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#6.不幸な勘違い

 それは、ある冬の入りの日の事であった。

フィアーよりの依頼をこなし、その内訳を聞かされた翌朝。

食料の買出しなどで必要があって街のマーケットまで出張ったベルクであったが、この時期は感謝祭も控えているため朝から混雑しており、人ごみの多さに辟易へきえきとしていた。


(一向に進まんな……)


 目的の店に入ろうにも、生憎と奥まっている所為で中々進む事が出来ず、ひたすら待たされる事になる。

一歩、また一歩。時が過ぎれば自然と空くだろうと楽観していたベルクであったが、生憎とそうも行かず。

ついには教会の鐘が鳴り始めてしまった。午前の終わりである。ベルクは途方に暮れた。


 しかし、だからと買い物をしない訳にもいかない。

こんな事になるなら前もって買い貯めしておくんだった、と深く後悔するが、その後悔が次に活かされる事は今まで一度もなかったのだ。

彼は、剣士を装っている際は結構ズボラである。

素でそういう部分もあるが、人前に出ている時は殊更に。


(面倒くさいな。だが、生き死にに関わる事は放り投げるわけにも――おおっ?)


 心底うんざりしはじめたあたりで、ようやく行列が動き始める。

列がたわみ、人ひとり入り込めるスペースが生まれた。

ベルクはこれ幸いにと潜り込む。目的地はすぐそこだった。



「ふう、しんどかった……」


 たどり着いた時にはもう、くたくたになっていた。

心底しんどく感じ、へばりながらの入店である。


「いらっしゃいませ……?」


 最初、店内には誰もいなかったのだが、人の入った気配を感じてか、店の奥から妙齢の女が現れた。

この店の店主、マリネである。

手には杖、眼は閉じられていた。


「干し肉と黒パンが欲しい。それぞれ一週間分で頼む」


 慣れた調子で注文を告げる。ベルクにとってここは、良く知る雑貨屋であった。


「ああ、その声はベルクさん。この賑わいの中よくいらっしゃいました……」


 静かに微笑みながら、声で客を判別するマリネ。

彼女の耳は、何も映らぬ瞳よりは正確に人を聞き分けるらしい。


「干し肉と黒パンですね。少々お持ちを――」


 そうして、マリネは奥の棚から品物を取り出す。


「感謝祭なのは結構なのだが、どうにも賑わいすぎではないか? これでは却って不便だ」


 このような賑わいの多くは、元からあるマーケットの各店ではなく、感謝祭の客目当ての芸人だとか、根無しの行商人達が原因であった。

これらはあまり広くないマーケットの通路で好き勝手に客寄せをはじめ、それがやがてマーケットの停滞を生み混雑を作り出す。

ベルクも、祭のような賑わいは嫌いではなかったが、そのような事情もあってか、今マーケットを支配しているような混雑はどうにも好きにはなれそうになかった。


「そうですわねぇ。私のような者は、このような時にはお店の外には出られませんし……不便と言えば不便ですが」


 取り出した食料を丁寧に紙袋に詰めながら、マリネは困ったように眉を下げていた。


「ですが、賑わいがあるというのはそれだけで結構なことですわ。人の居ない通りなどは、私には怖くて歩けませんもの」

「まあ、人目があるというのはそれだけで防犯になるがな」


 同時に、人が集まりすぎれば、そこには喧騒が生まれ、スリや詐欺等の温床にもなるのだが。

女性であるマリネとしては、やはり人気があるのはそれだけで救いなのかもしれないと、ベルクは頷く。


「そういえばご存知ですかベルクさん。ここ最近連日なのですが、このあたりで、若い女性を狙った通り魔殺人が増えているのだとか」


 会計棚の上に袋を置き終わると、今度はマリネが話を振ってきた。


「ああ、今朝も知り合いの自称勇者殿から聞かされたよ。なんでも、顔ばかり狙って刺し殺そうとしてくるらしいな。運よく逃げられた被害者も、顔を傷物にされて人前に出られなくなっているという話らしいが」

