクロウであったが、シルビアはその一言でまた赤面してしまう。
そうしてクロウとシルビアを交互を見て、団長は納得したように大きく頷き、にかりと笑うのだ。
「なるほどなあ。確かにシルビアは良い女だ。男が鉄火場に首を突っ込むには十分すぎる理由だわな」
「ああ、そうだな」
クロウは、それに関しては否定するつもりも無かった。
シルビアは、確かに良い女なのだ。
単に美形と言うだけではない。傍にいて疲れる事もないし、可愛らしい一面を持っていることを知って魅力的にも感じていた。
だからか、クロウは間違いなく一面では、彼女の助けになりたいとも思っていたのだ。そこに偽りは無かった。
「~~~~~~っ!!」
そして、当のシルビアは涙目になってプルプルと肩を震わせていた。
隣のセンカが心配そうに視線を向けていたが、本人はそれどころではないのだろう。
口をぱくぱくとさせて、今にもどうにかなってしまいそうであった。
「よし、気にいった! お前ぇさんにも手伝ってもらうとしよう!」
騎士団長殿はなんとも物分りの良い男であった。
クロウとしてもありがたく、にぃ、と口元を緩め、差し出された手を握る。
「ああ、よろしく頼む」
がちりと組み合い、そしてぎり、と二人、歯を噛みながら力を篭めた。
両者の力が噛み合い、強い結束を感じられる瞬間であった。
こうして、クロウは騎士団の協力者として正式に活動する事となる。
廃屋は、かつての簡易宿泊拠点としての機能のほとんどが生きたままとなっていたが、その実、ここで生活しているのは今のところ、団長とセンカの二人だけなのだという。
クロウもここに入る形になるが、今のままではあまりにも人数が乏しすぎる。
敵対する騎士らの一人ひとりは取るに足らぬとは言え、数の差は歴然としていた。
「まず、ベルクとシルビアには、騎士団員の中でまともそうな奴や、今の騎士団に嫌気が差して足抜けした奴、騎士団に狙われてる民間人なんかをここに連れてきて欲しい。今のままじゃまずい奴もいるはずだ。一人でも多く助けたい」
「騎士団ゆかりのまともな方たちの救出はともかくとして……民間の方までここに連れてきてしまってもよろしいのですか?」
ようやくまともな状態に戻ったシルビアが、団長の言葉に懸念を投げかける。
そこには「巻き込んでしまってもいいのか」という不安もあったようだが。
団長は「構わねぇよ」と手を振り、その不安を払拭した。
「聞けば、若い娘っ子は散々な眼にあってるっていうじゃねぇか。軽く手遅れな感じもするが、今のままじゃ被害者は増える一方だ。まずは、これを食い止めるために、狙われてる者から助けてやらにゃならねぇ」
「同時に、少しは見所がありそうな元騎士や、内心で副団長らに
「そういうこったな」
クロウも思うところがあるが、確かに今の人数のままではままならないのも事実であった。
副団長一人暗殺して済むのならクロウ一人でもどうにでもなるだろうが、その先に待っているのはより統制の取れなくなったカオスだというのも想像に容易い。
かと言って騎士団全体を相手取るとなると、やはり数は必要なのだ。
クロウとて、連日のように消耗戦を強いられればひとたまりもないのだから、頭数を増やすのは目下の急務と言えた。
「……ここまでひどくなっていなければ、ガング一人を排斥すれば済むのだと思っていたのですが……」
「フライツペルも治安は酷かったけど、この街の騎士団は本当……上も下も酷いみたいだね」
嘆かわしげに語るシルビアに、センカも同調する。
国王が根本から絶とうとしたのも、ある意味では仕方ない状況なのだ。
既に現状、副団長のみならず、一隊の隊長や配下の騎士にいたるまでがそのどす黒い欲にまみれている。
これを止める事は非常に難しい。
騎士団そのものを解散させるのは、効率の意味では最も正しい手段とすら思われた。
だが、騎士団の存続を考えるならば、問題はそれだけにとどまらなくなる。
今回の一件で、騎士団に対しての民や国王以下、この国の政治陣の不信感は並大抵ではないはずである。
