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#28.二人の女

バルゴア――フライツペル間の国境くにざかい

双方の兵が互いを監視する物々しい雰囲気の中、越えようとする馬車が一台。

御者ぎょしゃ席にて馬を操るはにがみばしった顔の中年男。

女衒ぜげんらしく、自分の息子とともにバルゴアの村落から娘を買い、フライツペルの娼館に売りつける目的でここにきていた。

国境を護る衛兵はバルゴアからの許可証と、ホロの中にて逃げられぬよう足に枷をはめられた若い娘二人、それから女衒のせがれを確認。

いくらか下世話な特別検査・・・・を終わらせ、にやつきながら「いい商売だよなあんたらは」と皮肉の一つも聞かせただけで通行の許可を出す。


 バルゴアとの険悪な関係もあり、商人や貴族の通過には過大な通行税を求めるフライツペルだが、農民と娼婦、それらを売り買いする女衒の通過は無関税で通すのが習わしであった。

バルゴアは、王都の中心部に夜街と呼ばれる巨大な娼婦街があり、他国と比べて娼婦の質がとても良い。

また、色にかぶく者達の間で『王国娘』と呼ばれるバルゴアの若い娘は、色白で美しく、大人しく芯の強い性質たちの為心が折れにくく、「非常に質のいい娼婦になる」とフライツペルでは評判であった。

互いの国が戦争状態であった頃は、しばしば村落から若い娘がさらわれてはフライツペルで売り飛ばされていたほどで、平和の時代においても、この国での王国娘に対する評価は変わらない。





「――ふうっ」


 国境を抜け、ようやく一息つけたシルビアは、窮屈そうに胸元を撫でながら足についた枷を外していく。


「おつかれさまです、シルビア隊長。それに、センカも」


 同じようにセンカの足の枷も外してやりながら、ハインズがその頭を撫でる。


「うん。大丈夫。なんにもなくてよかった」


 くすぐったそうに笑うセンカ。ハインズも釣られて笑いそうになっていたが、シルビアはそうでもなく。


「……あの国境兵、これみよがしに私の胸を揉みしだいていきましたわ……何度も何度も!」


 悔しそうに歯軋りしながら、先ほどの『検査』で受けた屈辱を思い出していた。


 表向き真面目に入国を審査していたかに見えたフライツペル兵だったが、足に枷を付けたシルビアの顔を見るや、なんともいやらしい顔になって「特別検査を始める」などと言い出したのだ。

