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#39.再会できなかった親友達

 その夜は、二人が久しぶりに再会した祝いの夜となるはずだった。


 マドリス商会本社のあるセリウスの街は、商人の街として活気強い反面、夜は一転して静かな貌を見せる。

昼に見せた賑わいはなりを潜め、商人達も街にいくつかある酒場やちょっとしたバーに集い、酒に酔ったり噂話に興じたりする。

今日、彼――マドリス=ヘルマンが訪れた酒場も、隠れ家的に利用する紳士達が集まる店であった。


「久しぶりだな。バレンシア」

「ああ、本当に久しぶりだよ、マドリス」


 カウンターの隅に腰掛け、ブランデーを頼みながらに、互いに手をがちりと組み合う。

旧友との再会。これほど嬉しい時も無いとばかりに、二人の男はにぃ、と口元を緩めた。

日ごろ職務と重責に追われながらにしかめ面をしている事の多いこの二人が、心から笑える瞬間であった。


「エリスティアはもう年頃だろう。前に会ったのは十になったばかりだったか。そろそろ相手・・を探す時期になってきてるんじゃないか?」

「ああ、まあ、な……実はな、エリーにいいができたらしいんだ。今度紹介したいと言われてね、少し戸惑っている」

「ははは、敏腕宰相殿も、自分の娘の事になると鈍るものか」

「からかうなよ。親としては祝ってやりたい反面、相手がどんな男なのか、気が気じゃないんだ」

「男親の苦悩って奴か。まあ、自分だって娘の居る親から奪ったんだ。自分が奪われる番になったってだけだろうさ」


 出されたブランデーにちびちびと口をつけながら、二人の男は近況を語り合うのに夢中になっていた。

片や商人ギルドの主宰。そして大商会の会長。

片や大国バルゴアの宰相。国王の側近中の側近である。

互いに多忙を極め折り合いが付かず、年単位で会えない中で偶然とも言える機会に恵まれ、話に華が咲いていた。


「そういうお前は、結婚しないつもりなのか? お前くらいの地位と名誉があれば、これという娘を嫁にめとっても誰にも文句を言われないだろうに」

「私の恋人はこの街にあるさ。若い頃から、私はそう決めていたんだ……」

「相変わらず固い奴だ。いや、一途だと言うべきか。あの時・・・負けたのが私であったとしても、同じように政治が恋人だなどと言えたかどうか」

「無理だろうな。お前は美しい娘を見るとつい声をかけたくなるだろう。気が多すぎるんだ。エリステーゼ一人で収まったのが不思議なくらいに、な!」

「違いない」


 過去のいさかい事などはお決まりの笑い話のようなもので、この二人には話題のきっかけに過ぎなかった。

それくらいの時間が、この二人の間には流れていたのだ。



「お前が面倒を見ていたっていうベイカーは、本当によくやってくれているよ。せがれのアルフレッド君も、将来が楽しみなくらいだ」

「そうだろうそうだろう。彼は私が見ていた中でも指折りだ。教えたことは何でも吸収していたしね。その倅とやらも、大きくなったら私の元にこさせればいい。自分の親父がどれだけ優秀だったかをしっかり教えてやるさ」

「お前は弟子に厳しく教え込むから、アルフレッド君がどうなるか心配だな」

「言ってくれるじゃないかバレンシア。だがな、私は憎しみや嫌がらせで厳しくした事は、今までただの一度だってありはしないぞ?」

「解ってるさ。お前はそういう奴だ。良くも悪くも、商売が関わった事は誠実に、真実を求め取り掛かる」

「解ってるじゃないか。それこそが商人として生まれた私の矜持だよ。商人たるもの、顧客に誠実たれ、とな」

「ああ、そうだな……お前は、そうなんだ」


 楽しく話してはいたものの、胸を張って答えるマドリスに対し、バレンシアは次第に考え込むように俯き、グラスの中の琥珀色を揺らしながら、小さく息をつくようになっていた。

