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#45.過去との再会

 彼は、知らぬ家で目が覚めた。

狭いながらも絵画などが飾られた壁。

高級感のある黒塗りのクローゼット。

床には色鮮やかなキルトの絨毯じゅうたんが敷かれ、女物の服と自分の服とが散らばっていた。

そういえば、と、彼は視線を横に向け、隣に眠ったままの若い娘を見る。


 宮廷へと向かおうとしていたところ、橋にさしかかったところで、この娘――シルヴィと再会したのだ。

涙ながらに自分に抱きついてくるこの娘に、何があったのかを聞くこともなく、しばし抱きしめてやって、そのままの勢いでこの部屋まできてしまった。

何かによって傷つき、慰めが必要だったのだろうと気付き、彼は――クロウは、自分が襲う形でその誘いに乗る事にしていた。

生真面目な娘だと思っていたが、こういう時こそは年頃の乙女らしく気弱で、怯えたような目で、しかしじっと耐えていたのを、彼は鮮明に記憶している。


 そして、今は幸せそうに眠っている。

涙するだけの苦痛もあっただろうに、その痛みによってより強い現実のストレスから逃れたかったのだろう。

ならば、一夜限りの男にいつまでも未練もあるまい、と、クロウは静かに衣服を整え、部屋を出た。

僅かながらの触れ合いの中で、心持ち清々しさすら感じながらに。





「何者だ、貴様」


 そうして、シルヴィの家を出た途端である。

赤の鎧を身につけた男達が三名ほど、彼を取り囲み、いぶかしむように睨みつけてきたのだ。

一目でわかる、不良騎士である。


「お前らこそ、何者だ」


 折角いい気分で街に出たというのに、これである。

朝も早々から不遜な奴らだと、心底不快な気分になり、クロウは逆に睨み返す。


「うっ――わ、我々を騎士団と解っての態度か!?」

「その不遜な態度、許されるものではないぞ!!」

「いいから質問に答えろ!!」


 歴戦の古強者ふるつわものすら不安にたじろぐ眼光であった。

騎士達は揃って焦りだすが、そんな事はクロウの知ったことではなかった。

構わず歩き、その囲いを無理矢理に抜けようとする。


「ま、待て!! 逃げるな!」


 そして、近くにいた短髪の男がクロウの手を掴み、声を張り上げた。

クロウは黙って視線を向け、それでも尚男が離さないのを確認するや、腕を軽く上にあげ――真下に向けて一気に振り下ろした。

ぶん、と、音が鳴るほどに早く振り回される腕。


「うぉっ!?」


 たったそれだけの動作で、短髪の男は姿勢を崩されてしまう。

加えて、足回りを軽く捻り、完全に男の腕を振りほどく。


「貴様ぁっ!!」

「止まれ! 止まらないと斬り捨てるぞ!!」


 残りの二人が腰溜めのショートソードを抜き取り、クロウへと突きつけてくる。

一人は喉元に、もう一人は心の臓へと。

明確な恫喝行為に、しかしクロウは動じもしない。

ため息混じりに「やれやれ」と、騎士達に睨みを利かせながら口を開く。


「……お前達は、どのような指示を受けて私を拘束しているのだ?」

「な、なに……?」

「お前達の上司にはきちんと確認を取ったのか? まさか、何も聞いておらずに私に向けてこのような態度を取っているのではなかろうな?」


 堂々とした態度で、騎士達の不安を煽るように語る。

極めて不遜な、取りようによっては貴族か大商人かと勘違いさせるくらいには、はっきりと。


「むぐ……な、なんだと、この……」

「いや、まてローレス。一度ライオット隊長に確認したほうが良いのではないか? あの女の家から出てきたという事は――」

「俺もそう思うが……だが、だからと怪しいこの男を逃がすのは……」


 案の定、三人は三人ともが困惑の表情を浮かべ、内輪でどうするか、話し合いを始めてしまった。

