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#37.フライツペルの狂犬

 夜のカラスは、慎重に駆けていた。

一時こそは、自らが寝床と定めたその場所へ戻る道のり。

何がしか罠が待ち構えているかもしれぬと、歩を速めたりはせず、悪戯に急ごうとはせず。

怪しげな場所では立ち止まり、注意深く様子をうかがってから抜けてゆく。

曲がり角一つ、草陰一つ、灯りの強すぎる場所一つ。

全てに警戒し、全てを慎重に進み、クロウは確実に、着実に教会へと戻ってゆく。


「あらあら、もう戻ってきてしまったわ」

「夜烏さん。まだ朝には早くてよ?」


 間も無く教会か、といったところであった。

道が細くなるところで、クロウの正面に若い娘が二人ばかり。

二人ともが、最近見慣れた娘であった。

隠れたりはせず堂々と現れたのは油断からか、あるいは腕に覚えありという事か。

なるほどロッキーの言っていた通り、あの教会の若い娘達はシスターの仲間、教団の信者らしい、と、クロウは苦笑する。

それまで接点も乏しく、まともに話した事も無かった娘達ではあるが。

それでも、自分に一切さとらせず騙し通していたのだ。

その実力の高さも窺えるというものであった。


「――どうやら、私の正体にも気付いてしまっているようだ」

「当然ですわ」

「貴方が『暗殺ギルド』の職人である事くらい、私たちは最初から知っていました」


 無視はできまい、と、懐から二本の短剣を取り出すクロウ。

腰のショートソードがデッドウェイトになるが、この場合捨てる訳にも行かなかった。

彼は、まだベルクを演じなければならないのだから。


「抗うというなら」

「容赦はしませんわ」


 娘二人はそれぞれククリを両手に持ち、教会では見せなかった残忍な笑みを見せながらに、クロウの様子を窺う。

だが、クロウはすぐには攻撃に移らず、口角を吊り上げながら両の手を挙げ、握ったままのナイフもわざわざ見せつける。

文字通りお手上げ、といった情けないジェスチャーに移り、娘達は一瞬目を見開いたが。


「……私は、巻き込まれただけなんだがな。そちらの組織の連中が私達を狙わないというなら、無理に戦うことも無いと思うが」

「臆したのですか?」

「まあ、それでもいいですが」


 様子を見ながらも攻撃してくる気配の無いクロウに、娘二人は顔を見合わせながら口元を歪める。

武器はそのままに、だが、明らかに警戒心が薄れたように、クロウは感じていた。


「まあ、所詮暗殺ギルドなんて言ったって下っ端か何かなのでしょうね。複数相手で素直に不利を悟るのは賢い判断だわ」

「私達相手で挑んでくる猪さんじゃないだけ、いくらか知恵が回るということだものね」


 明らかに見下したように口元を抑え、あざける娘達。

油断があった。実力相応以上の過信がそこにあった。慢心とは、常に死神の鎌を連れてくるものである。

それに気づけなかった事が、彼女達のまだ未熟と感じられる部分であっただろうか。

一瞬ならば、どうという事はないと思っていたのかもしれない。

だが、その一瞬の気の緩みを、一流の暗殺者は見逃さないものなのだ。


 クロウの手から、右手のナイフが落ちる。

静かな夜の道。カラン、と鳴り響いたその音に、娘達は思わず視線を下へと向けてしまった。

無意識だった。ずっと別の場所に意識を向けていたから、瞬間的に、動いたモノへと目が向いてしまったのだ。

ナイフはまだ、左手に一本残されたままだったのに。


「なっ――」


 地を這うように跳び、瞬く間に距離を詰め、左の娘の首を顎下から掻っ切る。


「あぐっ――ぎぃっ」


 後ろへ下がろうとするも間に合わず、斬り付けられた娘は、首をすぐに左手で押さえながら、反射で右手のククリをクロウに振り向けようとする。

それを、左足を軸にしての回転で避け、そのままの勢いで隣の娘にも襲い掛かるクロウ。


「くっ、おのれっ!!」


 最初に切りつけられた娘はそのままどう、と倒れ、喉を押さえたまま苦しげにもがいていたが。

流石にその一瞬があれば反撃の姿勢が整うのか、もう片方の娘はクロウの一撃を双方のククリでクロスして受けきる。


