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#2.勲章は従者の手で彼の墓に

 暗い闇の中、男は歩く。


手にはカンテラ。街の見回りの風体だ。


フードを被り、気弱そうにそろそろと一人歩き。


通りの角を曲がるや、あちらをみてこちらをみて。


何事もなしと、「ふぅ」と一息。またそろそろと歩き出す。



 暗闇も更け、人通りもまばらな街の夜。


人の用心、火の用心にと街回りをする町人であった。


建物の影を避け、少しでも明るい場所をとそわそわ歩き。


ようやく後わずかで人気のある通りだと、安堵したその時である。



 かつ、と、鉄靴の音が夜道に響く。



 何ごとか、と、男は怯えたように眼を凝らす。


そこには黒い影が一つ。横道から現れたらしかった。


がしゃり、と鳴る鎧をつけ、ぎらりと光る『何か』を持ったその影が、男へと迫っていた。


さながらに影の騎士。


顔だちこそ暗がりではっきりとはしないが、そら恐ろしい魔物のようにすら、男には思えたのだ。



「ひ、ひぃっ――うわぁぁぁぁっ」



 驚き後じさる。そのまま、悲鳴を挙げながら背を向け走り出した。


逃げの一手だ。非力であろう彼には仕方の無い事であった。町人ならば逃げるしかない。


影は追いかけてきた。がしゃり、がしゃりとやかましく音を立て。


それにしては素早く、しつこく男を追い回した。



 男が逃げた先は、人の多い通りではなく、先ほどまでおっかなびっくり歩いていた暗闇道であった。


最早人などどこにもいない、助けを呼ぶにも何も無い場所まで逃げ、不幸にも行き止まり。



「あ、ああっ――」


「ヒヒッ、追い詰めたぞ犬めっ!!」



 鎧兜から聞こえるくぐもった声は、獲物を追いつめ満足げであった。



「我が剣に掛かって――死ねぃ!!」



 ぎらりと光るその長剣を上段に構え、前に出ると共に一気に振り下ろす。


がき、という鈍い音。鉄の弾かれる音。


怯えていた男は、辛うじて身をかわし、その剣撃を避けて見せた。


一撃必殺のその剣は、男の後ろの壁にぶち当たり弾かれたのだ。



「むっ!?」



 影の騎士は意外そうに驚いた。男の身のこなしにではない。自分の剣が外れた事にである。


まさか、そんなはずが。


違和感を感じながらも振り向いた騎士の眼前に立っていたのは、黒装束の一羽の烏。



――儀式は既に済まされ、次にはもう、短剣が鎧と兜の隙間に突き刺さっていた。



「あっ――がっ――」



 苦しげに首下を押さえるも、噴出する血は止められず。


喉元を刺し切られ、叫び声すらまともに上げられずふらふらと後じさり、壁にぶつかるや、どう、と、騎士は倒れた。



「獲物と思ったか?」



 先ほどまで追い回されていた男は、もはや町人の顔をしてなどいなかった。


いつの間に奪い取ったのか、月明かりに光る銀の勲章を腰元にしまいこみながら、まだ息のある騎士を見下ろす。



「あっ――あっ」



――助けてくれ。まだ死にたくない。


必死になって手を前に揺らすその様子から、そんな命乞いが聞こえた気がした。


だから、男は――クロウは、見下しながら笑ってやったのだ。



「お前が、私の獲物だったのだ」



 にたり、いやらしく笑って見せてやり、そのまま立ち去った。



「うぁっ――かっ――きっ」



 絶望と苦悶の表情のまま、じたばたともがきながら何かを叫ぼうとしていたのが後ろから聞こえたが、クロウは無視した。





「ベルクさん大変だぜ。最近世間を騒がせてた例の通り魔、なんと騎士団の前の団長様だったんだってよ」


「それは本当かい? 最近騎士団の腐敗が酷いと聞いてたが、まさか騎士様がそんな事してたなんてな……」



 例によってロッキーが訪れたのは、二日後の昼の事であった。


遅めに起き、昼食を食べていたところに現れたのだ。


まだ食べていないというので一緒に食べながら。


因みにメニューはエリーの店の白パンとベーコン、それから豆のスープ。