それを見て、親友が何か悩んでいるのではないかと勘付いたマドリスは、グラスを置いて、その肩をぽん、と、軽く叩く。


「どうしたんだバレンシア。らしくもないな。何か悩みでもあるのか?」

「……悩み、というほどでもないが。マドリス。お前は、我が王の事をどう思うね?」

「王のこと? そんな事を聞いてどうするつもりだ」

忌憚きたんの無い意見を聞きたい。商人ギルドの主宰としてでも、マドリス商会の会長としてでもなく、お前自身として、あの王をどう思っているのかを」

「王のことを、ねぇ……」


 いくばくかの迷いを見せながらもそう聞いてきた親友に、マドリスを顎に手をやり、しばし考えを巡らせる。

どう答えたものか。それがこの男の求める何かなのか。

その意図が図りかねていたのもあり、迷ってしまうのだ。

だが、やがてこれという結論に至り、マドリスはブランデーを一口呷り、答える。


「――堅実ではある。他国との話し合いの末に、長きに渡る戦争を終結させたほどの方だ。無能だとは思わんよ」

「無能ではない、か……」

「だが、先の見通しはあまり上手くないだろうな。戦争を終わらせることはできても、国内情勢を落ち着かせるまでには至っていない。商人ギルドも我が商会も、協力を要求され尽力したつもりだが……あの国王は、まだ気付いていないのだろうな」

「気付いていない? 何にだ?」

「戦時からくすぶっていた民の感情が、爆発寸前にまで膨れ上がろうとしている事に、だ。今のままでは、やがて王政は市民によって打倒される可能性すらある」

「民衆が反乱を、か……あながち、ありえない話ではないかも知れん」

「お前なら解るだろうな。民の事を何より考えていたお前なら。だが、あの王は気付けていない。戦時からの立て直しを他国より早く求めるのは確かに重要だ。『戦後』の世界はもう始まっている。主導権を握れるのは、他国に先んじて復興を遂げた国に他ならんのだろうからな」

「……ああ」

「だが、だからと言って国内情勢を後回しに開発や商業の招致ばかり行うのは、これは愚策とも言えるだろう。結果、王都こそは豊かになったが、地方都市や村落は未だに賊に悩まされ、役所すらロクに設立できない始末だと聞いている。これではいかんよ」

