王都東部の正門前に、黒レンガ造りの無骨な館があった。
かつての戦争で常に最前線に立ち、兵を率いて戦った王国騎士団の拠点。
この地方の言葉で『死霊たちの館』という意味で呼ばれている『ラノマ・カノッソ』である。
「また国王陛下のお膝元で殺人事件だ。しかも、例によって物証がほとんどないと!」
館内の一室。
騎士達の議場では、厳しい雰囲気を
「今月に入って一体何件目だ!? 犯人は見つからず、犠牲者は増えるばかりではないか!!」
檄する老騎士を前に、歳若い騎士らは萎縮し、逆にベテランめいた壮年の騎士らは退屈そうに聞き流していた。
「貴様ら、それでも騎士を名乗れるのか!? 例の『暗殺ギルド』とやらの尻尾も依然つかめておらん。このままでは我ら王国騎士団、衛兵隊や王宮近衛隊から笑われ――」
老騎士の声はどうにも空回りしている様子で、この場においてはあまり効果的ではないらしく。
聞く者はいずれも威厳ある老騎士の言葉というよりは、
「もういい。代われ、ガング」
傍らでふんぞり返って話を聞いていた中年騎士がそれをさえぎると、騎士達は明らかにそちらへと注目していた。
「しかし、団長――」
「お前ぇの言いてぇことはもう十分に伝わったろうさ、そうだろう?」
立ち上がりながら、騎士達の方を向き、団長と呼ばれた男はニカリと笑ってみせる。
「は、はいっ」
「団長殿の仰る通りで――」
「副団長殿のお気持ちも良く解ります」
「我々も副団長殿と同じ気持ちでしたからなあ」
口々に団長の言葉に同調していた。
「む……ぐ……団長がそう仰るのならば……」
どうにも納得が行かない様子の副団長は、やや下を向きながら大きくため息をつき、壇上から降りる。
そうして入れ替わるように、団長がそこに立つのだ。
「さて、状況は聞いての通りだ。確かにこのままだとまずいのは間違いねぇ。だが、今回の一件で、俺ぁどうも気になるところがあってな。確認の為、こうして皆に集まってもらったわけだ」
田舎
騎士達は先ほどとは違い皆真剣に眼を向け、耳を傾けている様だった。
「まず一つ。ここ最近の犠牲者達の様相だ。これまでの『暗殺ギルド』によるものと思しき事件は、どれも首筋を掻っ切られて、あるいは、胸元を一突きにされての即死、と見られるものが多かった」
自分の首元、そして胸に順に親指を付きたてる。騎士達は小さく頷きながらその先を待った。
「だが、どうにもこの一月に起きた一連の殺人には違和感を感じる。まず月初めに起きた事件では、被害者の男は腹を滅多刺しにされていた。そうだろう、ギガ?」
「はい。殺害に使われたと思われる凶器や犯人らしき者の存在は掴めませんでしたが、被害者の死に様には強い怨恨を感じてなりません」
団長の指摘に、事件を担当した騎士が頷きながらも答える。
「その一週間後、今度は歳若ぇ妊婦が殺された。しかも、これもやはり腹を滅多刺しだ」
「あれは酷い事件でした……被害者の夫も、初めての子供もろとも妻が殺されたとあって半狂乱になっていましたな……」
凄惨な事件に、騎士達はため息ながらに頷く。
「あんな事件がこの街中で起こるとはなあ」
「特に罪を犯した訳でもない
一斉にざわめきだす室内。団長が手を挙げると、すぐに静まり返った。
「俺もそう思うぜ。そして五日前に起きた事件では、商家の後取り娘が殺された。こちらは全身いたるところをぶっ刺されてな」
俺も見たが、と、団長は厳しく眉間に皺を寄せ、騎士達を見やる。
「そして昨夜の事件では、夜街の
そう、被害者にはつながりは感じられない。
だが、と、団長は両の掌を広げ、騎士達を見渡した。
「俺は、その殺し方に、ある程度の関連性が有るんじゃねぇかと思ったんだ。『暗殺ギルド』の関与が疑われる殺人とは別のベクトルの、だが、似たような組織がまだあるんじゃねぇかと、俺はそう思うんだが――」
