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#33.教会の平日

 リョーク公爵の覆面をつけ、娘を抱きかかえたまま階段を登ったクロウを待っていたのは、階段を守る二人の男達であった。

どうやら消火作業を終え、持ち場に戻って来たらしい。


「これは公爵様――その娘は、ゾンビーの儀式に使うはずだったのでは?」


 くぐもった声ながらに、左の男が首をかしげ、クロウに問う。


「……」


 声でバレるかもしれないので、クロウはあくまで首を横に振るだけ。それで通そうとした。

最悪は実力行使で切り抜ける必要もあるかと思い、袖裏にはダガーを隠す。

だが、まともに相手をするには少しばかり手間取る相手と見ていた。

暗殺者かどうかまでは解らないまでも、他の番をしていた腑抜け男・・・・達とは違う何かを感じていたのだ。

避けられるなら避けたかった。


「一体何が……」

「いいや、公爵様の邪魔をしてはならん。何かあったのだろう」


 無言のまま通り抜けようとするクロウに、尚も食い下がってくる左の男。

だが、都合のいい事に右の男が肩に手を触れ、これ押しとどめた。


「……失礼致しました」


 そうして、やむなく、といった感じで左の男が頭を下げる。

クロウも、こくり、無言のまま頷いて、娘を抱いたままゆうゆうと屋敷から出て行った。


 その後、館の地下は炎上。

怪しげな儀式の会場となっていた事は表向き伏せられた上で放火事件として広まる事になる。

地下からは数多くの死体が見つかるが、放火の主犯と思われる館の主・リョーク公爵は見つからず、行方知れずになったと報ぜられた。





 まさか舌の根も乾かぬうちにまた新たな娘を連れたまま教会に帰る訳にもいかず。

それではどうするか、と考えた末に思いついたのが、『聖馬車』の活用であった。

本来、この街にくることが出来たのもこの聖馬車の活用あっての事なので、「帰りも恐らく同じように用意されているのだろう」程度に考えていた。

これにより、娘をバルゴアにあるラークの屋敷へと送ることが出来る。

無論、自身は同じ方法では帰れなくなるが独り身の男が国境を越える方法等、いくらでもあった。


「それでは、頼んだ」

「おまかせあれ」


 やはりというか、都合よく街外れで自分を待っていた一台。

聖馬車の御者をしていた僧侶に娘の後を託すと、クロウはそのまま教会へと戻り、明けが近い窓を見やりながら、浅い眠りについた。





 ちちち、と小鳥が優しく鳴く、暖かな朝。

陽射しが柔らかくクロウのまぶたを刺激するが、それでもギリギリまではゆったりとしていたくて、動かずにいる事いくばくか。

ぎぃ、と、ドアが開く音がし、ぴくり、全身のスイッチが入っていくのを、クロウは感じていた。

そうして、人の気配が近づき――顔を覗き込んだところで、威勢よく起き上がった。


「きゃぁっ!?」


 突然動いたクロウに驚かされてしまったのか、女の甲高い声が部屋に響く。


「……君か」


 昨日の一件もあり、朝方ながら警戒を密にしていたクロウは、その相手――シルヴィの姿に苦笑してしまった。


「も、もう……起きてらしたのなら、そう一言――驚きました」


 ちょっと及び腰になりながらも、左腰に右手が伸びて、それが妙に見えたが。

すぐに姿勢を整え、シルヴィはクロウに向け、手を伸ばす。


「ベルクさん、朝ごはんの時間ですわ。シスターに起こしてきてくれと言われたのです」


 差し出された手を不思議そうに眺め、そうしてクロウは、自分で起き上がった。


「あっ……」


 なんで、と、眼を白黒させるシルヴィ。


「自分で起きられる。病人やけが人ではないからね」


 少しだけ皮肉げな笑顔を見せ、ベルクはベッドから立ち上がった。



「――それでは、今日もまた無事に朝を迎えられた事。今日もまた、神々の恵みをいただけることを感謝して、祈りましょう」


 食卓の場では、シスターと共に祈りを捧げる若い娘達と、シルヴィ、それからクロウが、作法通りに顔の前で手を組んでいた。


「我が神よ、命を、頂きます」


 眼を瞑ったままにそう唱え、シスターは祈りを解いて手を差し出す。


「さあ、召し上がれ」


 シスターがこう告げることによって、全員が祈りの姿勢を解き、食卓に置かれた食事――パンとスープをいただけるようになった。


 教会における食卓の場はおごそかなものとされているらしく、若い娘達ですら一言の無駄話もなく、ただ淡々とパンをちぎり口に運んで、スープを口に含みながら味を感じて、といった質素なものであった。