これをどうにかするには、一人でも多くの『まともな騎士』の存在が欠かせない。
悪事に手を染めていないか、嫌々従っていたか、いずれにしても良心ある騎士がいれば、それだけ民の目には『騎士団はまだ信じられる』と思わせられるかもしれないのだ。
加え、そのまともな騎士に助けられた民が一人でも多くいれば、そういった者達を中心に信頼の芽を再び育む事も可能かもしれなかった。
それすらも儚い願望に過ぎないが、それでも無いよりはマシなのだ。
完全に詰んでいるように見えるこの状況下、まずはそこから始めなくてはならなかった。
「センカは、この書簡を俺の部下のゲイザーに渡してきて欲しい。奴の正確な居場所は解らんが、似顔絵は描いておいた。シルビアの話で確信を持っていたが、あいつは信用できる」
「うん、解った。任せて!」
猫の手でも借りたい状況である。
まだ幼さを残す彼女には、騎士達も劣情を催す事はすまい……とはクロウも考える。
当のセンカも頼られるのが嬉しいのか、満面の笑みこれを受ける。
「一応確認しておくが、街中で邪魔をしてくる騎士は、かまわず殺してしまって良いのだな?」
「ああ、状況にもよるだろうが、対峙して妨害してくるならそれは敵だ、殺して構わん」
あくまで彼が救いたいのはまともな騎士に限られるのだろう。
口調そのものは軽薄であるが、そのあたりはストイックというか、組織の長としてそれなりに厳しい視点を持っているらしかった。
「ただ、自分から向かっていくのは勘弁だぜ。あくまで『仕掛けられたから倒した』というスタンスで頼む。民の目もあるからな」
「今はまだ、積極的に戦闘を仕掛ける時期ではないという事か」
「そういうこったな。今の時期に内戦になっちまうのは色々良くない。下手したら、近衛隊が動いて双方皆殺しにされちまう」
近衛隊が動くとすれば、恐らくそれは王命である。
つまり『この者達は国や民に仇成す逆賊である』と王が認めた形となるのだ。
そうなってはもうどうにもならない。ただ殲滅されるだけである。
「まあ、事情は解った気がする。では、私は荒事になりそうな酒場や路地裏を中心に廻るか――」
「では、私は心当たりのある騎士達に声をかけて廻る事にしますわ」
クロウはシルビアと二人、顔を見合わせて部屋を出ようとする。
「ああ、頼んだぜ」
「私は夜に出かけるから。気をつけてねシルビア」
その背に向け聞こえてくる声に二人、手をあげ無言で応え、そのまま部屋から出た。
「……しかし、あのシルビアがねぇ。まさか、あの男に惹かれちまうとはなあ」
「ほんと、びっくり。私、シルビアはハインズと一緒になるのかと思ってた」
「ハインズは……まあ、なあ」
残された団長とセンカは、しみじみと去っていった二人の事をぽつぽつ話していた。
主にはシルビアの男の趣味について、であるが。
既に死んだ男の話を持ち出され、団長は複雑そうに苦笑いする。
「私、あの男はちょっとお勧めできないなあ。得体が知れないっていうか、本質が解らない」
「ほう。センカはそういう所も勘働きが良いのか。俺も同じ意見だぜ」
二人からしてみれば、なんでシルビアがあんな危険そうな男に惚れてしまっているのか解らないままであった。
だが、と、二人して、小さくため息。
「ま、端から見てどうこうはともかくとして、あいつ自身は幸せそうだからな」
「……うん。シルビア、楽しそうだった。ずっと落ち込んでたみたいだから、それは嬉しいんだけど……」
納得行かないながらも、幸せそうなシルビアを見れば、それを否定したり拒絶したりはできないのだ。
特に団長から見れば、長らく男っ気がなかったシルビアに、ようやく訪れた春のようにも映っていたのもある。
よりにもよってその相手が、と考えると複雑ではあるものの、だが、それは春には違いないのだ。
「やれやれ、男と女ってのはほんとう、解らねぇもんだなあ」
「私、ちゃんと恋愛できるのかなあ、不安になってきたよ……」
シルビアを中心に据えて恋愛というものを考え、二人は、今度は大きなため息を吐いていた。