「まあ。相変わらずロッキーさんは耳聡いのですね」


 くすくす、と、淑やかに笑い出すマリネ。


 自称勇者と言えばそれで伝わる位には、この界隈、ロッキーは目立つ存在であった。

そもそも勇者などと言うのは国や名誉ある方々から授けられる称号のようなものであり、自称するようなものではないのだが、彼はそれを自称して広めようとしているのだ。

その割にはあまり勇者らしい事をしていないというか、やってる事はそこらへんの傭兵や冒険者とそんなには違いないのだが、自称勇者という設定はやはり人々にインパクトを与えるのだろう。

まず、街に住む者なら大概は彼と解る代名詞となっていた。


「まあ、ロッキーの事は良いさ」


 重要なのはそこではなかった。

大切なのはマリネが振ってくれた話題。ベルクにも気になるところであった。


「その事件、若い女ばかり狙った、というのが気になるな」

「そうですねぇ。ただ、若い女性というだけで、それ以外には共通点がないというお話ですけど……」


 なんとも恐ろしげな事件であるが、若い女を狙ってのことなら、当然そこに意味があるのだろうとベルクは推理する。


「案外馬鹿げた理由かもしれんぞ。恋人に振られた腹いせとかな」

「よく聞く話ですわね。恋人の女性に捨てられた男性のお話としても、恋人の男性に捨てられた女性のお話としても」


 怖いですわ、と、口元に手を当てながらまた、眉を下げる。


「怨恨っていうのは馬鹿にならんからな。恨みつらみに取り憑かれると、周りのことなどどうでもよくなるのかもしれん」


 怖いな、と、苦笑しながら、ベルクは棚の上の袋を受け取る。


「まあ、君も気をつけることだ。犯人はまだ捕まっていないのだろう?」


 そのままマリネの手を取り、銀貨を七枚ほど握らせる。


「ええ。気をつけますわ――銀貨七枚、お代は確かにいただきました」


 ぺこり、とお辞儀し、マリネはにっこり微笑む。


「ありがとうございました。またお越しくださいまし」

「ああ、また来る」


 話はそこで終わり、ベルクは店を出た。



 当然、外は人の海である。

とても残念なことに、今すぐどうにかなる様子はなかった。


「……帰るか」


 深いため息を吐きながら、ベルクは何かを諦めるように、人ごみをかき分け入っていった。





「今回の仕事は、少しばかり面倒なことになるかもしれません」


 フィアーがクロウの部屋を訪れたのは、その日の夜の事であった。

通常、このように彼女が連続して部屋を訪れる事は無かったため、クロウは「どうにも嫌な気配がする」と警戒していたのだが、案の定というか、面倒ごとを運び込んでくれたらしかった。


「あまり聞きたくは無いが、どのように面倒なのだ?」


 いつものようにベッドに腰掛けるフィアーに、クロウは壁を背に問う。

正直、茶化す気も湧かない。

嫌がったところで断れるものでもないので、どうせなら早々に本題に入っていただきたいと、話を進めていく。


「確定情報ではないのですが、目標は『自称』暗殺ギルドの職人らしいのです」

「……自称?」

「ええ。つまり、貴方のように依頼を受けて人を殺す者、という事になるのでしょうね」


 フィアーの説明もどこか曖昧で、今一はっきりとしない。

フィアー自身もどこか自信なさげというか、普段と違って落ち着きが無かった。

これは正直よろしくない、と、クロウは腕を組み考え込む。


「確定情報でもないのにその情報を元に仕事に入れというのか? あんたにしては随分とおざなりな『仕立て仕事』だな?」


 通常、『仕立て屋』はクライアントから依頼を請負った後、依頼遂行の為必要な各種情報をギルド傘下の然るべき情報屋などから入手し、それらをまとめ、依頼をこなすに当たって最適な『職人』へと渡すのが役目である。

彼女たちがまとめる情報にはクライアントや目標の詳細、それらを取り巻く環境、仕事を依頼どおりこなす為にどのような状況下で行うのが望ましいかの計算など、職人が実際に仕事をするために必要な情報が詰まっている筈で、当然、目標が何処の誰であるか、というものは事前に知っていなければいけないはずであった。


「――貴方の言いたいことは解ります。ですが私だって、別に望んでこのような急ぎ仕事をしている訳ではないのですよ? 本来ならもっとじっくりと詳細まで調べ尽くし、職人には万全の状況で当たれるようにするのが私達の仕事なのですから」


 こんなのは自分でも納得いってないのです、と、ため息混じりに説明するフィアー。


(……なんか、今日のフィアーはやたら人間臭いな。何があったというのだ……?)


