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#5.復讐

 闇は駆ける。

陽の落ちきった世界の中、一人黒い草むらを走り抜ける。

その先にあるのはなだらかな丘。丘陵地帯。

草原の先にある小山に向け、影はひたすら先に進む。


「――っ」


 不意に、足元に違和感を感じて跳ぶ。

そうして足を止め、跳びぬけたその下の地面に目を凝らす。

草むらの中には一本のロープ。見えにくく張られ、少し離れた木へと続いていた。


(このような所にロープトラップとはな)


 目的地は近かった。

だが、不意の客を容易に近づかせるほど、今回の目標は手ぬるい相手ではないのだと感じさせてくれる。

影は、クロウは、にやりと口元を歪ませながら、今度はゆったりと歩き出す。音を立てぬよう。気配を察知されぬよう。

ここはもう、敵地なのだから。





「今回の仕事は、レアル街道近郊に住まう賊の殲滅が目的です」


 フィアーからその依頼の話を聞いたのは、彼がこうして仕事に入る三日前の夜の事であった。


「賊の殲滅? そのような仕事も我々に回ってくる事があるのか?」


 クロウはというと、ベッドに腰掛け、誘っているようにも見えるフィアーにはなるべく近づかず、壁にもたれかかっていた。


「本来ならそのような仕事は衛兵隊か……規模が大きければ騎士団の職務となるでしょう。ですが、これに依頼主の『怨恨』が関われば話は別です」

「怨恨、か……」


 詳しいところは仕事を終えるまでは聞けないものの、それとなく納得の行く単語に、クロウは静かに頷く。


 暗殺ギルドは、ギルドが納得しうる理由のない殺害依頼は受け付けない。

ただ、仕事を受け付ける上で必要な理由は、善悪やイデオロギーに関係するものではなく、あくまで『殺すに値する理由であるか』『ギルドが動くに値する目標であるか』でしか判別されない。

先ほどフィアーが語ったように、賊等の討伐も本来は仕事の範疇ではないが、これにも例外が存在する。

その一つが怨恨である。

クライアントが目標ないし目標の組織に対し、ただならぬ恨みを抱いていた場合、ギルドはその代行をする事が出来る。

この場合、何をもってそれが決断されるかはギルドの幹部達の意思によって決定される為、一定の基準が存在している訳ではない。

ただ、幹部達がそれを認める程に重い怨恨だという事。

それは、彼ら暗殺者が動くにあたって十分すぎる理由であった。


躊躇ちゅうちょなく、ただの一人も逃がさずに皆殺しにして欲しいと。特に、頭目である『隻眼の男』は、『死の間際まで苦しめ抜いてほしい』という注文を受けています」

「賊を相手に、一人も逃がさず皆殺し、そして、頭目は死ぬまで生き地獄を味わわせろ、と」


 なるほど、ただならぬ恨みを感じる依頼だな、と、クロウは噛み締める。

クライアントとの間に何があったのかなど知る由もないが、目標が賊である事から大よそろくなことではあるまい。

怨恨による依頼なら、残虐かつハードな仕事を要求されるのも頷ける。


「頭目以外に対してはどのような殺し方をしても構いません。期日は四日以内。それ以上過ぎると、街道の衛兵隊が目標のアジトへと攻め込む算段になっているらしいです」

「牢屋の中に入られては困るって事か」

「そうなる前に皆殺しに。できますよね?」


 大したものでもないかのように、フィアーは冷たく微笑む。


「ああ、それが仕事であるなら」


 クロウも、自信を見せ口角を吊り上げ笑った。





 そうして、目的地間近まで迫ったところで、小山の付近に灯りのような物が見え始めた。

ゆらゆらと揺れるかがり火が、闇の中あたりを照らす。


(寝ずの番を立てる程度には狡猾らしいな)


 先ほどの罠といい、ただの賊にしては頭が回るようであった。

軍人崩れか、あるいは軍人そのものの偽装の可能性も考えられた。


 もう少し近づくと、かがり火の周りに二名ほどの影が見えた。

目を凝らせば、辛うじてそれが軽鎧をまとった男達であると解る。

二つの影は、油断なく周囲を見渡していた。中々に勤勉である。


(ここは一休みすべきか――)