スープそのものはミルクの中に芋と薄切りの肉が入った、薄味ながらも栄養豊富なものであったが。


「……」

「……」


 クロウには、どこか物足りなく感じてしまっていた。

自分で作っている食事の方が遥かに味が濃く、そして美味いのだ。

年末の特別なミサなどを除けば肉が入っているだけ豪華と言えるとされる教会の食事だが、「塩気の足りない食事というのはこうも虚しいものなのか」と、内心でがっくりきていた。

同じようにシルヴィもがっくりしている。

バルゴアではそれなりに味のあるものを食べていたのだろうが、農村生まれの娘にとってもこの味の薄さは苦しいものがあるらしい。


「どうかされましたか? お二人とも」


 そんな二人に、シスターは見咎めるでもなく、不思議そうに首をかしげていたが。


「いえ、なんでも」

「なんでもございませんわ」


 朝なのだから、食べられるだけマシというもの。

今の自分の境遇を考えるなら、あるだけマシなのだ、と、二人してそう思い、首を横に振って薄い味のスープを口に含んだ。





「それでは、シルヴィさんにはお洗濯を。クロウさんにはまき割りをお願いしましょうか」


 食事を終えると、その日の作業分担が始まる。

シルヴィは他の娘達と共に家事の手伝い。

クロウには力仕事が待っていた。


「解った」

「か、かしこまりましたわ」


 薪割りくらいなら日ごろ、『剣士ベルク』が金に困った時にやっている事である。

風呂屋や旅籠はたごなど、とにかく湯を沸かすのには薪が必要なのだ。

恐らくは十二分に役に立てるだろう、と、自信満々に頷いて見せた。

だが、隣に立つシルヴィは……どこかぎこちない様子であった。


「……?」


 それが疑問のように感じもしたが。

今は自分の役目を果たすのが肝要なはずだと、クロウは自分の仕事場へと移動する。



「――ふっ」


 切り株の上、縦にかけたを手斧でテンポよく割っていく。

一つ割って置き、一つ割って置き。

割る木っ端がなくなれば、近くに置かれた大き目の丸太を砕いて、また木っ端にしていく。

これが小さな村なんかだと、わざわざ森まで薪となる枝を探しに行くところから始まるが、カルッペほどの都会ともなればこのように丸太単位で地方から集められ、これを砕きながらの作業となる。

探したり運んだりする手間は少ないが、この辺り、割る男にとっては中々の重労働であった。


「――ふんっ」


 ぱき、と、乾いた音と共に、斧が木っ端を縦に割る。


「……すごいんですのね。斧の振り方が鮮やかですわ」


 いくつそれが続いたのかも解らぬほどであったが、それもやがて、後ろから声をかけられ止まる。


「シルヴィ」


 洗濯物を入れたかごを手に、自分をじーっと見ていたのだ。

視線そのものには気づいていたが、クロウは敢えて気付かないフリをしていた。

勘が鋭すぎるというのも、あまりひけらかすのはよくないのだ。たまには鈍感になった方がそれらしく・・・・・見えるというもの。


「その、私、あまりこういうのが得意ではなくて。とにかく、終わったモノを干してくれと、シスターから言われてしまいました……」


 照れくさそうにはにかみながら籠を持ち上げて見せてくる。

どこからどうみても家事中の村娘だが、どうやら不器用だったらしい。

なるほど、これほどの器量良しの割りに女衒ぜげんなどに売られるのも妙だとはクロウも思ったが、このように家事が不得手ではそれも納得がいくというものであった。


「私は教会の世話になるまでは、色んな所で世話になったりしてたから、な。金に困った時なんかは、旅籠やなんかでこうやって薪を割ったり、問題を起こした奴を叩きのめして、自警団に引き渡したりもしていた」


