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#22.さらわれた『エリー』(前)

 血のように赤い夜。

赤に染まった袋小路ふくろこうじに、三つの肉片が転がっていた。

本体から切り離され、不細工なぬいぐるみのような形状になった肉の塊を見やりながら、赤いロングコートの男が一人、ぐちゃりと踏みつける。


「……ひ」


 そうしてぬめった肉の感触ににやにやといやらしい笑いを浮かべながら、手に持ったナイフを嘗め回す。

歪な形の舌が、刃先の赤を舐め取り、見開かれた眼が恍惚に細まってゆく。


「ひひひひひひっ! 思わぬ収穫って奴だなあ。いやあ、人間やっぱり、真面目にお仕事してるといい事あるわぁ」


 陰惨な場に不似合いな陽気な笑い声をあげ、男はその場を後にした。




 沈黙の夜はやがて喧騒の朝となり、数多くの野次馬が集まる惨殺現場となった。

転がされたままの死体には駆けつけた騎士団員によって布が被せられたが、このような惨たらしい殺しはそうそうなく。

死体を見慣れているはずの彼らをして「むごすぎる」と口走ってしまうほどであった。





「怖い事もあったもんだよなあ」

「本当にそうです。おちおち夜道を歩けません」


 昼食時。早速その日のニュースをネタに現れたロッキー。

丁度エリーが来ていた事もあり、珍しい事ながら三人で食事をしながら話を聞く事となったのだ。


「だがロッキー。その殺された三人っていうのは、何か関わりがある人達だったのか? 男ばかりなんだろう?」


 スプーンですくったスープをすすりながら、ベルクがロッキーの顔を見る。


「その辺はちょっとわかんねぇなあ。なんたって詳しいところは騎士団が調べてる最中だろうし」


 エリーの持ってきたパンを雑にかじりながら、ロッキーは続ける。

元々はロッキーが持ち込んだ話題なのだが、彼が知っているのはあくまでゴシップレベルの噂話止まり。

なのでその口から出るのは、あくまでロッキーの私見に限られる。


「ただ一つだけ言えるのは、殺された人達は皆抵抗しようとしたのか、手にナイフだのショートソードだのを持ってた辺りかな。不意打ちで殺されたっていうよりは、正面から挑んで負けて殺されたっていう方が正しいのかもな」