そして、当たり前のようにシルビアの胸や尻などを執拗に触っていった。

これがシルビアには屈辱この上なかったのだ。


「はははっ、ま、衛兵から見てもお前ぇは色白な『たまらねぇいい女』だって事だよ。そういう格好してたら、とても騎士には見えねぇってこった」


 手綱を軽く握り締め、女衒の振りがよく似合う団長が、にやにやしながらホロの中へと言い放つ。

だが、それはシルビアの苛立ちを余計にひどくさせるだけであった。


「だからって、こんな――ハインズ!!」


 流石に怒鳴り返す訳にも行かず、悔しげに歯を噛みながら部下へと向き直る。


「えっ? あ、え、ええと……ま、まあ、これもお役目、ですし――」


 急に話を振られて困惑しながら、なんとか波風経たぬように振舞おうとするハインズ。

だが、その煮え切らない態度にシルビアは激する。


「そんな言い方が通るとでも思うのですか!? これは暴行ですわ! あの国境兵、若い娘が通る度にこうやって身体を触っているのかしら!! 許せません!!」

「私の時は普通に笑顔で見送られてたなあ」


 ぐきぎ、と、拳を握り締めるシルビアを見て、センカはぽそりと呟く。

幸いなことに、センカくらいの外見の娘ならいやらしい事はしてこなかったらしいと解り、シルビアはわずかばかり怒りを収める。

対応に困っていたハインズは、センカの思わぬ好援護に安堵した。


「もしセンカにまでそういう事をしてくるようなら、流石に私も我慢はしませんでした」

「フライツペルだと、私くらいの歳の娼婦は普通にいるけどね。シルビアくらいの人は子供がいるのが当たり前かなあ」

「なっ――」


 不思議とそういったことを口に出すのは抵抗がないのか、センカはぽそぽそとフライツペルの現実を語ってゆく。


「私や姉さんはそうでもないけど、ね」

「そんな――センカくらいって、まだ十三なのでしょう? それでそんな――」


 驚いたのはシルビアばかりでもなく。ハインズも唖然としていて、センカの頭に手を置いたまま固まっていた。


「フライツペルではそれが普通。子供が産めるようになったら産まないと、増えないから」


 まるで動物の如き倫理観。

センカには全く恥じらいもなく、それが常識となってしまっているのが一層シルビアの胸を締め付けた。

自分から見ても年の離れた妹くらいのこの少女が、そんな倫理観の欠片もない状況を異常と思えない現実。

フライツペルという国では、それが常識となってしまっているのだ。

先程とは別の意味で思いが溢れ、口をついて出ようとしていた。


「そんな事――」

「やめねえかシルビア。国には国の、土地には土地の、所には所の事情ってもんがある、歴史ってもんがある。そして何より、それが文化として根付いちまってるなら、他所の国のもんが悪戯に口を出すもんじゃねえ」


 ろくなことにならねぇぞ、と、見かねた御者席の団長が口を挟み、いさめる。


「ですが団長、これは……」

「大体、俺達の国だって、夜街が本当に法に支配された、誰一人泣く娘のいねぇ街だって言えるか? どっか、裏で悲惨な目にあってる、センカくらいの娘っ子がいたっておかしくねぇはずだ。フライツペルがどうのと思うなら、まずは自分達の住んでる足元をなんとかしねぇと、な!」


 他人の畑を見るのはそれからだ、と、はっきり言い切って、シルビアの反論を封じ込める。


「……はい」


 最早言い返す勢いもないのかシルビアは俯きながらに、センカの手を握った。


「……?」


 不思議そうに首を傾げるセンカであったが、それを振りほどいたりはせず。

しばし、静かなまま馬車が進んだ。





「騎士団長がいなくなっただと? どういう事かねアドルフ君!?」


 マドリス商会本社。

執務室にて、秘書アドルフから報告を受けていたマドリスは、秘書からの想定外の報告に思わず我が耳を疑ってしまっていた。

クロウとエリーが行方知れずとなったが為に騎士団を探らせていたのだが、今度は騎士団長以下数名が行方知れずになったというのだ。

これにはさしものマドリスも困惑が隠せず、秘書の詳細な説明を待つしかなかった。


「それが……どうにも教団が暴走したらしく、先日の襲撃に失敗し、捕らえられていた教団の襲撃者を始末するため、更なる襲撃を行ったようなのです」


 秘書アドルフも、黒ぶちの眼鏡のズレを直しながらに、わずかばかり難しげに説明する。


「それがなんでこんな事に繋がる?」

「その、襲撃者を始末する為に送った襲撃者までもが返り討ちに遭い、これが元で教団の事件への関与が、騎士団に知られてしまったものと――」

「なんだと!? 馬鹿なっ、それではその……商人ギルドの関与も、疑われるかも知れんという事か!?」


 余りにもお粗末な展開であった。そんな事があるのか。許されるのか、と。

マドリスは目を剥き、秘書に問わずにはいられなかった。


「今のところ、騎士団がギルドやその関係各所に何がしかの調査を入れているという話は聞いておりません。ですが、今後の騎士団のアクション次第では、何がしか起きる可能性もあります」

「くそっ……少しは役に立つ連中かと思っていたが、とんだ役立たずばかりだなあの教団は! もういい、手を切りたまえ! 今後は商会か、ギルドの直属とだけ話を進めれば良い!! 金さえ払えば人を殺すようなのはいくらでもいるんだからな!!」