「我らが恐れていた事態が、ついに起きてしまったという事ですか?」
後列に座っていた騎士が手を挙げながらに発言する。団長は、大きく頷いた。
「ああ、その可能性が高ぇ。暗殺ギルドに手を焼いてる間に、類似した組織が台頭、あるいは暗殺ギルドそのものが分派・分裂しているのかもしれんが――厄介な事になっている恐れがある」
街の治安を脅かす存在として、暗殺ギルドの存在は以前から問題視されていた。
全く尻尾を掴む事ができず、実態が有るのかも怪しい、だが噂だけはまことしやかに囁かれるその組織であったが、街で起きる殺人事件にはある程度の共通点があり、その要領を満たした事件は内々ながらに『暗殺ギルドが関わった』として処理する事にしていたのだ。
だが、団長には今回の一連の事件には、それとは異なる別の『殺しの規格』が存在しているように感じられたのだ。
「そこで、お前ぇ達には急ぎ確認して欲しい事がある。まず、商店や色街に出入りする客層の変化だ。いかにもな奴じゃなくてもいい、見慣れねぇ奴が客としてきた店はないかの調査をして欲しい」
指を一本立てながらの言葉に、騎士達は立ち上がる。
「同時にもう一つ。ここ数年で、街に新たに
二本目を指を立て、手を大きく振る。
騎士達はすぐに背を向け、部屋を出て行く。
「ではライオット隊は最初に事件が起きた北側の商人通りを見て回るぞ、長丁場になる、覚悟しろよ」
「ゲイザー隊、夜街に行くぞ。四件目の事件が起きた辺りをしらみつぶしだ。急げ!!」
「シルビア隊、西の街外れを探しますよ。あの辺りは貧者が多いので見落としがちですわ」
各々の隊の隊長が部下たちに指示を下しながら去っていくのを見て、団長は満足げに頷き、壇上から降りる。
「……団長、よろしかったのでしょうか? 前科者など、わずかでも怪しい者をもっと厳しく追及すれば、あるいは何がしか――」
「ああ。これでいい。これでいいんだ」
一人、部屋の隅に残っていた副団長が不安げな面持ちで見上げるも、団長は渋みがかった顔のまま小さく頷き、部屋を出て行く。
副団長もそれに続き、部屋を出た。
「――そういう事でしたら、うちみたいな雑貨屋よりは、専門で扱ってる職人さんや
北の商人通りを回っていたライオット隊は、まず通り口の雑貨屋の店主より話を聞いていた。
「何せほら、うちは色んなお客さんがきますから、却ってお客さんの顔なんて覚えてない事の方が多いですからね。顔なじみもいるが、旅の合間に補充の為食料や物資を求めてくるお客さんの方が多い。とてもじゃないが覚えられませんよ」
「特に変わったような客はいなかったか? その、明らかに挙動が不審だとか」
余所者を一々覚えていられないという店主に、騎士の一人が食い下がるが。
店主は両手をあげながら首を横に振る。
「生憎と。そんな変わった人は見ませんでしたねえ。流石にそんな怪しいお客を見たら、騎士様がたに通報しますよ」
これ以上はどうにも、と難色を示す店主の顔に、騎士達は顔を見合わせ、小さく頷く。
「そうか、邪魔をしたな。協力を感謝する」
「いえいえ。街の治安を護る騎士様に協力するのは民の務めですからねえ」
一言声をかけ、騎士達は店を去っていった。
そうして隊は散らばり、店主の意見を参考に、辺りに住まう職人や旅籠に聞き取りを開始。
一日がかりで調査は続いたが、集合した際に集まった情報は微々たる物であった。
「北側の商人や職人達は、これといって怪しい奴を見なかった、という事か」
「はい。これに関しては最初の事件が起きた際にも調査したので、これ以上の再調査をしてもそれと思しき者は浮かび上がらないものと――」