 この程度のことがすごい事のように思い込まれると困るので、クロウは表情も変えず、また薪割りへと戻る。

木っ端を縦に置き、構え。割りながらに、口も動かした。


「君も、いつまでも人の仕事を眺めてないで、自分の仕事に戻ると良い」


 そうして、じっと自分を見つめているシルヴィに、ぽそり、そんな追い立てるような事を言ってしまう。


「あ……そ、そうですわね。ごめんなさい。お邪魔でしたね……」


 傷ついたわけではなさそうだが、ちょっと冷たくあしらいすぎたか。

シルヴィは申し訳なさそうに頭を下げ、籠を胸に、そそくさとその場から去っていった。




 クロウはそのまま薪割りに戻っていたが、シルヴィはというと、物干しに洗濯物を干しながらも、草陰に隠れる影に気付いていた。


「――ハインズ、覗き見は趣味が悪いわよ?」


 えやこらとなんとか不慣れな干し物をしつつ、草陰の人物に話しかけるシルヴィ。


「申し訳ありません隊長。ですが、無事そうで何よりです」


 顔こそ出さないが、自分の部下が頭を後ろ手に掻きながらに苦笑いしているのが浮かんでいた。


「ふふっ、ハインズ。心配してくれていたの?」


 部下にそのように思われるのがどこか嬉しくも感じ。

シルヴィ、いや、シルビアは、口元を押さえ、可愛らしく笑い出してしまう。


「……勿論、心配はしました。『あの』ベルクに連れて行かれたのです。暗がりに連れ込まれ、そのまま殺されてしまうのではと、センカと二人、気になって眠る事もできず――」

「ふふっ、そうでしたか。ごめんなさいね。私もまさか、こんなに近くに立つ事になるなんて思いもしませんでした」


 びっくりです、と、籠の中のシーツに手を伸ばし、広げていく。

ぱぁん、と、威勢のいい音が響き、わずかばかり残った水分が辺りに散らばっていった。


「だけれど、思った以上に彼は普通の人で――今のままではとても、暗殺者には思えないわ」


 あくまで団長が警戒しろと命じたから気にしていただけで、彼女自身はもう、ベルクという剣士はそれほど恐ろしい存在のようには感じていなかった。

それほど親しくなったつもりもないのだが、やはり実際に接してみると、ただ離れて見ていたのとは違い、相応に人相手と意識してしまうのだ。

人間と思ってしまえば、それはさほど恐ろしいものでもなく。

だからか、シルビアはハインズが心配するほどには、大変なことになっている気がしていなかった。

ただ、それとは別に、違和感も覚えている。


「あの人と……エリーとの間に何があったのかは気になるわ。旅先で何があったのか……」


 あれほど仲睦まじい恋人達が、何故? という疑問は、ずっとシルビアの中に留まっていた。

だからこそ、自分の顔を見たときに口説くような台詞を言ってきた彼に、一種の驚きのようなものを感じていたのだが。


「その辺りも気になるところですが、街を調べていて、今朝方に何事か起きたらしいのを耳に入れました」


 その疑問より先に、更に別の問題が起きているらしいのをハインズが口にしたため、シルビアの意識はそちらに向いた。

視線こそシーツに向けられたままだったが、作業の手は完全に止まってしまう。


「街の方で、何か問題が?」

「ええ、実は――この街の領主、リョーク公爵の別宅で火災が起きたらしいのです。使用人のものらしき大量の死体が地下にあったとかで――」

「……それは、ただ事ではありませんね?」

「ええ。ただ事ではありません。それに、そんな騒ぎがあったっていうのに、街の人はあまり気にしていないというか……どちらかというと、隠そうとしていたように見えたのです。何事もなかったかのように振舞っていたというか」


 明らかに何かが起きている。おかしい。

それは解かるが、色々とパズルのピースが外れたままになっている気がして、しっくりこない。

シルビアは考えながらに、うっすら、ベルクとの関係性を疑ってしまっていた。


「彼がこの街に来たから……? 今朝方噂になってたという事は、昨夜の内にそれが起きた、という事ですね?」

「恐らくは。シルビア隊長、彼は、昨夜は……?」

「解らないわ。夕食を食べてからは部屋に分かれたままだったし、私の部屋から彼の部屋は離れていましたし――少なくとも、教会の出入り口からは出入りしていないのは確かだけれど」


 教会の入り口の扉は、かなり古びていた。

開け閉めの度に大きな音がするので、眠っていても出入りがあればそれに気付くはずであった。

まして、深夜。人の息すら耳に届き易い時間帯では、わずかな音が人の出入りを示してしまう。

それを感じさせず彼が出入りしたとするなら、相当気を配ってなのか。


 あるいは、それすらただの誤解であるのかもしれないと、どこかで彼を信じたい気持ちも感じながら、シルビアは再び籠の中のシーツに手を伸ばした。

目元はキリリと引き締め、草陰の部下へと視線を戻す。


「――ハインズ。私は、あまり彼をじっとは見ていられません。気付かれない範囲で上手く調査なさい。そうして、私にソレを教えてくださいな」

「解りました。では隊長、自分は団長たちとのつなぎ・・・もありますので、これで」

「ええ、また」


 少しして、草陰から気配がなくなるのを感じると、シルビアの方でも洗濯物を干し終え。


「……ふう。なんでこう、次から次から」


 思わずため息が出てしまっていた。

確かに、彼女たちの団長殿は『あの教団を潰す』と言ってはばからなかったが。

それは、ある程度情報を集め、確実にそれが成せる状況になってから然るべき『戦術』を組み上げて成すべき事のはずで、このように次から次に無軌道に何事かが発生していくのは、彼女たちにはあまり歓迎できない事態のはずであった。

