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#29.命令拒否

 最近の仕事は、クロウにとっては実に容易い、何の事も無い内容ばかりであった。

いつもどおり夜陰やいんに紛れて目標の屋敷に忍び込み、眠っている目標の喉元を一突き。

そうしてそれが終わった後、目標の枕元に手紙を一通、置いておくのだ。

その内容はただ一言。『国王派には死の粛清を』とだけ。


 先日のラカン伯ステビアを殺害した際に、『暗殺ギルドからの挑戦状』として大々的に知られるようになり、ギルドの存在、その脅威は、事件に関わった者に限らず、市民に至るまで広く知れ渡るようになっていた。

まるでこの一件を意図して引きずるかのように、殺していった目標の寝所しんじょにこのような手紙を置くようになったのだ。

その結果、それが噂となり、やがて新聞にも書かれる様になり、誰も明らかにできていない真相などとは関係無しに、様々な憶測おくそくが飛び交うようになっていった。


 曰く、「改革派の生き残りによる復讐か」というものや、「そういったミスリードを狙う愉快犯の仕業なのでは?」という冷静な意見も飛び交い。

世間では今、認識に違いこそあれ、暗殺ギルドの名を知らぬ民など居ないとばかりに、その話題でもちきりになっていた。

恐ろしげな事件ばかりではあったが、身に覚えのない市民にとって、それはただの娯楽に過ぎなかったのだ。

だが、娯楽程瞬く間に広まってゆく。

まるで最初からそうなるように仕向けたかのように、噂は様々な形で広まっていった。





「……また、ですか」


 王都から届いた命令書。

ギルドマスターよりの直接の指示が書かれたそれを手に、フィアーはうんざりしたように目元を覆う。


「最近、多いねえ。あんた達がこの街にきてからというもの。というか、あんた達だけじゃないみたいだけどね?」


 手紙をフィアーに渡したのは、ルクレツィアであった。

ベッドに腰掛け、気だるそうにフィアーが手紙を読み終えるのを待っていたのだが、読み終えた後の妹分の反応に、「ああやっぱそうか」と、あまり面白くなさそうな顔をしていた。

どうにも、内容は察した上で、フィアーの反応を見ていたらしい。


「各地で似たような依頼が回されているようですね。今まで隠密で、組織の存在を明確には気取られぬように動くのが基本だったはずなのに……」

「今じゃわざわざ『暗殺ギルドの仕事でござい』って報せて回ってるってね。目標は一応、『改革』の時に国王派についてた連中ばかりがそうなってるって話に聞くけど」


 慰め程度に、今の状況に対して納得がいく理由があるとするなら、それは前時代の負の遺産。

『改革』に関わる者達による復讐の流れである。


「こうする事で誰かしらに恐怖を植えつけるだとか、何らかのメッセージを伝えるだとか。そういった目的の為にやっているとしか思えないけれど。マスターが何を考えているのか、私には解らないわ」


 ただ復讐したい、というだけではなさそうだというのも、フィアーにはなんとなしに感じ取れていた。

ただ怨恨で殺すには、あまりにも失われた命が多すぎたのだ。


「実際問題、目標全員が本当に国王派だったのかなんて解ったもんじゃないしね。ただのこじつけだったり、わざわざギルドが動いてまで殺すほどに何かをしたような大人物でもなかったり、っていうのもあるんじゃないかい?」