「ほう、受けたか」


 ぎり、と、口元を歪めるクロウ。

そのまま体重をかけ、一気に押し切ろうとするが、娘もさるもの、男の体重で押し切る事まではできない。

双方、顔ばかりが近づき、互いに歯を見せながらに刃を擦り続ける。


「そんなダガーで、我が教団のククリを押し切れるとでも思ったの?」


 受けた娘は勝ち誇りながら腕へと力を込めていく。

体格の不利などものともせず、大振りのククリはダガーをぐいぐい押し込んでいく。

形勢は逆転。今度はクロウがじりじりと耐える番になっていた。

だが、娘はやはり、自分の視点の浅さには気づけておらず。


「ふんっ!」


 クロウは、後ろずさりに下がりながら、一気に押し込みを斜めへと受け流す。


「あっ――きゃっ」


 たったそれだけの動作で面白いほどバランスが崩れるのだ。

前のめりになってしまった娘の細い足に、今度は蹴り払いが見舞われ、娘はそのまま転倒してしまった。


「さらばだ――せめてよき明日を迎えるといい」

「そ、そんなっ、私が、私達が、こんな男一人に――」


 そのまま、起き上がろうとした娘の後ろへと回り込み、頭を踏みつけ、後ろから喉元を切った。





「……まさか、セラスとミーフィーの二人では止められないとは」


 教会の聖堂。女神像の前では、この教会の主であるシスターが一人、祈りを捧げていた。

クロウに背を向けながら。だというのに、入ってきた相手をクロウであると断定し。

シスターは、その姿勢を崩すことなく、言葉を紡いでいく。


「『暗殺ギルド』。やはり捨て置くには危険すぎる組織でしたか。貴方のような者が他にも?」

「生憎と、私は下っ端でしかないからな。自分以外の構成員などほとんど知らないし、知ったところでおいそれと話す権限も持ち合わせていない」


 悪戯に距離を詰めることはせず、周囲を窺いながら進む。

後一人、どこかにいるはずだった。背後から襲い掛かるつもりか、あるいはどこぞの物陰から来るのか。

いずれにせよ、このシスターを守るため、あるいは連携をとろうと襲い掛かってくるに違いない、と踏みながら。


「困った方ですわ。私ども『夜の裁き』は、もとをただせば貴方がたと同類のはずですのに」


 中々近づいてこないクロウに何か思ってか、ゆったりとした仕草で立ち上がり、振り向くシスター。

その胸には銀のロザリオが輝き、薄暗い聖堂を怪しく彩る。


「我らと同類……だと?」

「ええ。国家の指示の下、他国の混乱に乗じて乗り込み、混乱を悪化させ、政治的空白を広げて自国の優位を強めてゆく。私どもは『フライツペルという国に巣食う病巣』として、バルゴアに派遣された教会組織の一部でしかありませんでしたのに」


 困ったものですわ、と、眉を下げながら。

しかし、殺意等は感じさせずに、シスターは笑っていた。

そう、ただ笑っていただけだったのだ。それが、説明内容と合わさって、クロウには一層不気味に感じられた。


「……教会から独立して暴走していたのかと思ったが、教会そのものが暴走していたのか」


 中々に狂った話だ、と、クロウも苦笑いで合わせる。油断すら見せず、警戒は一切解かぬままに。

武器を構え、いつ襲われても構わぬようにと殺気を糸の様に全周囲に張り巡らせながら。

だが、この奇妙な『講演会』に、興味も惹かれたのだ。


「暴走? とんでもありません。私ども聖堂教会は、常に世界の為を考えておりますわ。人々が安寧の下暮らせる世界を創る為に。そのためには、フライツペルのような危険な国家は、早々に立ち直られても困るのです」


 政治的な戦略あってのカルト布教。

そう考えるなら、なるほど、国として安定しつつあるバルゴアよりも、戦後の傷が癒えきらないフライツペルを狙う意味と言うものが見えてきていた。


「なるほどな。最初から、バルゴア王家と聖堂教会は手を組んでいた、と」

「そう取って頂いてかまいませんわ。そしてそれは同時に、貴方がた暗殺ギルドも同じ事のはず。何せ、王族直轄の正当な『ギルド』なのでしょうから。当然、教会の協力あっての組織なのは言うまでもありません」