 すぐ近くの木陰に入り込み、木を背にして膝をつく。


 火の番の人数はそう大したことはなさそうだが、迂闊に近づけば即座に仲間を呼ばれ、最悪敵に囲まれてしまう事も考えられた。

そうなってはもう、目標を狙うどころではない。

事前に手に入れていた情報はあくまで目的地の位置情報と、大まかな頭目の特徴だけ。

賊がどれだけの規模なのかも、その実力がいかほどなのかも解らないし、このように番が敷かれている事は現場に来て初めて解ったことであった。

なので、しばし時間が必要となる。

状況を整理し、目の前の難儀をどのように攻略するか、それを考える必要があったのだ。



 クロウが次に動き出したのは、一時間ほど経過した頃である。

それまでひたすら周囲を見渡し続けていた男達の一人が、不意に大きなアクビをしたのだ。


「おい、隊長・・に見つかったら殺されるぞ」

「へへ、解ってるよ。すまねぇすまねぇ」


 すぐに相方に咎められるが、へらへらと笑って頭を掻いていた。


「しかしなんだな、こないださらって来た村の娘、あれは中々良い感じだな」

「あの娘か? 俺はどうも田舎臭くてな――昔抱いた帝国の都会娘の身体が忘れられねぇ」


 そうして、下世話な話に花を咲かせ始めた。

見張りの目が、互いの顔を見始めたのだ。

周囲への警戒は、ここでわずかばかりそがれる事となる。


――それは、影が這い寄るには十分すぎる隙であった。


「なっ――げひっ」

「えっ!?」


 大した声も挙げられず、男二人は地に倒れる。

喉元が掻き切られており、そのままヒュー、ヒュー、と声にならぬ声で呻き――そのまま絶命した。


「……」


 クロウはそのまま、音もなく近くの草陰に隠れる。

しばし待つ。何も起きない。誰も来ない。


(よし)


 確認は取れた。番は動かない。この男達は、あくまでこの場を朝まで見張るだけの者。

すぐ近くに他の見張りはいない。

後はもう、罠に警戒しながら目的地に近づくのみであった。




 ほどなくして、クロウは目的の賊のアジトへとたどり着く。

馬殺しの槍柵に囲まれ、囲いの中には三つほどの簡易住居。

簡易的ながら門のようなものまであり、その内外には二人ずつの見張りが立っていた。


(……これでは砦ではないか)