 あきれ果て、わずらわしげに「切れ」と、手を横に振りながら、マドリスは椅子にもたれかかって脱力する。


「承知いたしました。では、今後はくだんの教団とは手を切り、会長の仰るように」

「それでいい。全く、どいつもこいつも――」


 ここ最近は機嫌の良い日が続いていたマドリスであったが、流石にこの報告には苦虫を噛み潰したような顔になり、不機嫌さを露にしていた。

秘書アドルフは、うやうやしげに頭を下げ、執務室から退室する。



「……良い頃合だな。上手く転がっている」


 こつりこつりと誰もいない廊下を歩きながら、秘書は一人ごちる。


「そろそろ、休日も終わりで良いだろう。クロウ君には、頑張って働いてもらわねば困る」


 手に持ったファイルをくしゃ、と曲げながら、アドルフは、その塗り固められた口元をにや、と、歪めていた。





「クロウ。お仕事のお話です」


 ラークの館にて客として滞在していたものの、特にする事もなく、ベッドに腰掛けぼーっとしていたクロウ。

そんな彼の前に、ノックもせずに入ってきたフィアーが現れた。彼女お気に入りの、小さなバスケットを手に。


「恋人の振りをする必要もなかろうに。ノックくらいはしたらどうなんだ?」

「私と貴方の関係にドアなんて必要ないですよ? それより、お仕事のお話なのです、聞きなさい?」


 余計な言葉は挟まないで、と、暗に非難しながら、フィアーはクロウの瞳をじ、と見つめる。


「……聞こうか」


 ベッドから立ち上がって席を譲り、いつものように壁に寄りかかりながら、フィアーの言葉を待った。

そんなクロウに満足げに微笑みながら、フィアーはまた、ベッドにぽふりと腰掛け、細い脚を組む。


「今回の目標は、この『セルジオ』の街の隣、『ラカン』を治める『領主ステビア』。彼女を殺害してください」

「領主殺しか。何か、条件は?」

「殺す前に一度、ステビアの寝所にこの手紙を置いてきてください」


 胸元から手紙を取り出し、それをす、と、横切りに投げる。

ふわりと綺麗に浮いた手紙は、そのままクロウに受け取られた。


(……生暖かいな)


 体温を感じる、少しよれた手紙。それをそのまま懐に入れ、クロウはまた、フィアーを見つめる。


「つまり、二度侵入する必要があるという事か」

「ええ。しかも二度目は侵入者を警戒しているでしょうから、難易度も当然跳ね上がるでしょうね」


 大変ですよ、と、表情も変えずに語る。クロウは笑った。


「まあ、それくらいならなんとかなる。屋敷の見取り図やなんかはあるのか? 配置についての情報も、できれば知りたいな」

「勿論、それは既にルクレツィアに言って用意させてあります」


 十分な量の情報ですよ、と、口元をにい、と緩め、バスケットの中から幾枚か、書類を取り出しベッドに置く。


「時間的な制約は?」

「特にありません。いつ仕事をしても良いです。今回に関しては、犯人が貴方だと後からばれたりしなければ、何をしても構わないと言われています」

「――承知した。では、今夜にでも取り掛かるとしよう」


 こくりと頷き、仕事を承服する。


「では、頼みましたよ。私は特に動く事もできませんから、ここで待つしか出来ませんが――」


 澄まし顔のまま、フィアーはベッドを立ち、そのままクロウの脇を抜けて部屋から出て行こうとする。

そうしてドアを開けて扉の前で足を止め、一言。


「頑張ってくださいね。無理をなさらずに」


 満面の笑みでそんな、似合わないことを言い、そのまま足早に去っていった。


「……なんだ、今の」


 クロウとしては意味が解らない言葉であった。

らしくないというのもあるが、何か裏でもあるのか。

あるいは姉だというルクレツィアあたりに何か吹き込まれたのか。

何にしても腑に落ちない、不気味さが残ってしまっていた。





 夜は暗殺者の友である。

その闇は暗殺者の身を隠し、人のまなこを眠さに緩ませ、油断を誘ってくれる。

クロウはその日のうちに荷馬車に紛れてラカン入りし、深夜には領主館の敷地内へと侵入を果たしていた。


(……館外周部の警備兵は十五名。これが五名ずつ、昼・夜・深夜から朝と、三交代で巡廻している――)