 このシスターの話から、それまで霧に包まれたかのようだった暗殺ギルドという組織がはっきりと見えてくるものであった。

王族と直接の繋がりがある暗殺ギルド、そしてギルドは聖堂教会という強力な提携組織のバックアップによりその活動範囲を大幅に広げる事に成功している。

事実、今クロウがこうしてこの街にいるのだって、聖馬車という聖者の足があってのことなのだ。

『神父』や『アンゼリカ』という幹部連中の存在や、フィアー自身が教会に重きを置いているところを見ると、息が掛かっていても何ら不思議ではない、とはクロウも常々思っていた。

故に、それにはさほど驚きは感じない。


「だが、もしそうなのだとしたら、これは身内同士での手足の喰い合いという事になるのだろうな」

「――全く。マドリス商会の油断を誘う為にあの男に手を貸してやったというのに。よりにもよって、こんな厄介なモノを呼び込むことになるなんて」


 皮肉な物だ、と、そろそろお話を終わりにしようとするクロウ。

シスターはそれを感じてか、一歩下がり、二歩目を踏み込むため左足を後ろに回す。

慣れたすり足。今はもう、クロウがいつでも飛び込める、瞬時に斬りつけられる距離であった。


「――ふっ」


 シスターがその退がりの一歩を踏み込む前に、一息に飛び込んでいく。

ダガーを右手に、鉄杭を左手に隠しながらの強襲。


「怖いですわねえ」


 だが、重く踏み込んだクロウの一撃を、そのダガーの刃を、シスターはひらりと軽い動作で避けてゆく。

かわされるのは、クロウにとってはそんなに驚きではない。

今まで見た動作一つ一つで「それくらいはやるだろう」と見積もっていたのだ。

冷静に、しかし確実に一撃を見舞おうと、反撃警戒で一歩退いてその退き足をバネに、再度飛び込もうとした。


「……うぉっ!?」


 そこで、真横からの『ギィ』という異音が聞こえた。

一瞬気を惹かれ、真横を見たクロウの眼には、自分の元に倒れ込んでくる女神像が映る。

流石に度肝を抜かれ、攻撃しようとしていたのを忘れてすぐさま真横へと跳んだ。

直後、轟音を上げ女神像が倒れる。

掃除の行き届いた聖堂は、しかしそれでもいくばくかの埃を巻き上げ、音と共にクロウの注意力を奪っていた。

それをこそ、シスターは狙ったのだろう。


「はぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 未だ姿勢を整えきれずにいたクロウに、三人目の娘が襲い掛かってきた。

