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#42.止まれぬ暗殺者

 アドルフ殺害からしばし。

用意されていた馬車に乗り、セルジオへと戻ったクロウは、路地裏で物思いに耽っていた。

考えるのは二つ。

ひとつは、一連の出来事の背後に居た黒幕。バルゴア国王アレックスの事である。


 アレックスは、幼い頃から聡明であった。

兄と違い人見知りが激しく、人付き合いこそ苦手であったが、病弱ながらも心優しく、自らよりも民を優先して想える、王たる資質を持った王子であった。

彼の前には、常に兄リヒターがいた。

壮健であり、多くの人に好かれ、自分以上に人望があった兄。

常に周囲は彼とリヒターとを比較し、そして必ずリヒターばかりを称賛していた。

十五も離れていたのもある。アレックスにとって、リヒターの存在はあまりにも大きすぎた。


 兄弟仲は、決して悪かった訳ではなかった。

むしろ彼にとって兄とは、城内では数少ない味方の一人で、素直に会話ができる存在だった。

王子という立場がなければ、継承権争いなんてなければ、ただ尊敬できる兄上だったはず。

だが現実は残酷で、二人は王子で、そして彼らの周囲は、二人に次期王位を競う敵対者であれと煽り続けていた。


 そんな環境にあってか、傍目にはまっすぐな少年へと成長したアレックスはしかし、人目の届かぬところでは、取り返しがつかぬほどに歪んでもいた。

力強い兄へは羨望のまなざしを向けながら。

それでいて、放蕩ほうとうな生活ばかりして両親を困らせてばかりいるその兄に、強い失望を抱いてもいた。

幼少の彼にとって兄とは清く正しい存在だったが、成長と共にその兄の汚らわしい部分も目にしてしまい、信じられなくなっていったのだ。

あくまでも両親からはリヒターに万一が起きた時の予備に過ぎないと思われていた事も、彼を歪ませるに十分な理由となっていた。


 それでも、彼は次代の王としてリヒター以上の才覚があると、一部では認められていた。

国政の面で見れば、自身の欲望を自制しきれない難病・・を持ったリヒターを国王に据えるのは、危険すぎると見られていたのだ。

だから『近衛騎士ガイスト』は、彼の命令に忠実に従ったのだ。極めて忠実に。

結果として、それが全ての大元となって、様々な悲劇へと発展してしまった。



 もう一つ考えていたのは、その『悲劇』の中失われた婚約者エリスティアとの間に出来たのだという娘・フィアーの事。

フィアーが本名なのか、それとも別に名前があるのかは解らないが、なんとも因果というべきか。

フィアー自身は恐らく、彼の正体を知った上で暗殺ギルドに引き込み、そして上司と部下として接していたのだろうから、なんとも皮肉、そして歪な話である。

彼女自身の考えた罰のつもりなのか、それとも、それが彼女なりの父親への接し方だったのか。

いずれにしても、彼女は知っていたのだ。暗殺者クロウが、近衛騎士ガイストなのだと。


「……全く。面倒ごとばかりが降りかかる」


 思わず出たため息。顔色は無色。

彼にはもう、覚悟が決まっていた。

彼は、職人であった。次の目標は、フィアーである。

ギルドマスターはその手に掛けた。だが、依頼まで受けぬと言った訳ではない。

なればこそ、果たさねばならぬのだ。『裏切り者』フィアーは、今宵この街で死ぬ。




「――悩んでるようだね? クロウ」


 人目につかぬ暗がりでの物思いであったが、そんな彼を見つけ、気さくに笑いかける男が一人。


「クラウンか。わざわざ私に何か用事が?」


 若きギルドの仕立て屋。

新たに自分の上司となったというこの男に、クロウは警戒を向けながらも、その言葉を待っていた。

先ほどまでと同じで、木箱に背を預けながらに。


「いいや? ギルドマスターの事は残念だったが、僕は別に、そんな事はどうでもいい」


――どうやら、私がギルドマスターを殺したことは気付いているらしい。


 苦笑ながらに、それでも態度の変わらぬクラウンに視線を向ける。

彼は、笑っていた。満面の笑みであった。


「言っただろう? 僕は貴方の『主』から指示を受けてきた。ギルドマスターアルフレッドなんて小物、最初から眼中にはなかったのさ」

「なるほどな。それで、私の『主』はなんと?」

「フィアーを消す事に関しては反対していない。『彼にとってはけじめのようなものだ。きちんと果たしたほうがいいだろう』とは仰っていたがね」