 警備兵の巡廻ルートを思い出しながら、クロウはそこからやや外れた草陰を忍んで進む。

あかりは乏しく、わざわざ草陰に注意を向ける者もいない。

館への入り口は複数個所あるが、この前に立つ番兵もいないらしく、容易に入ることができた。



 館内は比較的灯りが多く、クロウの出で立ちは目立つが、館内の警備兵は固定の者が多く、巡廻じゅんかいはほとんど気にならない。

足音もなく進む限りは持ち場から動く事もなく、わずかな視線の動きに乗じて抜けてしまえば気づく事すらなかった。


(……む)


 そうして、見取り図の限りは主の寝所となっている扉の前までたどり着いたのだが。

流石にここは警戒されるのか、扉の前には女の番兵が一人、所在なさそうに立っていた。

ここに限らないが、この館は妙に女性の私兵が多く、クロウをして「珍しいな」とは思っていたのだが。


「ふあ……」


 あまりやる気がないのか、眠たげにアクビをし、視線をうろうろと廊下に向ける。

とっさに角へと隠れたクロウであったが、しばし様子を見ていても、流石に居眠りまではしてくれそうになかった。


(仕方ないな……)


 他の通路は迂回したりして抜けてきたクロウであったが、こればかりは正面からドアに入るしかないので、対策を考える事になる。

幸いT型になっている通路なので、クロウはこれを利用する事にした。


 懐に忍ばせていたものは、例の手紙と拳大の石。

この石はなんの変哲もない、川原で拾ったものなのだが、これが意外と役に立つ事が多いのだ。


(ふんっ)


 それを、番兵の視界が逸れている隙を見て、扉とは正反対の方向へと投げつける。

廊下の奥、立てかけられていた蜀台しょくだいめがけての投擲とうてきであった。

見事にソレが的中、かしゃん、と、小さな音を立て、蜀台は床へと転がった。


「なっ、何っ!? 何が起きたの!?」


 無音に近い中突如響いた金物の音に、番兵は驚きながらも確認の為に廊下の先へと駆け寄る。

それをT字の影に隠れてやり過ごし、クロウは無人の扉へと足早に進み、静かに開いて身を滑り込ませた。



 扉の先は、領主の寝室。広めの空間に妙に汗っぽい、艶のある空気。

部屋は暗かったが、それでも入り口から見て解るように、ベッドは乱れていた。

先ほどの音を聞き、起きているのか、と警戒ながらにそろそろと近づくクロウ。


「うう、ん――」


 若い女の声が部屋に響き、クロウはびくりと足先を止める。


「……」


 腰元のダガーに手を伸ばしながらも、無言のまま待つことしばし。

だが、ベッドに横たわったその女は起き上がる様子もなく、その場にごろりと寝返りを打ち、そのまままた動かなくなる。

起きている訳ではないらしいと確認、クロウはベッドへと近づいた。


 ベッドの上には、裸の若い女が二人。

部分部分シーツで身体を隠しながらも、汗ばんだ身体をそのままに、横たわっていた。

赤髪と黒髪とで、どちらがステビアなのかはクロウには解らなかったが、無理に確認しようとして起こすのも馬鹿らしいと考え、とりあえず今は用件を済ませようとする。

懐にしまっていた手紙を女達の枕元へと置き、そのまま部屋の窓から壁伝いに降り、脱出した。





「ステビア、これっ――」


 翌朝。まず手紙に気づいたのは、赤髪の娘の方であった。


「ん……どうしたのよアリサ。朝はキスで起こしてって言ったでしょう――」


 ふあ、と、大きなアクビをしながらに、黒髪のステビアは恋人のメイドの唇を奪う。


「んっ――ふあっ、ダメよステビア。それどころじゃないの。その、枕に、こんな手紙が」


 読んでみて、と、アリサは自分達の間に置かれていた手紙を恋人へと手渡す。


「手紙……?」


 今一要領のつかめないステビアは、アリサをその胸に抱きしめながらに手紙を受け取り、広げる。


『ラカン伯ステビア殿へ』


 貴方はあの夜を覚えているだろうか?