女神像を倒したのもこの娘らしく、手には他の娘達と異なり、ウォーハンマーが握られていた。

華奢きゃしゃな見た目に似合わず中々の剛力。

女神像もこれで倒したらしいと、クロウは追い詰められながらも笑い、その轟音の一撃をなんとか避ける。

ばきり、という木板を破壊する音が聖堂に響く。

ハンマーは、破壊した床板に引っ掛かり娘には引き戻せなくなっていた。


「く……武器などなくとも、私にはこの腕と足があるわっ!」

「ほう」


 すぐには攻撃に移れまいと思ったクロウはしかし、すぐさま武器を捨て、自分に向かってくるこの娘の潔さに、敵ながら感心してしまった。


「えやぁぁぁぁっ」

「悪くないが、それでは足りんな」


 徒手としゅでの素早い突きが繰り出され、クロウの首筋を手刀が襲い掛かる。

だが、この程度の動きならばなんという事は無い。

姿勢は正しく、確かにこれならば力が十分に籠められているのだろうと感じはするが、それは一撃必殺には成り得ない。


 「はっ、うりゃぁっ! でやぁぁぁぁっ!!」

「――こうするのだっ」


 四回、五回とかわし続け、六回目が来る前にクロウが前に足を突き出す。


「がっ――あっ!?」


 顔と顔とが接近する直前、娘の顎へと突き出される深い掌底しょうてい突き。

そのまま、娘の勢いを完全に殺しきり、その頭顎ずがいを掴んだまま――床へと一気に叩き付けた。

それきり、娘は動かなくなった。



「……逃げたか」


 だが、シスターは既にその場からいなくなっており。

こうなっては、探すほかなかった。

とはいえ、彼女にはもう逃げる場所はそう多くはない。

恐らくは地下にある真なる教団本部へと向かったのだろう、と。

当たりをつけながら、クロウは再度歩き出した。





「ふう、参っちまったぜ、全くよ」


 その頃、騎士団員達が拠点としていた宿屋には、騎士団長が一人、帰還していた。

流石の団長も爆薬のダメージは無視できないらしく、いたる所負傷が見えてはいたが。

それでも割とピンピンしていた辺り、やはり化け物じみていた。


「団長、よくぞご無事で……その、ハインズは?」


 上司の帰還に喜びベッドから起き上がったシルビアであったが、共に教団本部に向かったはずの部下の不在には疑問も感じていた。

だが、それを聞くや、団長は苦そうに頬を歪ませ、小さく頭を下げる。


「……すまねえシルビア。お前の部下。一人失っちまった」


 たったそれだけの言葉で、シルビアはぴしり、張り詰めていたものが途切れてゆくのを感じていた。

あれだけの爆発だったのだ。団長一人だけでも帰還できたのは僥倖ぎょうこうのはずであった。

だが、それでも。あの、よく頑張ってくれた部下が失われたのは、彼女にはとても辛い事であった。


「……そう、ですか。ハインズが」

「ハインズ、死んじゃったの?」


 不安そうな顔で団長を見ていたセンカも、その言葉にはびくりと背を震わせていた。


「ああ、守ることができなかった。俺自身、あの爆発の中でどうやって生き延びたのか解らんくらいだ」


 冷たくなくってゆく場の空気に、団長自身も苦しげに言葉を選んでいく。

豪放で、好き勝手な事ばかり言うこの男ですら、その空気は読むのだ。

それほどに重苦しく、そしてその冷たい空気は、やがて小さな嗚咽を生んでゆく。


「うっ……ハインズ。まさか、貴方ともう会えないなんて」


 自身の部下を失ったのだ。歳若いシルビアには、相当に堪える事柄であった。

悔しげに歯を噛み、必死に涙を堪えようとしていたが……やがて目元を押さえ、「わっ」と、泣き出してしまう。


「は、ハインズ……わう……わぅぅ……」


 センカも思うところあってか、その死には涙を流していた。


「……」


 その場において、団長ただ一人がそれをじ、と見。そして、心痛め……一人、部屋を抜け出す。




「よう、まさか本当に生きてるなんてな。やっぱあんた、化け物だわ」


 そうして隣の部屋に入るや、最初から彼が戻るのを解っていたかのように椅子に腰掛け、その場でくつろいでいた自称勇者の不埒者が一人。

今回の爆破事件の主犯とも言える彼の姿に、しかし団長は驚きもせず、ベッドに腰掛けた。


「――お前ぇのリーク・・・のおかげで命拾いした。同時に、俺達の情報を逐一『奴ら』に報告していた蛆虫を一匹、駆除する事もできたしな」


 都合よく用意されている濡れ布巾と水。止血用の包帯。

どこでかき集めたのか、火傷の応急処置に使う氷まで用意されていた。

見えている範囲の怪我を軽く布巾でぬぐい、固まりかけていた黒い血を落としていく。


「やはり、今回の一件は聖堂教会と……国が絡んでるようだな」


 慣れた手つきで汚れを落とすと、ようやく身につけていた剣や鎧を外し、その身を露にする。

傷だらけの身体。

いままでいくつもの刃をその身に受け、幾度の負傷の末に生き延びたのか、それが伝わる男の肉体であった。


「ああ、国はお前さんたちを……いいや、お前さん一人を排除したがっていた。腐ってそのまま消え去るはずだった組織を、一人再興しようとしてるあんたをな」


 自称勇者はというと、テーブルに肘をつきながら、そんな団長をつまらなさそうに見ていた。


「『騎士団』という体内のうみを切除したい国家にとって、あんたみたいに『まだ騎士団はやれる』と、ガンガン改革しようと頑張る人材は迷惑でしかないんだろうな。だから、暗殺ギルドを使って秘密裏に殺そうとしたり、今回あんたが関わってきたのを好機と見て、爆殺しようと目論んだりした」

