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#3.最低限の犠牲

 その日は、静々と雨が降りしきる涼しい一日であった。

雨に揺れる夏の花。虫も鳴くのをやめ、物陰へと姿を隠す。

町のはずれ、教会通り沿いにある大きな館が、雨空の中暗い影を落とす。



「ふん、嫌な雨だ」


 豪奢な椅子にふんぞり返る館の主。

まだ歳若い男で、ぎらぎらとした目つきをしていた。

不安げに見ている三人の初老の男達を前に、退屈そうに窓の外を眺めていた。


「パトリックさん、どうしても聞いてはいただけませんか?」


 帽子を手に、男の一人が話を切り出す。


「我々が生き残る為には、今のままではまずいのです。貴方の商会が力を貸してくれるなら、この危機だって乗り越えられるかもしれない」

「興味ないね」


 パトリックと呼ばれた男は、窓の外を見たまま言葉を返す。


「しかし」

「俺はあんた達とは違う。何の後ろ盾もない小物商人と一緒にしないでくれ。俺には『グラン・マーケット』がついてるんだからな」

「そんな事言って、マドリス商会がこの町にやってきてからじゃ遅いんだぞ!?」


 男達は厳しい目つきでパトリックを見ていたが、そんなものは彼には通用しなかった。


「帰ってくれ。マドリス商会なんざ、俺とグラン・マーケットが返り討ちにしてやるさ。これからは力のない奴には厳しい時代だ。生き残れないなら大人しく店を畳むんだな」

「あんただってまずいことになるかもしれないんだぜ? この前だって名の知れた豪商が一人、暗殺されたって言うじゃないか!?」


 一人が声を荒げる。豪商トーマスの暗殺事件は、パトリックの耳にも勿論入っていた。


――マドリス商会に喧嘩を売ればただでは済まない。


 それ位の事は、商人の間では暗黙の了解のようなものだ。

だからこそ、男達はまだ若く、暴走しがちなこのパトリックを諌めてもいるのだが。


「ふん。この館を見ただろ? 軍人上がりの傭兵が二十人、館の外には獰猛な番犬が五頭だ。金を積めばまだまだ呼べる。暗殺なんてできっこねぇよ」


 自信たっぷりに、パトリックは笑うのだ。男達は顔を見合わせた。


「いいから帰ってくんな。そして二度と来るな。この商会は誰の好きにもさせねぇ。爺さんの代からずっと守ってんだ。お前らなんかに口出しさせるか!」


 荒っぽい口調でまくし立てながら、パトリックは立ち上がり、ドアを乱暴に開けて見せた。


「ほら!!」


 さっさと出て行けと言わんばかりに、部屋の中にまだいる男達を見る。


「……解ったよ」

「どうなっても知らんぞ」

「パトリック、困ったらいつでも声をかけてくれ。力になれることもあるかもしれんからな……それじゃ」


 最後に声をかけてきた白髪頭の男だけは親しげだったが、他の二人は不機嫌そうに去っていった。


「……ふん!」


 嫌な奴らだ、と、パトリックは苦虫を噛み潰したような顔で、また窓の外を眺めていた。





「全く、パトリックの奴にも困った物だ……」


 場所は変わり、町の中心部にある四階建ての商店『グラン・マーケット』の最上階にて。

安楽椅子に腰掛けた初老の恰幅の良い男が、妙齢の女性秘書を前に苦々しい顔をしていた。


「彼が後を継いでからというもの、セルリアン商会の評判は悪くなるばかりですわ」

「ある程度は仕方ないとは思うんだがなあ。彼の父は、あまりにも早く逝ってしまったから。もう少し長く生きてくれればなあ」


 窓の外を見る。雨に揺れる窓飾り。市場だというのに人通りもなく、なんとも寂しいものであった。


「我がグラン・マーケットに納品する品も、昔は一流の職人仕事が活きた高品質な品ばかりでしたが、今では利益ばかり追求して安い材料を使っている所為か、折角のお抱え職人の腕が活かされていませんわ」