「お前も、やはりそう思うか」

「ああ。正直な話、あの国王が保つのはここ数年、といった所だろうな。その前に王が変わるか、あるいは政治的な改革が起こるか――」

「改革が起こったのだとしたら、マドリス、お前はそれを支持するのか?」

「どこの馬の骨とも知れん奴が主導したなら支持するつもりもないが――そうだな、バレンシア。他ならぬお前なら、私は協力しようとすら思える」

「……ふふ、そうか」

「ああ。私が唯一私情で行動するとすれば、バレンシア。お前が関係する事くらいさ。もう、それくらいになってしまった」


 いつしか出された腕と腕。がっちりと組まれる手の手。

二人、楽しげに笑い、そうして再びブランデーを呷った。





「マドリス、楽しい酒だったが……次に会えるのはいつになるか解らんな」

「まあ、いつもの事さ。それがわかれば苦労はしない」

「違いない」


 バレンシアがとった宿の前、二人は互いに手を挙げながら、静かに別れの言葉を交わしてゆく。

夜も深くなり、小さな虫の音が、一層別れのほの寂しさを感じさせていた。


「だが、商会の会長として、ギルドの主宰として、国王やお前と会うことはあるだろう。その時にはまた、頼むぞ」

「ああ、互いに職務には忠実に、真面目に挑もうじゃあないか」


 互いに近い、互いににや、と笑う。

親友ではあったが、同時にライバルでもあった。かけがえのない相手だ。

そうして二人同時に手を挙げるのだ。


「じゃあな」

「ああ、またな」



 別れた二人は、片や宿に、片や自身の社屋にと戻ってゆく。

誰も通らぬ暗い道。この別れが、二人にとって最後の『親友』としての夜であった。





 事態が変わったのは、それから半年ほど後の事。

新たな商業制度についての提案書を提出させる為に自分に代わりバルゴアに向かわせた秘書が、バルゴアで起きようとしている問題をマドリスに伝えた事から始まった。


「――馬鹿な。では、王宮は既に、改革をしようという者で溢れかえっているというのか?」

「そうなりますわ。私も、事態のまずさを感じてすぐさまこうして戻った次第でして……」


 まだ歳若いながらも信頼の置ける女秘書の言葉に、マドリスは唖然としながらも即座に気を取り直し、考えはじめる。

まずは状況の把握から始めなくてはなるまい。

そこから発展しうる問題、利害がいかほどか。

全体に波及しうる事態ならばすぐにでも対処が必要だろうが、それがどれほどの問題にまで発展する可能性があるのか。

奇しくも以前バレンシアが問うてきたことが現実になろうとしているが、肝心のバレンシアは何をやっているのか、と。

様々な事に考えを巡らせ、その中から解らない事を一つ一つまとめていく。


「ティセ君、その『改革派』とやらは、何を企んでそんな行動に移ったのかね?」

「私の知る限り、現国王に、商人ギルド、及び我が商会の排斥を願ってのモノだとか……」

「我々を狙い打ちにしたものだというのか? となると、放置しておけば我々が実害を被るな」

「更に改革派の中には第一王子リヒターもいるようでした……」

「リヒター王子がか!? 王族が、直接関わっているのか……」


 そうなると状況的にはもはや民衆による反乱ではなく、王族を巻き込んでのクーデターと言えようか。

既に詰んだも同然とも言える事態。

何故ここまで酷くなるまで誰も気づけなかったのか。

誰一人、このことを教えてくれなかったというのか。

特に親友であるはずのバレンシアは、このことを知っていて、それでも尚何も告げなかったというのか。

マドリスの聡明な頭脳は、しかし、途端に混乱し、どうしたらいいか分からなくなってしまった。


「政権の転覆もありえる……このままでは……」

「どうなさいますか、会長?」

「……直接、王都に行ってみる他あるまい。バレンシアに会おう。会って、話がしたい!」

「かしこまりました。では、出立の支度を」

「そうしてくれたまえ。君も私と共に来るのだ」

「はい。仰せのままに」


 恭しげに部屋を出る秘書。

しかし、マドリスの心境は焦りと困惑で満ちており、手はかたかたと震えてしまっていた。


「バレンシア……お前は、何故……」


 何故こうなるまで放置したのか、と。

お前は、一体いつ頃、この問題に気付いていたのだ、と。

その疑問を、続けて口に出す事もできず。

遠き地の親友に、思い馳せていた。





「マドリス会長。お久しぶりですね」


 王都を訪れたマドリスを待っていたのは、バレンシアではなく、御用商人のベイカーであった。

かつての弟子との再会、という形ではあるがしかし、求めていた相手とは異なる会談相手の登場に、マドリスは苛立ちを覚えていた。


「ベイカー君。私はバレンシアとの会談を申し込んだはずだが。君が出てくることは、悪い意味で予想外だったよ」

「そう仰らないでくださいマドリス会長。宰相殿は、ご多忙なのですよ」


 苛立ちを表に見せながらじろりと睨みつけてくるマドリスに、しかしベイカーはそれを重く受ける事無く、さらりと流してしまう。

それが余計にマドリスにとって苛立たしくもあり、この会談の為用意された部屋は、なんとも重苦しい空気に支配されていた。


「宰相殿は今、暴動を起こす寸前の状態となっている民をなんとか押さえ、なだめすかし、未然に防ごうとしていらっしゃるのです。愛する国民を、傷つけまいとする親心ですな」

「『改革』の事は聞いている。誰が企んだのかは解らんが、そんな事を推し進めればこの国は破綻してしまうだろう。バレンシアは、その事をどう考えているのだ!?」

「無論、憂いてはおりますよ。民が傷ついてしまうようなら、そんなものは容認ならぬと。ですが、このまま貴方がた商人ギルドと、マドリス会長、貴方の商会が我が国と密接な関係にある事も、あまり好ましく思ってらっしゃらないようでした」

「なんだと……?」


 思わぬ言葉に、マドリスは眼を見開き、聞き返してしまう。

傍らに立っていた秘書は、何故かそんな自分を優しく見つめていた。

何が起きているのか、彼には解らなかったのだ。


「ですから、貴方がたがこの国に関わり続けること、それそのものが害悪であると、あの方は感じているようなのです。改革に関しては『民が傷つきさえしなければ、それもまた、正しきこの国の民の考えなのだろう』と、理解を示していらっしゃるのですよ。宰相殿は」

「馬鹿なことを……バレンシアが。あのバレンシアが、そのような事を言うはずがない!!」

「私人の場においてはそうなのかもしれませんがね。ですが会長、貴方も宰相殿も、自らの職務の場においては、そちらを優先させる性質たちのはず。ならば、そう難しい話でも無いのでは?」

「国益の面においても……我々の手が無くては、この国はまだ立ち上がることすらできん!」

「そんな事はありませんよ。宰相殿の手腕、それに私がいるのです。会長の指導などなくとも、この国は今よりずっと豊かになれる。そう思った者がいれば、改革が起きるのも道理というものでしょう」

