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#9.幽霊殺し(前)

 陽の落ちる間際の頃。

薄暗闇うすくらやみにかすかに当てられる陽の残り香が、時として人に予想外のモノを見せる事があった。

夜の深まった闇の頃。

深淵の中からきまぐれに、現世うつしよへと手を伸ばす白が見えることがあった。

怪奇に触れ、人は怯える。おじける。狂気へと堕とされてしまう。

人は怖いのだ。正体のわからぬソレを。

人は理解できないのだ。何故ソレが怖いのかを。


 そんな深まった夜道を往く物遊びの若者達がいた。

いずれも身なり、血気の良い青年ばかりが三人。

人気の無い深夜の森を、カンテラ片手に歩いてゆく。


「アインズ、この辺りが噂になってる場所なんだって?」


 中央を歩く逞しい青年が、歩きながらに右隣を歩く眼鏡の青年に問う。


「ああ。うちに出入りしてる商人も見たらしい。夜遅くに急ぎで馬車を飛ばしてた時に出くわしたんだと」


 アインズと呼ばれた青年は、腰に持った剣の柄の位置を確かめるように触りながら説明する。


「ははは。俺達でその正体を突き止めれば、今度のパーティーで良い話のネタになるな」


 左を歩く太めの青年が笑いながらカンテラを揺らした。

三人の影がぐらぐらと踊ってゆく。


 この三人は、ちまたで噂になっている『西の森の幽霊』の真相を確かめるため、こうして歩いていた。

噂によれば、教会の鐘も鳴らぬほど深く鎮まった夜、森を通行しようとした者の前に、白い服を着た女が現れるのだとか。

その女が大層な美女であるとか、骨のようにやせこけた不気味な顔をしていただとか様々な目撃証言があるが、いずれも曖昧な部分が多く、見た事のない者は「所詮は噂」と笑い捨てていた。