「ふん、とことんまで腐った国だ。あの陰険な国王陛下の考えそうなこったな」


 全身を拭い、血の流れ出ていたままの場所を止血しながらに、団長は笑う。

自らの主君が最大の敵なのだ。彼にはどうしようもなかった。

それも自覚した上で、それでも彼にとって、その道は進まねばならぬ道だった。

騎士であるならば。騎士として在ろうとするならば。


「……俺がいる時は真面目に働いてるように見せているが、実際にはあの組織はまだ腐ったままだ。俺が離れている今、一体あの腐れネズミどもがどんな仕事をしてやがるのか……本当に信用できるのは誰で、本性を隠してやがった糞野郎は誰なのか、それを知る事が出来ればと、思い切って離れたつもりであった」


 センカという哀れな娘とその姉を救う為、こうしてフライツペルを訪れたていではあったが。

実際にはそれは本来の目的から離れた仮初の目的でしかなかった。

そういった意味では、彼はやはり、冷酷な、鬼のような騎士団長だったのだ。

少女の不幸を利用し、組織の再建の為、膿出しをしようとしたのだから。

だが、自称勇者はせせら笑う。彼の目的など知った上で、その先に待っていた事実を知りながら。


「まあ、確かにあんたが離れた途端に好き放題やりはじめたようだな。王都では今『魔女狩り』が流行しているらしい」

「魔女狩りだと?」

「ああ。適当な理由をつけて罪の無い市民をしょっ引いて『お前が暗殺ギルドの構成員だな』と決め付け、拷問したり、時には自分達の欲望のはけ口に使ったり、な」


 呆れ果てた奴らだぜ、と、ため息混じりに語る自称勇者に、団長も鬼の眉を下げ、小さく俯いてしまった。


「……俺が離れるのを容易に認めたのは、これをやりたかったからか。上の連中め、俺が離れたらこうなるって見た上でわざと許可を出しやがったな」


 参っちまうな、と、目の前の若者に負けぬほどに、団長は深く深いため息をつく。


「こうなっちまったら仕方ねぇ。いくところまでいくしかねぇな」

「ハインズは殺したが、あっちの姉ちゃん達は殺さなくて良いのか?」

「あの二人は例外だぜ。シルビアは、真心で市民の平和を願っていた、心優しい娘だ。ちぃとばかし頑固なところもあるが、騎士団には今、ああいう『市民のアイドル』になれる娘が必要なんだ。シルビアには、できればいつまでも留まっていて欲しいくらいだぜ」


 こういうところには、団長の本音がちらちらと見えていて、自称勇者にはどこかそれが「このおっさんらしくねぇな」と感じさせていた。


「……いいけどな。あんたがそれなら。俺は俺の目的を果たせるならそれでいい。教会の思想を謳いながら狂ったカルトを広めていた『フライツペルの狂犬』は今夜死に、あのいけ好かねぇ国王は、国政における貴重な手足を一本、失う」

「面白くねぇな。そういう輩は、本来は俺達が仕事として相手をする連中だってのによ」


 それが適わぬことを知り。今、『狂犬』を倒し得るのが彼だけだと解った上で、それでも団長は悔しげであった。

彼は心底、正義の人なのだ。

清濁併せのめる器量を持ちながらも、悪ですら時として利用できる正義の人である。


「俺はもう行くぜ。騎士団長さんよ、もう会う事は無いと思うけど、もし会っても見逃してくれよな」

「お前ぇが必要以上の犯罪を犯さないって誓うならな……あばよ、『ロッカード』」


 男二人、にやりと口元を歪め、笑い合って別れた。





「――もうおしまいか? お前の手足はこんなものか? 『ゾンビー』などどこにもいなかったな」


 教会地下にある真なる教団本部では、再度、クロウとシスターとが対峙していた。

邪魔する者は既に一人も居らず。

その全てを蹴散らしてきたクロウは、血の一滴すら身につけず、シスターに笑いかける。

冷めた笑いであった。勝者の見せる、死に往く者に向ける笑いであった。


「それはそう。ゾンビーなどどこにもいないのですよ。あれはただの人集めの方便ですもの。それこそただ宗教ごっこするだけなら、街の民を巻き込んで乱交させる必要も、娘の首を落とす必要すらありませんのよ?」