「名推理だな。ゴシップの記事に投稿してみれば売れるんじゃないか?」


 聞きながらに、確かにそんな気もしてくるのを感じながら笑い飛ばす。

ベルクとしては・・・・・・・、こんな事件は何の関わりもない瑣末さまつな事件でなくてはならないのだ。

ロッキーの推理など所詮たわごと。本気で聞くのは間違っているのだ、と。

だが、当の本人はベルクの言葉に殊更明るい顔になり、考えるように顎に手をやっていた。


「ベルクさんのお墨付きなら案外本当に売れるかもな。ロッキー新聞でも開設してみるか!?」

「ははは、調子に乗るなよ」

「ふふ――」


 相変わらずのお調子者っぷりであった。

ベルクもエリーもそれを和やかに笑いながら、食卓は進む。





「それでは、これで失礼しますね。お兄さん、また来ますから」

「ああ、気をつけてな」


 夕暮れ時。エリーは一人、恋人の家から出る。

ロッキーは昼食後すぐに気を利かせていなくなり、美形ながらもあまり稼ぐ気のない恋人との熱い昼下がりが今、終わった。

……という形でニコニコしながら帰るのだ。

お気に入りの水色の髪留めが、髪と一緒に風に揺れていた。


「あら、エリーちゃん。今帰りかい?」

「はい。ほんとはもうちょっと居たかったんですけど、今日は帰らなくちゃいけないので――」

「あらあら。エリーちゃんみたいに可愛い娘さんにこうまで通わせて、ベルクさんも罪な男だねえ」

「パンも美味しいし、エリーちゃんいいお嫁さんになるよぉ」

「あたしも若い頃はエリーちゃんみたいに旦那のところに通いつめたもんだわぁ」


 彼女がにこやかあに歩いていると、雑談をしている奥様方の一団と出くわす事もままあるのだ。

近隣の方なので互いに顔見知り。エリーは微笑を崩さず楚々そそとしてその場を切り抜ける。

何せ足を止めれば終わりのない井戸端会議である。

暗くなりそうな時刻なのもあって、奥様方もそんなエリーに悪い印象を抱く事もなかった。

何せ、よくできた看板娘、よくできた通い妻として近隣では評判なのだから。



「……」


 家に向かってゆったりと歩くエリー。

その背後に、かつ、かつ、と、わざと聞こえるように、ブーツの音が響くようになったのはいつからか。


「……」


 気づく風もなく歩いていたエリーだったが、いくつかの角を曲がり、やがて辺りから人気がなくなった辺りでぴたりと足を止め、ブーツの音に振り向く。


「ようやく気づいたか。いや、正面から見ると綺麗なお嬢さんだな。ちょっと童顔だけど、結構好みかも?」


 遊び人風の男が一人。にやけた口元を隠しもせず、エリーとの距離を詰めようとしていた。


「――どちら様でしょう? 私に何か?」


 若干怯えを見せながら後じさる。しかし、そんな様に男は「たまらない」とばかりに口元を更に歪めるのだ。


「俺かい? 俺はベルク君のお友達だよ。君は彼の恋人なんだって? 良かったらもっと聞かせて欲しいなあ、彼の事」


明らかに矛盾した物言いに、エリーは眉をひそめる。


「ベルクさんの? 失礼ですけど、ベルクさんからはそんな事聞いた事がないです」


 そもそものところ『本当の彼女』はその真偽が解っているはずであり、そんな戯言に付き合うのは、あくまでこの男の正体を知りたいが故であった。

なので、エリーはこの場において、殺気も何も出さぬただの街娘。非力なパン屋の娘に過ぎなかった。


「知らないのは別に悪い事じゃないよ。なに、ちょっと仕事の関係でね。ああでも、良いか――」


 つと、エリーの前まで迫っていた男は、思いついたように視線を上に向け……一瞬だけ真顔になり。


「――後で、ゆっくり聞かせてもらおう」


 その変容に驚き眼を見開いていたエリーのみぞおちに、拳を叩き込んでいた。


「あっ――」


 苦しげにうめきながらも、すぐに意識が飛び、そのまま倒れこむエリー。

その華奢きゃしゃな身体を正面から抱きかかえ、器用にだっこの姿勢で持ち上げる。


「いやあ軽い軽い。この国の女の子って身体小さくて持ち運び楽だよなあ。わざわざ切り落とさなくていいから助かるよ~」


 再び軽い口調でのたまいながら、男はその場から去っていった。





 エリーが帰った後、ベルクはというと、夕食の支度を始めていた。

エリーの持ってきたパンの残りと、野菜と川蟹のスープ。

豪勢とは言い難いが安定したメニューであった。

ぐつぐつと煮えたぎる鍋を注視してはいたが、彼はロッキーが来る前のエリー、いや、フィアーとのやり取りを思い出す。


※※※※※※※※


「――今朝方、何者かの手によって、ギルドの職人や関係者が殺害されている、という問題が発生しました」

「職人や関係者が? それは、『ナイト』の時のように身内による襲撃ではなく、か?」

「違うようですね。職人ならまだしも、ただ関係者というだけの人達はその気になればいくらでも不意打ちが可能なはずですから。ですが、今回犠牲になった人達は全員が抵抗しようとした痕跡がありました」

「ただ殺す気なら、わざわざ反撃の機会を与える必要もないな?」

「そういう事です。よほど腕に覚えがあるか、そうでなければただの殺人狂、という事になるかもしれませんが……」

「いずれにしても注意が必要か。何人られたんだ?」

「既に三人。いずれも男ばかりです。そして、全員が武器を片手に持ったまま、首や手足を切り落とされています」

「切り落としているのか……わざわざ」

「ええ。わざわざ。貴方も気をつけてください。相手がただギルドに敵対行動を取るつもりでやっているのか、別の意図があってやっているのかの判別がまだつきませんので」


※※※※※※※※


「厄介なことになりそうだな……」


 煮えたスープを容器に移しながら、ぽそり、一人ごちる。

どうにも嫌な予感がする。何かあるのではないか、と。

そんな折であった。

コンコンコン、と三回、ドアがノックされる。


「誰だ、こんな時間に」


 外に聞こえるように声を上げる。

一応、念のために懐からダガーを一本取り出し、袖の裏に隠しながら。


『ベルクさんかい? お友達からお手紙を預かったんだけど』


 声の主は割りと聞きなれた近所の奥様であった。

安堵しながらドアを開けると、待っていた奥様から手紙を一通、渡される。


「友達、というと……?」

「くたびれたシャツを着た金髪のお兄さんからだよ。遊んでる感じだったから、ちょっと良い印象はなかったねえ」

「……そうですか。そいつに覚えは全くないが、ありがとう」


 手紙を受け取りながら、静かに頭を下げる。


「いえいえ、それじゃね」


 人のよさそうな笑顔を見せながら、奥様は去っていく。


「……友達?」


 あまり友人の多い人生を送ってこなかった彼にとって、どうにも違和感を感じる言葉であった。

そもそも、ベルクとなった彼にとって、辛うじて友人と呼べるのはロッキーと釣り仲間の老爺、それからマリネ位である。

お世辞にも人付き合いが上手いとは言えない性分の為、この辺りは彼自身、自覚があったのだ。


「む? これは――」


 しばし封も切らずに手紙を見ていたが、やがてその内面の固さに気づく。

念のため、と、封をナイフで切り、中身がテーブルの上に落ちるようにとんとん、と軽く叩いてずり落とす。

直後、『からん』という乾いた音が部屋に響く。

手紙に包まれていたのは水色の髪飾り。

予想に反してガラス片や刃の類ではなかったが、その身覚えに、眼を震わせる。


「――まさか!?」


 それは、確かフィアーがここに来る時につけていたもののはず、と、我が目を疑いながらに。

髪留めを包んでいた手紙に、今更のように眼を向ける。



『お前の恋人は俺が預かった。

お前の正体は解っている。話がしたい。

夜、鐘が1つ鳴る頃にバーレン伯爵の館で待つ』



 僅か三行ばかりの短いものであったが、それだけに用件がはっきりとしており。

どうにもフィアーがさらわれたらしいと、とても信じられない事ながら、そういう事が起きてしまっているのだと考えるしかなかったのだ。


「こいつがギルドに喧嘩を売った馬鹿者か」


 まさかフィアーがタダでさらわれるとは思えず、だが、何にしても楽観して良い相手ではないのにも気づいていた。

だが、放置しておく訳にも行くまい。

いずれギルドの命によって粛清するであろう相手である。

事このようなことになれば戦いも避けることはできまい、と、腹をくくる。


「とりあえず、腹ごしらえはしておかないとな……」


 激戦が予想される。いざという時に備えて腹は満たしておかねばならない。

そう考え、手紙をくしゃくしゃに丸めて放り投げ、温くなったスープとパンをかっ込むように食べ始めたのだった。


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