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#16.夜の恐怖

 夜の風は冷たく、月は青白かった。

街の外から内へと流れるカグラ川。

ここは深夜ともなると人気ひとけが完全になくなり、闇をく者にとって格好の安全路となっていた。

今日もまた、西側で一仕事・・・終えたは、静かに揺れる川岸に沿って音もなく駆けてゆく。

水面みなもに反射する月が歪み――そして風に消えた。


「何者だ」


 影は、クロウは、自身の周囲に感じた気配に、足をぴたりと止めた。

感じられたソレは三つ程であったが、走る自分に並走する形で近寄ってきたように感じた為、く事は不可能だと判断した。

何より、姿を見られたのだ。

『仕事』を終えた後なのもあり、「放置するのは危険だな」と得物えものを構えた。


「……」

「ヒヒッ、いきがってやがる」


 立ち止まったクロウに反応し、正面から現れたのは二人。

一人は無表情のまま、何も言わずスティレットを構えていた。

もう一人はニタニタといやらしく笑いながら、長めの袖の内側に、ジャラジャラと鎖付きの鎌を揺らす。

いずれもクロウ同様の黒装束であったが、スティレットの男が頭部、口元に至るまで頭巾に隠しているのに対し、鎌の男はやや目立つ赤のモヒカン頭で、それを隠そうともしない。