団長の私室にて。遅くなって尚書き仕事をこなしていた団長の元へ、一日の調査結果をまとめた隊長・ライオットが訪れ、その内容を報告していた。
「新居を構えた者は?」
「これに関しても、身元の怪しい者は誰一人いないとの事で……いずれかの商人の持ち家に身内の者が入ったとか、そういう話ばかりでした」
こちらを、と、紙を差し出す。
「新たに北側に越してきた者のリストです。見ていただければお分かりと思いますが……」
「ああ、何も怪しい事はねぇなあ」
軽く眼を通し、小さく息をつく団長。傍に控える副団長も眉間に皺を寄せていた。
「地形を知り尽くした地元の者による犯行、という線もまだ消えた訳ではありませんが、少なくとも直近にそれと思しき怪しい者は居なかった、見られなかった、という商人たちの証言はある程度信用できるのではないでしょうか?」
「うむ。ではなライオット。次は商人たちの繋がりを調べて欲しい。これは商人ではなく、職人たちに聞く方が良いな。各商人同士の対立関係やギルドとの繋がり、どれくらい稼いでどの派閥に立っているのかも解ると尚良い」
「商人たちの、ですか……? 承知しました。では、私はこれにて」
「ああ、気をつけてな。強引に進めたりはせず、丁寧にやってくんな」
会釈し、去ろうとするライオットの背にかかる声。
ライオットはそのままの向きで小さく頷き、そのまま私室を出た。
「失礼します、シルビアですわ」
ライオットと入れ替わる形で、若い女性騎士が団長の元に訪れる。
「本日一日の調査結果をご報告に上がりました」
「うむ。どうだった? 西側は」
「ここ最近、というくくりで見て良いかは解りませんが、若い男が一人――これは二年ほど前なのですが、街の外から越してきたという話を聞きました」
「若い男なあ」
ぴくり、と眉を動かす団長。シルビアは静かに説明を続ける。
「名は『ベルク』。元は各地を旅していた剣士だとかいう話で、あの『自称勇者』とは気が合うのか、よく一緒に居るところを目撃されています」
「自称勇者……確か、ロッキーとかいう不埒者か……」
「はい。なのでよほどの変人なのかと思いましたが、遠目で見た限りそんな事も無く、また、交友関係を洗ってもさほどおかしな点を見つけることが出来ませんでした」
残念ながら、と、眉を下げ一端の説明をここで終える。
「具体的な交友関係も既に解ってるのか?」
「はい。ロッキー以外で特に親しいのは、中央通りのパン屋の娘『エリー』、そして北通りの陶芸職人『ガンジー』、西側のマーケットにある雑貨屋の女店主『マリネ』……この辺りでしょうか。エリーとは恋人同士だそうで、エリーは足しげく家に通っているようです」
「ふぅん……マリネ?」
なんとなしに聞き流していた団長であったが、聞き覚えのある名前に、部下の顔を見る。
「あの『盲目のマリネ』ですわ。自分を裏切った恋人と、その女を殺害したという」
「ああ、やっぱりそうなのか。今では立派に更生していると聞いたが。実際に話は聞いたのか?」
「いえ、まだそこまでは――」
嬉しげに語る上司に、シルビアは複雑そうに眼を逸らし、言葉尻を濁す。
「そうか。なら俺が直に聞きに行くとしよう。あの一件以降、何かと気になっていたのだ」
「はあ……では、私どもはその『ベルク』について更に調査を続ける方向でよろしいでしょうか?」
「ああ、そうしてくれ。といってもその男、俺の勘では今回の件とは関係なさそうだがなあ」
空仕事に終わるかも知れん、と、苦笑ながら、団長は手を軽く振る。
「それならば西側に怪しい人物はいなかった、という事になりますから……では、私はこれにて」
「うむ。頼んだ」
マリネの話になるや、あまり嬉しくなさそうな顔をしていたシルビアだったが、上司からの命には静かに頷き、部屋を出て行く。