だが、実際問題見かける者も多く、話題としては手ごろだったのだ。

この三人もいなければいないで「パーティーで狙った娘に口説く為のきっかけくらいにはなるだろう」程度の軽い気持ちで訪れていた。



「でも、なんでこんなところなんだろうな。やっぱり、野盗か何かに襲われたんだろうか?」


 眼鏡のズレを直す素振りをしながら、アインズが呟く。


「まあ、俺達が生まれる前の時代なんかはここら辺でも沢山戦いがあったって言うし、何があっても不思議じゃないのかもな」


 太った青年が皮肉げに笑ったが、逞しい青年は顔を引きつらせていた。


「……どうかしたのかリック?」


 その顔が気になりアインズは問うも、彼は顔を引きつらせたまま声も出さず。

ただ、彼らの背に向け、指を向けていた。


「――うん?」

「後ろに何か――」


 指さすままに振り返った彼らの前には――何もいなかった。


「なんなんだよ、全く――」

「驚かせやが……リック!?」


 しかし、一瞬。ほんの一瞬の間であった。

彼らが視線を戻した時には、既に彼の姿は消え去っていたのだ。


「アインズ……これ」

「あわてるなよキース。おいリック、悪い冗談はやめろよ!!」


 二人、頬から汗を流しながらも、アインズはこれをリックの悪戯と判断。

大声をあげ、姿を現すように呼びかけた。


「どうせそこらへんに隠れてるんだろ? お前、俺達を笑いモノにする気なのか? おい!!」


 しかし、どれだけ叫んでも返答は無い。

茂みからリックが出てくる様子も無い。


「なあ、ちょっとやばいんじゃないのか? 本当にリックの悪ふざけなのかよこれ――」


 しばしその様子を見ていたキースだが、一向に状況が変わらないのと、薄ら寒い空気を感じ始め、アインズに話しかけていた。


「当たり前だろ! なんだキース。お前、まさかこれが『噂の幽霊』のしわざだとでも言うんじゃないだろうな?」


 若干息が荒くなっているのは声をあげすぎたからか。

冷静さが欠けはじめ、アインズは声を荒げてしまう。


「だ、だってよ。何か、色々おかしいじゃないか。リックも出てこないし――」

「だから何だってんだ! いいから黙ってろよ。おいリック! リック!!」


 キースが疑問に思うのも構わず、アインズは叫び続ける。

ヒステリックな、しかし何かに縋るようなその声は、虚しく夜の森に響き――そのまま消えていった。


「ち、ちくしょ――リックの奴。こうなったら俺達だけで噂の正体を突き止めてやるぞ」

「落ち着けよアインズ。とにかく、一旦引き返そうぜ? リックの家の人にも言って、人手を集めよう」


 苛立ちを抑えられないのか、地べたに転がっている枝をぱきぱきと踏みつけだすアインズ。

キースはそんな彼に引き返すことを提案したが、彼は首を横に振るばかりであった。


「ふざけるなよ。帰るならお前一人で帰れ。そんな事して笑いモノになるのはお前だけで十分だぜ!」

「お前――そんな言い方は無いだろう! 俺達だけじゃ危ないかも知れないって言ってるのに!」


 あんまりな言われように、キースもついに耐えかね、アインズに背を向けてしまう。


「解ったよ。このままお前一人で騒いでろ!! 俺は屋敷に戻って人手を回してもらう事にするからよ。あばよ!」

「精々恥をかいてネリアに笑われるがいいさ。俺は一人でも噂の正体を確かめてやる。こいつでな!!」


 腰に下げた剣を抜き、その場で振り回してみせる。

型にはまっている訳でもなく、ただ振り回しているだけなので迫力はあまりなく。