 対峙するシスターは、しかし見た目感情を揺るがせもせず、あっさりとクロウの言葉を肯定していた。

とても宗教家とは思えぬ物言いに、クロウも思わず苦笑いしてしまう。


「不老不死は、誰もが抱く夢の一つでしょうから。まあ、頭の悪い方々を利用する為に、薬とセックスと常軌を逸した儀式というのは必要だった、というだけですわ。貴方がたと違い、『どこにでもいる人』を洗脳して殺人者に仕立て上げるなら、それが一番手っ取り早いですから」


 ただ、にぃ、と口元を歪め、手に持ったロザリオを首から外し――その先端を、軽く振った。

ちきり、と、十字架の底から現れる小さな針が、炎の灯りに照らされ怪しく光る。


「貴方のような絶対的な強者に、私は会いたかった――教会の教えはとても退屈で、このような組織でも作らないと――戯れに女子供を殺しでもしないと、何も愉しくなくって――」


 構えなど取らない。ただ無防備に感じさせる姿勢のまま立ち、クロウに妖しく笑いかける。

その美貌は妖艶であり、まるで娼婦のソレを連想させるかのようであったが。

眼の鋭さ、その濁りきった『色』は、どこかで見たような、そんな懐かしさをクロウに感じさせていた。


「戦狂いか」


 かつてクロウにも、戦狂いを殺した経験があった。

先代騎士団長。戦に溺れ、戦から抜け出すことができず、殺す事でしか救ってやることができなかった、哀れな男である。

この女には、方向性こそ違えど、どこかそれを感じさせる狂気じみたものがあった。


「――そう。戦争とは、多くのモノを奪うのですわ――戦争そのものが終わっても、尚」


 ふざけているようににやけながら、シスターは小さく語る。

まるで悲劇でもなんでもなかったかのように、愉しげに。それすらも笑いが堪えられぬとばかりに。


「あれは――いつだったでしょうか。バルゴア国内に残されたフライツペルの軍人達が、終戦を認められぬからと賊となり、私の住んでいた村に襲い掛かりました――!」

「むぅっ!」


 そうして、語りながらに飛びかかってくるのだ。これには、クロウも面食らってしまう。


「私はまだ幼かったけれど、抵抗する村の男の人は容赦なく殺され、若い娘は賊の玩具に――酷かったですわ。大勢の村人の前で、何も知らない若い娘が寄ってたかってなぶり者にされて――」


 小さなロザリオから突き出た針が、しかしクロウには恐ろしげなモノのように映っていた。


「心が壊れてしまったのでしょうか、最後にはケタケタと笑いながら、自分で地面に頭を何度も打ちつけて、やがて動かなくなるのです。あれは、見ていて辛かった」


 ただ素早いだけではない。

リーチにおいてダガーにも劣るその小さな凶器が、このシスターから伝わる狂気によって、何倍にも長く、鋭いように、クロウには感じられてしまうのだ。

感情の揺らぎを、自身で自覚してしまっていた。


「ある日、兄が賊の一人に意味も無く殴り殺されそうになっていました。そうして家の奥で震えていた私と弟は、その賊によって連れ去られ、毎日のようにひどい目に合わされたのです――ふふっ、私の愉しい毎日の始まりですわ!」


 突き出されたロザリオをかわすクロウ。

しかし、シスターに一歩奥まで踏み込まれ、反撃の為に腕を振り回せなくなり、そのまま姿勢を横にずらして飛び退く事しかできずにいた。


「弟は、その賊の頭目だという男に犯されて死にましたわ。変なお話でしょう? 頭目も男でしたのに、私ではなく弟を相手に。私は……『まだ使い物にならないから』と、他の、誘拐してきた娘達の監視役を命じられましたわ。子供だからと甘く見られてか、足かせすら嵌められずに」


 飛び退いたクロウに、再度距離を詰めようとするシスター。


「むんっ!!」


 一閃。ダガーがきらめき、その進撃を阻もうとする。


「あはっ――素晴らしい動きですわっ」


 だが、シスターはそれをものともしない。

斬り払いをその身に受けながら、尚も前進してくるのだ。

腹から血を滴らせながら、尚もその動きは鈍りもしない。


(こいつ――)