 そういう意味では、今回の流れのきっかけともなったステビアなどはまさしくそれである。

本人は正しいと信じてやったに過ぎない事を、結果のみを照らされ国王派だったと断じられたのだから。


「……そうなると、殺す人物がどうという事ではなく、殺された人数の方に意味が出てくるかもしれないわ……」


 考えるように口元に指をあてがうフィアー。

ルクレツィアもそんな妹分を見つめながらいくらか考えるそぶりをして、また口を開く。


「国王派だからってこじつけて殺して、この人数の多さで『本当の目標』に何かを見せ付けたい、とか、そんな感じ?」

「可能性はあるわね。いずれにしてもこの流れ……ただ従うばかりでいいのかしら」


 ルクレツィアの言葉は肯定しつつも。

フィアーは今、珍しく迷っていた。


 今、ギルドが進んでいる道は、当初の暗殺ギルドのそれ・・からは大きく逸脱しそうになっている。

それも、本来ならそれを一番に止めるであろうギルドマスターからの指示なのだ。

このような事が続けば、当然今後の目標に関しての警戒態勢は厳しくなっていくはずだし、メッセージにしたって、ほとんど無罪に近いような、殺す価値もないような者を無理に殺してまで伝える必要があるのかが、フィアーには解らなかったのだ。


「とりあえず、少しの間保留にしておきましょう。仕事内容そのものはそんなに難易度もないですし、期日もあってないようなものだから、様子を見ても悪くないはずだわ」

「ま、今のままの流れが気に入らないなら、ただ流れに従うのもどうかと思うしね。いいんじゃないの?」


 暫定的な決定ではあるが、フィアーは明確に、ギルドやマスターに対して懐疑的な視点を向けることに決めていた。

今までと違い、従っているばかりでは見えないモノがあるのではないかと、そう考えたのだ。


「同時に、情報の収集に注力したほうがいいかもしれないわね。各地で今、何が起きているのか。忙しくなりそうだわ……」


 ほう、と息をつきながら、ベッドに腰掛ける。

ぽふん、という柔らかな音と共に、小柄な身体が若干埋もれ、反動で跳ねる。

そんな様を見て幾ばくか癒やされたのか、ルクレツィアはこわばっていた顔を緩める。


「情報を集めるのはこっちに任せてくれて良いわ。あたしもだけど、ラークも手伝ってくれるっていうし、ね」


 普通に潜伏していたのでは手に入りにくい貴族間の情報や噂などは、彼女の夫ラークの協力によってかなり容易に手に入るようになっていた。

一見頼りない容姿のラークであったが、今では街でも屈指の実力者であるパトス伯爵と肩を並べているほどなのだ。

ルクレツィアも伯爵令嬢エリシアとの関係を改善させつつあるし、夫婦揃ってこの街をほとんど牛耳っていると言える。

現状、フィアーとクロウにとってこの上ないバックアップとなってくれていた。


「……頼んだわ。私一人でどうにかできるものではないし、多少なりとも情報があるほうが楽には違いないのだから……」


 胸を張って協力を申し出るルクレツィアであったが、フィアーはどこか浮かない表情であった。

その胸の中に納まったままの不安は、誰にも明かせないかのように。





「ふむ……やはりあの二人は止まったか。フィアーの仕業か、それともルクレツィアの反抗か……」


 遥か遠い街。商人ギルド主宰マドリス・へルマンの屋敷であった。

秘書アドルフがなにやらファイルから紙を一枚、器用に取り出しながらそこに書かれているデータに眼を通してゆく。


「状況的には悪くないはずだ。各地でも既にギルドの手の者によって『狩り』が始まっている――大物を釣るチャンスだ」


 普段鉄面皮に近い彼であったが、何が愉快なのか、口元を歪めにたにたと笑っていた。


(もうすぐだ……もうすぐ、我が父の復讐が成る。眼に物見せてくれる)


