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#26.動き出す騎士団

 先代国王の時代。

戦争終結間際から終戦直後の混乱期までの間、内政や外交など国家の政務の多くは、一人の宰相さいしょうの手に委ねられていた。

各部署をまとめる大臣や長官、騎士団長などを手の内に置き、様々な政策を打ち出し、国家の安定を築き上げたその男の名は『バレンシア=セプティム』。

多才な人物で文武両道。社交の場では参加者を笑わせる事が得意な、ジョークの上手い男だったと言われている。

王家からの信頼も厚く、情にもあつい性分だったため、常に国民を慮る事の出来る、名宰相だとうたわれた時代もあった。


 だが、バレンシアはある時道を誤り、国賊として王に刃を向けてしまう。

狂乱が支配する『改革』の夜。

近衛騎士ガイスト、御用商人ベイカーらと共に、国王ベルドに対し反旗を翻そうとしたのだ。

元々、改革の主導者ガイストとは、かねてより彼の愛娘であるエリスティアと恋仲だった事もあり、関係が良好であった。

また、ベイカーとは王城内部で度々顔を合わせ、互いに便宜べんぎを図る間柄であった為、彼の息子ともども繋がりは深かったと言われている。

このように、家族ぐるみ、一族の多くが関わって改革は大きくなってゆき、その影響を恐れた国王は商人ギルドに助けを求める事となる。


 その後、国王の要請に乗る形で商人ギルドはこの一件に介入。

時を同じくして改革に同調していた第一王子リヒターが考えを改め、国王側に付く事によって全ての形勢は逆転していく。

国中の治安維持部隊によって捕らえられてゆく改革参加者の中に、バレンシアの姿もあった。



 結果的に見れば、彼のした事はただ国を混乱させただけ、経済を麻痺させようとした逆賊的行為であり、許されざる国家反逆であった。

国王を除き、誰よりも重い地位に立っていたはずの彼は、真っ先に処刑台にさらされる事を国王に指名され、その人生を終えた。

当然、彼の一族はほぼ全員が捕らえられ、彼と同じ末路を辿ったのだが。

最期に処刑されたエリスティアが死刑執行の直前に産んだ娘ばかりは、第一王子リヒターの必死の懇願こんがんもあり『生まれた子供には罪はない』として、修道院に預けられる事となった。


 この、バレンシアの孫娘には名も与えられず、ただの孤児として物心つくまで育てられたのだが、七歳になったある日、突如として姿を消し、それ以降消息は不明となっている。


 バレンシアは、かつては商人ギルド主宰であったマドリス=ヘルマンとも交友があり、若かりし日は共に勉学や研鑽けんさんに励んだ仲だったと言われている。

その彼が、何故晩年になってこのように商人ギルドに対して敵対姿勢をとったのかは、謎が多い。

改革派が訴えていた事のほとんどは、近年においてはおおよそ的外れな、先行きが悪くなるばかりの主張であり、バレンシアがそれについて何も気づいていなかったと考えるのは無理がある。

解った上で参加していたのか、あるいは何がしか脅迫され、やむなくそうしていたのか。

当事、改革に参加していたほぼ全員が処刑された今となっては、わかることはあまりにも少ない。





「……やっぱ、残ってる所には残ってるもんだなあ」


 王都の騎士団本部に戻った騎士団長レイバーは、部下より集められた『改革』の資料に目を通していた。

改革に参加した前国王時代の宰相バレンシアについてのものであったが、読み進めていくにつれ、面白げに口元を歪めていた。


「俺ぁこの当事、辺境での放蕩ほうとう三昧で他人の女と寝たり博打に精を出したりで、ロクな生き方をしちゃいなかったが……そんな中、こんなでけぇ事件が起きてたんだなあ」


 全く知らなかったぜ、と、苦笑ながらにひらひらと揺らす。


「しかし団長、何故今更改革の資料を? 当時の事は、情報として残すことはかなり難しく、記憶している者も多くはありません。関わったら地位の貴賎きせんに限らず処刑されましたからな」


