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#10.幽霊殺し(後)

「次の依頼です」


 二日後の夜。

例によって突然現れたフィアーは、内訳話をするでもなく、こう切り出し、クロウを驚かせた。


「待ってくれ。前の仕事の内訳も話さずに次の仕事とはどういう事だ? それにスパンも短すぎるぞ」


 壁に寄りかかりながらも、何が起きているのか解らないクロウは、フィアーの顔を睨むくらいしかできなかった。

だが、フィアーは表情一つ変えずに口を開く。


「言ったでしょう? 『今回の依頼は特殊なケースだ』と。何も、一つの仕事をこなせばそれで終わるというものではないのですよ」


 淡々とした言葉に、クロウもそれ以上は反論ができなかった。

今までがそうだっただけで、何も依頼の制約上このようなケースが無いとは、少なくともフィアーは説明しなかったのだから。

ありえないことは最初から説明する彼女の性質上、何も言わないという事は有り得る事なのだと、そう考えなくてはならぬと、クロウは苦々しく思いながらも肝に命ずる。


「……今度はどこの幽霊退治だ?」


 結局、話を進めるほか無いのだ。それが仕事であるのならば。


「幽霊はもういいです。次の目標はコントラシュ伯子息キース。コントラシュ伯はご存知かしら?」

「ああ、戦後の復興に貢献した有力貴族の一人だとは聞いたが……」

「その子息キースは、かねてより放蕩ほうとう三昧で他の若い貴族仲間と共に遊びまわっています。貴方なら、手段を選ばなければ容易に片付ける事が出来るでしょうね」


 有力貴族のせがれとは言っても、その品位は必ずしもとうとくくはないという事だろうか。

フィアーの大雑把な説明に、しかし、何か含むものを感じ、クロウは口を開く。


「その口ぶり、もしや、何か条件があるのではないか?」

「ええ、ありますよ。キースを先日の『西の森の幽霊に呪い殺された』という形で葬る事。その遺体を少しでも多くの公衆に晒される様にする事。この二点です」

「……また幽霊か」


 幽霊退治の後は幽霊となって殺せとは、なんともはや。

クロウも思わず苦笑いしながら、疑問を口にし始める。


「目標を『呪い殺す』のはいいが、そもそも幽霊によって殺された、という話は、噂を聞く限り一件もなかったと思うのだが?」


 ゴシップを信用するのも変な話だが、クロウが知る限り、今回の幽霊騒動による犠牲者は一人もいない。

確かに幽霊のフリをした名も知れぬ老人はいたが、これが何をしようとしてどのような風に幽霊として振舞っていたのかも内訳を聞かぬ今では解らぬままである。


「それに関しては、部分的にではありますが内訳を説明しましょう」

「部分的に?」

「こうして連続した依頼をこなす際には、どうしても部分部分で説明を省く事が出来ない事もあるのです。全部を説明するのは職人の心理上あまりよろしくない。けれど、その中にも必要な情報というのはありますから」


 ベッドに腰掛けたまま、フィアーはぽん、と手を叩き、区切り目をつけた。





「ふあ……ちょっと飲みすぎちまったかな――」


 貴族達の館が並ぶ王城周りの通りにて。

太った青年貴族キースが一人、従者もつけずにふらふらと歩いていた。

なんとも無用心な事ながら、ここは天下の貴族街。

定期的に近衛隊が巡廻し、治安は街中より遥かに高い水準で維持されていた。

普段は従者や護衛の一人もつける貴族の子女も、このような場所ではその警戒を解き、存分に夜更かしをしたものであった。


「しかしネリアめ、折角俺が顔を出してやったっていうのに欠席するなんて。この俺が、コントラシュ伯爵の跡継ぎの俺が誘ってやったのに、クソ! 腹が立つ女だな!」


 気分良く酔っていたように見えた彼は、しかし、言い寄っていた娘が思うようにならず、不機嫌のままに叫んでいた。

ここは貴族の世界。全てが家柄・血の力で決まり、どのような横暴も横柄もそれ次第で許されもする。

貴族としても名の知れた家に生まれた彼にとって、自分になびかない娘など、そうそう許せたものではなかったのだ。


「もうリックもアインズもいないんだ! ここらのパーティー会場で、俺に敵う権力者なんてどこにもいないってのに!! 王族のめかけにでもなるつもりか!? 下級貴族の分際で!!」