 それは、普段ではあまり見られない光景であった。

歳若いとはいえ彼女はギルドの幹部、それも一国の王都を担当する大物だ。

謎が多いと言われるギルドマスターとも直接会う事が出来る立場であり、クロウからすれば雲の上の存在とも言えた。

当然二人の会話とはフィアーによる一方的なものがほとんどで、クロウはそれに対し質問する事や同意する事は許されても、反論したり拒絶する事は許されない事の方が多い。

その彼女が、珍しく人間味を感じさせるように話すのだ。違和感を感じないほうがおかしかった。


「――ギルドとしては、この『正体不明の自称暗殺者』に存在してもらっては困るのです。今はまだ大丈夫なようですが、ヘマをして騎士団にでも捕らえられれば、暗殺ギルドの名を貶める事にも繋がりかねないですし――」

「つまり、厄介だから今のうちに掃除してしまいたいと、そういう事か」

「そういう事です。正体を調べている間にも、目標はギルドとは無関係な粗雑な仕事を繰り返すかもしれませんしね。まあ、放っておいていい事なんて何一つありませんから」


 説明するフィアーはやりにくそうではあるが、クロウ的にはなんとか理解できないでもない状況説明であった。


「……事情は解った。だが、その目標、一体何処に現れるのだ? まさかそこから自前で調べろとは言わないだろうな?」

「ああ、そのあたりは問題ありません。その目標、今のところ特定の犯罪行為を繰り返しているようですから」


 探す事そのものは苦労しませんよ、と、フィアーは手を軽く振る。


「ここ数日連続して殺人事件が起きてるじゃないですか。通り魔殺人です。知っているでしょう?」

「ああ。若い女が顔ばかり狙われ刺し殺されるっていうあれか?」

「そうです。あれの犯人がその目標です」


 なんとも都合よく話が絡まってきたな、と、クロウは口元を歪ませる。


「連日の事件で騎士団が夜間巡廻を強化するとのことで、恐らくはその巡廻ルートから外れた場所で狙おうとするでしょうから――」

「つまり、そこを狙って目標を仕留めれば良いのか」

「そういう事です。他に何か質問はありますか?」


 ようやくいつもの調子に戻ってきたフィアーに、クロウもわずかばかり安堵するが。

職務遂行上、気になる点もいくつかあった。


「さっきの口ぶりから、目標に仕事を依頼した相手は特定しているのだと思うが。そちらは放置で良いのか?」

「ええ。ギルドはギルドを騙る者に制裁を加える事は決定しましたが、目標のクライアントに関しては手出しは無用という判断です」


 あくまで騙りが問題なのであって、それに関わる者にはギルド的には罪はない、という考えらしかった。


「もし目標が想定外の動きをした場合は、そちらの想定した地点でなくとも仕事に入って構わんのか?」

「今回に限り、仕事がこなせるならその場所や手段は限定しません。人前であろうと影間であろうと、貴方自身が特定されない範囲であればご自由にどうぞ。ただし――」

「ただし?」

「必ず、『暗殺ギルドの手による仕事』である事が解るようにしてください」

「なるほど、脅しを効かせたい訳か」


 いつぞやかの商人殺しの仕事を思い出しながら、クロウは頬を引き締める。


「モグラのように際限なく湧いてこられては困りますからね。二度とギルドの名を騙る者が現れぬよう、きちんと制裁がある事を知らしめないといけません」


 大切な事なのです、と、指を立てながら。

フィアーは眼を見開き、クロウをじっと見つめた。


「まあ、解った。仕事は今夜からか?」


 窓の外を見れば、もう十分な暗さになっていた。

一連の事件の犯人がギルドの目する通りなら、今宵もやはり、事件は起きるはずであった。


「先ほども言いましたが、これは急ぎ仕事です。一刻も早く済ませてください」


 今すぐにでも仕事に取り掛からせたいのだろう。フィアーの焦りも解らないでもない。

彼女の焦りは、つまり、彼女に仕事を預けたギルドの焦りなのだ。


「――すぐに仕事にとりかかろう」


 これ以上話を聞く必要は皆無であると判断し、クロウはクローゼットを開こうとする。


「私はしばらくここにいますね。誰かが来ても代わりに出てあげましょう」

「居留守してくれればそれでいいのではないか?」

「貴方のアリバイにもなりますよ。可愛い恋人エリーは必ずベルクの役に立つはずですが?」


 何か問題でも? と、すまし顔で話を進めるフィアー。


「……いや、もういい」


 話している時間すら惜しいとばかりに、衣服を脱ぎ捨て、仕事着を身につけていく。



 黒の革着、ズボンには二つのナイフホルダーと毒薬入りのバックル。

クローゼットの奥の壁をずらし、中の空間に納まっていたダガーナイフをホルダーへとセットする。

その上に、普段着とは違う冒険者風のローブ、マントを身に纏ってゆく。

細身の長剣を鞘ごと腰に差す。頭にはターバン。目元が隠れるように被る。

最後に、おもむろにベッドに腰掛け、ベッド下の、靴底を波打たせて加工してある革靴を履き、準備が整う。

あっという間にどこにでもいる冒険者の出来上がりだ。

この姿を見てベルクだと気づかれる事はないし、仕事に入る際には更にこの衣装を脱ぎ捨てるため、『怪しい冒険者』の姿は最悪、事件現場付近で誰ぞかに見られても問題にならない。