 傍に控える副団長は、あまり面白くない様子で団長を見つめていた。

当時の蒸し返しにも思える団長のこの行為が、どうにも面白くないらしい。

それも解った上で、団長は彼の視線を無視する。


「ま、覚えてる、なんて人の耳に入れば、いつ牢屋にぶち込まれるか解ったもんじゃねぇ。となればな」


 保身が為忘れようと努力し、歴史の上でもなかったこととして扱われるのは、このような徹底した情報統制と厳罰化があったからに違いない、と、小さく頷きながら次の資料へと目を通す。


 部下が集めた資料の多くは、当時の事を記し|焚書(ふんしょ)処分とされた歴史書だったが、その中には高名な歴史家が書いた真面目なものもあれば、あくまで当時の出来事をゴシップ風にまとめただけのものもあり、必ずしも当時を正確に記したものとはいいがたい。

だが、事実かどうか定かであるかなど関係なしに、改革に関わる物事を記した時点でそれらは闇へと葬られた。


 今彼の手元にあるのは、著者や関係者が闇の中埋もれるのを惜しんで隠したものや、混乱期のどさくさに紛れて消失されたという事になっていたものばかり。

そういったていでなくては残す事すらできないほどに、当時、『改革』は王国にとってアレルギーとなっていたのだ。

それを見ただけで、当時の王国がいかに事後処理に腐心していたのかがうかがえるというものだった。


「最近、暗殺ギルドの手によって殺されたと思しき者達のリストを見ていてな、妙にその、改革の時代に関係してた人物が多い気がすると、ゲイザーの奴に指摘されたのだ」

「なんと、ゲイザーめが……」


 再び真面目な顔になり、説明を始める団長。

部下の名前が挙がり、副団長はその顎髭あごひげの壮年を思い浮かべる。


 質実剛健。多く目立つことはないが、影の中に埋もれながら着実に功績を上げる、そんな男であった。

三人いる隊長の中でも最古参で、団長自身、その経験豊富な捜査手腕には一定の信頼を置いている。

そして、その事実が、同じく古参である副団長にとってはあまり面白くないモノであった。


「奴はお前ぇと同じで改革が起こった当時からこの騎士団に所属していたらしいしな。数少ない『当時を知る人物』という訳だ」

「我ら騎士団は国王派でした故、改革に参加した者共を捕らえる側でしたが、な」


 ゲイザーがそれを今語った事そのものがどうにも腹立たしくなり、難しい顔で団長の手にある資料を睨む。


「しかし、そう言われて見れば確かに。元処刑人も、元王族も、かつて改革に参加した者達にとっては敵にしか映らなかったでしょうし」


 ただ、事実ゲイザーの指摘が的を射ていた為、否定まではできなかった。

鼻下に立派に蓄えられた髭を指で撫でながら、「ううむ」と、深くため息する。


「……そうなりますと、当事の残党が残っていると、団長はお考えなのですか?」

「ああ、残党かどうかは解らねぇがな。もしかしたら、悪霊の類かもしれねぇ」


 既に改革派の関係者の多くは処刑されているのだ。

たかが十数年前とはいえ、当時を知る者も限られてくる。

少なくとも当事の国王派についていた者達は、この事件を蒸し返す事を良しとはしていない。

目の前のこの副団長を見ているだけで、そんな確信を抱いていた。

そして、皆が忘れたがっているはずの事を、わざわざ思い出させんと当事の関係者の生き残りを殺していっているように、団長には感じられた。


「悪霊とはまた。対魔師エクソシストでも呼びますかな?」

「ははっ、お前ぇにしては気が利いてるじゃねぇか。だが、どうやらこれは俺達の仕事のようだ」


 珍しく茶化して返すこの老騎士に笑って返しながら、「悪霊にりつかれるなよ」と、団長はにやり、口元を歪める。


「……難儀しそうですなあ」


 副団長はというと、先行きの怪しさからか、ため息ばかりが出てしまっていた。

勿論その中には幾分、蒸し返されたくない事が蒸し返される事の懸念もあり。