――何が目的であれ、見つかれば面倒ごとになるのは変わりなかろうに。


 苦笑いしながら、クロウはこの二人組が、相手を解った上で絡んできたのだと確信した。

少なくとも、賊の類ではあるまい、と。


「いい『仕事』だったぜ兄さん。だが、今夜でさようならだ」


 モヒカンの男がにやついたまま、クロウに鎌先を向ける。


――暗器使い。それも腕に自信あり、か。


 ぱっと見ではおどけたような容姿のこの男の方が、スティレットの男よりは殺気を抑え込んでいるように感じ、瞬時に「どちらの方が手間取りそうか」と判別する。

複数相手である。

この見立て一つ誤れば、それは即座に自身の手足をもぐことになる。


「相手を間違えている、という訳ではないようだな」

「きひひっ、生憎とそういう訳でもねぇんだ。これは俺達の『仕事』だ」

「……」


 先日のもどき・・・と比べれば、どちらも発せられる殺気からプロには違いなかろうが、狙いをつける優先順位は既に定まっていた。

双方の距離は十歩ほど。駆ければすぐさま詰められる程度しかない。

戦いは避けられぬと解りながらも、しかし、最初に感じた気配の、残り一つがどこにあるのか、それだけが気になり、正面に集中できずにいた。


「――言いたいことがある」


 そこで、クロウは策を講じた。

人差し指を上へ上へと立てながら、モヒカンに笑いかけたのだ。


「あん?」

「……?」

「お前らが何者なのかは解らん。だが――」


 その一見奇妙な仕草を見て、わずかばかり注意が指に向いていた二人に対し――クロウは一気に距離を取った。


「――数で勝ればイケると思ったら大間違いだ!!」


 直後、クロウの立っていた場所に撃ちつけられる鉄の矢。

しかし動じもせず、クロウは二転、三転、飛び退き、前に動き、連続して放たれるそれらをかわしてゆく。


 連射式クロスボウ『バリアント』。

戦時中に開発され、重武装の騎士や甲冑兵相手に活躍したクロスボウである。

射程は短く、矢を込めるまでに時間がかかる反面、その連射性能と貫通力は高く、一度に七本もの矢を撃ち続けることが可能。

高価では有るが、猟騎兵りょうきへいや歩兵の中距離戦闘用の武器として非常に強力なため、戦中戦後、大陸のいたるところに広まっていた。


 クロウの頭の中に入っている範囲で、一人の人間が一度に連続して矢を射出する事の出来る武器はこれを置いて他にはない。

当然、戦時中では最新式のこの武器も、現代においては旧式化しているに違いないので、強化されたり近代化されたりしている可能性もあり、この限りではないが。

この「最低でも七発は連続して飛んでくる」という事と「一度かわしきれれば、少しの間は安全になる」という二つが思い出せれば、クロウにとってはそれで十分であった。


「ふっ――」


 矢の雨は一時的に止み、それを好機とクロウは男達に向け直進する。


「このっ、喰らいやがれぇっ!!」


 その間に鎖を持ち、鎌先を大仰に振り回していたモヒカン男は、直進してきたクロウに向け、一気にそれを投げつけた。


「うぉぉぉぉっ!!」


 それを紙一重で右に避け、尚も前に進むクロウ。

狙うは離れようとしたスティレットの男。弱い方から潰す算段だった。


「――っ!!」


 相棒の攻撃をかわされ、驚いた様子でスティレットを小さく振り回しながら、最低限の動きでクロウの喉元を突かんと踏み出す。

折角隠した表情も、その動きの焦りから雄弁に見て取れてしまう。


「ははっ!!」


 つい、口元が歪んでいた。クロウは笑ってしまった。

その動きが、ほんのわずかな速度の差が、あまりにもスローに感じてしまったのだ。

一秒遅ければ喉を掻き切られていたはずの一撃は、回避が間に合った今では頭の上をすりぬけていた。

そして、次の瞬間、喉元を掻き切るのは、クロウの方なのだ。


「ぶぐっ――がっ」


 ようやく声を発した男は、しかし、そのままクロウに蹴倒され、後ろへと弾かれる。

蹴りつけた勢いを活かして後ろに跳んだクロウは、地に足をつけるや、姿勢を前に倒してモヒカンの方へと跳ぶ。


「甘いぜぇっ!!」


 近接され窮地に陥ったかに思えたモヒカンは、しかし、手先を器用に揺らしながら放った鎌を引き戻し、クロウの背筋を狙った。


「うぉっ――くっ!」


 その予想以上の戻りの速さに、鎌先を回避しきれず背中を掠めるも、勢いは止まらず。


「ぎ――ぎひひっ――」


 しかし、クロウの放った一撃も、モヒカンの鎖によって食い止められていた。


「――やるじゃねぇか? この俺様の鎌をここまで避ける奴なんざ、初めてだ!!」

「そいつは――お前が弱い奴しか相手にしてこなかったから――だろうよ!!」


 ギリギリと鉄の舐め合う音。

押し合いではどうしても面積の広い鎖の方に分があり、背中の痛みもあって押されそうになっていたが。


(力の入れ様は大したものだが……足元が弱いなっ)

「うぉっ!?」


 クロウは即座にモヒカンの弱点を見抜き、左足を蹴り払って姿勢を崩させようとした。


「ちぃっ、なめた真似をっ」


 バランスを崩しながらも鎖を持ったまま、クロウの頭目掛け分銅を投げつけようとするモヒカンの首を狙い、クロウは右を逆手に、振りぬく。

ピシ、というかわいた音がモヒカンの首元に響き――勝負は決まった。


「か――かはっ」


 突然の呼吸困難に顔を青ざめさせながら、尚も慣性で鎖は投げつけられるもそこにはクロウは居らず、空を切る。

そのまま倒れこみ、刃こぼれしたダガーに引き切られた喉を苦しそうに引っ掻きながらもがき……やがて動かなくなった。



「――くぉっ」


 直後、鉄の矢の雨の第二波。こちらもクロウの予想より若干早い。

なんとか動かなくなったモヒカンから距離を取ってかわそうとしていたが、わずかにかわしきれず、矢の一本を左腕に受けてしまう。


(そこかっ、見つけたぞ!)


 だが、激痛に苦しむ余裕などない。

矢の飛んできた方角から、相手の大よその位置を特定。

予備のダガーを腰から抜くや一気に駆け、勝負を仕掛けた。


「なっ――クソっ」


 位置を特定された事に気づいてか、一人離れた草陰に立っていた壮年の男は邪魔になるバリアントを捨て、左右の腿から小振りのダガーを抜き取り、突き出されたクロウの刃先にあわせる。