「……だとしたなら、その改革を起こした者こそが、真にこの国を蝕む害悪という事になる」

「さて、どうでしょうね」


 悔しげに拳を握りながら、ぎりりを奥歯を噛み、かつての弟子を睨みつけるマドリス。

ベイカーは飄々ひょうひょうとした様子でそれをかわしながら、マドリスの傍らの秘書に笑いかける。


「――綺麗なお嬢さんだ。こういった女性を傍に置くようになったのですね、会長」

「やめてくれんか。私の大切な秘書を、そのような眼で見るのは」


 その軽薄な発言が、マドリスには堪らなく腹立たしかった。

確かにティセは可憐な娘だが、彼がそのように色目で見たことなど一度も無い。

目の前に立つこのベイカーと同じで、彼にとっては愛弟子も同然だったのだ。

そして弟子とは、彼にとって息子、娘ともいえる存在であった。


「これは失礼しました。ですが会長、今日のところはもう、お引取りを。『改革派』が何をしでかすか、解ったものではないですからね」

「……最後に聞かせてくれ。バレンシアの、バレンシアの、娘はどうなった? もう、年頃だと思うのだが」

「エリスティア殿のことですか? 確か――そう、近衛騎士の、ガイストとかいう男と婚約関係になったと聞きましたが」

「ガイスト……聞かぬ名だが、近衛か。騎士団ならば不安だが、近衛隊ならば安泰だな」

「ええ。宰相殿も、愛娘がよき男と巡り会えたことを喜んでおりました」

「そうか……ならば、いい。様子が落ち着いたなら、祝いにでも顔を出すと伝えてくれたまえ」

「解りました」


 結局、会う事などできなかった。

伝えたい事、聞きたい事。沢山あったものの全てが、できずじまいであった。





 その夜。宿で休むマドリスに、秘書ティセは一人、外出を願い出てきた。

以前世話になった者がいたとかで、お礼をしたいのだということから、留め置く事もできず、マドリスは許可したが。

彼も知らぬ事ながら、その夜、ティセが宿に戻る事は無かった。



「――ああ、夜が明けてしまうわ」


 マドリスの愛弟子のはずのティセは、今、別の宿の一室で、裸のままにシーツに包まり横たわっていた。

うっとりと窓の外を眺めながらに、明けゆく空を見て、その愛らしい顔を綻ばせる。


「私、貴方の役に立てた……?」


 そうして、ベッドに腰掛ける男に背中から抱きつき、手を回しながら頬ずりする。


「役に立ったとも。君のおかげで、マドリス会長はこの問題に気付く事ができたんだろう……?」

「ええ、そうなの……会長は驚いてらっしゃったけれど、商会のことを思えば、気づけないままでは困るものね」


 しっとりと汗ばんだ背に、愛おしげにキスをし、また、抱きつく。

豊満な胸が押し付けられたままであったが、男は眉一つ動かさず、ぽつり、呟く。


「時期がきたら、手紙を書く。そしたらまた、会長に伝えてくれるか?」

「ええ、勿論だわ――宮廷で王子様に襲われた私を助けてくれた貴方の言う事だもの、私、何だってする」


 振り向いてくれた彼に、焦がれるような瞳を向けてキスをせばむティセ。


「君に不利なようにはしないさ。さあ、朝が来るまでまだ時間がある――」

「あぁっ――嬉しい。また会えて、嬉しかったの――何度でも抱いて。朝なんて、こなくてもいいのに――」


 薔薇色の唇を自らの唇で塞ぎ、覆いかぶさる。

シーツを剥ぎ取って、身体中に唇を当ててやり、やがて耳元で囁くのだ。


「――可愛いティセ。私の為に、私だけの為に、働いておくれ」

「ふぅっ――あっ、ん――スト、ガイスト様、私、わたし、なんでも――なんだって、するわ――ふぅんっ」


 職務にかまけてばかりで男慣れしていない女秘書など、この男の前ではただのカモであった。

桜色に染まっていく肌。陽射しが入り込むより前に、部屋は二人の熱気で暑くなってゆく。


(――これで、『改革』の話は、細部に至るまでマドリスに筒抜けになる)


 自分を抱いている男が何を考えているか等考えもせず。

ただ年頃の娘となったティセは、一夜限りの恋人に溺れきってしまっていた。



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