なんとも愚かな男達であった。こんな連中が、まさか騎士として大手を振っているなどと、と。

今この瞬間に懐のダガーを抜いて襲い掛かれば、瞬く間に惨劇の現場となるのに、この気の抜けようである。

苦笑を通り越して呆れてしまい、クロウは構わず歩き出す。


「あっ」


 それを見咎め再び止めようとする短髪の騎士であったが、今度はクロウが手で制する。


「隊長だと? 馬鹿を言うなよ。副団長に確認を取って来い。一隊長『如き』が解る次元の話ではないのだ。それくらいは理解してくれたまえ」


 不遜な態度は崩さず、あくまで優位に立ったように見せかけ、にやり、口元を歪ませる。

それだけで騎士達には効果があったのか、それ以上は邪魔立ても出来ず、クロウはようやくにして、誰の邪魔を受けるでもなく歩き出した。





「通行したいのなら、身分証を提示してくれたまえ」


 そうして、昨晩渡れなかった橋を渡り、貴族街への関を抜けようとして、近衛に足止めされる。


「身分証などは持っていないが……君達の隊長殿に『ガイスト・・・・が戻ってきた』と伝えてくれ。それだけで解るはずだ」


 これに対してはそれなりに表情を崩し、いくらか砕けた口調で対応していた。


「……隊長に?」

「君の名前はガイストというのかね? いや、しかし、隊長に一体――」


 二人いた近衛の、二人ともが不思議そうに顔を見合わせていたが、クロウは変わらぬ笑みを向ける。


「彼とは、師弟の関係にあるのだ。幼い頃、剣を、な」

「なるほど……エレメント隊長の」

「そういう事なら、少し待っていて欲しい。隊長も多忙の身ゆえ、必ず面会が通るとは限らんが……」


 顔を見合わせていた近衛達だったが、クロウのこの言葉が決め手となり、緊張気味に固めていた表情を緩め、対応してくれていた。


「構わんよ。待つのには慣れている」


 指し示された椅子に腰掛け、近衛の一人が関の向こう側へ行くのを見ながら、クロウは口元を歪めた。





「……城内は、何も変わらんな」


 そうして、近衛の一人によって案内された宮廷。


「お前は、随分と変わったように感じてしまうが、な」


 その一室にて、クロウは懐かしい顔と再会していた。


「――まさか、本当にお変わりなく、そのままでいらっしゃるとは」


 そこに居たのは、懐かしき顔。

近衛隊長グリーブ=エレメント。随分と皺がれた、老いを覗かせる顔であった。


我が師・・・ガイスト……また、貴方とお会いできるとは」

「ああ、懐かしいなグリーブ。最後に会ったのは……そう、近衛隊長としてお前の就任が内定した頃だったか。祝ってやれなくてすまなかったな」


 顔を綻ばせるクロウに対して、緊張気味に汗を頬に垂らしながらのエレメント。

対照的な師弟の、感動とは程遠い再会であった。


「そのような……師よ、勿体無いお言葉です」

「うむ」


 すぐに座していた椅子を明け渡すエレメント。

クロウも抵抗なくその椅子へと腰掛け……柔らかなその感触にしばし、眼を閉じ感傷に浸る。

なんとも懐かしい感触であった。

先程までグリーブが腰かけていたせいで余計な温もりが残ってはいたが、それを除けば、この部屋はかつてと何も変わっていなかったのだ。


「しかし、貴方は、陛下のご命令を受け、二度と戻らぬものと思っておりました。何故、今になって……?」

「……うん?」


 そうして、恐れながらに疑問を問うてくるかつての弟子に向け、クロウはじろ、と視線を向ける。

ただそれだけで、近衛隊長殿はびくり、背を震わせていた。


「あっ、いえ、違うのです! 師がなさる事に疑念を抱いているわけではございません! ですが、その……陛下より、何も聞いておりませんで。ご無事でいらしたなら、もっと早くに来て頂ければ……いえ、お伝えいただければ、こちらから出向きましたものを」