その視線の先には、自分の思惑とは関係なしにどんどんと先に進もうとする、この危険極まりない騎士団長があった。





「早く言わんかぁ!! 貴様の教団が、何故あの二人を付けねらうのか!?」

「ぎひぃっ!」


 本部の地下では、先日の襲撃の際、一人だけ命を取りとめた男が尋問を受けていた。

屈強な騎士達に囲まれ、代わる代わる休む間もなく続く尋罰じんばつ

壁に頭を打ちつけ気絶していた彼にとって、目をました後のこの時間は、死以上に酷い生き地獄であった。


「貴様らの教義はなんだ!? 誰に指図を受けていた!! 言え、言うのだぁっ!!」


 よくなめされたバッツァの枝を振るい、晒された背に叩きつける。


「ぎゃぁっ!? や、やめっ」


 ビシャリと小気味の良い音が室内に響き渡り、男は激痛の中涙を流し許しを請う。

背筋に鮮明な跡が新たに増え、にじんだように染み出た赤が渇く間もなく、傷口が広がってゆく。

だが、そんな惨状が見えていないとばかりに、騎士達の責めは止む事がなかった。


「話す気がないらしいな」

「構わんさ。どうせ大した情報が得られるとも思ってない。このまま何も話さないなら、この後はむち打ち百叩き、それでもだめなら石抱きに水責め、焼きごて爪剥ぎ股裂きと続くだけよ!」


 元々、騎士を襲い自警団施設を襲撃した外国人犯罪者なのだ。

そのまま殺してしまっても構うまいというくらいのつもりで、過度の尋問は続けられる。


「やめてくれっ、もうやめっ――あっ!?」


 百叩きと聞き、男の顔は完全に怯えの色に染まっていた。

絶叫するも、騎士達は表情すら変えず、最早何も聞かずに叩きのめす。


「ぐひっ! やっ、やっ――あぎゃぁっ!? ゆ、ゆるひっ、もうっ、もう――っ」


 理性が完全に飛ぶ瞬間だったのだろう。

過呼吸気味に言葉を詰まらせながら、失禁ながらに声を大にして叫んだ。


「ふん、馬鹿な奴だ。聞いてることに答えればこんな痛い目にあわずに済むのにな」

「ああ、すぐにでも開放してやるのにな。抵抗しても死ぬまで続くだけなのに、フライツペルの男というのはこんなバカばかりなのかね?」


 沈黙のまま拷問が続く中、ぽそり、騎士達がわざと男に聞こえるような声で話していた。


「――! わ、解った、話す、話すからやめてくれっ!! なんでも話すからっ、なんでもっ、ああっ!!」


 男の絶叫さながらな声を聞き、最期にバシリと尻に向け強く打ち込み、尋問していた騎士がその手を止める。


「では、また最初からやり直そうか」


 それは、今までとは全く違うにこやかな、人のよさそうな笑顔であった。


「……あ、あああ……」


 それまでの激痛や騎士達の声、厳しい顔に覚えていた恐怖は、これによってようやく終わりを迎えたかに思えた。

少なくとも彼はそう感じ、安堵の末に涙を流し、痛みすら忘れて感激しそうになっていた。

そう、最初から話せばよかったのだ。

かたくなに口をつぐんだ自分がバカだったのだ、と、そう思いこんでしまっていた。

それがこの騎士達の常套じょうとう手段だなどと知りもせずに。


 無論、彼らとて近年では誰にでもこのような恐ろしい事をしている訳でもない。

ただ、明確にシルビアや自警団の者達に攻撃をしてきた事から、少なくとも有情うじょうの余地はあるまいと、騎士達はそう考えていたのだ。

そういった者には、罰も含めて徹底した尋問が続けられる。

わずかでも口をつぐんだり迷いを見せたなら、また同じように痛みによって後悔を与えるところから始められる。

もし彼が捕まったのが衛兵隊や王宮近衛隊だったなら、ここまで苛烈かれつな苦痛に見舞われることもなかったのだが。

戦時中、王国軍の主翼を担っていた騎士団は、その辺り全く容赦のない組織であった。





「――センカから聞いた話と、捕らえた男――リデルと名乗っていましたが、彼の話をまとめる限り、くだんのカルトの独断というよりは、何らか、大きな別の組織からの依頼であの二人を付け狙っていた、という見方が正しいように感じられますわ」