「ちょっと待ってくださいね」


 支度を整え外へ出ようとするクロウを制し、フィアーが先に外へと出る。


「……いいですよ」


 周囲を静かに見渡しながら確認し、クロウに外に出るように促す。


「こんな事はあまり言うものではありませんが。気をつけて」

「――ああ」


 本当に、今日は珍しいことだらけだな、と、口元を歪めながら。

烏は、夜の空へと跳び立った。





 夜の闇は、人を癒す事もあるが、時には望ましくないものまで引き寄せてしまう。

騎士たちが巡廻する街の中にも、どうしても死角というのは生まれてしまうもの。

今宵、不幸にも何も知らずその『狩場』へと足を踏み込んでしまった若い娘が、闇の牙に狙いを定められていた。

恋人との逢瀬の後なのか。夜が更けてしまい不安な中、急ぎ家へと向かう娘はしかし、自分の背後に迫る気配に気づけていなかった。

先へ先へ。早く人気のあるところへ。早く家へ。

そう願っての事なのだろうが、それが余計、狩人には都合よく。

音も無く近づいた影は、やがて娘の背へと手を伸ばし――


「……っ!?」


 そこで、手は止まる。

何者かの気配を感じたからだ。

それは、夜と死を支配する烏の気配。

尋常ではない死の感覚に、影は後じさり、その場から去ろうとする。

気がつけば獲物の姿はもうどこにもなく、気がつけば影は一人分のみ。

その自分の影すらおっかなびっくりに見渡しながら、務めて冷静に、冷静になりたいと思いながら走り出す。

そう、獲物は走り出したのだ。


「あっ――」


 若い娘の声が、闇の中響いた。

その暗さに不似合いな、不釣合いな甲高い声。

娘は、どう、と、その場に倒れ込む。

左の腿に激痛。見てみれば、小ぶりのナイフが突き刺さっているではないか。


「ひっ――ひぃっ!?」


 突然の事に困惑していた彼女は、しかし、自分の血が流れ出るのを見て、引きつった顔をして震え始める。

絶叫すら上げられない。そんな余裕は、彼女には残されていなかった。

つと、と、革靴の音が夜に響く。

こんな暗い冬の夜に、誰がそんな音を響かせるというのか。

倒れこんだ娘の前に、その革靴が見えた時。

娘は、夜の支配者の顔を見る事になる。


「あっ――あぁっ」


 それは死の恐怖。それは絶望。

感情で現すなら一言に唖。何も出来ない。ただ震えているばかりの兎であった。


「怖いか? 顔にナイフを刺してやろうか。美しい顔が台無しになるぞ。それはさぞかし、楽しいのだろうな?」


 口元をにやつかせながら、殺人鬼が笑う。


「あ……や、やめっ、やめてっ、顔はっ、いや、やあっ!!」


 次に訪れたのは狂乱。パニックであった。

ただ生きたい、殺されたくないという思いが、抵抗にならぬ抵抗をさせる。

じたばたと腕と足とを暴れさせ、なんとか立ち上がり逃げ出そうと試みる。しかし、立てない。


「うぁ――あ、あし――」


 次第に、言葉もまともに話せなくなってくる。腿の痛みは、一体何処に行ったというのか。

手に力が入らないのだ。足が持ち上がらない。唇が痺れ、やがて喉が渇き、喉が痛み、なのに、痛みは薄れ――


「精々愉しむといい」