「……一昔前は、セルリアン商会のガラス製品と言えば、都の商人も高値をつけてくれる品だったのだがなあ」


 現実を厳しく指摘してくる秘書に対して、男は悲しげに過去を思い出すばかりであった。


「社長。このままセルリアン商会を抱えていては、我がマーケットの損失も拡大してしまいますわ」

「しかしなあレイラ君。私と彼の父親とは、共に家族とも言えるほどに長く切磋琢磨した友なのだ。簡単に切れなどと言ってくれるな」


 年老いた頬をなんとか引き締め、男は秘書に力なく笑いかけていた。


「ですが社長。近くこの町にもマドリス商会の息が掛かった商人が出入りすると噂されております。今のままでは、いずれ我がマーケットも――」

「君の不安は解かるがね。しかし、ただ目先だけを追及すれば良い物ではないのだ。今の不利益を甘んじて受け入れることで、いずれの利益を確保する眼もなくてはならんのだ」

「社長は、パトリック氏がいずれ大成すると思ってらっしゃるのですか?」

「ああ、いずれはな……だが、その為には試練も必要だろうとは思う。私は、彼を甘やかしすぎたのかもしれん……」


 ぎぃ、と、音を立て、椅子からゆったりと立ち上がる。

窓際まで歩き、そのまま窓を開けた。


「止まぬ雨はないのだ。いずれよき晴れとなる。だが、雲は出たままでは晴れにはならない。どこかで、雨が降らねばならんのだ」


 雨は降り続けていた。

ぱしゃり、ぱしゃりと降り続け、やがて悲しい音色を奏でる。


「レイラ君。彼は有能だ。まだ若いから才能が開ききっていないだけで、いずれはこのグラン・マーケットを任せても良いと思っている。だが、その為には辛い思いも必要だと思う。どうか見届けてやって欲しい」

「……解りました。社長がそこまで仰るのでしたら」


 彼の言葉が届いたのか、秘書レイラは恭しげに腰を曲げる。





「――やはり、マドリス商会がこの町に手を伸ばすのも時間の問題、か」

「ああ。うちも組織を挙げて抵抗しているが、一介の商人と国家お抱えの大商会とでは分が悪すぎる。長くは保たんな」


 闇も更けた頃。男二人が場末のバーにて、肩を並べグラスをあおっていた。


「マーカーに合わせる顔がない。私達は若い頃、それぞれの店を持ったばかりのあの頃に、『この町を自分達の手ででかくしていこう』と誓ったというのに……」

「確かに町はでかくなった。だが、でかくなりすぎたんだろうな。ここにきて、マドリス商会が手を伸ばしてくるとは……」


 俯き、頭を抱える恰幅のいい男。

白髪頭の男は、深くやりきれないため息をついた。


「せめて、マーカーが生きててくれればな……パトリックだってあんな捻じ曲がらなかっただろうし、あんたのところも、もっと顧客を増やせてるはずだ。マーケットにもっと力があれば、マドリス商会だって――」

「パトリックはよくやっているよ。まだ荒削りだが先見性はある。将来はきっと……」

「だがなピーター。我々ももう若くない。若手の商人には、我々のような年寄りは老害だと言ってのける奴らまでいる。若い世代を率いる事が出来るのは、同じ世代でリーダーシップを取れる奴だけなんだ」


――パトリックならもしかしたら。


 彼らの胸には、そんな想いが残っていた。

自分達では町の商人たちを団結させられない。

だが、歳若いパトリックが協力してくれるならば、あるいは。


「……私は、パトリックを甘やかしすぎているのかも知れん。マーカーが死んだ時、私が父親のように厳しく接する事が出来たなら――彼を歪ませず、まっすぐなまま育てられただろうか」