「後はお前一人だっ」

「若造がっ、ダガーの使い方を教えてやる!!」


 口元は隠れていたが、その練度から来る余裕はクロウからも見て取れた。

恐らくは一番の遣い手に違いないと覚悟を決め――速攻狙いで挑む。


「中々良い動きだっ!! バートンとガレスバルナを一息で片付けただけはあるなっ」


 負傷した背中と左腕の所為で苦戦を強いられていたクロウ。男は容赦のない攻勢を続ける。


「ちぃっ――」


 クロウの一撃を難なくかわしてみせ、男は反撃とばかりに左腕のダガーをクロウの右肩に向け振り下ろす。

なんとかこれをかわすクロウであったが、第二の攻撃には飛び退き、距離を取らざるを得なくなってしまう。


(こいつ……目がいいな)


 この男の驚異的なのは、その動きの早さではなく、『目のよさ』にあった。

夜目が利くのは当然だろうが、動きを読みきる洞察力、更には優れた観察眼もある。

その所為もあって、こちらの行動は、近接戦ではそのことごとくが読みきられており、反撃などかすりもしない。

クロウも自身の身のこなしには自信があり、男の攻撃をなんとかかわすが、それもそう長くは続かないであろう事も理解していた。


(毒が回りきる前になんとかせんとな……)


 緊迫の連続の中、自身の背中が先ほどから何も感じなくなっている事に、クロウは軽い恐怖を覚え始めていた。

麻痺しているのだ。恐らく鎌の刃先に何らかの毒が塗られていたのだろうが、これが背中だけに留まるとは思えなかった。

左腕もそうである。今でこそなんとか動いているが、いずれここからも何らかの毒が回る恐れがあった。

自分はこの男に傷一つ与えられていないが、相手は時間を稼ぐだけで勝利できるのだ。

今のままではどうあっても勝てぬと、つばを飲み込み賭けに出る。



 右手に持ったダガーをあえて力のあまり入らなくなった左手に構え、右手で左手を口元まで運ぶ。

口で左腕を噛みながらなんとか感覚を維持し、男に向け、駆けた。


「ふんっ、左腕が動かなくなっているのだろう? もう無理だ、諦めろ!!」


 何を思っての行動かは男には理解できなかったが、よもや自分の勝利は揺るぐまいと、クロウの捨て身と思われる一撃を右へ軽く跳んで避けようとした。

時間さえ稼げば勝てるのだ。馬鹿な奴の無理心中に付き合うつもり等ない、と。


 だが、男はクロウのその行動を、ただの捨て身と思い込んでしまっていた。

そこが彼の策である事など見抜けず。ただ愚かな最後の一撃と見ていたのだ。

自然、視線は口元の刃にのみ向き。右手に握られていた別の武器・・・・の存在など気づきもせず。


「うっ!? なっ――」


 突如、男の右ももに激痛が走る。

何事かと見れば、そこには親指ほどの太さの鉄の杭。


「ばか、な――こんな、鉄の杭なんて、どうやっ――」


 そして、視線を逸らしてしまっていた。目の前のクロウから。

その瞬間があれば、必殺の一撃は繰り出せたというのに。


「むんっ!!」


 男の首手前まで腕を持っていき、そこから、ありったけの力と身体の回転を込めて左腕を振るう。

その一撃は男の首元に見事に決まり――斬り裂いた。


「ぐっ、げぇ――っ」


――そんな馬鹿な。

驚愕の表情が、クロウを見やりながら次第に憤怒に変わってゆき――男は両の腕を大きく振るいつける。

左手のダガーはクロウを的確にとらえ、右わき腹へ。

右手のダガーはクロウの心臓を狙ったが、これは外れて空を切った。

そこで男はバランスを崩し、そのままどう、と倒れてしまう。


「――クソが、なんて、依頼だ」


 口元からヒューヒューと空気の漏れる音を立てながら、男は皮肉げに呟き……そのまま動かなくなった。





 後に残ったのは、右わき腹から大量の血を流す男の姿。

毒が入ったとはいえかすり傷に過ぎない背中や、矢傷のみで傷口は広くない左腕と違い、この部位のソレはそのままでは決して止まることは無く、ジクジクとした痛みはクロウの集中力を削いでゆく。