 愉悦も快楽も悲痛もなく、男は娘の顔に手を伸ばす。左手にはダガーナイフ。

刃先を顔に向け、そして――





「知ってるかいベルクさん。なんか、新しい通り魔事件が起きたんだってよ」


 自称勇者殿が彼の家を訪れたのは、翌朝の事であった。


「通り魔? 例の女の顔を狙ったというあれか?」


 朝食の黒パンを齧りながら、ベルクはそれとなく話を進める。

相変わらず耳が良いと、心底では呆れながら。


「いんや、それとは違う。というか、もっとひでぇ。被害者の顔も解らん位に滅多刺しでさ。しまいには喉まで掻き切られて。無残というほかねーよ」

「それはまた……おっかないな」


 大きく身振り手振りしながら語るロッキー。ベルクもサラダを頬張りながら、それとなく賛同する。


「おっかないなんてもんじゃないぜ。騎士団は例の通り魔とは別の犯人によるものと断定して犯人探しに躍起になってる。どうなっちまってるんだろうなこの街は」

「まあ、騎士団には頑張ってもらいたいものだな。このままでは怖くて夜中歩けないよ」

「ほんとそうだよ。俺達、女じゃなくてよかったよな」


 怖い怖い、と、気持ち悪く自分の身を抱きしめながら、ロッキーは冗談めかして話を終わらせる。


 その後は朝食がまだだというロッキーにいつものようにパンを分けてやったりしながら雑談し、そうして、ロッキーが帰ろうとした際に振り向いて、ぽつりと一言、呟いた。


「ベルクさん、昨夜はどこか行ってたかい?」


 どきりとする一言であった。ベルクは表面上平静を装いながらロッキーの顔を見る。

笑っていなかった。はっきりと否定する必要があるらしい。


「昨夜はエリーが来たからな……」

「ああ、そうか、ごめん。余計な事聞いたぜ」


 だよなあ、と、ロッキーは頭をぽりぽり、いつものコミカルな調子に戻る。


「まさか私が犯人だと思ったんじゃないだろうな?」


 あえて突っ込む。それで話を終えればそこで終わっただろうが、気になる事もあったのだ。


「はははっ、ベルクさんならもしかしたら『なんで私だと解った』って乗ってくれるかと思っちまったんだ。まさか素で返されるとは思わなかったよ!」


 バカップルの前じゃ笑いすら取れやしねぇ、と捨て台詞を残し、ロッキーは爆笑しながら出て行った。




「――まさかな」


 ロッキーが去った後、ベルクは、いや、クロウは、頬に冷たい汗が流れるのを感じていた。

それを意識した途端、背筋にはじとじととした気持ちの悪い湿り気。

胸が激しく高鳴っていた。身体中の血液が、血管が、恐ろしく速く脈打つ。

まさしく緊張の一瞬であった。『職人』である彼に、失態は許されない。

もし万が一、誰ぞかに『ベルクは暗殺者である』などと知れれば、今度はクロウ自身がギルドに追われる身となる。

その恐怖を、この恐怖を、忘れる訳にはいかないだろうと、クロウは自身に言い聞かせた。

油断ならない。例えどんな仕事であろうと、気を抜いてはならない。

今回の仕事で彼が手を抜いた覚えなど全く無いが、誰ぞかに目撃されるようなヘマをしたつもりは微塵も無いが、このように恐怖を感じられるのは、本来有難いことのはずである。