「ゲイザー達は、夜街の調査に向かいましたので、恐らく今宵は戻らぬものと……」
「だろうなあ。娼婦やマッチ売りに話を聞くなら、むしろ今くらいからが本番だ」
副団長の進言に、団長は席を立ち、軽く背筋を伸ばす。
「よし、今日はもう休むとしよう。ガング、後は任せた」
「はっ。連絡が入り次第そちらに参ります」
「頼んだぞ。ではな」
後を副団長に任せ、団長は部屋を出て行く。
「……ふん、指示を出すだけ出して、自分は街へとブラリか。先代は何を考えてあんな男を後任に――」
団長がいなくなるや、副団長は一人、ぽつりと呟いていた。
街の西側にあるマーケットは、比較的小規模な店が集まる通りで、一日を通して買い物客で賑わう。
街の中心部にあり、観光客も土産物を求めて集う中央通りや、旅人が物資や食料を求め足を向ける事もある北通りと比べ、こちらで買い物をする客の服装は地味な印象が強かった。
「こっちの方が、故郷の町みてぇで俺ぁ好きだがなあ」
そんな買い物客の中、一人、上級市民風の質の良い外套を纏った男が一人。
鎧こそつけていないものの、その風格からしてただものではなく。自然、周囲を歩く人々も一歩、二歩、と距離を離し歩いていた。
「おお、あったあった――」
どうにも独り言が大きい性質らしく、その男――騎士団長は、じろじろと視線を向けてくる買い物客らを気にもせず、大仰な様子で並ぶ店の一軒へと入っていく。
「ごめんよ、今は大丈夫かね?」
店に入り、店主の居ないカウンターに向け、しゃがれた大声が響く。
「……はい?」
わずかに時を置き、店の奥から杖を片手に女店主が現れる。
「おう、久しぶりだなマリネ。元気そうで何よりだ」
奥から店主が出てくるや、団長は親しげに声をかけながら近づいていく。
「あら……その声は、団長様ですか? まあ、お久しぶりですこと……」
マリネも声の正体に気づいたのか、顔を綻ばせる。
「いやな、役目の最中、偶然通りかかったのだ。しばらく顔を見なかったが、今頃はどうしておるか、と気になってな?」
「なんとまあ……ええ、私は見ての通り、日々平穏、無事に過ごさせていただいておりますわ。それというのも、団長様の格別のお計らいのおかげです」
光を灯さぬ眼を嬉しそうに細めながら、マリネはカウンター向かいに立つ団長に向け手を差し出
す。
「おお、ここだ。いやそうか。お
差し出された手を握ってやりながら、団長も頬を緩め、笑いかける。
このマリネは、団長である彼自身が罪科を吟味し、
通常ならば殺人の罪は被害者の近親者が望む限りは死刑。
格別の事情があったとしても爪剥ぎや鞭打ち百叩き、民衆による石投げの責めを受けた後に村落への追放となるところを、「それではあんまりにもかわいそうだ」と、団長が上と掛け合い
恋人とその相手を殺した事そのものも反省していた様子であったし、問われた事には偽りなく、隠し事なく素直に話したのもあり、『この女なら生まれ変わる事もできるかもしれぬ』と、上の人間も認めてくれたため、マリネは晴れて放免となった。
街へと戻った彼女は周囲の人間が同情的だったのもあり、視力を失いながらも立派に立ち直る事ができた様子であり、これは団長の見立てが正しかった何よりの証拠と言えよう。
「まあ、お前ぇくらいに良い女なら、その内良い男の一人も見つけられるわさ。今のまま、明るい世界を生きてくれぃ」
「……私にも、そのような男性が現れるでしょうか。男を見る眼のなかった私にも」
願うように語る団長に、しかし、マリネは不安そうに、寂しく微笑む。
そんな様子に、団長は大仰に手振りしながら笑いかけるのだ。