「く……っ」


 激痛にうめきながら、なんとかしゃがみ、男の腿に突き刺さった鉄杭を抜き取る。

血を吸って尚錆びることなく鈍色にびいろに光るこれは、紛れもなく殺害の証拠品となる。

例えどれだけ苦しかろうと、遺体に残しておくわけにはいかなかった。


「まさか、これが役に立つとはな……」


 それは、かつてクロウが仕留めた同胞『ナイト』の形見。

使いこなせる訳が無いと思いながらも、それでもなんとなしに持っていたモノであった。

流石にナイトのように指弾として打ち出すことはできなかったが、男の注意を引くには十分すぎる『隠し玉』になってくれた。

世の中何が役に立つのか解らん、と、苦痛を誤魔化しながらに口元を歪め、強がる。


 それ以上は感傷にふける余裕も無く、ふらつきながらもなんとか立ち上がり、歩き出す。

たどり着けるとも解らぬが、とにもかくにも家に戻らねば。

そして、フィアーに自身が襲撃された事を伝えるまでは死ねないのだ、と。

きっ、と自身に言い聞かせ、クロウはのろのろと川辺を歩き――


「ぐ……う――っ」


 やはり、それ以上は動けず、バランスを崩して川へと転落してしまう。

喘ぐ事も水に抗う事もできず、クロウはそのまま水に埋もれ――





「アイスミルクを。ロックで」

「あいよ」


 街外れの寂れた酒場にて。

場違いな風体の街娘が一人、カウンターにて店主と対面して座る。

ほどなく注文どおり、やや黄身がかった液体の入ったコップが差し出される。


「――容態は?」


 表情も変えずに問うこの街娘に、主は気さくに笑いかけながら答える。

「なんとか生きてるさ。川に飛び込んだのか落ちたのか解らんが、そのおかげだね。身体が冷え、仮死状態になったおかげで毒の回りが遅くなったんだ。そうじゃなきゃ今頃は死んでたよ」


 よかったじゃないか、と、にこやかあに笑顔を向けるのだが、娘の方はというと不機嫌この上なく、眼が釣りあがっていた。

美形ではあったが、それが故余計に見た者に恐怖を抱かせる、そんな表情である。

店主は言ってから「しまった」と口元を手で覆うが、娘は特別睨み付けるような事もなく、一口ミルクをすすってから一言。


「生きてるならまあ、いいです。そのままここに置いて下さい。下手に戻してもよくないですし、まさか医者に連れて行くわけにも行かないですし」

「ええ、解りましたよ」


 とりあえずは助かったらしいと、ほっと胸をなでおろしながらに、見た目上は笑顔を崩さず返す。


「他の死体は?」

「地下のたるの中ですよ。今夜はピーチ・ベトリスに漬けました。グラウンブルーでもいいんですがね、ピーチ・ペトリスの桃の香りが良い感じに絡んで、こう、えもいえぬ風味を醸し出すようになるんですよ」