「ピーター……」


 ぐい、と、グラスの中のブランデーを一気に空けるピーター。


「すまないな、ケインズ……」

「子供のいないお前にとっちゃ、パトリックは息子も同然なんだろう。仕方ないさ。俺だって――」


 言いかけて、ぐい、と一息。


「大丈夫だ。皆わかってる。あの時の仲間達はお前さんの立場も、パトリックのことだって、皆わかってるんだ……」


 そう、これは仕方の無い事。

誰にも責める事のできない事なのだと、ケインズは苦笑していた。



「じゃあ、またなケインズ。良い酒だった」

「ああ。今度はゲイルやスコットも呼ぼう。サシで飲むのも悪くないが、あいつらが居ないと寂しくていかん」

「違いない」


 静かな飲み合いは、静かな別れと共に終わる。

店の前、別れ言葉を告げると互いに背を向け、それぞれの店へと戻っていく。彼らは商人なのだ。





 翌朝。グラン・マーケットの社長ピーターが、変わり果てた姿で発見された。

酒場からの帰り道、何者かによって襲撃され、惨殺されたのだという。

夜も遅かったために目撃者もなく、犯人探しは難航するものと思われた。

調査に当たった町の自警団は、遺体が背後から滅多刺しにされているのを見て、物盗りというよりは怨恨に近い犯行と見て、ピーターの周囲から探りを入れ始める。


 町の商人達は戦々恐々としながら、『ピーターはマドリス商会に消されたに違いない』と噂するようになる。

どこから出た噂かもしれぬものだが、グラン・マーケットがマドリス商会に抵抗していた事、マドリス商会に歯向かった商人が様々な形で消されていた事から、ピーターも同じように手を下されたのだろう、と、まことしやかに広まっていったのだ。



「社長が……俺の、後ろ盾が――」


 当然、グラン・マーケットを背に勝ち気に逸っていたパトリックも、このニュースに絶望する事となる。

マドリス商会が町に迫ろうとしている今、自分を守ってくれるはずだったグラン・マーケットが真っ先に崩されたのだ。


「パトリック。ピーターは、最後まで君の事を案じていた。そして、『パトリックならば』と、心の底から信じていたのだ」


 パトリックにそのニュースを伝えたのは、他でもないケインズであった。

混乱を避けるため、詳細は自警団によって伏せられていたが、それを全てパトリックに話したのだ。

その上で、最後に彼を説得しようとしていた。


「ピーター亡き今、グラン・マーケットがマドリス商会に喰われるのは時間の問題だ。だがピーターは、君なら自分のあとを任せられると。きっとマーケットを、町をまとめてくれると。成長してくれると信じていたのだ。これを見たまえ」


 そう言いながら懐から紙を取り出し、パトリックに手渡す。


「これは――」


 紙面にはただ一文。


『私の最後が、もしそれが安寧の中迎えられなかった場合、私の全ての財産を、グラン・マーケットを、パトリックに譲る。 ピーター』


「社長……社長が、俺に――俺に、グラン・マーケットを任せるって……ケインズさん、これはっ!?」

「ピーターの遺書だよ、パトリック。私も君を信じている。君ならできる。グラン・マーケットをまとめ、私達と一緒にこの町を守ってくれ。それが君の父であるマーカーと……死んだピーターの願いだ!」


 が、と、パトリックの肩を掴む。

老いて皺だらけになった手に力が入り、静かに震える。


「ケインズさん……俺は。俺が、やれると。皆、そんなに俺の事を――」

「パトリック」

「そんなに想われてたんだな。なのに俺は気づけなかったんだ。俺は馬鹿だったのか――いいや違う。俺は馬鹿になんてなりたくねぇ!! 馬鹿みたいにマドリス商会に喰われて溜まるか!! この町は――余所者なんかの好きにはさせねぇ!!」