 遠目でその様相を確認しながら、クロウは内心で苦笑していた。

高見台まではないものの、その造りは軍が敷設するソレと何の違いもない。

なるほど、やはり軍人そのものか軍人崩れの賊かのいずれかに違いないと、クロウは確信する。

ただの賊に、このような拠点は扱いきれない。


 砦とは、ただ人数を配置すればそれで機能するというものではなく、適切な人員を適切に配置して初めてその効果を発揮する。

その点、この賊達の拠点は相応に有効な配置がなされていた。

要所要所には見張りの影が見えるし、その見張りも『まるで最初から襲撃を予想しているかのように』戦揃えをしている。

いつでも反撃が可能なように剣は鞘から抜かれていたし、クロスボウは矢を装填済み。

まるで戦時中のようなピリピリとした緊張感がそこにはあった。


 住居の中にいる者も、恐らくは何事かあればすぐにでも動き出すに違いない。

軽く見ただけでも囲いの中にいくつかのトラップが敷かれているのも脅威だ。

一見して難攻不落のようにも感じられる。

後から来る予定の衛兵隊とやらが、果たしてこの賊と正面対決して勝てるか否か。

なんとも疑問は残るが、一つだけ言える事があった。


――敵は、対集団戦を想定し、警戒している。


 罠の造りがすぐにそれと解るほど大雑把なのも、乱戦・混戦の中ならそんな事関係無しに掛かるものと想定されているから。

常識で考えれば賊の群れ相手に一人で挑むはずもないのだから仕方ないのだが、つまりは敵の目は、それだけ大雑把な範囲しか注意していないという事になる。


 クロウは、これまで見ていた中で、まず門からの正面突破は不可能と判断していた。

門前の見張り二人は容易に仕留められるだろうが、そこで門向こうの見張りに気づかれ騒がれれば攻略は不可能となる。

馬殺しの向こう側にいるクロスボウ持ちに狙い撃ちにされるのが関の山とも言えた。

なので、無理に突破を図る位なら、逆に門の存在を利用してやるくらいのつもりで作戦を立てていく。


 侵攻ルートは門の真逆。内部の住居に最も離れた地点から。

ここは馬殺しが敷かれているだけで、見張りも一定間隔で巡廻してくるだけの為、侵入が容易い。

その他、高めの木が生えているので、柵を乗り越えるまでもなく内部の様子を窺えるのも魅力的だった。

一旦木の上で詳細な様子を見て、本当に作戦が実行可能かどうかの見定めをしてもいい。

慎重に動くならここの他あるまい、とクロウは考える。




 そうして、いくらか『侵入前の前準備』を果たした後、作戦を実行に移す。

予め把握していた通り、見張りが通り過ぎた後に内部に降り立ち、侵入に成功する。

一度侵入してしまえば、見張りを一人ずつ葬るのはそう難しいことではなかった。


「――っ!?」


 まずはこの地点を巡廻してくる見張りを一人、物陰から不意打ちし、口元を押さえ、一撃の下沈める。

そのまま静かに物陰へと引きずって死体を隠すと、樹上から確認した通りのコースを通り、目的の住居の手前までたどり着く。

かがり火が置かれ、見張りも三人。

剣を持った男が一人とクロスボウ持ちが二人。それぞれ用意された平べったい石台に腰掛けながら、油断なく見渡している。

三人相手ではいささか分が悪かった。

なのでクロウは、足元の石を拾う。片手で持てる程度の、手ごろなサイズの石だ。

そうして物陰から軽く振りかぶり――門の方向に向け投げはなった。


 ガコン、という音がし、一瞬、門の方がざわめく。


「何事だっ!?」


 そのざわめきに釣られ、見張り三人が立ち上がる。

注意はこの瞬間、完全に門のほうへ向いていた。

彼には、その一瞬があれば十分であった。


「あっ、なにも――」


 まず一人、短剣で首を掻き切る。


「うぉっ――」

「て、てき――」


 そうして振り向き様にもう一人の首を掻ききり、片手で三人目の口を押さえつけた。


「むぐっ――ぐぅーっ!!」


 突然の事に動揺しながらも反撃しようとクロスボウを振り回そうとする。

だが、近接されてしまえば飛び道具持ちは無力である。

この三人目もやはり、何も出来ないまま沈められた。

いかにこの男達が軍人か軍人崩れであろうと、不意を打ってきた暗殺者には敵わない。

このような仕事も済ませる事が出来るのが、彼ら『職人』なのだから。

住居に入る前、かがり火の松明を他の住居の影に向け置いておき、クロウは中へと入る。



「なっ――お前はっ?」


 そうして、中に入ったクロウの前に、槍を構えた大男が立っていた。

その後ろに隻眼の男。どちらも裸であった。


「貴様に名乗る名はないが……『隊長』殿? 人の恨みを買うような事はしないほうが良い」

「うぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 後ろの男に向け笑いかけるや、大男が叫びながら突進してくる。