 死体の酒漬けはこの店主の趣味である。

これに関しては止まらないのか、口元をにやけさせていた。


「……まあ、いいですが。衣服は処理しましたね?」

「当然です。服なんて一緒に漬けたら味が悪くなる」


 趣味の悪さは娘にも思うところがあるようだが、死体処理の手法と仕事の速さ・正確さはギルドでも屈指である。

なので、彼女はそれに関しては強く言うつもりはなかった。


「今日はもう帰ります。さっきも言いましたが、クロウはしばらくそちらに預けます。治せない様ならそちらで処理しなさい」

「えぇ、えぇ、そうしますとも。どうぞお任せを」


 コップの中身にほとんど口をつけないまま店を立ち去る娘。

主はうやうやしげに腰を低くしながらその背を見送り、いなくなってから一言。


「本気で処理させるつもりなら、私に預けずに自分で確実に殺すよなあ。フィアーも変わったもんだ」


 ギルドの幹部としての彼女を知るこの店主にとって、あまり見ないその温情おんじょうはとても大きな変化のようにも感じられ。

つい、苦笑してしまっていた。






 その後、フィアーが向かった先は、街の北、商人通りであった。

人一人通らぬ時刻である。

いくつもの商店が並びこそすれ、その灯りはどこの店でも落ちていた。

酔っ払いの一人も通らぬ暗がり。少女一人が歩くにはいささか・・・・不似合いすぎる道だったが、迷い一つ見せず、フィアーは突き進む。

やがて『メロウド』と書かれた小さめの看板の掛かった小店こだなの前で立ち止まると、迷いもせずそのドアを開き、入っていく。

鍵一つ掛かっていなかったが、フィアーは気にしない。


「久しぶりだな、エリス」

「ええ、久しぶりですね。ロッカード兄さん」


 店の中は外の月あかりすら通さず真っ暗だったが、男が一人、奥の安楽椅子に腰掛けていた。

暗さなど問題にもせず男の前まで歩き、その蒼い瞳を見つめる。


「お前が欲しがっていた情報は、『襲撃者の出所』だな?」

「ええ。ギルドに明確に刃を向けた者には、粛清の味を知ってもらわねばなりません」


 許しませんよ、と、フィアーは頬を引き締める。

ロッカードと呼ばれた男は、そんな彼女の様子に苦笑いしながらも、手元の書類に目を通し、読み上げてゆく。


「襲撃者は『夜の裁き』と呼ばれる組織だ。元々は隣国フライツペルで戦後に広まったカルトだったのだが、徐々に肥大化し、信者に軍事的な訓練を施したりするようになって、近年ではフライツペル政府を始め諸方面で危険視され始めている」

「カルト教団……」


 ロッカードの説明に、フィアーは口元に指を当てながら思考を巡らせる。


「宗教は厄介だぞ。このカルト自体はこちらではさほど広まっていないが、このまま野放しにすれば時間の問題だろうな」

「何故彼らがギルドに目を?」

「この国で行動する上で邪魔になるからというのもあるだろうが、一番は奴らの持つ『軍事部門』が我々と似たような暗躍機関だったから、という辺りか」

「同業者という事ですか……」

「ただし向こうは信仰の為やってるようなもので、目標の選定も公平性の欠片もなく『組織や教義から見て正しくないから』とか、極端だと『神のお告げだから』とかそんな理由で成されるらしいがね」


 困ったもんだぜ、と、ロッカードは苦笑い。

だが、フィアーは笑わない。

あくまでキリリとした面持ちのまま、ロッカードの手の内の書類へと視線を向けていた。


「つまり、私達は彼らの教義から見て敵扱いになっていると?」

「その可能性は高いだろうな。だから、似たような問題はこれからも続くかもしれん」

「元々放置する気もないですが、手を打たない理由はない訳ですね」


 無言で頷くロッカードに、フィアーは小さく息をつく。


「そのカルト、近辺ではどの辺りに拠点が? まさかフライツペルからわざわざ『仕事』をしに来ている訳でもないでしょう?」

「西だ。王都西のペタの街。そこに奴らの拠点となる教会がある。構成員は教会関係者や信者を装っているが、実際にはフライツペルの元軍人・軍属が多い」


 元軍人・軍属というと以前クロウが『仕事』で片付けた盗賊達の事を思い出したフィアーであったが、口には出さずにロッカードの言葉を待つ。


「常時教会にいるのは『神父』デルヒナと『シスター』ミニッツ、リスターの三人。教会そのものの信者はその全てが組織の構成員というわけではなく、全く何も知らない民間人も混ざっているので非常に厄介だ」

「表向きは通常の教会と何も変わらないという事ですね?」

「『夜の裁き』は非常に特殊な教義を掲げているらしい。その辺の民間人をそのまま連れ込み勧誘するような真似はしない、という事だな」


 選民思想ゆえか、あるいは元軍関係者らしく慎重なのか。

何にしても、厄介そうな相手だというのはフィアーにもよく伝わっていた。

だが、それでも解らない点が浮かび、フィアーは首を傾げてしまう。

それそのものはとても可愛らしい仕草で、ロッカードもつい笑ってしまいそうになっていたが、黙ってこの少女の言葉を待った。


「そこまで解ってて、ギルドが今まで対処せずに放置していたのはどういう事なんでしょうか。私には理解できません」


 幹部であるフィアーですら聞かされていない事ではあったが、そもそもそんなものが存在していたことを察知していながら周知していないのはおかしい。

これでは、ギルドに対しての不信感を感じてしまう。

だが、ロッカードは皮肉げに口元を歪め、書類をテーブルへと雑に置いた。


「都合がよかったからだろう。『仕事』が被るのは確かに面倒だし、今回のように襲撃されるようなら対処も必要だっただろうが。今まではそんな事はなく、あくまで『街での殺人事件』が増える程度だったのだ」