 ギラついた瞳を分厚い眼鏡の裏に隠し、アドルフは廊下を歩く。

このニュースを主に伝えればどのような顔をするだろうか、と。

それが楽しみで仕方ないのだ、と。

彼もまた、表通りの人となりではなかったのだ。


 ふと、窓の外を見やると、にぎやかな繁華街が眼に入った。

たくさんの商人が出入りし、数多の商品が並ぶ世界有数のマーケット。

ここになければ大陸中どこを探したってありはしないと言われるほどに、何もかもが集まる街。

マドリスとて、一代でここまで繁栄させた訳ではない。

数多くの苦労と、沢山の人の涙によって作り出されたのだ。この欲望の街は。


「……この街は、誰の者でもない。人々の為のモノなのだ」


 ぽつり、呟きながら。

また、いつもの鉄面皮に戻り、馬鹿げているかのように息をついて、歩き出した。





「平和だな」

「平和ですねえ」


 クロウはというと、館の主であるラークと二人、昼間からのんびりと釣りなどしていた。

ここ数日続いていたフィアーよりの『仕事』の指示が今日になって急に止まり、「これからしばらくは暇ですから」という宣言と共に放置されることが決定されてしまっていた。

一応、クロウとフィアーはラークの客人という形で館の世話になってはいるものの、この街の民から見れば余所者よそもの。あまり目立つ事はできない。

結局のところ彼にできるのは、館の庭園の隅を流れる川での釣りくらいであった。


 この川は、街の外から流れるものをそのまま利用したもので、釣りのスポットとしては中々申し分ないものとなっていたのだが。

同じように暇をもてあましていたラークが、既に座り込んでいたクロウの元を訪れ「釣りを教えてください」とねだってきたのだ。

一人での釣りも悪くなかったが、釣り仲間が増えるのは嬉しい事だと考え、彼はこの素人に『釣りのやり方』というのを教えてやることにした。


「よし、きたっ」


 びくん、と、ラークの糸が揺れ、竿が震える。

ラークはすぐに反応し、竿を上げてしまうも……糸には餌のガガラゴがぶら下がっているばかりであった。


「攻めるのが早すぎる」


 またも獲物を逃がしたらしく落胆しているラークに向け、クロウは静かにぽそり、そう忠告していた。

視線は水面から微動だにせず。意識だけを横に向けながら。


「魚がかかっても、すぐには動かん事だ。最初の数回は、餌が喰うに値するものかという『様子見』だ。ここで竿を引けば、当然魚は逃げてしまう」


 ぴくん、と震える自身の竿を、支えはしても動かしはしないクロウ。


「で、でも、それじゃいつあげれば良いのか――」

「強さを見ろ。ただつつくだけなのと、実際にくわえ込んだのとでは、引きがまるで違う」


 言いながらに、その『強い引き』を感じ、クロウはくい、と竿を引き始める。


「そうして、当たりを感じたら、一気に竿を跳ね上げさせるのではなく、いくらか手前に引き、魚を弱らせてからにしたほうがいい」

「弱らせてから……? なんでです? すぐに引っ張り上げればそのまま釣り上げられるのでは……」

「下手に跳ね上げると、反動で針が抜け、そのままどこぞへと落ちてしまうことがある。川に落ちれば逃げられるし、地べたに落ちれば魚は死んでしまう。人になど当たれば……解るだろう?」


 竿を引きながら、獲物が針を引き、必死に逃げようとするのをぐるりぐるりと竿を回し、抵抗力を削いでゆく。


「無闇に引っ張れば良いってものじゃないんですね?」

「そういう事だ――このように、な!」


 そうして相手が弱ってきたのを感じるや、一気に引き上げる。

ぱしゃ、という音と共に竿が水面から抜け、糸の先には大きめのミガキという魚が掛かっていた。


「立派なミガキだ……オリーブやヘーゼルと一緒にオーブン焼きにすると、とっても美味しいんですよね」


 釣り上げられて尚、ぱしぱしと身を揺すり尾を振り、なんとか逃げ出そうと抵抗し続けるミガキに、ラークは顔をほころばせた。


「うむ……晩飯のおかずくらいは自力で釣れる様になると、釣りが楽しくなるぞ」


 自分で釣った魚を料理し、それを人に振舞うのだ。

美味いものを食べた時の他人の反応というのはとてもい物だと、クロウは知っていた。


「僕が立派な魚を釣って帰れば、妻も喜んでくれるでしょうか……?」

「そりゃ、喜ぶだろうよ。だが……一つだけ、注意しなくてはいけないことがある」


 尊敬の眼差しで見つめてくるこの好青年を前に、クロウは人差し指を立てながらに、じ、と見据えた。

ごくり、ラークが息を飲むのを見て、クロウは続ける。


「女は、自分をないがしろにしてまで釣りに興じる男には、ヒステリックになる事がある。女は釣りに興味を示してくれないからな。一緒に釣りでも出来れば、その楽しみが解ってくれればそんな事もないのだろうが」