轟音をあげ突き出される槍の穂先。しかし、クロウは足先を軽くずらし、横に避けた。


「ぐっ――ふぁっ」


 すれ違い様、最低限の動きで大男の胸に短剣を突き刺しながら。

腰の鞘に手をやりつつも、頭目と思われる隻眼の男へと駆け寄る。


「なっ――ひぎぃっ!!」


 まずは口の中に、予備の短剣の刃先を押し込んでやった。

すぐ血に塗れる。頭目は、絶叫すら上げられず喘ぎのた打ち回る。

そのまま短剣を奥へと押し込んでやれば死ぬはずだがそれはせず、刃先をわざと舌に当たるように抉りながら引き抜き、頭目の身体を蹴り倒してやった。


「ひぃっ、ぎ、ぎひぃっ!! あえか――」


 助けを呼ぼうとしていたので、今度は口の中に靴先を放り込んでやる。

べきり、という乾いた音とともに、ぐちゃりとした感触が靴先に伝わってくるのを、クロウは無表情のまま感じていた。


「すまんな。せめて早く死んでくれ。お前の為にも、私の為にもな」


 これから行う事はただの虐殺。血も涙もない解体ショーである。

この男が何をしてそこまでの恨みを買ったのかは知らないが、それでも、暗殺者には慈悲というものがあった。

せめて安らかなる次の人生を迎えられるように手向けられるその言葉、その儀式。それが彼らの慈悲。

自らの手にかかる哀れな獲物に向けての、せめてもの慰めであった。




 ほどなく仕事は終わる。

頭目を殺していた間に、砦には火の手が回っていた。

住居に向け放たれた松明が燃え広がっていたのもある。

同時に、予め砦の外側で炊いていた炎が時間差で回ったのもあった。

今や砦は外と内からの炎で紅く照らし出され、焼き尽くされようとしている。

賊達は必死になって門の外へと逃げようとしていた。

誰一人、頭目の住居から出てきたクロウに気を向けようとしない。

当然だ、そんな暇はない。焼け死にたくなければ逃げるしかないのだから。

武器も鎧もかなぐり捨てて、賊達は逃げてゆく。

中には女子供もいて、それなりに家族らしきものも形成していた事が伺えた。


 そんな中クロウは、賊達が走り去った後の住居を確認していた。

片方は食料庫もかねた粗末なもの。

もう片方は……女達が捕らえられていた。

賊達が一緒になって逃がしていた女とは違って、こちらにはあまり生気が感じられない。

死んだ目、感情を感じさせない顔。妙に薄汚れた身体。

逃げられぬよう足のけんを切られている娘、手を鎖でつながれている娘、さまざまであった。

ただ、目の前に炎が迫っているのには皆気づいているらしく、炎を見てぼんやりと何事か呟いていたのが、クロウにも聞こえた。


「……」


 誰一人、助けを求めようとしなかった。


「せめて、よき次の明日をな」


 クロウは一言慈悲を向け、踵を返し、その場から立ち去った。

向かう先は賊たちと同じく砦の門。




 門は阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図となっていた。

はだしのまま、着の身着のまま逃げ出した者達は、予めばら撒かれた鉄片を踏み抜き、悶絶していた。

ないはずのロープに足をとられ、そのまま転倒して顔面に鉄片を突き刺す者もいる。

何かを踏み抜き、どこからか跳んできた自然の鞭に打ちぬかれ、脚の骨をへし折られてしまった者もいた。

そして何より、それに恐れた賊達が前に進むのを躊躇し、足を止めてしまっていた。

後はもう、虐殺である。

真後ろから来た暗殺者に、一人ひとり丁寧に殺されていった。

パニックに陥りながら、しかし周りの人間に動きを制限され抵抗することも出来ず。

無理に動いたモノはまだ見ぬトラップに嵌り、より凄惨な眼にあってしまう。

罠に嵌った者にも容赦なく、クロウは一撃を加えていく。

女子供にも躊躇はしない。彼らは賊とともに逃げた。つまり賊であると、彼は判断した。

この場にいて賊ではないのは、彼自身と、今、炎に巻かれ次の世界へと旅立っているであろう彼女・・たちだけである。

それ以外は全て賊、全て目標である。それが合理的な判断というものであった。生かす義理はない。


 こうしてパニックの中一方的な殺戮が続き、そして終わった。

血に塗れた身体を川で清め、クロウは街へと戻ってゆく。

仕事は終わった。そう、仕事は終わったのだ。





「そういえば聞いたかベルクさん。衛兵隊が大活躍したんだってよ。周囲を悩ませてた盗賊どもが一網打尽になったらしいぜ?」


 昼食の場に乱入してきたロッキーが、のんきな調子で噂話を口にする。

相変わらず耳聡い男だと感心しながらも、ベルクである彼は静かにパンを一切れ、口に放り込む。

ロッキーはというと、出された昼食は瞬く間に腹の中に収め、もっぱらにぎやかしを担当していた。


「でもその盗賊たち、どうにもただの賊と違うらしい」

「ほう」


 口の中のものを飲み下し、一息つきながら、ベルクはロッキーの話に反応する。


「賞金首か何かだったのか? その、色んなところで大暴れした、とかさ」

「いいや。そんなちんけな奴らじゃないらしいよ。なんでも軍人崩れだったとか」

「軍人崩れ、なあ」