 何かを誤解したのか、エレメントは焦ったようにわたわたと手を振って釈明を始める。

別にエレメントの事をいぶかしんでのものではなかったが、「それはそれで構わぬか」と、クロウは軽く微笑んで見せた。


「気にするな、グリーブ。そのようなものは些事さじだ。全ては陛下の計画の下。あの方の考えている事に疑念を持つな。お前は、言われるままに動けば良い――あの頃のようにな」

「……はい。師がそう仰るのでしたら」


 先ほどまでの濁った中年の眼からは信じられぬような純粋な眼で見つめてくるエレメントに、クロウは内心、笑いを堪えるのに大変であったが。

そういった内心は表に出さず、あくまで師としての威厳を保ったまま、言葉を続ける。


「懐かしいな、グリーブ。お前がまだ坊やだった頃、剣に見所があると見抜き、その道にいざなったのも私だった」


 かつてを思い出しながら、そのころの面影を全く失ったこの中年男を見て、しかし、面白みも感じていた。

昔話である。グリーブも幾分緊張を和らげ、師を見る眼にも余裕のようなものが窺えた。


「……はい、お懐かしゅうございます」

「そのままでも騎士の家系だが、お前の父上はお前の才能に気づきもせず、腐らせようとしていたからな。ただ家名に溺れるのも惜しいと思ったのだ」


 元々、グリーブは一族の中でもあまり父親に愛されていない少年だった。

努力家ではあったが、天才を望む父親からは努力家である事そのものが恥であると思われていたのだ。

彼の父もまた近衛騎士ではあったが、生まれ持っての才能でその地位を得た為、努力する事の大切さ、基礎を学ぶ事の重要さに理解を示そうとしなかったのも、グリーブが才能を腐らせそうになっていた一因だったが。

そんなグリーブを拾ったのが、他ならぬこの男だった。


「実際、お前は優れた才能を開花させていった。近衛隊の騎士として、私と肩を並べられるくらいには、な」

「決して楽しかったなどと、浮ついた事は言えませんが……充実した、日々でございました」

「ああ、そうだな。私は楽しかった。お前のような才能のある弟子がいるというのは鼻が高かった。だから、その成長は喜ばしく、お前の出世は、まるで我が事のように嬉しかったのだ」


 そこまで語り、クロウは手を机へととん、と置く。

エレメントもそれに気付き、すぐに机まで寄り、その上に手を置いた。


「……お前は、今でも私の弟子でいてくれるのか?」

「無論にございます。我が師ガイスト。貴方は、私にとって決して忘れえぬ……恩師にありますれば」


 敬服を以って誓うエレメントに、「ふっ」と、楽しげに口元を緩めるクロウ。


「私には、果たさねばならぬ任務がある。『騎士団長レイバー』の殺害という任務がな。だが、奴は公では既に死んだことになっている。騎士団の連中もどうやら、騎士団長が死んだことを疑問にすら思っていないらしい」

「……レイバーは、確かに生きているようです。実は先日、私の娘が……シルビアと言うのですが、これが、騎士団の隊長などをしておりまして。騎士団長と共にフライツペルへの旅に随伴し、この生存を確認しているというのです」