そもそも、彼女がここにいる事自体が計画外なのだ。


 ただ、これは同時に嬉しい誤算のようなものでもあった。

ずっと見失っていたベルクが、自分のすぐ近くにいるのだ。

流石に常時見張っている訳にも行かないが、近くにいるというだけで大分、その人とナリというものを把握する事ができるはず、と、シルビアは考えていた。


「……がんばりましょう。とにかく、一日一日を乗り切らなくてはっ」


 全ての干し物を終え、籠を手に、気合を入れて水場へと戻る。

戻ったら今度は何をやらされるのか、若干戦々恐々ではあったが。

それでも、やらなくてはならないのだ。『村娘シルヴィ』を演じるのであれば。



「……」


 そんな彼女を遠巻きに眺めながら、クロウは物陰から外れ、再び薪割り場へと戻っていく。

今さっき、なんとなしに気になって見に来たのだが、どうやら時間は掛かりこそすれ、なんとか任されたことは終えたらしく。

干し物の最中にもやたら独り言を何か呟いていた様であったが、そういう・・・・娘なのだろうと割り切って見ていれば、サボっている訳でもなくそれなりに勤勉な娘らしかった。


「ただの気のせいだった、か」


 朝、驚いた時に腰元に手が伸びていたのが気になっていたクロウであったが、それが自分の勘違いのように感じ、その可能性を捨て去る。


――あれはただの不器用な娘に違いない。


 ちょっと変わったところもあるが、見れば見るほどその動きはぎこちなく、普通だったのだから。

そう思いこみながら、再び薪割りに勤しみ始めた。





 夜。今度は別の教団の関連施設へと足を運び、調査を始める。

リョーク公爵の館が火災にあったのを見て、一部、街の教団信者がそちらへと押し寄せているのが遠巻き、樹の上から見て取れた。

全て男であった。それも欲に頬を緩め、涎など垂らしながら、まるで理性が消えうせたかのように叫んでいたのだ。

「女を抱かせろ」と。

「ゾンビーの儀式はまだか」と。

まさしくその場にいたのは、昨日の夜、地下で見かけたケダモノたちと同じソレであった。


(やはり、あの建物も、同じように男達にあてがうための女が用意されているのか……)


 街中から若い女が消えているほどなのだ。恐らくいたるところでそのようなことが起きているのだろう、と、クロウは推測する。


(潰すか……? いや、二夜連続でそれをやるのは、いささか面倒ごとになりかねんな、何より――)


 何より、今回は公爵のようなフェイクが用意できない。

外部の侵入者によって問題が起こされたと相手方に気付かれてしまうには、まだ早すぎる段階であった。

何せ、教団の本部はまだ別のところにあるのだから。

足の一本や二本を落としたところで、相手の首はまだ健在なのだ。

こんな状態で襲撃を悟られて首魁しゅかいに逃げられでもしたら不毛この上ないいたちごっこ・・・・・・が始まるだけである。

それは避けたかった。


(……とりあえず、動きがないか見張っていよう。今夜はそれだけでよかろう)


 結局、今宵は傍観を決め込む事にした。

調べなくてはならないことはまだまだある。

施設の中で玩具にされているであろう女達には同情を禁じえないが、だからと無茶は出来ないのだ。今は泣いてもらうほかない。


(もっとも……あの様子では、女達も同じようにモノ狂いにされているのだろうが、な)


 不幸な事には違いないのだろうが、性に狂った男達の様子を見る限り、そして先日の乱交現場を見る限り、男だけでなく女の方も、かなり狂わされているのではないか。

身勝手ながらそう考えれば、わずかばかり気が楽になった。

人の不幸など、一々深く考えてはいけないのだ。


 こうしてクロウはその晩を、教団施設の人の出入りの頻度や番兵の数、入れ替わりの様子や隠れるのに適した場所の調査等に費やした。


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