「戦の世から平穏の世になって、平和な世界に溶け込めない軍人さんってのは多いのかもしれねぇなあ。ちょっと前の、元騎士団長の事件と同じでさあ」


 やだやだ、と、息をつきながら手をフリフリ。

自称勇者殿は皮肉げに世の無情を憂いていた。


「私みたいな若者には解らん。何せ私達が生まれた時にはもう、あらかたのところ戦争は終わってたんだからな」

「ほんとそう! 馬鹿みてーだよなあ。訳わかんねーよ」


 ベルクの言葉に何やら満足したらしいロッキー。カラカラと笑いながら部屋から出て行こうとした。


「……?」

「いや、そろそろ来そうな気がするからさ。邪魔になる前に帰るよ」


 またな、と、そのまま帰ってしまった。


「……何しに来たんだあいつ」


 後に残されたベルクは、ただ一言、呟くのみであった。




「ピケアにて店を構える商人ラスティ、それが、今回のクライアントです」


 フィアーは、いつもの様子でベッドに腰掛け、内訳を説明する。


「ピケア……レアル街道とは随分離れた場所だが」


 街の南東部にある小さな村。それがクライアントの住居であった。

街の北西にあるレアル街道から見て、相当距離がある。


「元々あの賊は、隣国フライツペルの歩兵部隊だったようです。指揮をしていた十人隊長が、終戦の折、それを認められず潜伏したのがピケア周囲の森の中」

「……フライツペルとは戦時中、敵国関係だったはずだが。という事は、あの軍人崩れ達は……」

「ええ。ピケアの村は長期間に渡り、賊達によって搾取を繰り返されたらしいです。賊と言っても軍人上がりの者達ですから、村の男達ではどうにもできず……監視下に置かれ、身動きも取れぬまま、多くの村人が取り残されたそうです」


 ごくり、息を呑む。場の空気は冷気をも感じさせていた。

鋭さはないが、背筋の痛んでいく、そんな冷たさ。


「クライアントも、村に取り残されたうちの一人でした。彼には弟と妹が居た。まだ十二、三ほどの少年と少女だったらしいですが」

「……怨恨と言う話だったな」

「ええ。搾取されました。クライアントの弟と妹は賊に連れて行かれ……そのまま戻ってこなかったらしいです」


 憂さ晴らしになぶり殺しにされたか、それとも欲望のはけ口にされたか。

いずれにしても、賊の所業としてはさほど違和感はない。

ある意味では解りきった事であり、それ以上のことではなかった。

だが、フィアーのかもし出す雰囲気は、空気は、徐々に狂気を帯びてゆく。


「そうして、すぐ後に、騎士団が救援に現れたらしいです。そのおかげで賊は逃げ出したのですが……」

「終わらなかったのか?」

「終わりませんでした。賊は去り際に村に火を放ち、逃げ出すことの出来なかった村人達は、その多くが焼け死んだらしいです。騎士団が到着した頃にはもう、ほとんどの者が消し炭となった後でした」


 フィアーの口調からは悲嘆を感じさせない。

ただあるのは、言葉の端に感じさせるのは、どうしようもない憤りと、当て所のない怒り。


「『何故もっと早く騎士団が到着しなかったのか』と、彼は憤慨したらしいです。後一月早ければ弟と妹は無事だったかもしれない。後一日早ければ、村の者は無事だったかもしれない、と」


 その怒りは、騎士団に向けられていたのだ。

賊に対する憎しみもあっただろうが、主には騎士団に。

そこに、クライアントの歪さが感じられた。


「逆恨みにしか感じないが……騎士団が到着した事に、何か許せない理由があったのか?」

「当事の騎士団長の名はオルテガ。あの、『戦争狂い』のオルテガです」

「……なるほど。戦地に釘付けで、国内の治安には眼が向いていなかったという事か」

「そのようですね。当事はこのように、賊の襲撃にあって支配下に置かれた村や町が後を絶たなかったそうです。当然、騎士団に対して怒りを向ける者も少なからずいたのでしょうね」


 私は生まれてすら居なかったので解りませんが、と、一旦話を区切る。

わずかばかり、空気にほころびが生じ、元の温度を取り戻していった。


「クライアントが願ったのは、自分の家族と村の人々を手に掛けた賊に対する復讐と、騎士団の権威失墜。その為に、騎士団と内面で反目している衛兵隊に、大きな手柄を立てさせようと画策したのです」

「だが、賊は捕らえてこそ手柄になるのではないか? 討伐するとは言っても、皆殺しにしては……」


 特に賊の頭目は生きたまま捕らえなければ、あまり大きな手柄としては認められない、というのが一般の認識であった。

その為、一般に討伐依頼などがあったとしても、頭目は捕らえるよう指示される。

今回の仕事では皆殺しにしてしまったため、これ自体は大した手柄にはならないはずであった。


「問題ありません。彼らは『隣国フライツペル』の軍人だった者達です。つまり、これはもっと上のほうで活用できる、とても大きな政治的カードとなります」


 意外と重要な存在だったんですよ、と、皮肉げに笑いながら。

フィアーは手振りを加え説明を続けた。


「フライツペルとしては、彼らは『いてはならない存在』だったはずです。しかも、一度は騎士団が逃した獲物ですからね。相対的に衛兵隊に対して、王宮や政治部門の貴族達は好印象を抱くはずです」