それを見たキースは呆れたようにため息を吐き、一言。


「勝手にしろ。ネリアはお前みたいな無鉄砲な奴は相手にしないだろうけどな」


 捨て台詞のように吐き捨て、そのまま街へと戻っていってしまった。


 結果として、これが彼らの命運を分けることになった。





「西の森で幽霊騒ぎか……ようやくゴシップらしくなってきたな」


 街の中心にある公園にて。

ベルクは一人ベンチに腰掛け、先ほど購入したばかりのゴシップを楽しんでいた。

長らくの間暗殺ギルド関連の連続殺人についての記事ばかりで辟易としていた彼であったが、今回の記事には満足であった。


 一面にはまず森での幽霊騒ぎ。

数多あまた怨霊おんりょう渦巻く狂気の森』という見出しである。いかにもゴシップらしい。

出版者の手描きなのか、あまり上手いとは言えない絵心で描かれたイラストも笑わせてくれた。

何より記事があたかもそれが存在するかのような書き出しなのに、締めまで読んでも実際には何一つ正確な情報が載っていない。

信憑性しんぴょうせいの欠片も無い自称専門家のありがたいコメントも、ありがちだがベルクには中々に楽しめた。

ただ、その専門家の中に見慣れた自称勇者の名前があったのだけが彼には予想外だったが。


「ほんと、怖いですよね。幽霊って」

「うぉっ!?」


 そして気がつくと隣にはフィアー……いや、エリーが座っていた。

これにはベルクも驚かされる。何一つ感じ取れていなかったのだ。


「なんだ突然。まるで君の方が幽霊のようだったぞ」

「まあ! 巷で有名な『森の美人な幽霊さん』のようだなんて、ベルクさんたら本当にお世辞が上手いんですから。もう、もう!」


 ベルクの皮肉も、勝手に良いほうに受け取ってぐりぐりと肘を押し当ててくる。


「そんなに嬉しい事言ってくれても、今夜は駄目ですよぉ? いくらベルクさんが素敵でも、私にも予定というものがありますから」


 ぱちりとウィンク。上目遣いで甘えた声。

慣れていなければ、また、彼女の正体をそうと知らなければ、男では抗い難い魅了みりょうであった。


「それは残念だな。でもエリー。なんでまた、ここに?」


 慣れているベルクは気にしない。

彼女が自分に構ってくるという事は、何がしか『仕事』に関係あるものと解っていた。


「はい。私、大好きなベルクさんの為に頑張ってパンを焼いて持ってきたんですけど。何故かおうちにはロッキーさんしかいませんでして」

「相変わらず人の家に勝手に入ってくる奴だな……」

「まあ、『ベルクさんなら公園にいるんじゃないか』と教えてくれたのでこうして来たのです」


 そしてロッキーは鋭かった。教えた訳でもないのに何故知っているのか。ベルクは驚愕した。


「このまま私とデートしたい気分なのはわかるんですが、私としては落ち着くベルクさんのおうちでいちゃつきたいなあって思うんですが、いかがでしょうか?」


 にっこりと微笑みながらベルクの顔を見つめる。勿論彼に拒否権などはない。


「ああ、私も丁度、家に帰ろうかと思ってたところなんだ」


 新聞は適当に折りたたみ、ズボンのポケットにしまいこむ。

そんなに分厚いものでもない。簡単に収まった。


「じゃあ帰りましょう♪」


 立ち上がったベルクに、あわせて立ち上がり右腕に抱きつく。とても自然な仕草でそれが決まっていた。


「……ああ」


 とても幸せそうに微笑むエリーを見て、彼は一つ。


(女って、訳が解らんな――)