改革に参加しようとした自らの父を、密告した夜のことを。

自らの街の民が、改革へと参加しようとしていたのを、その全てを偶然遊びに来ていたパトス伯爵へと告白したあの夜を。

君は、まだ幼かったのだろう。正義感もあったのかもしれない。

だが、今の君はもう大人だ。

その罪を、その時に被る事の無かった罪を、今あがなうのは道理ではなかろうか?


 次の夜、我々暗殺ギルドは、貴方を殺しに参る事とする。

止められるならば止めてみるが良い。数多あまたの兵を用意し、無数の罠を張り巡らせてもいい。

腰抜けらしくみっともなく、泡を食って国外に逃げても良い。

だが、我々は止められない。我々の放った刃は、必ずや貴方の命を刈り取る。


 あの日、あの時、多くの罪無き者が理不尽に奪われた命を思い出せ。

それと同じように、今度は我々が奪うのだ。貴方達から。

憎き国王派・ステビアよ。我々はここに、貴方の死を宣告する。



「……なんですって」


『暗殺ギルドより』と締めくくられ、逆十字の印が記された手紙は、震えるステビアの手元からハラリと落ちてしまう。


「ステビア、一体……?」

「狙われてるわ。私、暗殺ギルドに――」


 なんで、と、身を震わせながら、信じられないとばかりに目を見開き、ステビアは呆然としてしまっていた。


「私、殺されるの……?」


 呟いてから、背筋を走る恐怖に抑えが効かなくなる。


 理解できなかった。今の今まで、領主として平穏に暮らしていたつもりだった。

改革の夜。確かに手紙に書かれていたように、パトス伯爵に全てを告白した。

だが、それは所詮、子供が街の、民の事を憂いて知り合いに救いを求めたに過ぎなかったのだ。

言ってしまえば正義感。優しさから来る行動だったはずなのに。


「そんな、嘘よ――わ、私は悪くないものっ!! 私はなんにも悪くないはずだわっ」


 やがて、恐怖は恐慌きょうこうへと繋がる。

ステビアは裸のまま崩れ落ちて、シーツに包まる。


「私、私、殺されたくないっ、死にたくないわっ! やっと幸せになれたのよ! お父様の死も乗り越えられて、領主として慣れてきて、あなたと結ばれて……これから楽しくなるんだって、そう思っていたのに!!」


 訳が解らない。理不尽すぎる。そんなの受け入れられない。

散々わめいた末に、ステビアは自分に襲い掛かってきた理不尽に、涙を流し黙りこくってしまった。

そんな恋人の姿を見て、赤髪のメイドは唇をキュッと噛み、そしてその肩を抱いた。


「大丈夫よステビア、貴方を殺させなんてしない。させるもんですか。まずは警備を増やしましょう。私も手伝うわ。きっと大丈夫」


 恋人の黒い髪を撫でてやりながら、赤髪のメイドは愛おしそうに、震える恋人の首筋に唇をつける。


「……アリサ」

「大丈夫。大丈夫だから――」


 やがて、落ち着きを取り戻したステビアの顎を優しく指先でなぞり、唇を重ねていた。





「ステビアが同性愛者だったというのは情報に無かったな」


 ラカンの宿の一室にて。

フィアーの代わりに目付けとして訪れたのだというルクレツィアに、クロウはぼそり、情報外の事実を突きつけていた。


「あら、言ってなかったかしら? ごめんなさいねぇ」


 だが、フィアーと違い、ルクレツィアは自分のミスだというのにさばさばと受け流し、気落ちする様子すらなかった。


「ステビアはね、幼少時に父親から虐待を受けていたの。母親が早くに亡くなっていて、父親に母の代わりを求められてね。だから、極度の男性不審。警備の兵士だって使用人だって、他所の館では考えられないくらいに女が多いはずよ」