 酔いの為か、そもそもの性質ゆえか。

彼は夜更けにも拘らず、構いもせず叫んで回る。

それは酒の罪にするにはいささか度が過ぎており、だが、周りには誰も居らず、それを止めることなどできはしない。


「――ははっ、そうだ、あいつらはもういないんだ。偽善者ぶったリックもいない。インテリぶったアインズもいない。全部全部、幽霊のおかげだぜ。ははっ、はははははっ!!」


 あの『西の森の中の幽霊』のおかげで、彼にとっての邪魔者達はいなくなっていた。

パーティー会場では『親友二人を失くした悲劇のヒーロー』として、彼は話題の中心、注目の的となっていた。

どんな娘も彼には優しく微笑み、話しかけてくる。

こんな事は、彼としてはそうそう無かった事であった。


 歳若い貴族の子女達にとって、社交の場とは『いかに有意義に暇を潰したか』などの自慢話の場であった。

多くの者が不自由のない、かつ縛りの無い退屈な日々を送り、それが為、社交の場では刺激を求められる傾向が強い。

無謀な冒険をするほど英雄視され、人の命に関わるほどの事件に関わったなどというスキャンダラスな話は、彼らの中では特級の武勇伝であった。

そのような場で、キースは英雄となったのだ。

それまでのように拮抗したライバルも居らず、今宵彼は独擅場どくせんじょうを楽しむつもりであった。

誰にはばから戦利品・・・を傍らにおいて。


 だが、全てが彼の思うまま、とはいかなかった。

彼が最も執心していた下級貴族の娘・ネリアが、彼の誘いを蹴り、パーティーを辞退したのだ。

理由は『執事の突然の病死によるもの』としていたが、わざわざ馬車を館に乗り付けてまで同伴させようとしていたキースにとって、それは大変腹立たしい、許容できないモノであった。