 これが演技だとわかっているのに、なんでこんなに幸せそうな顔ができるのかが解らなかった。

エリーの仕草も表情もとても自然で、違和感がまるでない。

だからこそ、それが演技だとわかっている彼にはその自然さが不自然に感じてしまっていたのだ。

エリーが、いや、フィアーが何を考えこうしているのか。

これはギルドの幹部として、仕立て屋として必要な行為なのだろうか、と。

だが、それは顔には出さず。態度にも出さず。

『エリーの恋人』としてのベルクは、そう悪い顔はせず、可愛らしく甘えてくる恋人と二人、語らいながら帰ってゆくのだ。





「今回から、少しずつですが、今までと比べて若干難しめの、特殊な仕事が増えると思います。肝に銘じておきなさい」


 部屋では、彼女は冷酷なギルドの幹部であった。

下っ端に過ぎない彼は、偉そうにベッドに腰掛けるフィアーに対し、いつもどおり壁を背に、話を聞いていた。


「特殊とは、どのような方向性でだ?」

「一概に言えません。基本的には今までのように単純な、ただ目標を殺せばそれで終わるようなモノとは異なる仕事だと思ってください」

「条件付きの仕事とはまた毛色が違うのか」

「条件とは別の部分で、通常の仕事とは明らかに違う『何か』があるケース。それが私達の言う『特殊な仕事』と言えるでしょうね」


 つまり、クライアントによる指定ではなく、それ以前の部分で通常とは違う事があるのだろう、と、クロウは考えた。

静かに頷いてみせると、フィアーは満足げにすまし顔で説明を続ける。


「実を言うと、今回もその特殊なケースでして。まず、目標ですが、『西の森に出没すると言われている幽霊』です。これを殺しなさい」


 一瞬、クロウは彼女が何を言っているのか理解できなかった。

空気が凍りついたというべきか、時が止まったというべきか。

とにかく、その瞬間だけシン、と、部屋の中の全てが止まっていたのだ。

少なくとも、クロウにはそう感じられた。


「幽霊を殺せ、と言ったか?」

「ええ、言いましたよ」


 ようやく搾り出すように確認したのだが、フィアーは表情一つ変えず、さも当たり前のようにそれを肯定した。


「……フィアーよ、私はいつから対魔師エクソシストになった?」

「何言ってるんですか。貴方はただの暗殺者ですよ」

「なんでこのクライアントは司祭様ではなく暗殺ギルドに依頼したんだ?」

「詳しく知りたいのなら仕事をこなしなさい。仕事の前にそれらを知ることは許しませんよ」


 メッ、と、指を交差させながら、抗議するようにクロウを睨んでいた。

見た目こそは恋人を装っていた時と変わらず愛らしく見えるが、その眼光の鋭さは裏の道に生きる女のそれである。


「いや……解かるが。ギルドのルールには従うが。だが、幽霊を殺せとは――」


 確かに特殊な仕事だとは聞いたが、いくら何でも幽霊は無理だろうと。


「逆に、対魔師でも司祭様でも無理で、でも貴方なら出来る、という状況を考えてみなさい」


 特殊すぎる目標に、流石に困惑していたクロウであったが、フィアーの言葉にハッとさせられていた。


「ギルドは、達成が不可能な依頼は、最初から受けることは無い」

「そういう事です。私が依頼を受け、貴方に流すという事は、それはつまり『貴方ならこなせる仕事』という事。少なくとも、仕立て屋である私はそう考えている、という事です」


 それは、ギルドの基本的なルールであった。

ギルドと仕立て人、そして職人の関係を示す初歩中の初歩。

それを思い出すことによって、クロウは依頼の『真意』に気付く事が出来たのだ。


「――解った、話を聞こう。質問はいくつかあるんだ」


 冷静さを取り戻す。既にいつもの彼であった。

個を消し無と成り闇に溶ける一となる。

その為に、いくつかの問いを進めた。



 森は深く、夜は暗く、闇は甘く。月の輝く夜に、果たして幽霊は現れるのか。

カンテラ一つを手に、クロウは一人、森を往く。

虫の音が道先を示し、無音が存在を知らせていた。

進もうとする先、ほんの五十歩ほど先である。

暗闇む森の中ともなれば、カンテラなしには何も見えぬに等しい。

だが、クロウはあえてカンテラを適当な脇の木へとくくりつけ、灯りもなしに引き返す。

ただ無音。草一つ踏まず、土の上を慎重に戻ってゆく。

草陰の無音は、しばしそのまま佇んでいたようだが。

だが、一向に動き出さぬカンテラに疑問を感じ、やがてカンテラへと近づいてきた。

草間の虫が逃げてゆく。虫の音が、カンテラのあたりでぴたりと止んだ。


「――!?」


 そうして、暗闇から飛び出し、木にくくりつけられたカンテラを見て驚いていたのだ。

その表情、滑稽そのものであり。

まして『噂の美人の幽霊』とはとても思えぬ、髭をたくわえた老齢の顔であった。


「そこまでだ。抵抗は無駄だぞ」


 驚き、下がろうとした男の首筋に、クロウは後ろからダガーを突きつけた。

ひんやりとした感覚に、男は喉を鳴らす。

白い手袋をはめた手。針金のような何かが見えたが、それは動く様子もなかった。

相手の動きを固定するために肩に手を置いていたクロウだが、その感触には若干の安堵も感じていた。


「――お見事。まさかカンテラ一つでこうもしてやられるとは」


 髭の男はしかし、ギリ、と歯を噛みはしたものの、暴れようとしたり、まして命乞いをしようとはしなかった。


「何の為にこんな事をしていたのかは知らんが、悪趣味な限りだ」


 皮肉げに口元を歪めながら、クロウはダガーを上に、慈悲を祈る。

フィアーは特殊な仕事と言っていたが、実際には何のこともない。

幽霊の正体見たりただの人。つまりはそういう事なのだ。


「仕方が無かったのです。こうしなくては、お嬢様が――あの三人は、どうしても捨て置けなかった」

「そうか。良き次の明日を、な」


 目標の言い分など聞くつもりも無く、儀式を済ませ、喉元に刃先を滑り込ませた。

プシ、と音が響き、月の陽の中、赤のカーテンが引かれる。


「ああっ――お――さま……」


 その先に何を見たのか。

手を伸ばし、最後には笑みすら浮かべながら、『幽霊』は倒れ、そして動かなくなった。


「……」


 薄ら寒いものを感じたクロウであったが、死体を予め指示のあった通りに道沿いの木に吊るし、その場を立ち去った。


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