 珍しいでしょ、と、何が楽しいのかにやにや笑っている。


「……黒い髪と赤い髪、どっちがステビアなんだ? それも確認するつもりで侵入したのに、一緒に寝ていたからどちらなのかが解らなかったぞ」

「黒髪の方よ。暗いなら顔まではあんまり解らなかったかもしれないけど、目元に泣きボクロがあってね。中々の美人さんなのよ」


 もったいないわよねぇ、と、手に持ったセンスを広げ、ひらひらと扇ぎだす。


「私ならあの美貌と金があったら、気に入った男をまとめて子飼いにして毎日やらしーことして暮らしたでしょうに」

「……あんたの趣味の話は聞くつもりはないが。とりあえず、このまま計画通りに今夜、ステビアを殺せば良いのだな?」

「ええ。それでよろしくてよ」


 何も問題ないわ、と、センスをぱちりと閉じ、ベッドに腰掛けるクロウの隣へと座る。


「ところで、ねえ貴方。どこかで会った事は無いかしら?」


 そうして、誘うような目つきになって、クロウの耳元を舐めるようにしてささやきかける。

顔だちはともかくとして男の情欲をそそる妖艶な仕草であったが、クロウは意にも介さない。


「知らんな。私に元娼婦の知り合いなどいない」


 貴族の妻ではあるが、ルクレツィアの出地についてはフィアーからある程度聞いてもいた。

また、それとは別に以前にも同じ事を問われたが、クロウは一貫してそれを否定する。


「あら、私、ずっと娼婦をしていたわけではないわ。十八の頃からお客を取ってたけど、その頃はまだ教会裏の修道院で暮らしてたわ。あの娘と一緒によ? でも、その前は――」

「あんたの過去には興味なんてない。私は仕事でここにいるのだ。もしあんたの知り合いに顔が似ているのだとしたら、そいつはきっと、暗殺者なんて生業には身を置くまいさ」


 迫るように胸元に手を向けようとしていたルクレツィアを、クロウは身をよじって避け、立ち上がって離れる。

そうしてまた、壁へと背を向け寄りかかるのだ。いつものように。


「……つれない男ね。誰に対してもそうなの?」

「誰に対してもこうだ。クロウを名乗る以上は、な」

「そう。あんたはきっと、その役に徹し続けるつもりなのね」


 残念だわ、と、さほど残念でもなさそうに、ルクレツィアは笑う。

口元をゆがめながらの笑顔。どこかフィアーに似たような、そんな顔がそこにはあった。


「ま、私は姉様・・みたいに美人じゃないからねー。その態度も仕方ないといえば仕方ないわね」


 年増になっちゃったし、と、どこか自嘲混じりな言葉を残しながら。

ルクレツィアはそのまま立ち上がり、ドアへと歩き出す。


「それじゃ、またね、おにいさん?」


 そうして、まるで昨日のフィアーのように満面の笑みを見せ、去っていった。


「……なんなんだ、一体」


 その笑顔に、一体何があるというのか。

ずっと鉄面皮を通していたクロウであったが、最後のソレだけが理解できず、唸ってしまっていた。





 再度の館への侵入は、歴戦の暗殺者であるクロウにとって、さほど難しいものではなかった。

確かに外周部も含め、警備・巡廻の数は増えた。

それどころか、使用人までもが総出で館のあちらこちらに立ち、番をしている始末。

手紙に慌て、臨時で警備でも雇ってくれればそれに付け入る事もできたのだろうが、それをするほどにはステビアという領主は愚かではないらしく、身内のみで防備を固めるという念の入れようにはクロウも感心させられた。