 楽しげにクロウの横の木箱に座り、肩へと手をやる。


「……あの方がそう仰るという事は、暗に『確実に消せ』と言っているのだ」

「へぇ、さすがだ。全幅の信頼を受けているだけあるね」


 クロウの言葉に、クラウンは一瞬驚いたように、しかし、楽しげにぱん、と手を叩き笑っていた。

まるで子供のような仕草。

恐らくはそう、見た目よりも大分歳若いのだろう、と、クロウは苦笑する。


「――安心しろ。覚悟は既に決まっている。それよりもクラウン――王都へと戻る準備はできているのだろうな?」


 それが、彼の『主』と果たした約束であった。

それが為、彼は自らの意思を捨て、全てをも捨てたのだから。


「もちろんさ。ただし、貴方には最後に一つ、大きな役目を果たしてもらう。それが、貴方が元の居場所に戻る条件だ」

「いいだろう……今夜中には『裏切者』のフィアーは亡き者となる。必要なものは何もない。ただ、私の邪魔だけはするな」

「解った。貴方の言う事だ。信用するよ」


 クロウとしてはそれなりに強く睨んだつもりであったが、クラウンは飄々とした面持ちのまま、木箱からすらりと立ち上がる。

そして、振り向きながらに言うのだ。


「――クロウ。貴方の主は、まだ貴方と共に歩みたがっている。あの方は、僕ですら差し置いて、貴方を信頼している。その事、忘れないでくれ」


 少しだけ悲しげに、それだけ言って、クラウンは背を向け、去っていった。


「……ああ、解ってるさ」


 見えなくなったクラウンに向け、ぽつり、一言返し。

クロウもまた、静かに動き始めた。





「……あの方が、来る気がします」


 もう間も無く夜へと差し掛かる時刻であった。

メイド達が廊下の、そして部屋ごとの燭台へと火を点していく中、フィアーは私室にて、ロッカードとルクレツィアを前に、そんな事を呟いた。


「あの方って……クロウのことかい?」

「お前は『必ず戻ってくる』って言ってたが、何か掴んだのか?」


 顔を見合わせ、二人が真剣な視線を向ける中、フィアーは静かに首を横に振った。


「ただの、私の勘です」

「……女の勘、か」


 ため息混じりにロッカードは背を向け、窓の外を見やる。

もうじき日が暮れる。窓の外からは夕陽が差し込むが、この明るさは限定的なもの。

今はまだ、誰もいない。だが、フィアーは確証を以て自身の勘を受け入れたのだ。


「フィアーは信じてるかもしれないけど、万一って事もあるわ。ラークに言って、私兵でここを固めさせようか?」

「無意味ですね。私兵達がどれくらいの腕利きか知りませんけど。『あの人』を止めることなんて、誰にだってできないでしょうから」


 確かな信頼が、そこにはあった。フィアーは解っていたのだ。

万一など起きれば、それはもう、自分達ではどうしようもないのだと。


 しばし、沈黙が部屋を支配した。

どうすべきなのか。どう動くべきなのか。あるいは、動くべきではないのか。

三人が三人とも、計りかねているようだった。


「……なら、ここにいて巻き添えを喰らうのも馬鹿馬鹿しいな。俺は一足先に逃げさせてもらうぜ」


 最初に動いたのは、ロッカードであった。

関わるのも馬鹿馬鹿しいとばかりに、ため息混じりに部屋を出ていく。


「……ルクレツィア、貴方もラークと、それからミーナを連れてここを出たほうが良いでしょう。一時なりとも、ここにいるのはよくないです」

「そうさせてもらうわ。私兵が役に立たないんじゃ、あたし達がここにいる意味は全くないもの。屋敷は、好きに使うといいわ。あたし達は、旅行に出ることにするよ」


 フィアーの言葉を受け、一瞬眼を見開いたものの、ルクレツィアは笑顔のまま、それだけ言って部屋から出て行った。

残るは、フィアーのみであった。




「ふぅ……」


 一人きりになって、フィアーはようやく心落ち着き、ベッドへと倒れこむ。

ふんわりとした感触。とても高貴な寝心地。

自分が生活していたパン屋のベッドなどより、ずっと柔らかなこのベッドが、今の彼女の安息の場。

もしかしたら、自分は毎日こういうベッドで寝られたかもしれないのだ、と考えると、少しだけ恨めしくもあり。

だからこそ、余計に『自分には似合わなさ過ぎる』と、その不相応を受け入れてしまう。


「私は……どんな顔をしてあの人と会えば良いのかしら……?」


 一人ごちると、不安が前に出てきてしまう。