「現れるさ。男なんてのは星の数ほどいるぜ? お前ぇの場合は、眼に入った星の一つがただ
その日を楽しみに待つんだ、と、カウンターの上の小さな手を、包み込むように握り締めていた。
「――お邪魔だったか?」
そして、そんな時に限って客は来るのである。
団長が振り向くと、そこには若い剣士風の男。
腰にはショートソードをぶら下げ、「変なタイミングにきてしまった」と、苦笑いを浮かべていた。
「あらベルクさん。こんにちわ。よくいらっしゃいました」
声に反応しマリネが顔を向けると、男も右手を上げた。
「話をしていたところすまんな。邪魔なら出直すが?」
「いえ、そんな――」
困ったように団長と男と、交互に顔を向けるマリネ。
「気にしねぇでくれ。俺ぁその、なんだ――ただのマリネのファンだからよ」
すぐにマリネの手を離し、団長は出口の方へと向かって歩く。
「じゃあなマリネ。また近いうちにでも、顔を出す」
「はい。本日はありがとうございました」
片手を挙げながら去っていく団長に、マリネは礼儀正しくお辞儀をし。
「ごめんなさいベルクさん、ご用事は何でしょうか?」
すぐに、後から現れた男に声をかけていた。
「へっ、あれがシルビアの言ってた『剣士ベルク』か。確かに無害そうに見えるなあ。どこにでもいる剣士にしか見えん。見えんが――」
にやり、口元を歪めながら、団長はマーケットを往く。
(シルビアめ、面白ぇ奴を見つけたな。果たして奴が蛇なのか、あるいは毒蛇なのか)
いずれにしても蛇には違いないと眼をつけ、しかし、今は見逃してやろうと、その勘ぐりを胸にしまいこみ、館へと帰った。
「団長、お戻りで――丁度今、探しに行こうと思っていたところでした」
自室と戻った団長を待っていたのは、夜街の調査へと向かっていたゲイザー、そして不在の間ここに詰めていた副団長であった。
「おう、すまねぇな。ちょっと野暮用でよ。それで、どうだったんだ夜街の方は――」
定時報告の為訪れたのだと思っていた団長はいつもの調子で問おうとしたのだが、ゲイザーはそうではなく、頬を引き締め、こう告げた。
「団長、事件の犯人が――殺されました」
ゲイザーの言葉は、団長をして驚かせるものであった。
見れば、ゲイザーの隣に立つ副団長もやはり、緊張した面持ちであった。
「どういう事だ。何を以ってその――殺された奴が、犯人だと解った?」
「まず、順序を追って説明しますが……我々が夜街で調査をしていた際、突然悲鳴が聞こえまして――そこに急行したところ、若いマッチ売りと、首から血を流し倒れた男が路地裏に居たのです」
「ほう」
「マッチ売りは錯乱しながらも言いました。『この男があたいを買うって言ったからここに連れてきたのに、いきなり刃物を取り出してきて――』と。男の手には、確かに幅広のナイフが握られていました。それも血の滲んだ、くすんだ色をしていたのです」
「つまり、容疑者と思しきその男は、殺そうとしたマッチ売りに殺されたって事か?」
だとしたらなんとも虚しい結末である。
その男が連続殺人の犯人かははっきりしないが、少なくともマッチ売りを手に掛けようとしたのは確かなのだから。
しかし、ゲイザーは神妙な面持ちで首を横に振るのだ。
「いえ……マッチ売りが襲われた際に、偶然その場に別の、黒衣の男が現れたらしいのです。その黒衣の男が二人の間に入り、格闘の末に喉元にダガーを突き刺した――黒衣の男は、マッチ売りに向け『この男が殺人事件の犯人だ。これが証拠だ、役人に渡すと良い』と、この書簡を投げ渡しながら去っていったそうです」
言いながら、懐からリボンでまとめられた書簡を差し出してくる。
「……何と書いてあった?」
「他者の殺害を依頼する旨の書かれた『依頼状』です。あて先はコリンズ――調べの結果、この、殺された男がコリンズでした」