 だが、条件には不必要な殺害をしてはいけないとも言われていなかったし、館へのダメージを最小限に抑える必要も無かった。

この為、彼が今回った手段は付け火である。

油をよく浸した松明に火をつけ、四本ほど、館の全く別の方角へと投げ入れていった。

館の周りには草陰や木々が多く、これがよく燃えた。

風が大人しい夜である。

館そのものには火が回る事はないだろうが、深夜によく映える白い煙は、警備の眼を惹き付け、館内を混乱させるには十分すぎるブラフとなった。



 そうして、クロウは今、館へと忍び込んでいた。

単独行動していた警備兵を昏倒させて奪った衣服を身に纏い、露出させたままのショートソードを右手に、悠々と館内を進む。

すれ違う使用人などもこのいでたちの相手を見て性別までは判別がつかなかったのか、「お疲れ様」などとねぎらいの声までかけてくる始末である。

時間的に「ステビアはまた寝所にいるのだろう」とあたり・・・をつけ、クロウは人気のなくなった扉の前に立った。


 扉を開けると、黒髪の女が一人、流石に昨日とは違うのか、白いルームドレスを纏い、立っていた。

突然現れた男を前に、驚いたように頬を引き締める黒髪の女。


「あんたがステビアか。すまないが、これで仕舞いだ」


 あまり感情も無く、クロウはつかつかと近づいてゆく。


「……貴方が暗殺ギルドの。よくもこんな、容易く入り込めたものです」


 一人追い詰められても尚、女は気の強そうな赤い瞳をクロウへと向けていた。

恐れる風も無い。なるほど、女領主らしい、負けん気の強さが感じられた。

同時に「これは何かありそうだな」とも。

これだけの警戒網、人を呼べばすぐにでも駆けつけるだろうに大騒ぎしないのだ。

不審感を抱くには充分であった。


「さらばだ。せめて、よき次の――」

「――今よっ!!」


 いつもどおり、慈悲を向けてからの仕事という段になり。

案の定、ステビアは一歩退き、叫んだ。


 ステビアの声に反応し、クローゼットの中やベッドの下、天井裏などから、あわせて五人もの警備兵が現れる。

いずれも得物を手に、ステビアを護るように、そしてクロウを囲むように立ち、睨みつけていた。


「お仕舞いなのは貴方の方だったようね。暗殺者さん?」

「――まあ、これくらいは想像していたさ」


 周囲から刃を突きつけられて尚、クロウは動揺する気配すら見せず、冷ややかな目でステビアを見ていた。

ショートソードを握っていた手を離す。だが、もう片方、左手は後ろ手にしたまま握っていた。

がしゃん、という剣の落ちる音に思わず反応してしまう警備兵達。

その一瞬さえあれば、クロウには十分だった。


「相応の備えはしてある!!」


 握った手を振り上げ一気に掌の中のモノを上へとばら撒く。

咄嗟の動きに視界が上に集まっていたのをいい事に、クロウは身を屈ませ、とっさの突き刺しを回避しながら口元を手で覆う。


「なっ、なんだ――あぁっ」

「うぎっ、目、目がっ!?」

「ひぎぃっ! い、痛いっ、目がっ、目が痛いようっ」


 視線を上に向けてしまった私兵たちは、飛び散った黒い粉をまともに浴び、眼を潰されてしまう。

悶絶もんぜつし、悲鳴を挙げながら手足をばたつかせ、溢れ出る涙と鼻水、涎を零しながらに転げまわっていた。

フィアーから教わった異国の武器、『胡椒袋』は、なるほど確かに強力であった。


「くそっ、おのれっ――」


 とっさに口元を覆う事ができた者は少数であったが、それでも流石と言うべきか、クロウの動きに反応し、ショートソードを振るって襲い掛かった。

だが、二名である。クロウの相手をするには、いささか少なすぎた。

そしてその練度もさほどではない。


――楽な相手だな。


 口元がにやつくのを抑えもせず、クロウはダガーを取り出し、私兵を葬った。



「そ、そんな――」


 気がつけば、その場の兵士全員が命を絶たれていた。

信じられない事であるかのように、ステビアは唖然としていたが。