「しかし、どうしてそんな事が解ったんだ? 捕まったとか?」



 自分の事ながら白々しいな、と思いながらも、ベルクは乳白色のスープを啜る。



「いや、それがさ、その騎士様が街外れの倉庫街で殺されてるのが発見されたんだ」


「殺された? それなら、彼も通り魔の被害者だった、というオチではないのか?」


「俺もそう思ったんだけど、詳しく話を聞いてみるとそうでもないらしくてさ……おっ、このパンうめぇ」



 がつがつと口に放り込みながら話を続けるも、エリーのパンを口に入れ嬉しげに眼を見開く。



「この前エリーが届けてくれたんだ。お手製だってさ」


「なるほどねぇ。エリーちゃんパン焼くの上手いって評判だもんなー」



 話が逸れたな、と思いながらも、ベルクもパンを一口頬張る。


確かに美味いのだ。とても人を殺す手で焼いたパンとは思えない。



「それで、なんでそいつが犯人だってわかったんだ?」


「ああ……それがさ、その殺されてた奴の身もと調べてる間に、それが前の騎士団長だったって判明してさ。そいつの死を知った家の従者が『隠すことはできませんでしたか』って、なんか意味深な事言い出したんだってよ」


「なるほど、従者が主人の凶行を吐いたのか」


「そうそう。ついでに、屋敷の地下には血まみれの剣とか鎧がいくつも飾られててな、これが動かぬ証拠になった」



 おっかねぇ話だよなあ、と、ベーコンをむしゃりながら呟く。


ベルクも静かに頷いて見せた。


街の民を守るのが役目のはずの騎士が、ましてかつてはその騎士団の長だった者が、か弱き民を殺していたのだ。


許されることではない。彼の死は、やはり正しかったのだろう。



「今回は襲った相手が悪かったって事か。その元団長を殺した奴は見つかったのか?」


「いや、それが見つかってないらしいぜ? 別に通り魔を撃退しただけなんだから罪になる訳でもないんだが、名乗り出る奴はいないらしい」


「襲われた本人にしてみればあまりいい思い出でもなかろうしな、まあ、そういうものなんだろう」



 解りきった事ではあるが、やはり犯人探しは難航しているらしかった。


まあ、証拠もなしに殺されればそうもなろう。こうして事件は、通り魔一人の死と引き換えに闇に葬られるのだ。



「鋭利な刃物で刺し殺されたって言うし、もしかしてベルクさんがやったりしてないか? こう、酒場から帰る時とかにさ」


「バカ言えよ。私が襲われたら一目散にすたこらさっさと逃げるぞ。こう見えてすごく弱いんだ」



 意外だろう? と、にやけてやる。



「知ってるって!」



 ロッキーは爆笑していた。なんとも陽気で、愉快な青年であった。




「依頼のほう、滞りなく済んだようですね」



『仕立て屋』のフィアーが訪れたのは、夕方の頃であった。


エリーとしてこの家に訪れる彼女は、一日の内朝食、昼食、夕食のいずれかのタイミングで訪れる事になっていた。


日が定まっているわけではないが、時間を定める事で平時の私事わたくしごとの行動を制限させるのと、周囲に対して『恋人のために食事の世話をしに来た可愛いパン屋の娘』を演じるのに都合が良いからそうなっているのだと、クロウは本人から聞いていた。



「無論だ、これを仕事にしているのだから、これくらいできなくてはな」



 例によってベッドに腰掛けているフィアーの言葉に、クロウはさほど感傷も無く答えた。いつもの事である。



「まあ、貴方くらいの熟練者なら当然ね。ギルドから見れば安心して任せられる便利な駒です」


「そりゃどうも」



 お褒めの言葉ですらどこか冷たい。だが、それも当たり前といえば当たり前のモノであった。



 フィアーのような幹部はともかくとして、クロウのような下っ端暗殺者は、ギルドからはいつ死んでもおかしくない存在として見られている。


それはクロウ自身も承知の上であるし、『人を殺す』という異常特殊極まりない行為を金を得る為の手段としている以上、血に温かみのある扱いなどはできぬ、というギルド側の配慮でもあった。