あまりにも出来すぎた話であった。
しかし、ゲイザーに言われた通り、広げた書簡には、その内容そのままの事が書かれていたのだ。
これには団長も唸らざるを得ない。
「団長、これはもしや、例の暗殺ギルドの――」
副団長が一歩前に進み出るも、団長は首を横に振った。
「解らん。少なくともあて先は個人向けだ。この殺されたコリンズとかいうのが、単独で殺しの依頼を請け負っていただけかもしれん。つまり、その、なんだ――
「では団長、コリンズを殺したのは――」
「可能性として考えられるのは、好き勝手に依頼を受付け、実行していたのを良く思わなかった暗殺ギルドかもな。ダガーで喉を一突き、というのもそれらしい」
つまらん話だが、と、広げた書簡を副団長に向け放り投げる。
「おっ、と――だ、団長っ」
「……
「よろしいのですか? もし仮に、犯人が他に居たとしたら――」
流石にその即断には困惑したのか、ゲイザーも頬に汗を流しながらに上司を見つめるのだが。
「その書簡を見た限り、最近の胸糞悪い事件の犯人はそいつで決まりだ。物証も状況もはっきりしちまってる。俺らが認めたくなくとも、『次の事件』でも起こらん限りは上がそいつを犯人だと決めちまうよ」
肝心の団長殿は、もうやる気をなくし、自分の椅子へと座ってしまった。
「闇の中を歩くなら、歩き慣れた奴の方が速ぇって事か。俺達ぁ、ちょっとばかし遠回りをしてたのかもしれん」
椅子の上でふんぞり返りながら、団長は誰に向けてか、そう呟き、眼を閉じた。
「はあ、なんとも嫌な事件でしたね。変な容疑がかかりそうでしたし、騎士団の目は何故か私や貴方にまで向いていました」
いやんなっちゃいました、と、フィアーが苦笑する。
時は夜。夜食の支度を終えたあたりで、丁度彼女が訪れたのだ。
結果、二人で食事を取りながらの内訳話という、珍しい状況になっていた。
「まず、今回の仕事は前もって説明した通り、ギルドからの直の依頼でした。最近、また人目を盗んで殺しの依頼を請け負う輩が出てきましたから」
「今回は前の女よりも手ごわかったな。あの、元冒険者の奴より」
今朝方釣り上げたパゾのワイン煮をナイフで切り分けながら、二人分の皿へと盛り付けていく。
ちょっとしたディナーだが、生憎と手元にあるのは『エリー』の持ってきたパンのみだったので、これで食べる事になっていた。
「今回の目標コリンズは、元はギルドの末端だった男です。ある程度格闘術に秀でていて、戦時中は従軍していたのだとか」
身内の
フィアーが依頼し、クロウが実行するまでに一夜しか掛かっていない。
「ただ、金に目のない男でして……彼を支配下に置いていた『仕立て屋』は、払うものさえ払っていれば忠実だったので役に立つと思っていたらしいですが、生憎と、いつまでも飼い犬ではいてくれなかったらしいのです」
困ったものです、と、眉を下げながら、皿の上のパゾを丁寧に切り分けていく。意外にも品の良い仕草であった。
「まあ、誰かが殺すのの手伝いをするだけよりは、自分で勝手に請け負って直接金を貰った方が、儲けられると思うだろうしな――」
「ええ。実際、それでギルドを装い酒場等でクライアントに近づき、勝手に殺しの依頼を請け負っていたらしいです」
巷をにぎわせていた女ばかりを狙っての殺人事件。
いつぞやの女の顔狙いの事件を彷彿とさせるものであったが、今回はより残忍に、より酷薄に実行されていた。
「彼が請け負っていた仕事は『ありとあらゆる女を殺すこと』。クライアントは度を越した女性不信らしく、女であればそれだけで憎くて仕方なかったらしいですよ?」
「……とんだ迷惑だな。前の顔狙いの時もそうだったが、なんでこう、弱い者狙いの犯行と言うのは、歪んだ思考を持った輩ばかり関わってくるのか――」