いつもなら言い寄ろうとしていたところをアインズかリックに邪魔されていた彼にとって、今宵こそは絶好の機会、と、はりきっていたのだ。

それだけにこの結末には落胆し、パーティーも楽しめず、適当に場を濁し、こうして馬車にも乗らずに一人、公園の傍などを歩いていた。



「……うん?」


 そこで彼は、妙なものを見つけた。

白い布だ。暗闇の中でも目立つ白い布が、公園の隅の方に落ちていた。

それは普段なら見過ごし、あるいは気にもせず放置していた物だが、キースはどうしてか気になり、視線をそちらに向けてしまった。


 しかし、それが間違いであった。

なぜなら、その白い布は突然浮かび上がり――キースに迫ってきたのだ。


「なっ――」


 酔いは唐突に醒める。

突然の事に驚愕し、頭を振り、しかし、それでも尚布は浮いたまま迫ってくるのだ。


「ひっ、そんな、そんな馬鹿な――」


 彼には、ただの白い布が浮かんでいるだけには見えていなかった。

布はやがて形を成し、不気味に揺れながらもその貌をキースの前に晒す。


「なんでこいつがここにっ――あれはただの噂じゃ――」


 震えながら後じさり。ゆらりゆらりと近づいてくる『幽霊』の姿に、いよいよ我慢しきれなくなったのか、背を向けてしまった。


『逃がさんぞ、キース!!』


――背を向けたキースの前には、頭から血を流した眼鏡の青年が立っていた。


「ひぃっ!? あ、アインズっ!? お前、死んだはずじゃ――」


 その顔に、あんぐりとあけた口を閉じる事もできぬまま、キースはまた一歩、二歩と後じさる。

とん、と、柔らかな布がキースの背に当たった感触。幽霊が追いついてきたのだ。


「ひぃぃぃぃぃっ!! う、うあぁぁっ、だ、誰かっ、誰かぁぁぁぁぁっ!!!」


 その感触に何かが振り切れ、キースは恐怖のまま走り出してしまう。


「ど、どうしてっ!? なんであいつがっ!? なんでなん――」


 錯乱したまま公園を走る彼の喉に、突然何かが喰い込んでゆく。

かと思えば、突然足元の感触が薄れ、バランスを崩してしまった。


「うぐっ――ぎっ……」


 苦しげに呻き、喉に手を当てるも苦しみからは解放されず。

目を見開き、口から泡を吹きながら、やがて力なく項垂うなだれ、動かなくなった。





「――ふむ。『女の化粧』も存外、馬鹿にならんな」


 慣れぬ眼鏡を外しながら、白化粧を施したクロウが苦笑する。

視線の先には、自らの重さで首を絞められ絶命したキースが、黒く塗った鉄糸の上にぶら下がっていた。


「首吊り幽霊の呪いとするには、ちょっとばかし出来すぎた死に方な気もするが――」


 それは皮肉な事に、キース自身がパーティー会場で語っていた『親友二人の死に様』と同じ末路であった。


「せめて『次の明日』は、まともな生き方を選ぶんだな――」


 慈悲を向けながらも、その死に様は自業自得のようにしか見えず。

あまり気持ちを向けることも無く、クロウは淡々とトラップを外していった。





「まず、今回のクライアントから説明しましょうか」


 フィアーが内訳を話しにきたのは、その次の夜の事であった。

あまりにも早いので、クロウは最初、『また次の依頼か?』と警戒していたのだが、流石にそれはないらしく。

報酬をクロウに渡すや、すぐさまベッドに腰掛けた彼女は、余計な前振りもなしに説明を始めたのだ。


「最初の『幽霊退治』のクライアントはコーンビール伯爵及びベスタ伯爵。この両名です」

「……どちらも、依頼の合間に聞いた『幽霊事件の被害者』の父親か」

「ええ、その通り。事件そのものは巧妙に隠蔽いんぺいされましたが、実際には被害者の親であるこの両名は犯人捜しに躍起になっていたのです」


 要領のわかっているクロウに、フィアーは満足げに頷き、説明を続ける。


「そうして、『殺人犯』であるあの執事に行き当たった訳か」

「その通り。貴方が仕事をこなした事により、復讐として、この依頼は何ら問題なく片付いた……はずでした」


 しかし、そこまで説明して、フィアーの瞳から感情が抜け落ちていった。



「そもそも、この『西の森の幽霊の噂』というのは、あの執事の仕えていた男爵令嬢『ネリア』が、パーティー会場にて『性質の悪い三人組』に目を付けられた事が発端となっているのです」


 人差し指を立てながらに、淡々と説明は続く。


「貴族とは言っても下級、本来ならパーティー会場ではあまり居場所の無いネリアは、しかし、その美貌で数多くの貴族の子息を虜にしていました。本人の意思とは関係無しに」

「……あの爺さんの言ってた『お嬢様』か」

「ええ。本来物静かで、あまり異性と話したりはしないネリアでしたが、ある時、どうしても断りきれない、断っても構わず言い寄ってくる者達がいたのです。それが『キース』『リック』『アインズ』の三人。彼らはいずれも大貴族の子息。地位や名誉が強みを持つ社交の場では、下級貴族の意思などあってないが如しでして」


 そこまで話すと、小さく吐息する。

その様にはどこか哀愁が漂い、部屋を支配する『空気』も、儚げなものであった。


「結局、三人の内のいずれかを選ばなくてはならないように、そう仕向けられてしまったらしいです。しかも公衆の場、数多くの貴族の子息令嬢が並ぶ中、そう約束させられてしまった」