「報酬を渡す前に、確認のために『例のモノ』を渡してもらいましょうか」


「ああ、これか」



 いつでも渡せるようにと肌身離さず持っていたソレを取り出す。


あの夜、騎士の鎧から千切りとった銀の勲章だ。



「……ん、確かに受け取ったりましたよ」



 そっと投げ渡すと、入れ替えにフィアーから金袋を投げ渡される。


しっかりとキャッチする。難易度相応の重さだな、とクロウは感じた。



「うむ」



 勲章を大切そうにバスケットにしまいこむフィアー。


金袋を棚の上に置くクロウ。


わずかな沈黙が場を支配した。




「前騎士団長オルテガは、武勇に秀でた騎士だったらしいわ」



 一秒か、十秒か。長い沈黙をはさみ、フィアーが語り始める。



「攻め戦、守り戦。暴動の鎮圧。異民族の進出警戒。盟国を守る為。ありとあらゆる理由で出陣し、勝った戦は百にも上る」


「無類の戦上手で、国の誉れだった、と聞いているが」



 何せ国を代表する騎士団の長だった男である。


クロウでなくとも、この国に住んでいれば名前とその勇名は嫌でも耳に入る。


今でこそ急速に発展し天下泰平、平和な世界となっているが、それでも二十年ほど前までは各地で戦や内乱が続いていた。


そんな中、乱世の英雄として国を、街々を守り抜いたのがオルテガであった。



「そんな男が何故、通り魔などという訳の解らんことをしているのだ? 七十も近くなって耄碌もうろくしたのか?」



 栄誉ある立場の男が及んだ凶行。これにはクロウも疑問しか涌かなかった。


貴族のバカ息子が剣の切れ味知りたさに、というなら馬鹿馬鹿しくもたまに聞く話だが、仮にも分別ある、かつては一軍の将だった男のする事にしては、あまりにも浅はかというか、小さすぎる。


これならクーデターの一つでも画策していたほうがよほど似合うというものだった。



「耄碌、というのは少し違うかしらね。まともではなかったのは確かだけれど」



 静かに目を伏せながら、フィアーは続ける。



「彼は、戦の世に慣れすぎてしまったの。乱世の中生き抜いた、過酷過ぎるその人生。戦士は、平穏の中では生きていけなかった」


「……心の傷か。軍人が良くかかるモノだと聞いたが」


「最初こそ自制しようとしていたらしいです。血で地を染め、手を汚し、数多の死体の上にようやく築いた国の平穏は、しかし、彼にとっては地獄でしかなかった」


「抑えが利かなくなったのか」


「人の心はいつまでも強くある事が出来ない。身体は戦場を求めてしまう。平和な世の中に居場所の無い彼は、やがて歯止めが利かなくなっていき……悪魔を内に抱え込んでしまった」



 背筋の冷える話であった。


人を殺し続ける非常に身を置くという点ではクロウ自身似たようなもので、オルテガの置かれた境遇、末路は、あながち自分達にも無関係ではないのではないかと、そう感じてしまったのだ。