 これが難しいのだ、と、針に掛かった魚を水袋へと放り込みながら、経験から来る言葉をラークに向けていた。


「……勉強になります。僕も、女性の扱いに関しては全く自信が無くて……妻に愛想を尽かされないように、気をつけなくては」

「ああ。それくらいにきちんと考えてやれてるなら、奥方殿も幸せな事だろう。私は、解らないことは解らないままにしてほったらかしだからな……」


 その結果、今でもまだフィアーはクロウの釣りをまともな趣味として認めてはくれていなかった。

そんなの何処吹く風で無視して続けているが、これがバレると、彼女は露骨に不機嫌になるのだ。

女心は解らん、と、苦笑しながらにまた、餌をつけて糸を垂らす。



「――こちらの世界に足を踏み入れ、後悔はしていないか?」


 釣り糸に視線を向けつつも、クロウは静かに、そんな事を問うていた。


「……いえ。僕は、全く後悔はしていません」


 同じように自分の糸を真剣に見つめていたラークであったが、質問に答えながらに、クロウの顔をじ、と見つめる。

どうにも一つことに集中できない性質たちらしい。

人がよすぎるというか、自分の周りに起きた事を一々気にしすぎるというか。


「糸。見ていないと、今度は餌を持っていかれるぞ?」


 音の高低もなく、クロウは指摘だけすると、竿をぐるり、静かに揺らす。


「この世界は、とても汚い。意味の解らんことも多い。だが、全てを理解しようとすると、気が狂ってしまうかもしれん」


 一切視線をラークに向けず、少し間を開ける。

ゆるやかな静寂が、今この場を支配していた。

ラークが何も返さないのが、それだけ真剣に話を聞いているのだと思いながら、続きを口にする。


「――そういう時には、女を頼れ。甘えろ。抱きしめてもらえ。存外、そういう時には支えになってくれるものだ」

「……はい。僕にとって妻は、そのような女性です」

「中々良い目利きだ。ならば君は、長生きできるかも知れん」


 引きを見せた糸を軽く揺らし、抵抗を煽る。

水面にわずかばかり暴れ音が響き、やがて魚の姿がシルエットとなり、浮かび上がってきた。


「釣りはな。ただ力づくに引けば、相手が思うままになるというものではないのだ。時には引き、時には煽り、そうして相手が弱りきるのを待つ」


 ぱしゃり、竿を浮かせ、銀鱗ぎんりんを輝かせる大物が二人の前を跳ねる。


「そうして、手元に引き寄せ……掴みとって水袋に入れて、初めてこちらの勝ちだ。それまでに逃げられれば負け。跳ねさせすぎて地べたに打ち付けて殺してしまってもまた、負けだ。うっかり女が後ろに立っている時にでもぶつけてみろ。一週間は飯を食わせてもらえなくなる」


 中々に辛いのだこれが、と、年季の入った顔で笑っていた。


「……フィアーさんとは、やはりそのような関係なのですか?」

「違うな。フィアーは……あれは、そのような相手ではない。私は、彼女の前で甘えてしまってはいけないのだ。私は常に、強くなくてはならん」


 彼には頼るべき女も、甘えられる相手も、抱きしめてくれる愛しき存在も持ち合わせていなかった。

ゆえに、強くなくてはならない。決してへし折れぬよう、気を強く保ち続けねばならなかった。


「それが、私という生き方だ。『クロウ』という名を与えられた、愚かな男が選んだ、な……」


 それしか知らぬのだ、と。笑いながら。

魚を水袋へと放り込み、クロウはまた餌を手に、針へとくくりつけ始めた。

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