「まったく、貴族って奴はろくなもんじゃないな」


 そこまで聞き、クロウは義憤からか、皮肉を込めて突っ込みを入れる。


「ただ、ネリア自身そうなるのは薄々と解っていたらしく、事前に『ある計画』を実行に移していたのです。それが、『西の森の幽霊』の一件。予め自分の意を汲んだ、信頼の出来る執事に幽霊を演じさせ、様々な者に幽霊の存在を知らしめた」

「あの噂はネリアの考えたものだったって事か」


 クロウも思わず唸ってしまう。貴族令嬢の考えた一件にしては、あまりにも悪趣味であった。


「ネリアとしては、どうしても彼らを選びたくはなかったのです。三人は三人とも、社交の場ではあまり評判が良くなかったので。人格面でもそうですが、気に入った娘を喰い散らかしては泣き寝入りさせ、というような事を繰り返すような輩だったそうですから」


 ネリア本人としては必死の策だったのだろう。

自分まで喰い散らかされてはたまらないと考えたならなるほど、多少は過激だったとしてもクロウにも理解はできた。


「幽霊の存在が社交の場でも噂になっているのを確認したネリアは、『自分を選べ』と言い寄ってくる三人に『噂の真相の解明と解決』を条件に出したのです。勿論その先では自分の仕向けた通り、執事が三人を殺す手はずになっていました」

「だが、キースだけ殺せなかった」

「狡猾なキースは、ネリアとは別にこの一件を利用して他の二人を亡き者にしようとしたのです。森に、自分の配下を紛れ込ませて」

「では、あの執事は誰も殺せなかったという事か?」


 クロウは、どうにも混乱してきてしまっていた。

話が複雑化してきたのもそうだが、先が読めなくなってきたのだ。


「いいえ、執事は確かに殺しましたよ? キースの配下を、ですが」

「なら、執事はなんで森に居続けたんだ? そのままいても何もいい事はないだろうに」

「ネリアを通じてキースが生きていることを知った執事は、自分が幽霊としてそのまま森に留まる事によって『幽霊騒動は解決されていない』という流れに持っていこうとしたらしいのです」

「……」


 しかし、その結果執事は二人の親から恨まれ、クロウに殺される事となってしまった。

なんともやるせない話に、クロウは黙りこくってしまう。


「執事が殺された事を知ったネリアは、生き残ったキースの存在に身の危険を感じ、いよいよ後がなくなったと考え、暗殺ギルドに仕事を依頼してきたのです」

「それが二件目に繋がる訳か」

「ええ。加えてキースはパーティー会場などでもその話を自分から話題として広めて回り、あたかも自分を悲劇の英雄のように語っていたそうでして。人が死んで尚そのように振舞うその愚かさに、心底呆れてしまったというのもあるらしいですが」


 下級貴族に過ぎないネリアが、何故、どのようにして暗殺ギルドの存在を知ったのかは定かではないが。

いずれにせよ、第二の目標キースは、クライアントであるネリア視点で、見るに耐えない汚物だったという事だろうか。


「……貴族の考えることは良く解らん」


 ここまでの説明を聞き、クロウは痛む額に手を当て、呟いた。

確かに放蕩貴族に弄ばれるなどもってのほかなのだろうが、もう少し他にやりようはなかったのだろうか、と。


「まあ、貴方の視点でそれがどんなに馬鹿らしく映ろうと、当人にとっては生死を分けるほどに重要な問題である事も少なからずあるのですよ、貴族間のお話というのは」

「ああ、まかり間違って貴族になれそうでも、貴族になるのだけはやめておこう。耐えられそうに無い」


 数多くの仕事をこなしてきた彼をして、貴族の思考回路は理解が困難であった。

少なくとも今の彼はそう考えていた。考えるようにしていた。


「私も耐えられそうにないですね。貴族の暮らしって、きっとつまらないですよ。だからこんな事件が起きるんです」


 珍しく、フィアーが賛同していた。浮かない顔のままではあったが。


「本当、馬鹿みたい」


 最後にそう呟いた彼女の顔は、クロウから見ても、今までに見たことのない、悲痛な感情が表に出ていた。


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