「そうして彼は、自身の内に潜む悪魔に許されるまま、夜の戦地へ立つようになった。『我が国の敵』を一人でも多く討ち取らんがために」



 鎧兜は彼の戦装束だったのだ。


ご丁寧に栄誉を示す、ともすれば正体がばれかねない勲章までつけての凶行。


それは、彼にとっての戦であり、殺した相手は、恐らく敵兵か何かだと錯覚していたのではないか、という話だった。



「――私はてっきり、被害者の身内か何かが仇討ちを願っての事と思ったが。どうも違うようだな」



 フィアーの話を聞けばそれほどに、通り魔であったオルテガへの同情が募っていくような、そんな気がしてしまう。


これが被害者の身内による依頼なら、オルテガが狂っていようがいまいが関係無しに、オルテガへの憎しみのこもった説明になっていたのではないか。


そう感じたのだ。



 フィアーの説明は、彼女自身の感情とは関係無しに、依頼者の感情が伝わるように語られている。


相手がただ無機質に邪魔だからと依頼したなら何の感情もなく話すし、憎しみからの依頼なら憎悪を孕んだ口調になる。


だが、今回クロウはどちらかといえば、悲しみに満ちたような、そんな感情を受けた。



「依頼者は従者ベクター。五十年の長きに渡りオルテガの傍に仕え続けた忠臣です」


「身内からの依頼だったのか」



 先ほどの話の『悲哀』に納得できてしまう。


主を想っての殺害依頼なら、それはさぞ辛いものであろうと。



「『主様を止めて欲しい』と。『平穏などという地獄ではなく、戦地という名の日常の中、騎士のまま死なせて差し上げて欲しい』というのが彼の願い」


「……なんとも、後味の悪い話だな」



 主が正気を失っていたのを知った上で、それでも尚、主がこいねがう世界で死なせてやりたかった、という想い。


無論、その死に様は滑稽で、結局は通り魔として暴かれ、死後に恥を晒す羽目になる訳だが。


それでも本人にとっての末路は、戦地での戦死だったと思い込めたのだろうか。


そう考えると、彼が最後に言おうとして言えなかったあの言葉、あれは命乞いなどではなく、別の何かだったのかもしれない。



 そんな風に思考の海に溺れそうになっているクロウに、フィアーは薄ら笑いを向けていた。



「……どうかしたか?」



 それが気になり、クロウはつい反応してしまう。



「引っ張られていますね。貴方らしくもないと思うと、つい可笑しくなってしまいました」



 バカにしたような強さは無かったが、どこか突き放すような冷たさがそこにはあった。



「オルテガは、生と死の境目に立ち続け、やがて二つの心が生まれてしまった。彼は、それを抑えられなかったんだ。怖いとは思わないか?」



 自分もいずれ、そうなるかもしれない。


今すぐそうとは思わないが、もしやすれば。


そう考えると、クロウはもやもやとしたものを拭い去れずにいた。


だが、フィアーはというと、クロウの吐露とも言える言葉に、口元を歪めながら笑って返した。



「私達と似ているから? でも彼と私達には明確に違う部分もあるわ」


「違う部分?」


「彼は意図せずに二つの心を持ってしまった。私達は、『初めから』心を二つ持っているはずです」



 それは大きいのではなくて? と、正面からクロウの瞳を覗き込むように見つめる。



「……そうか。そうだったな」



 クロウたち暗殺者は、いざ仕事をする際の自分と、それ以外の、仕事に関わらぬ時の自分とで完全に分けて生きている。


それは仕事に私情を挟まぬよう生きる為の工夫であり、所詮人に過ぎぬ彼らが、人のまま、正気のまま居られるようにするための大切な歯止めでもあった。



「不安になる気持ちは解りますよ。誰だって『ああはなりたくない』と思うもの。ああなってしまったらおしまいよ」



 自分を制御できなくなった者は、誰に殺されるでもなくやがて自壊する。


それは、クロウたち暗殺者であっても嫌悪する、恐れる末路である。


同時に、人を殺して金を得るという、道に外れた世界に生きる以上、心しておかねばならない事であった。


他者以上に、そうなる可能性があるのだから。



「だから、私はいつも貴方の正気を確認するのです。平時と今と、きちんと分けられているかを。貴方が、きちんと『ベルク』と『クロウ』のバランスを保てているのかを」


「……よく見ているようだ」


「曲がりなりにも幹部ですもの。下の者の管理はきちんとしているんですよ? 依頼の内訳を説明するのはただの『殺人』ではなく『仕事』であると思いこめるように。それを最初に話さないのだって、殺す際にメンタル面の影響が出ないように配慮しての事ですし」



 なるほど、と、クロウは頷く。


もう、彼はいつもの無表情に戻っていた。


その様子に、フィアーも安心したように微笑む。



「まあ、入れ込み過ぎないように、私も気をつけないといけないですけどね。私達は、常に自分を客観視しなくてはいけない」


「解っているさ。生き残る為には、全ての視点で考えなくてはいけない」


「その通り。それを意識している間は、まあ、よほどの不運でもなければ貴方は生きられますよ」



 精々頑張ってくださいな、と、笑いながらフィアーは立ち上がる。




「はぁ……っ、疲れちゃいました。お兄さんって……激しいんですもん♪」



 そのままドアを開け、外に出るや、彼女は突然そんな事をのたまった。


丁度近所の若奥様がたが雑談をしている所で。


エリーとなった彼女は、振り向きながらわざ艶っぽく言うのだ。



「その、それじゃお兄さん。また来ますから……浮気しちゃ、駄目ですよ?」


「……ああ」



 潤んだ瞳で上目遣いし、ちゅ、と、背伸びしながら唇を首に押し当て。


エリーはそのまま恥らうように去っていった。恋する乙女さながらに。



「若い子っていいわねぇ、大胆で」


「私もちょっと前までは旦那とあんなふうに――」


「うちなんて最近見向きもしてくれなくてさー」



 傍目にそれを見ながらも話の種に放り込む奥様方。


クロウは頬が熱くなっていくのを感じてしまい、急ぎ部屋へと引っ込んでいった。


何を考えてるんだあの女は、と、軽い苛立ちと困惑とをない交ぜにしながら。




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