彼女にとって一番大切な人。彼女にとって何より会いたかった人。ずっと、傍に居たいと思っていた人。

だが、そんな彼が次に自分と会うとき、どんな顔をしているのかが解らなかった。

やはり、職人のままに仏頂面のまま相対するのか。

それとも、少しは機嫌よさげに笑いかけてくれるのだろうか。解らない。けれど、会いたかった。


「ああ、いっそ殺しにでも来てくれれば。人殺しの眼のまま、恐ろしげな顔で私を睨みつけてくれれば、こんな不安定な気持ちを抱かずに済むのに」


 なんとも恐ろしい方であった。

女ならば思わず気を惹かれてしまう、まるで魅了にでもかけられたかのような気持ちにさせられてしまう。

実の娘のはずの彼女ですら、何度かはそんな気になってしまう時があった。

幸いにして彼女は色恋や性愛の対象にはならないのか、歯牙にもかけられなかったが。

これがもし、そういった・・・・・対象になってしまっていたら、どうなっていたか。

禁断の関係にでも耽っていたのだろうか。そう考えると身悶えてしまう。

それだけは無い。それだけはありえない。首を大きく振って完全否定する。

ただ彼の傍に居たくて、それ以外の全てを犠牲に、禁欲的に生きた彼女にとって、それはあんまりな結末だった。

それだけは、避けたかった。そうなってしまうくらいなら、死んだほうがマシだったのだ。


 結果として、彼女の腹の底では、もうある程度の覚悟が決まっていた。

彼が、クロウが、自分と同じ道を望むならよし。

自分と違う道を望み、自分を邪魔だと思うなら、その手に掛かって殺されてしまうのも悪くは無いと思っていたのだ。

他ならぬ、彼女にとって何より大切な存在に殺されるなら、それもアリではないかと思ってしまったのだ。



 だが、それだけは認められない者が、クロウの前に立っていた。





「まさか、またお前と会うとはな。ロッキー」


 暗闇の世界。ひんやりとした夜の街で、クロウは、かつての悪友と対峙していた。

二度目の対峙である。ざらりとした視線を向けながら、クロウはダガーを構えていた。


「すまねぇなクロウ。今の俺はロッキーじゃない。『ロッカード』っていう。まあ、あんたの娘と似たような境遇の男だよ」


 そしてロッキーは、いや、ロッカードは、その手にブーメランとショートソードを構える。


「……ロッカード。フィアーと似たような境遇、か。カルッペで戦った時から只者じゃない気はしたが。やはりお前も、『暗殺ギルド』だったか」

「ああ。もっとも、あのマスターのやり方に反発を抱き始めてたからな。今頃は裏切り者扱いされてるかも知れんがな」


 ギルドマスターと違い、クロウには全く聞き覚えの無い名前ではあったが「そういうこともあるのだろう」くらいのつもりで片付けていた。

彼らの親の世代の誰もを、『改革』の際に見知っているとは限らないのだから。


「あんたがここにいて、そして俺に刃を向けてる。その時点でなんかもう、この街にいる目的が察せてしまって辛いぜ」


 眼だけ笑わず、しかし口元では皮肉げに笑いながら話すロッカード。

器用な男だ、と、変な方向に感心しながら、クロウは注意深くその様を観察していた。

珍しいサブアーム。

カルッペでは剣のみで挑んできたが、本来はこのように変則的な武器での戦闘が得意なタイプなのだろうか。

動きの速さはそれなりに解ったつもりだったので、「油断するものではないな」と、手足の指先に力を籠める。


「それでも尚、武器を構えここに立つという事は、つまりお前は私の邪魔をするつもりでここにいる、という事であってるのか?」

「ああ、それであってるよ――フィアーは、やらせねぇ!!」


 最後の言葉を言い終えて、ロッカードは手に持ったブーメランを大きく振りかぶる。

大きく弧を描くであろうその射線を想像し、クロウはダガーを顔の正面に構え、跳んだ。


――ブーメランは、縦に投げられた。


「……なんっ!?」


 横薙ぎに飛んで回転運動するかに見えたブーメランはしかし、直進、やや上へ向けてクロウの正面、斜め下から襲い掛かってきた。

まさかの角度。まさかの下からの攻撃に面食らってしまい、クロウは勢いを殺がれてしまう。


「――おらぁっ!!」


 そして、ロッカードの先制から近接戦闘が始まった。


「むんっ! こんな、ものでっ」


 繰り出される斬撃を、しかしクロウは鼻先でかわし、傷一つ負う事無くロッカードの先制攻撃を捌ききる。


「はぁっ!!」


 そして、カウンターの一撃を、すれ違いざまに見舞おうとする。