 尋問の結果を報告しにきたシルビアは、団長と相向かって、報告書を手渡す。


「なるほどなあ。しかし、その下っ端二人は何故ベルクとエリーが教団によって狙われていたのかは知らない、と」

「はい。これに関してはリデルをいくら尋問しても首を振るばかりでしたので、恐らく本当に何も知らないものと」


 これ以上の尋問は無意味ですわ、と、シルビアは眉を八の字に下げる。


 正直、リデルに関しては同情が無い訳ではなかった。

自分とセンカを襲った悪漢ではあるが、だからとあそこまでむごい仕打ちをする必要があるのか、はなはだ疑問だったのだ。

そういう意味ではこのシルビアは、騎士団においても古臭い慣習に毒されていない、新しい価値観を持った騎士であると言えた。


「……二人を見失っちまった以上、しばらくはこっちの教団を中心に調べるほうが良いかもしれんなあ」

「フライツペルとの関係はあまり良好とは言えませんし、上を通しても実のある答えは返ってこなさそうですが……」


 教団が国内にあるのなら、向こうから攻撃してきた手前、騎士団の特権でいくらでも調査・場合によっては叩き潰す事すら可能だが、これが他国にあると言うならばその限りではない。

迂闊うかつに踏み込みすぎればその国によって内政干渉を訴えられたり、最悪国際問題となり戦争に発展しかねない。

それでも友好国ならある程度融通は利こうが、よりにもよって関係のよろしくないフライツペルである。


「ううむ……参ったもんだぜ。暗殺ギルドに関しての調査も大変そうだが、こっちも骨が折れそうだ」


 団長殿も唸るばかりであった。何せ、目の前には難解な問題が積み重なりすぎている。

そしてそのどれもが、まるでパズルのように所々で関わりあっていて、切り離して考えることが難しくなっていた。





「失礼します。センカを連れて参りました」


 声と共に部屋のドアが開かれ、センカとハインズの二人が部屋に入ってくる。


「ご苦労。改めて、お嬢ちゃんの協力にゃ感謝するぜ。結果として、シルビアも助けられたらしいし、な」

「は、はい。どうも……」


 椅子に踏ん反り返りながらではあるが、感じのい様子で笑いかける騎士団長に、センカも緊張を緩め、静かに微笑みを見せていた。


そっち・・・の事情はシルビアから聞いてるから解ってるつもりだが、お前ぇ、これからどうするつもりだ? 国に戻っても、無事に姉ちゃんと会えるとは限らないんだろう?」


 この娘自身、シルビア達を襲った為犯罪者扱いされかねなかったのだが、団長的に、彼女の背景を考えると「それはあんまりにもあんまりだ」という事で、知っている事を素直に話したこと、襲撃された際にシルビアと共に戦ったことなどを酌量しゃくりょうの根拠とし、解放する腹積もりであった。


「……教団から、姉さんを取り返したいの」


 やや迷ってからそう答えるセンカに、団長は身を乗り出してセンカに顔を寄せる。


「一人で行くと、死ぬぞ?」


 誰も助けられねぇ、と、シルビアらが驚く中、はっきりと断言してみせた。


「で、でも――それしかっ」


 当然、センカも唖然としてしまったが、やがて眼を見開き、必死になって反論しようとした。

団長はというと、そんなセンカの様子を気にも留めず、また椅子に座りなおして踏ん反り返る。


「教団の規模が、お嬢ちゃんの話してくれた通りに街いくつかを動かせる程度だって言うなら、人間一人の力でどうにかできるもんじゃねえ。国を味方につけたり、少なくとも何らかの対抗できる組織に身を置くべきだ」