何せ、命の危機無くソレを再認識できたのだから。





「今回の仕事は、忘れてください」


 いいですね、と、口に指を立てるフィアー。

彼女が訪れたのは、一週間後の昼間の事。

事件の事も頭から薄れ、昼寝に入ろうとしていた頃の事であった。


「どういう事だ? 忘れろというなら勿論忘れるが、理由が解らん」

「ギルドよりの命令です。勿論内訳は話しますが、それも含めて忘れてください」

「……思うところはあるが、聞こう」


 ギルドからの、と言われれば逆らう訳にもいかない。

必要以上に問い詰めれば彼女の不審を買いかねないのもある。

今は黙って話を聞くべきだと、彼は思ったのだ。



「まず、目標だった自称暗殺者ですが、素性は元冒険者。どこにでもいる胡乱うろんな輩ですね」

「ほう。その割には足回りだけは早かったな」


 あの夜を思い出せば、音も無く獲物に近づこうとしていた事、クロウの存在に気づき逃げようとしたあたりの勘回りなど、中々優秀なようにも感じられていたのだが。

何せ、初撃で毒を盛って身動きを封じなければ、面倒くさい事になると思ったくらいには、あの獲物は動きがよかったのだ。


「優秀な冒険者だったらしいです。遺跡荒らしや禁制品の密売など、色々悪事に手を染めて冒険者ギルドから追い出されたらしいですけどね」

「そんな奴が、なんでまた暗殺者の真似事を」

「そちらには、彼女のクライアントが絡んでくるのです。元々この街生まれだった目標は、そのクライアントとも幼い頃から親しかったそうなのですが」


 例の通り魔事件の首魁とも言える、それを企てたクライアント。

その正体もクロウには気になるところであったが、とりあえずフィアーの話を聞くことにしていた。



「まず、通り魔事件の根本には、一つの、全く別の事件があったらしいのです」

「別の事件?」

「それは、男性をめぐっての、言ってしまうなら痴情のもつれというものでしょうか」


 しん、と静まった部屋の中、フィアーの言葉が静かに続く。


「五年前の話です。二人の歳若い娘が一人の男性を求めて争い、その結果、元々男性の恋人だった方の娘が、男性を寝取ろうとした娘に襲われ――」


 ずぱり、と、自身の目を指先で横切らせながら。

フィアーは、一旦言葉を切った。


「……眼をやられたのか」

「ええ。果物ナイフで。その事件が元で、目標のクライアントは視力を失い、挙句恋人だった男性からも見捨てられ、孤独に生きる事となってしまった」

「悲惨なもんだな……」


 いくら平和な世の中になったとは言え、五感のいずれかを失っての生活は決して楽なものではない。

人々の目も冷たい。

現に、クロウがよく利用している雑貨店などは、店主がめしいているという理由だけで客入りが少ないのだ。

愛する男に捨てられ、視力まで失った女が何を考えたか。

想像するまでも無く、クロウにも簡単に答えがはじき出された。


「それで、自棄になったか、悲惨な自分と同じ眼にあわせてやろうと、若い娘ばかり狙わせた、という事か? その、友人に」

「名推理、と言いたいところですが、事情は少し違うようですね」


 生憎と、クロウの考えるほど単純な結末ではなかったらしい。

少し居心地の悪さを感じながら、クロウはそっぽを向いてフィアーとの視線を逸らした。


「実際には、目標のクライアントは、静かに心の傷を癒していたいと思ったらしいです。どんな深い傷も長い時をかければ、いつかは癒えるに違いないからと。愛した男性が、せめて幸せに暮らせているようにと願いながら」

「……では、何故暗殺を?」

「彼女の愛した男性が、彼女と争った娘によって殺されたから」

「……なに? なんだと?」


 突然の展開に、クロウは唖然としてしまった。間の抜けた声をあげてしまった。


「悪女だったんでしょうよ。ごく最近になって知ったそうです。まあ、それで復讐心が湧いたまではよかったものの、残念な事に、彼女には『誰を殺せば良いか』が解らなかった」