「解ってくれたか!!」


 歯を食いしばりながらも顔を上げたパトリック。

ケインズは、パトリックの手を取り強く握る。握り締める。


「ケインズさん、力を貸してくれ。俺は、俺なら、あんたらがまとめられない若い奴らもまとめてみせる。だが、俺一人じゃ昔からの職人や年寄り連中が動かねぇ」

「勿論だとも。任せてくれ。共にこの町を守ろう。この町は、私達の町なんだ!」


 老いた商人と若き商人の共闘であった。

これから、この町は変わる。堅牢なる砦へと。

マドリス商会という強大な波を防がんとする防波堤へと。




 それは、小さな町の事件であった。

大きな騒ぎになるにはさほど掛からず、噂が余所者の耳に入るのもそうおかしなことではなかった。


「……仕事は完了したか」


 濃紺のローブをまとった剣士風の男が、噂に沸く市場を背に一人ごちる。

やがて歩き出し……町外れの小さな廃教会へと入っていった。



 礼拝堂には人気がなかった。床には埃が積もっていて、空気も淀んでいる。

だが、壁に設置されている燭台しょくだいの上では炎が揺れていたし、礼拝堂の中心に置かれていた女神像は、これだけは埃を被る事無く、美しく磨き抜かれていた。

人がいるのは間違いなさそうだと、慎重に確認しながら、足音を殺して礼拝堂隣の懺悔室ざんげしつへと入る。

やはりここも明るくなっており、人気は感じないながら、人がいた形跡だけは感じられたのだ。

何かを確信したように頷くと、男はぽつんと置かれていた椅子に腰掛け、こつん、と、閉じられた木戸を叩く。

一分、二分、と、反応がないまま、沈黙ばかりが流れていく。



「どうやら、無事仕事を終えたようだね」


 いかほど経った頃だろうか。

戸は閉じられたまま唐突に、高めの男の声がした。

この町の担当をしている『仕立て屋』。

ギルドでは『幽霊神父』と呼ばれている、正体不明の男だ。


「ああ。確認は取れているのだろう?」

「勿論さ。いや、ご苦労様。お見事だったよ。流石はフィアーの回してくれた『職人』だね。良い腕をしているよ、クロウ君」

「仕事ならこなすさ。当然のことだ」


 フィアーと違って飄々とした軽い口調で話すこの男に若干の気味の悪さを感じながら、クロウはその先を待つ。


「結構結構。では、まずは報酬だ。受け取りたまえ」


 コウ、と戸がわずかばかり開き、その隙間から白いグローブをつけた手が出てくる。

チキリと音を立て、金袋がその袖から零れ落ち、器用にそれを手でキャッチし、クロウの前に置いた。


「……確かに」


 その重さを確認しながら、金袋を懐へとしまいこむ。

その間に隙間から伸びていた腕は戻り、戸はまた、閉じられてしまった。



「まず、今回の仕事だけど、これはM&Kエムアンドケーの経営者、ケインズからの依頼だった」


 内訳の時間となったわけだが、神父の口から出たクライアントの名は、クロウの想像していたそれとは異なっていた。


「……てっきりマドリス商会からの依頼かと思ったが。目標は、クライアントの親友ではなかったのか?」

「勿論。これには非常に重く切ない、大切な理由があるんだ」

「焦らされるのは好きではないな。あんたの趣味なのか?」

「ハハハッ、フィアーにもよく言われたよ。いやすまない。要点だけ説明しよう」


 無駄に長くなりそうな気がしたのでつっこんだクロウであったが、案の定、必要のない描写まで入れようとしていたらしかった。

要らない方向にサービス精神が旺盛なのかもしれない。

クロウは、早くも疲れ始めていた。


「この町がマドリス商会に目を付けられている、というのは君も噂程度には聞いてるんじゃないかな?」

「ああ、宿屋の主人がそんなようなことを言っていたな」

「ケインズは、この町をマドリス商会の手から守りたかった。この町は彼らの努力の結晶、誇りとも言えるものだ。この辺りの地方では随分と発展してきている。最近じゃ、役所も独自に建てられた位でね。それなりに力もあったんだ」


 戸の向こう側から伝えられる声は相変わらず楽しげだが、とりあえず要点に絞っているつもりらしかった。


「今回目標となったピーターも、かつてはケインズらと共に奔走し、この町の発展のため力を注いでいったんだ。商売も当たり、仲間内では一番店を大きくした。そして、町で一番の実力者となった」

「邪魔になったから殺した、ということか?」

「まあ、そう逸るな。彼らは確かに良きライバル同士だっただろうさ。だが、そんなことで殺したりはしない。ピーターの死は――この町を守るために必要な死だったんだ」


 軽い口調で続いていた説明は、しかし、いつの間にかトーンが落ち、静かなものとなっていた。

壁の蜀台の炎が揺れる。クロウは、黙ってその先を待った。


「この町には、二つの流れがあった。一つは、昔ながらの腕利きの職人、昔ながらの信用と確かな堅実さで売る商人、そういった、古き良き時代を生きたベテラン達。彼らは、ケインズを中心にまとまっていた」

「もう一つは?」

「昔ながらのやり方では長く続かないと気づき、新たな方法を模索する若者達。若き職人や商人達の集まり。これは、ケインズのような年寄りにはある種の反発を抱いていてね。ケインズ達ではまとめられなかった」


 だが、と、神父は静かに続ける。


「そんな彼らをまとめられる逸材がいた。セルリアン商会のパトリックだ。彼は性格に若干の難はあったが、町一番の実力者たるグラン・マーケットを後ろ盾に持ち、そして、彼の商会運営は、若手の職人や商人たちにはとても効率的に映っていた」

「だが、セルリアン商会は、今のパトリックの代になってから売り上げが落ちたという話だが?」

「パトリックは高級路線だった従来の方針から切り替え、材料費を落とし、その分商品の価格を下げて大量に売ろうとした。だが、お抱えの職人達は高給取りだからね、儲けも当然減ってしまう。納入したグラン・マーケットからも、あまり評判はよくなかったようだが」