 これは、大人の視点であった。当事者から一歩離れた、冷静なものの見方であった。


「そんなの……私、ただの街娘だし。姉さんだって、教団に捕まってるようなものだし……」


 どうしたら、と、困惑と絶望に支配されそうになり、涙ぐんでしまうセンカ。


「センカ……」


 心配そうに顔を見つめながら、しかし、それ以上は何も出来ないシルビアは、ふがいない自分に歯を噛んでいた。

本来は、こういう、窮地に追い詰められた娘に救いの手を差し出すのが騎士団の仕事のはずなのに、それを見る事しかできないのだ。

異国の事とは言え、正義の組織がこんな事でいいのかと、そんな憤りもあった。

だが、肝心の団長殿は、何が楽しいのかにや、と笑みを見せていた。


「なあシルビアよ。例えばだが、俺達がフライツペルの教団に手を出したら、大問題になるよな?」

「えっ? ええ、それはもう、団長もご存知でしょうが、そんな事をすれば国家間の問題になりますし――最悪、戦争に発展するでしょうね」


 戦中から戦後の今に至るまで、長らく険悪な関係の続く隣国である。

恐らくは、わずかな問題が戦端へと発展していくに違いない、と、シルビアは困惑ながらに頬を引き締める。

それくらいの事は、当然、この団長も理解しているものと思っていたので、そんな質問がわざわざ・・・・飛んできたことが不思議でならなかったのだ。


「だが、ここでもし『フライツペルの人間が』フライツペルのカルトを潰したとしたら、これはどうだ? 国家間の問題になるか? 戦争に発展しちまうか?」

「それは……団長、まさか――」


 ここまで団長が語るに至り、ようやく彼の言う意図が理解できたシルビアは、眼を見開き机にバン、と手の平を叩き付けた。


「おやめくださいまし団長、それは――あまりにも危険ですわ!!」

「だが、真実は見えてくるぜ。何より、そこのお嬢ちゃんの目的も果たせる。国としたって、対処に困る異国のカルトが流入してくる恐れが消え去る。そう悪い事ばかりじゃねぇな?」


 ちっとばかし面倒だが、と、団長は悪戯げに笑った。


「……? どういう意味?」


 当のセンカはというと、二人が何故言い合っているのか解らず、ハインズの顔を見ていた。


「え、えーっと……なんて説明したものかなあ」


 一応意味は飲み込めたハインズであったが、それを解り易く噛み砕くのは難しいらしく、頬をぽりぽり掻きながら苦笑いするばかりであった。





「いやあ、平和だなあ。国家安泰、やっぱ平和が一番だぜ」


 そうして一週間経った昼頃。

フライツペルとの国境へと続く街道を、馬車で往く四人組が居た。


「……ほんと、この国は平和だわ。平和って素敵」


 一人はセンカ。ローブ姿にフードを眼深に被り、顔がはっきりと見えないように気を払っていた。


「……はぁ」


 その隣で悩ましげにため息を吐いていたのはシルビア。

普段の凛々しい女騎士の姿ではなく、ぱっと見た感じは村娘風の、やけに胸元が強調された民族衣装を着ていた。

膝を抱えながら「なんでこんなことに?」と、戸惑いばかりを色濃く見せている。


「どうしたシルビア。お前ぇがそんな顔してるなんてよ。街に恋人の一人も置いてきたか?」


 そしてそれをからかっていたのは、他でもない騎士団長であった。

普段のいかめしい姿ではなく、そこらの酒場にいるほうが似合ってそうな放蕩無頼ほうとうぶらいの出で立ちで、腰に差す剣もあまり質の良くない、ただ長いだけの長差しであった。

ご丁寧に、わざわざ顎髭も手入れせず、無精のままに伸ばしている。


「……恋人なんて。欲しくてもそんな殿方と出会える機会がございませんわ」


 団長のからかいに、シルビアは抗議めいた視線で睨みながらぐんにゃりしていた。

上司の前であってもこれである。よほど触れて欲しくない話題だったらしいが、団長は気にしない。


「ははは、お前ぇはちっとばかし職務熱心すぎるからな。少しくらい遊んだほうが良いのだ。色っぽい格好の一つもして酒場でミルクでも頼んでみろ、お前の相手をしたいって男なんざ、腐るほど寄ってくるぞ?」

「――そういった相手を探してる訳ではありませんっ! 私は、ただ、将来をえての真剣なお付き合いが出来る殿方とですね……」

「それがいけねぇわさ。堅い女ってのはどうもそこら辺、何かする前から生真面目に考えすぎちまってる。男と女なんざ、そんなはっきりと区分けができるもんじゃねぇんだ。なんとなしにそう・・なってる間に、好いて好かれて、良くなっちまうもんなんだよ」