「甘いぜっ!」


 いつの間にか手元に戻っていたブーメランによって、この一撃を受けきられてしまう。

硬いブレックの樹を削って作られたブーメランは、ダガーナイフの刃などものともせず弾くのだ。

これにはクロウも驚かされたが、ならばと、素早く振り返って足元へと飛び込む。


「うぐぉっ!?」


 足をダガーの刃先で撫でてやり、そのままの勢いで前転。

追撃される前に跳び退き、そのまま駆けて距離を開ける。

振り返れば、左足を傷つけられうずくまるロッカード。

刃先には即効性の麻痺毒が塗りこまれている。傷がつけば、そこから毒の成分が塗りつけられる。

これにて決着、のはずであった。


「く、くく……痛ぇなあ」


 しかし、ロッカードは何の事も無く立ち上がる。

足元こそふらついてはいたが、瞬く間に全身麻痺へと至らしめる毒の効果が、全くと言っていいほど出ていなかった。


「……しぶとい奴だ」


 血は足から流れているのだから、すね当てなどで防がれたという訳でもなく。

だとしたら、先天的に毒に強い体質とでも言うのか。

いずれにしても、足を傷つけられ、すばやい動きの取れなくなったロッカードである。

クロウがなぶり殺しにするのは、そう難しいことではなかった。


「……」


 だが、クロウは近づかなかった。

近づけば、すぐにとどめをさせるはずであったが。

その割には、ロッカードは余裕の表情なのが妙に感じられて、怪しく思えたのだ。


「どうしたんだ、こないのかよ?」

「顔が、気に喰わん」


 恐れの表情を見たかったわけではない。

だが、命のやり取りをしている今、妙に緊張感なく笑っていたのが、クロウには気に入らなかった。


「命のやり取りをしようという奴の顔ではないな」

「当たり前だろ。俺からすれば、時間を稼げれば上等くらいの相手でしかないんだからな」


 初めから勝ち目など見ていない。

そも、戦うだけならカルッペで一度戦い、決着を見ていたのだから、挑んだところで殺されるのは目に見えていたはずだ。

ならば、何故この余裕なのか。

そういえば、と、カルッペでこの男と会った、そのきっかけを思い出した。

教団本部の爆発である。


「だから……俺がいよいよやばくなって、あんたが近づいたら、この辺り一辺、爆破しちまおうかと思ってたところだった」


 なんとも物騒な奴だった。子供じみて笑ってるのが、クロウには余計に性質が悪く感じられた。

迂闊に接近していれば、もろとも吹き飛ばされていたのだろう。

爆弾遣いという事を思い出せなければ、ロッカードの『相打ち狙い』が決まっていたところだったのだ。

頬から流れる汗に気づきながらも、呆れたように「やれやれ」と肩を落とした。

思わず気が抜けてしまったというか。馬鹿らしくなったというか。


「近所迷惑にも程があるぞ」

「ああ、俺の行き先はきっと地獄になるだろうな。でも、それでも俺は、フィアーを守りたい」


 子供じみてはいたが、だが、覚悟の決まった目でもあった。

ただの脅しではない。この男は、きっと本気でやるつもりだったのだ。


「お前とフィアーとの関わりが、私にはまるで解らんな。惚れているのか?」

「そういうんじゃねーよ。俺にとっちゃ、俺と同じ境遇だったあの娘は、大切な妹分なんだ。だから、守ってやらなきゃいけないんだ」


 自分に向け、何かロープの先端のようなものを見せ付けながら、ロッカードはにやり、笑って見せた。


「だから、私の前に立ったのか」

「そうだとも」


 呆れるほどに短絡的な男であった。ある意味、勇者を名乗っていた頃の方がよほど思慮深くすら見えるほどに。


「……お前らしいな。ロッカードを名乗っていても、お前はやはり、ロッキーだ」

「そういうあんたは、ベルクの時とは似ても似つかないほど醜悪だな。クロウ」


 クロウの皮肉に、ロッカードも皮肉で返す。

二人、にやりと笑い――再びぶつかり合った。


 鉄と鉄の舐める音は、しかしわずかな間のぶつかり合いで決着がついた。

勝者はいつだって一人である。己が我を通せるのは、いつも一人だけなのだ。

着火されたロープの先は、ダガーで寸断されていた。


 そうして、一人はその場に崩れ落ち。もう一人は、目的地へと足を向ける。

刃を持った烏は、ただ一人、街を歩いていた。


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