 その戦い方は、自分にとてもよく似通っていた。

役目さえ果たせればそれで良いのだと。そのためならば、自身の身ですらただの肉塊、囮に過ぎぬのだと。

後先など考えるなと。そう思い込み、前に踏み出すのだ。


「ですがっ、私は死にません!」

「かは――っ」


 急ぎ迎撃しようとしたクロウはしかし、刹那間に合わず腹に鋭い蹴りを浴びせられてしまう。

体重の乗ったみぞおち狙いの重い蹴り。

辛うじて後ろに跳んだのが間に合い、ダウンするほどの衝撃は免れてはいたが……重すぎる。

思わず腹を抱え、よろめいてしまっていた。

クロウにとって、死を覚悟するほどのわずかな隙。頬を汗が流れ、ぞくり、背筋が痺れる。


「生き延びたのです――逃げて逃げて逃げて。野山を駆けて、獣からも逃げて。そうして、はだしのまま、ほとんど裸のままたどり着いた村は――焼けていましたの」


 だが、シスターは何の追撃もしてこなかった。


(何を考えてるんだ……こいつは、一体……)


 油断からではない。慢心でもない。

ただ、語るのに夢中になっているような、そんな印象すら感じられ。

それがあまりに不合理、不可解過ぎて、何か裏があるのではないかとすら思えて。

だが、結局何もしないまま、シスターはまた言葉を投げかけてくるのだ。


「なんにも、なくなっていた。きっと、兄も死んでしまったのでしょうね。私には、なんにもなかった。生き延びた先には、なんにも待っていなかったのです……なんにも。もう笑うしかありませんわ」


 戦いの最中だというのに目元を押さえながら。

どこか投げやりに、斬れてはだけた胸を自分でもみしだきながら、口元を歪めた。


「もう解ったでしょう? 人の人生になど、意味は無いのです。焼けてしまえば皆ただの灰ですわ。地に埋もれれば等しく土に還るのです。でしたら、そこまでの過程がなんであったとしても――そこに何の意味があるというのです? ないのですよ、意味なんて」

「それが、お前の宗教か」

「ええ、そうですわ。人は死ねばそれ以上死ぬ事はなくなる。等しく死ねるのなら、どのような死に方があっても良いはずなのです。ですから、きっと私も貴方も――素敵な死に方ができると思いますわ!」


 語りのおかげでなんとか姿勢を取り戻したクロウに、まるでそれを待っていたかのようにシスターは三度、襲い掛かる。

手にはロザリオ。だが、その銀の輝きは薄れており――やがて、がくりと、シスターは膝から倒れこんでしまう。


「あ、あら――」


 勝負は、既に付いていた。

迎撃の判断さえ誤らなければ、先ほどの蹴りすら喰らう必要の無い一撃であった。

クロウは、自分の判断の甘さを呪いながらも、刃物跡の付いていない自身の腹に安堵して、動けなくなりつつあるシスターを静かに見下ろしていた。


「――そう、毒、を」


 勘付いたのか、震える腕で胸元を、もう一度くにゃりともみしだき、笑った。


「ふふ、胸、大きいでしょう? でも、こんなものも意味はないんですのよ? 幸せも不幸も、死の前には、何の意味も――」

「意味はある」


 ダガーを手に、膝を付き。


「意味は、ある。人の生に意味が無いなどと、私は認めん」


 もう一度、はっきりとシスターの言葉を否定してから、その首を刃で斬り裂いた。


「――っ」


 最期の瞬間。シスターは何も言わぬまま、どこか嬉しそうに眼を細めていた。





 ただ虚しいばかりの勝利であった。

戦争が間接的に生み出した狂気に駆られた人間が一人、そこで死んでいた。

この一人の為、多くの者が巻き添えを受け、そしてその内のいくらかは、自身が手に掛けたのだ。

こんなに馬鹿らしいことがあっていいのだろうかと、自問せずにはいられない。


(……帰ろう)


 だが、彼にはそんな弱みを見せられる相手はいなかった。

彼は、弱く在る事が出来ない。強くなくてはならないのだ。

それが、彼の進んだ道であるが故に。彼が選んだ道であるが故に。


 こうして、フライツペルのカルト教団『夜の裁き』は崩壊した。


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