 近年の騎士団などの治安維持組織がどれだけ汚職を働いても排斥されないのには、この点が大きかった。

暗殺ギルドだけならばそこまででもなかったはずの殺人事件の件数が、ここ数年で爆発的に増えている。

それは、今まで『ギルドが動くに値しない』という理由で受け付けなかった些末さまつな依頼を、このカルトやその他素人上がりが勝手に受け付けていたからなのだ。


「結果的に我々の仕事は騎士団や市民から見て洗練されているもののように映り、他の杜撰ずさんな仕事ばかりしている輩とは差別化されるようになりつつある。それ自体は、我々にとっては都合がよかったのだ」

「ですが、放置した結果、私の配下が手傷を負いました」

「だからマスターは、お前たちが報復に出ることを止めはしない。おいた・・・をした子供にはきちんとした躾が必要だ」


 目を閉じながら口元を緩め、謡うようにフィアーを煽る。


「ただ、そんな奴らに痛手を被る程度の暗殺者では、後々の仕事に支障をきたす恐れもある。必要ならさっさと切り捨てるべきだと思うがな?」

「私はそうは思いませんよ。彼は役に立つ。先代のクロウよりも腕が良いですし」

「……私情か?」

「私に私情はありませんよ、ロッカード兄さん」


 ギリ、と、ロッカードを強く睨み付けるフィアーに、ロッカードは「ふっ」と、息を抜く。


「解った。もう俺から話すことはない。好きにすると良い」

「ええ。それでは」


 それ以上は何も言うつもりも無いのか、ロッカードは目を閉じる。

背を向けるフィアーも無言のまま、静かに店を去っていった。






「――ここは、一体」


 意識を取り戻したクロウは、床の冷たさ、固さに違和感を感じていた。

同時に、自身に被せられていた毛布、見覚えの無い部屋の雰囲気にも。

ただ、痛みこそ薄れていたものの身体が思うように動かず、首を動かす事くらいしかできなかったが。


「目が覚めたようですね」


 そして、パン屋の娘エリー……いや、その姿をしたフィアーがいた。

その視線はどこか温かく、そして、穏やかだったが、それがクロウには妙にも感じられた。

カラン、と、クロウの前に転がり落ちるダガーが一本。

刃こそは血にまみれていたが、柄には一切の汚れが無い。


「……これは?」

「貴方を襲った奴らは、これで当面はこの辺りには現れないでしょう。だから、忘れなさい」


 ぽつり、それだけ告げ、背を向ける。

それなりに長い付き合いである。

それだけで、彼女が何を伝えたかったのかをなんとなしに察し、クロウは問う。


「誰がやったんだ?」

「私が」

「あんたが?」


 予想外であった。

自分を襲った相手が何者かがわかれば報復くらいはするのだろうと解ってはいたが。

まさか、幹部のはずのこの女が、自らその為に動くなどとは想像すらできなかったのだ。


「なんて事ない奴らでした。クロウ、貴方なら一瞬で潰せたはずですよ。次からは『やられる前に』やりましょうね」

「……ああ」


 その言葉に、安堵の息をつく。

――どうやら、私はまだ用済みではないらしい。

フィアーが動いたと知り、「もしや自分はこれでお払い箱か」と思いもしたが、そんな事はなかったのだ。


「早く傷を治しなさい。世間では今、貴方は『恋人のエリー』とこっそり旅に出た事になっています。早くエリーを連れて街に戻りなさい?」


 振り返りながら、ニコリ、微笑んでいた。

華の様な笑顔であった。彼女が『エリー』の時に振りまいていたような少女らしい振る舞いであった。


「……あんたも街にいられなくなってる訳か」

「表向きはそうですね」


 都合よく用意されていた椅子に腰掛けながら、フィアーはほっと息をつく。


「ですから、しばらくはここで貴方を見張っています。リハビリもしなくてはいけませんし、寝ている貴方にここの店主がつまらない事・・・・・・をしないように、という意味も兼ねてますから気にしなくて良いですよ」


 見張る、などと言いながらとても愉しげなのは本心からなのか。

どうやらしばらくは彼女の厄介になるしかないらしい、と、クロウは苦笑しながら「ああ、解った」と返した。




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