「……それは、ですが……っ」


 もっと経験する事だ、と、団長は笑うが。

シルビアは言い伏せられて尚、納得が行かないのか、ジト眼で団長を睨んでいた。


「団長、シルビア隊長は真面目な方なのですよ。男女の間柄をそれだけ真剣に考えてらっしゃるのです」


 御者ぎょしゃとして馬車を進めるこの四人目は、ハインズであった。

ぱっと見は団長同様胡乱うろんな出で立ちの若者と言った感じで、とても騎士には見えない。

そんな彼は、手綱たづなを握って街道を見やりながらに、そのままの姿勢で団長に苦言を呈していた。


「んん? おお、そうなのか。そりゃすまなかったな」

「ハインズ……ありがとう」


 一本取られたとばかりに膝をぽん、と打つ団長と、部下の言葉に感激した様子のシルビア。

どうにも困った組み合わせだと、ハインズは苦笑ながらに正面を見ていた。


 人の往来は乏しいが、それなりに平和な旅路であった。

これが戦争終結直後の頃ならばこうは行かず、護衛もなしに馬車が走ればたちまち賊の餌食となってしまう所であり。

そう考えるに、今の時代は随分平和なのだなと、まだ年若い彼は自然、頬を緩めていた。


「ですが団長、いくら身分を隠すためとは言え、『女衒ぜげんとそれに買われた村娘」という設定はどうにかなりませんか? その、この格好も、胸元が窮屈ですし……」


 苦しいですわ、と、シルビアは強調された胸元を撫でながらに抗議めいた視線を団長に向けていた。


「そう言うなよ。変に金持ちを装えば関を通る際に無駄に金を要求されちまう。だからって、旅人を装うにしたって、皆が皆、年齢がバラバラじゃ、な」


 センカとハインズ・シルビアの年齢差も大きいが、当然ながらこの三人と団長との年齢差もかなり開いている。

特に困るのが団長の存在であり、これがなければ『旅の若夫婦とその娘』という設定でいけなくもないのだが、どうしても男二人というのは無理があったのだ。


「……団長が無理に来ると言い出さなければ、何の問題もなかったはずですわ」


 なんだってまた、と、迷惑げに眉を下げる。

未だに納得がいかないのだ。シルビアは、納得していないことだらけであった。


「言うな。俺だってな、あんまあの執務室に居たくないのだ。胸糞悪い事ばっか企んでる野郎も多いし、な。たまにはこうやって長旅をして、地方の美味い飯と地酒を飲みてぇ時だってある」

「団長、自由過ぎる」

「自由すぎますわ」

「もうちょっと立場というものを考えて欲しいですね」


 楽しげにうんうんと頷く団長であったが、それ以外の三人からは袋叩きであった。


「男は少しくらい自由な方が良いんだよ。その方が女にモテる」


 団長は全く悪びれる様子もなく、にかりと笑っていた。


「私は誠実な方の方が良いと思いますわ」

「私も真面目な人のほうがいいなあ」


 女性陣二人には団長の言う『かっこいい男像』は伝わらないらしかった。


「良かったなハインズ。お前ぇみたいな野郎の方が、この女達にはモテるらしいぜ?」


 参っちまったな、と、苦笑ながらに後ろ手に白髪混じりの頭をボリボリと掻きながら、団長は手綱を握るハインズに話を振っていた。


「いや、その……」


 ハインズもまた、この手の話題はあまり得意ではなく、突然振られたのもあって言葉に詰まってしまう。


「ハインズまでからかうのはやめてくださいまし。悪趣味ですわ、団長」


 これにはシルビアが間に入り、たしなめてくれていた。


「だがなシルビア。俺達ゃ今は『こういった』会話もできなきゃ困るんだぞ? 特にハインズ。お前ぇは人前ではちゃんと『ガラの悪い女衒』を演じろ。今のままでは、人が善すぎるからな」


 笑いながらに団長は「そんなんじゃ務まらねぇ」と、ぴしゃりと釘を刺す事も忘れなかった。

あくまでこれはお役目、仕事なのだ。

滑稽こっけいを装いつつも、実際には真面目に国の為、そして同道させているセンカの為を考えての旅路である。


「それは心得ていますわ。ですが団長、よろしいのですか? 後を副団長に押し付けて、このような――」

「構う事ぁあるもんか。それにな、あの爺には少しばかし仕事をさせた方が良い。じゃねぇと、ボケちまうからな」


 ボケは怖いぜ、と、にやり笑いながら。団長殿は視線を街道へと向けた。


「なぁに、そんなに時を掛けるつもりはねぇよ。フライツペルの酒を愉しむついでだ、ついで。はははっ」


 そんな大した事はあるまい、と、酒を楽しみに笑う団長に、シルビアらは妙な疲労感を感じながらも、同時に心強さも感じており。

そうして始まった旅路は、もう間も無く国境かという辺りに差し迫っていた。

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