ろくに抵抗もできないであろう娼婦や妊婦狙いの犯行など、鬼畜の所業と言うほかない。
殺しを生業にするクロウでさえ、それは『余程でない限りは』やってはならないと思っていた。
「まあ、正直な話この程度の小物は貴方を使うまでもなかったのですが……今回は、間が悪かったですからね」
「ああ、今回に関しては本当にツイてないとしか言いようがない」
一口大に切り分け終わったパゾをフォークに刺し、口に運ぶフィアー。
はむはむと静かに噛み味わっていたらしいが、やがて小さく肩を震わせる。
「――これ、美味しいですねっ」
一瞬、素が垣間見えていた。
「……こほん。とにかく、偶然なのか狙ってか、貴方の『仕事』と被る形で、殺し方まで似通った連続殺人が起きてしまった。これは大変不味い事でしたから」
ほんのり頬を染めながら、フィアーは説明を続ける。
「すぐさま対処が必要、と判断した訳です」
フォークの先端をピン、と立てながら力強くクロウを見つめる。
「ああ、よく解った。それで、パゾのワイン煮込みはどうなんだ?」
そんなフィアーからあえて視界を逸らし、パンを千切りながら、クロウは問う。
「……プルプルしててすごく美味しいです。私、魚はソテーにして食べる派だったのですが、煮て食べても素晴らしいのですね」
フィアーは神妙な面持ちであった。あまり認めたくないのか、そっぽを向いてしまう。
「そうだろうそうだろう。この味が私の釣りによって得られるのだ。釣りも悪くはあるまい?」
対してクロウは、そんなフィアーの様子が愉快でたまらないとばかりに言葉で突くのだ。
だが、フィアーはそれに反応し、唇を尖らせながら睨む。
「パゾが食べたければマーケットで買えば良いのです。何も自分で釣る必要なんてないではないですか」
「頑固な奴だ――まあいい。しかしなんだな、折角のパゾだが、白パンにはあまり合わないな」
クロウは呆れながらも苦笑し、ちぎったパンを口に放り込んでいった。
「そうですか? 私は白パンの方が柔らかくて好きですが」
「黒パンの酸味が、パゾの甘みや柔らかい肉質に良く合うんだ。機会があったら試してみると良い。白パンは何にでも合うが、その分絶品になる組み合わせみたいなのがないから面白くないんだよな」
食に関して、クロウには一家言あった。
逆にこの辺りフィアーは適当で、口に入れば何でも良い的なファジーな考えを持っているため、クロウはよく反発する。
ギルドの女幹部と下っ端暗殺者の立場が、珍しく入れ替わる瞬間であった。
「むむ……なんでこう、貴方はそんなどうでも良いところばかり拘るんだか――まあ、いいですけど」
あまり拘りのないフィアーは、この辺りどう対処して良いのか本気で解らないらしく、クロウに言われるままになってしまう。
仕事に関係しない限りは強く言うつもりもないらしく、釣りを趣味にしている事以外は騒ぎ立てるような事もない。
最近のフィアーは、以前と比べ態度が軟化しているようにも感じられ、クロウとしても気楽であった。
「でもクロウ、気をつけてくださいね。今回の件で、どうにも騎士団が『ベルク』に眼をつけ始めているような気がします。しばしの間、目立つ行動は避けてください」
「それはつまり、当面の間『仕事』を干されるという事か?」
「仕方ありません。一月か二月か……せいぜい『まっとうな人生』を謳歌するといいでしょう。ただ、『ベルクの恋人エリー』は、定期的にここに訪れる事になりますが」
完全にギルドから離れるわけではなく、あくまで監視下での自由時間、という事になるらしかった。
クロウは苦笑しながらも「それもよかろう」と、皿の上のパゾに一気にかぶりついた。