クロウは何事もなかったかのように、その刃についた血を振るい落とし、ステビアへと向けていた。


「兵が少なすぎたようだな。今から誰ぞかに助けを求めても間に合うまい。これで、仕舞いだ」


 慈悲の時間は終わりである。後はただ、その美しくもか細い喉を切り裂くのみ。


「くっ――や、やれるものならやってみなさい! 私はラカン伯ステビア!! 例え終わりの時といえど、その尊厳を失ったりはしない!!」


 気丈にクロウを睨みつけながら、ステビアははっきりとそう告げた。

その覚悟の重さ。領主らしくあろうとする姿勢に、クロウも思うところあって胸を打たれそうになっていたが。


「……」


 だが。クロウはここで、またもや『何かがおかしい』と感じていた。

黒髪の女領主は、確かにそう言われればとても領主らしい、美しい女だった。

誰に聞いてもそこは否定すまい。だが。


『暗いなら顔まではあんまり解らなかったかもしれないけど、目元に泣きボクロがあってね。中々の美人さんなのよ』


 宿の一室。ルクレツィアから聞いた話。それが本当ならば。

この、目の前で気丈に立つステビアは、果たして、本物だろうか?

そんな疑念が、クロウの動きを止めていた。


「――なっ」


 そうして、クロウは背を向け、歩き出した。

ここにはステビアはいない。では、ステビアはどこにいるのか。

探す必要があった。探す必要が。


「ちょっと、待ちなさい、どこに――」


 部屋を出る。勝手に追いすがってくるステビアの顔をした誰か。

彼女が本当にステビアだったのなら、わざわざ自分から遠ざかった暗殺者を追いかけたりはしないだろう。

クロウは嗤った。「ああ、そうか」と。

黒髪が自分の前にいるのだ。なら、赤髪を捜せば良いんじゃないか、と。

赤髪はメイドをしているとルクレツィアから聞いていた。

それを探せば良いのだ。


 追いすがる黒髪の女を無視しながら、クロウは館を歩き回る。

邪魔をする警備兵を殺した。一顧だにしない。

探して探して探して。


――そうして、厨房に、赤髪のメイドが居た。


「あっ、ああっ!? なんで――」


 クロウの姿に、蒼白となった顔を見せながら震えていた。

たった一人である。

他の使用人が要所要所で警備兵の真似事をしていたのに、このメイドだけが、こんなところで。


「さようならだ、ステビア」


 手に持ったショートソードを掲げながら。クロウは、ショートソードを振り降ろした。


 ぐしゃ、という血の音。肉が切れ、小柄なメイド服の女は崩れ落ちる。


「あっ――あ……」


 信じられない、とでも言うかのように眼を剥いて倒れる女。

ぱさりと、その頭から赤毛のウィッグがずれ落ち、黒髪が露となった。


「あんたは、あんまり領主らしくないな」


 呆れの言葉を残しながら、クロウは動かなくなったステビアに背を向ける。


「……ステ、ビア」


 そこには、泣き崩れる黒髪の女。ステビアの恋人だという、メイドの姿であった。

愛する恋人の最期を見てしまったのだろう。目を見開き、肩を震わせていた。

そうかと思えば、クロウの横を素通りし、恋ごとの元へと駆け付ける。

既に動かなくなったステビアを前に、「ああ」とひときわ大きく悲哀の声を漏らし。


「ごめんね、ステビア――守れなかった。私、す、すぐに、後を――」


 それからメイドは、スカートをめくり、太ももに下げていたナイフを取り出し――震える手で、自分の胸へと突き刺した。

愛する恋人を前に、その後追いをしたのだ。


「……」


 だが、クロウは顧みる事はしない。メイドには用は無い。目標は、果たしたのだから。

若干嫌な気持ちになりはしたが、仕事である。これが、彼の仕事であった。




 こうして、ラカン伯ステビアは暗殺ギルドの手によって殺害され、その事件は、大々的に各地に広まる事となった。

暗殺ギルドによる、地方領主の殺害という大きすぎる事件は、世間を大いににぎわせた。


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