「顔を忘れてしまったのか」

「視力を失ったショックで、当時の事も記憶から部分部分抜け落ちていたらしいです。それでも、どうしても復讐はしたい。だから、友人である目標にそれを依頼してしまった。当事、暗殺ギルドによる事件と目される殺人事件が頻発していたのもあり、それを参考にして実行に移したのだと」


 その挙句が無差別殺人である。目標に襲われた犠牲者は、ただの勘違いで殺された事になる。

あんまりにもあんまりな話である。酷すぎた。



「怨恨ってのは、ほんとろくでもないな」


 それによってパンを食べられる者の言う事でもないだろうが、と思いながらも、クロウには、あまりにも馬鹿馬鹿しく感じられてしまった。


「まあ、今回は……流石に私も疲れました。こんな事があるなんて思いもしなかった」


 人の闇の深さというか、業の深さというか。フィアーにも思うところがあったらしい。


「今までの口ぶりからすると、目標の素性が割れたのは、その目標のクライアントとやらがバラしたからか?」

「ご明察。彼女はすらすらと答えてくれましたよ。まあ、話した後、死んじゃったんだけど」

「殺したのか?」

「自殺です。そろそろ噂になってくる頃だから、貴方の耳にも入るんじゃないかしら?」


 迷惑な話ですよねぇ、と、呆れたように手を振りながら。

フィアーは腰掛けていたベッドから立ち上がる。


「まあ、そんなわけで、今回の仕事の事は忘れてくださいな。忘れたほうが良いでしょう? 貴方にとっても、誰にとっても」

「ああ……こんな事いつまでも覚えていたら、馬鹿らしくて仕事がやってられなくなるからな……忘れる。忘れた」


 殺しにも色々な事情があるとは理解していたクロウであったが、それにしてもあんまりなんじゃないかと思ったのだ。

フィアーの言うとおり、早々に忘れる事にした。






 マーケットの一角。『マリネの雑貨店』と看板に描かれた小さな店。

店の奥の椅子にもたれかかりながら、店主マリネはほう、と深く、息をついていた。


「死んだのね、あの娘……」


 ぽつり、呟く。にぎやかなマーケットの中、ここだけが酷く静かであった。


 街では今、新たな通り魔事件と共に、ある女の自殺が噂となっていた。

聞き覚えのあるその名に驚かされ、そして、当事の事を思い出し、ナーバスにもなっていた。

本気で愛した男を奪い合い、文字通り力尽くで奪ったものの、直後流行り病に掛かり、皮肉にも同じように視力を失ってしまった。

それだけならまだ許せたが、結局病に倒れている間に恋人は別の女に走ってしまう。

なんとも移り気な男だったらしいが、他者を傷つけてまで手に入れようとした男がそんな男だったのだと気づかされ、傷心のまま、衝動のまま、気がつけば男の恋人ごと男を殺していたのだ。


 そのまま駆けつけた騎士団に捕らえられた彼女は、しかし、病により眼に障害を持っていた事、事に至った事情が事情だった為に無罪放免となり、仕置き一つなく街へと戻される事となる。

街の人々は、彼女には酷く優しかった。同情的であった。

傷ついた彼女は、その優しさに素直に感涙し、償えるはずの無い罪を、苦痛の日々を以って償おうとしたのだが。


 結局、自分が傷つけた女性が今どこにいるのかも解らないまま年月が過ぎ、今、死んだことを知ってしまった。

忘れていた訳ではないがぼんやりと虚ろになりかけていたのも事実で、それを蒸し返されたような気分にもなり辛くもあった。

だが、何よりも、そんなに年月が経ってしまったのだと自覚してしまい。

彼女は、複雑な気持ちになっていたのだ。


「解らないものね、人生って」


 誰から恨まれても無理も無いような生き方をした自分がこうして生き延び、本来何の落ち度もなかったはずの彼女が自殺してしまった。

意味が解らない。人生は、彼女には難解すぎた。

それが、どうにも可笑しく感じ、馬鹿らしくも感じてしまう。

自然、口元が緩む。


「せめて、次は良い明日を」


 静かに十字を切りながら、死んでいった者達へ。

彼女は、慈悲の言葉を向けた。


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