 くく、と、戸の向こうから笑い声が聞こえる。


「何がおかしいんだ?」

「いや、なに。都会にいたなら解るだろう? 今の時代、大きな街では大量生産・大量受注・大規模販売が主流だ。ちまちまと職人芸で造られたガラス製品なんて、一部の金持ちや貴族しか欲しがらない。庶民は、安くてそれなりに用が足りる品のほうを望むからね」


 これを笑わずしてどうするか、と、愉快そうに口調を早めていく。


「つまりだ、パトリックはとても先進的なものの見かたが出来る男だった。だから若者達のカリスマ足りえたんだ。ケインズ達も、彼の才能そのものは見抜けないが、若者達を従える事が出来るのは彼しか居ないと解っていた」

「……ここまでの話に、目標の死が繋がるのか?」

「繋がるとも。パトリックは、グラン・マーケットの後ろ盾を絶対のモノと信じていた。そしてそこに寄りかかり、危機感を抱いていなかった。ケインズは、それをこそ壊してやりたかったんだ」

「改心させるために、庇護者であるピーターを殺す必要があった……?」

「パトリックが変わらないままでは町はいつまで経ってもまとまらない。だが、パトリックさえ抱き込めれば、まだ町は生き残れるかもしれない。そこに賭けたかったんだよ――ケインズはね」


 最後だけしんみりと語ってみせ……また、沈黙が続いた。

やがて、戸の向こう側から椅子を引く音、ドアを開いたような音が聞こえ――

ああそうそう、と、思い出したように男の声が聞こえる。


「一つだけ言い忘れていた事があった。クライアントのケインズ。彼が経営しているM&Kだがね……これは『マーカー&ケインズ』という意味でつけられた店の名前らしいよ?」

「……それを私に聞かせてどうしろと?」

「いや。ちょっと切なく感じないかなあ、って。それだけ」

「私は仕事をしただけさ。そこに感情を挟むつもりは無い」

「そうか、安心した。それじゃ、くれぐれも気をつけて帰ってくれたまえ」


 笑いをこらえるような、そんな言葉が聞こえ――ドアを閉めたような音。

わずかばかり間を置き、「これ以上ここにいても何もあるまい」と、クロウも立ち上がった。




 礼拝堂に戻ると、見慣れた勇者殿が女神像の前で祈りを捧げていた。


「……ロッキー、何をやっている?」


 一瞬呆気に取られたクロウであったが、そこは彼もプロである。

気を取り直し、ベルクとして声をかけた。


「ん……? おや、ベルクさんじゃないか。どうしたんだいこんな町まで?」


 どうやら彼が懺悔室から出たことに気づかなかったらしいロッキーは、不思議そうに首をかしげながらも、人懐こくベルクの傍まで寄ってきた。


「いや……私も仕事の途中だったのだ。輸送馬車の護衛の仕事を貰ってな。今は、街へ帰る前にお祈りの為に来た訳だが――」


 お祈りのために来たのは嘘だが、彼がこの町へと訪れたのはそれが目的、というのが表向きの理由であった。

このためだけに検問を通るための札も用意されていたほど。

当然、それらの前準備は全てギルドの方で済まされていた。

現地の仕立て人との用事も終わり、後はもう、街へと帰るばかりである。


「なんだ、そうだったのか」


 人をあまり疑わない彼の事である、案の定、ベルクの言葉に疑問もなく、すんなりと受け入れてくれた。


「実は俺も用事を終えて街に戻ろうと思ってたんだ。でも路銀ろぎんが心許なくてさあ。良かったら、俺もベルクさんと一緒の馬車に乗せてくれよ、な、頼むよ」


 この通り、と、拝むように手をすりながら頼み込んでくる。相変わらず逞しい自称勇者だった。


「まあ、いいさ。よし、じゃあついて来ると良い。その代わり、毛布と食事は自分持ちだぞ?」


 下手に断るのもベルクとしては不自然かと、苦笑しながら承諾する。


「はははっ、大丈夫、ベルクさんの毛布に入り込んだりはしねぇよ。俺は女の子が好きなんだ」

「言ってやがれ」


 許した途端これである。面白い奴だと思いながら、ベルクも笑っていた。


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