「難しい話になりそうだ。手短に頼むよ」


 国家間の政治に関わる問題は、一介の暗殺者には手に余る。

フィアーの説明のスケールが大きくなっていくにつれ、クロウは頭が痛くなっていくのを感じていた。


「ふふっ、ではこれでやめにしましょうか。馬鹿になられても困りますからね」


 そんなクロウを前に、愉しげに笑うフィアー。こころなし、馬鹿にされたようにも感じてしまい、クロウは息をついた。




「……」

「……」


 そうして、フィアーとクロウは沈黙していた。

ニコニコと笑っているばかりのフィアーに対し、居心地悪そうに無言を通していたのだが、いつまでも帰ろうとしないフィアーが不気味で仕方ない。


「なあ」


 そうして、やむなく声をかけるのだが。


「なんですか?」


 フィアーはクロウのほうを向きもせず、ただ無機質にニコニコと微笑んでいた。


「用事が済んだのだから帰るのではないのか?」

「そのつもりでしたが、少しばかり遅くなってしまいましたので」


 ぽんぽん、とベッドを叩きながら。


「朝までこのまま過ごす事にします。その方がご近所にも変な目を向けられないでしょうし」


 面倒くさい事をのたまっていた。


「帰れ」

「あら、恋人をこんな時間に、大声上げて泣きながら帰らせたいんですか?」

「何故そうなる」

「こんな時間まで恋人同士が一緒に居るんですよ? これで女の方が一人で帰るなんておかしいでしょう。自然に振舞うなら、私が帰る際には大声で泣きながらになりますよ」


 解ってるんですか? と、指を立てながら。なぜか立ち上がり顔を近づけ、真面目な表情で指摘してくるのだ。


「大声で泣きながら帰ってくれ」


 クロウとしては、面倒くさいので帰って欲しかった。

ギルドの幹部が自分の部屋に長居するなど、正直落ち着かないのもある。

しかし、それを伝えるとフィアーは「そうですか」と静かに呟き、そっぽを向いてしまう。


「貴方の気持ちは良く解りました。でもそんなの私の知ったことではありませんね」


 クロウの感情などどうでもいいとばかりに、フィアーはぼふん、と、ベッドに腰掛ける。


「私がここにいると決めたのだから私はここに居ますよ。嫌なら貴方が泣きながら大声で走り去ってください」

「ここは私の家だぞ」

「ええ。ギルドが斡旋した家ですね。もっと言うなら私の持ち家です」


 何か文句があおりで? と、下から覗き込むように笑いかけてくる。


「……あんたの家だったのか!?」

「そうですよ、知らなかったんですか? この街における職人の住居は、その全てが私の持ち家ですよ。当然、私のアジトも」


 今更知ったのですか? と、おかしそうに頬をさするのだ。クロウも劣勢を感じ始めていた。


「ま、そんな訳ですから。寝るなら床で雑魚寝するなりベッドで寝るなりしててもいいんですよ?」

「……ベッドはあんたが使うんじゃないのか?」

「ええ、そうですよ。私が座ってるベッドです。素敵じゃないですか?」

「邪魔だ」


 狭いベッドである。フィアーが華奢な少女だからと、そこに座っていては男のガタイが横になるのは苦しい。


「あらひどい。冗談でも『一緒に寝るか?』くらいの声は掛けてもいいのに。まあ、本当にやったらお腹を殴ってから笑い飛ばしますけど」


 デリカシーのない男ですね、と、つまらなさそうにニヤニヤ笑う。


「……もういい」


 これ以上相手にするのも面倒くさいとばかりに、ベルクは床に転がった。


 結局その晩クロウは、フィアーの発する独特の雰囲気に馴染めず、眠れぬままに朝を迎える羽目になってしまった。

だが、眼を背けていたにしても、意識はあったはずだというのに。

部屋から何時、どのようにしてフィアーがいなくなったのかは、クロウには全く把握できなかったのである。

自分以外誰も居ない部屋の中、クロウは一人、釈然としない顔で部屋を見渡していた。


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