「……ほう?」


 シルビア、という名と、フライツペルへの随伴という言葉に眉がピクリと動いたが、それを悟らせず、エレメントの言葉を待つ。


「ご存知かもしれませんが、騎士団は現在、団長の死によって留め金がはずれ、暴走している有様。娘はこれをなんとかしたいとすがりついてきたのですが、私は――」

父娘おやこの情など、騎士の道には不要、か?」

「はい。私は、貴方の教えに何一つ背く気はございません。情こそが騎士の剣を錆び付かせるのです。であるならば……」


 いくばくか悔しげに食いしばっているようにも見えるその皺がれた顔であったが、クロウは敢えてそれには突っ込まず、エレメントをじ、と見つめる。


「……お前は本当に、私の言う事をよく聞く弟子だ。お前ほどよく話を聞く者は、教えを忠実に守り抜く者は、恐らく後にも先にもいないのだろうな?」

「ありがとうございます……それだけのお言葉で、今までの……うっ、今までの、積み重ねが、無駄でなかったと思えます」


 師の言葉に何を思ったのか。感極まった様子で涙を流すエレメント。

クロウはその肩にぽん、と手を置き、その頭をやや乱雑になで繰り回してやった。

かつての、少年時代の彼にしてやったように。




「しかし、師は本当にお変わりない。顔も、お声も……身体の肉のつき方からして、私が子供の頃から何もお変わりない」

「よく言われる。これは我が家系に伝わる特異体質らしいな。だから私は、その時その時で名を変え、立場を変え、そして……主すら変えなければならなかった」


 感涙を汗拭きで拭き取りながらにしみじみ語るエレメントに、クロウはため息混じりに答える。

どうにも嬉しくない褒め言葉。結局のところ、彼は何も変わっていないのだ。

ガイストであったころと。それよりも前の自分と。それが、このような時に否応なしに自覚させられる。


「お前のように老いることが出来れば、あるいは、私も家族のようなものを持てたのかも知れんが、な」

「……エリスティア殿の事は、お忘れになった方がよろしいでしょうな」

「ああ、そうだな……」


 遠慮気味に、だが師を想って告げるグリーブに、クロウも自嘲気味に頷く。

本気で愛し、娘まで作った女の事であったが。

それでもそんなものは、彼の長すぎる人生の中においていくつもあった出会いの、ほんのひと欠片に過ぎない出来事である。

それこそ、昨晩激しく求め抱いた、この弟子の娘と同じようなもので。

彼にとっては、一時期の癒しでしかない。


「……私も、お前達のようになれればと思ったが、やはり、なれそうにない」


 だが、そんな程度のモノでしかないと、そう思い込みたかった彼はしかし、今、かつての自分を見失いかけていた。

そう、願いながらも「そんな気持ちはなかった」と思い込もうとしていた彼が、それに徹しきれなかったのだ。

彼は、ある一面では確かに、変わろうとしていた。

そんな師を見て、グリーブもまたかつてとの違いに気づき、また見つめる。


「もし、師が、一時の感情をお忘れになりたいと思うのでしたら……私にも娘が幾人かおります。一番上の娘は女としては我が強すぎるので無理でしょうが、師が願うならば、私は――」


 もしかしたら、と、師が変わりたがっているのではないかと気づいたグリーブであったが、クロウはそれを苦笑いで返す。


「構うな。それよりもグリーブよ。お前に協力して欲しい事がある」

「協力して欲しいこと……ですか? はい、なんなりとお申し付けください! 師の仰る事です、必ずや、我が命に代えてでも!!」

「命に代えるほどの事ではないが……ああ、頼んだぞ」


 頼られるのが嬉しくて仕方ないらしい弟子に、「仕方の無い奴だ」と笑いながら、クロウは、エレメントに目的を果たす為に必要な事柄をいくつか、申し付けていった。





「ではな、私はこれで一旦戻る。守らなければならん女がいてな……どうにも、騎士団に目を付けられているらしいのだ」

「なんと、騎士団に……ううむ、陛下の思惑が為、我らは不干渉を通すつもりでしたが……」

「そちらは当面それでよかろう。必要な点は先ほど伝えた限りだ。計画通りに頼むぞ」

「はい、お任せください! 師も、どうぞお気をつけて」

「ふっ、誰に言っている?」


 心配げに自分を見てくる弟子に対しにやりと笑って返しながら、クロウは近衛隊長の私室を後にした。





 橋からの帰り道。

静かな川面を見つめ、クロウはふと、足を止める。

そうしてしばし、変わりつつある時代の流れを想い、やがて笑い出した。


「……騎士団も確かに暴走しているのだろうが、私も多分、留め金がはずれているのだろう、な? それに気付けぬ我が弟子よ、お前は、本当にそのままで良いのか……?」


 かつての亡霊ガイストが、静かにその本質を現そうとしていた。

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