「……き、て。……きて、下さい」
私は小さなエンジェルに羽交締めにされながら空をたゆたい、そして大気圏に突入していた。
地球を飛び越えた先には想像通りの宇宙があり、私はその絶景に見惚れていた。
だが、私はまるで十字架に磔にされたかのようなポージングで、しかも全裸だった。
あぁ、全身を鍛え抜いておいてよかった。
今の仕上がりは、どの角度から見られても心配はない。
特にお尻の仕上がりは格別だ。尻で会話したいくらいだ。
「バカなことを考えないでください。私はお尻と会話したくはありません」
「……あなたは、誰だ。ゴッドか?」
とても美しい声音だった。優しく穏やかで、どこか懐かしい。
数年前に他界したマーマを思い出す声だ。
しかし、私の眼前には銀河の絶景が広がっているだけで、その声の主を直接拝むことは叶わなかった。
「ゴッドでもマーマでもありません。そうですね、マリアと呼んでください」
「マリア……。あなたにとても似合う良い名前だ」
「ありがとう。あなたのそういうところ、とても好ましく思いますよ。――冷静に聞いてくださいね。先ほどあなたは、不幸にもその天寿を全うしました。そのことについて理解はできていますか?」
「信じたくはないが、理解はしている。だがすまないが、少し教えてくれ。私は好物の餅を食べ、喉に詰まらせてしまった。だからプロテインを流し込んだんだが、そこからの記憶が曖昧なんだ」
「……あなたはシェイク不足のプロテインでさらに喉を詰まらせてしまい、意識を失いました。そうして今から数分前、搬送先の病院で、亡くなりました」
「そう、だったか。シェイクが甘かったか。ワイフは?」
「ワイフさんとあなたのご息女は、今あなたの手を握りながら静かに泣いています。差し出がましいとは思いますが、あなたに似た前向きなご家族ですので、きっと苦難も乗り越えられます」
そうだろうな。マリアはよく分かっている、ワイフも娘も強い人たちだ。
どんな困難でも乗り越えられると、そう確信している。
「あなたは、とても落ち着いていますね」
「そうだろうか、先ほどから脇汗が止まらないが」
「きっと代謝がいいのですよ。さて、本題です。少し理解し難いと思いますが、肉体を失ったあなたは霊的な存在となりました」
コホン、と可愛らしく咳払いをして、マリアは変わらず優しい口調でそう言った。
私は今を懸命に生きることだけを考えていた。
だから死後どうなるかだなんて全く考えてこなかった。
「幽霊、か」
いざ死んでみると、本当に幽霊になってしまうとは。オカルトも侮れないというものだ。
「そうですね、幽霊という存在と似たようなものです。今のあなたは人には知覚されません、物質である肉体を持たないのですから」
「物質を持たない……あぁ、そうか。だから今の私は裸なのか。だがマリア、聞きたいんだが私は全裸なのに何故サングラスだけは身につけているんだ?」
「普通は全裸ではありません。ちゃんと皆さん服を着て私と対話します。心霊写真のお化けが全員全裸だと困るでしょう……」
確かに、言われてみればそうだ。
「あなたにお願いがあります。とても混乱する状況なのは理解できます。けれど、救ってほしい女の子がいます」
「そうか、助けが欲しいんだな。分かった」
マリアのいう通り、正直死んでしまったことも、死んだ後も意識が残っていることも、今の今まで驚きの連続だ。
だが誰かが困っているなら迷わず助ける。そのポリシーは死しても失われてなかったみたいだ。
「ありがとう。……そう、即答してくれるあなただから、お願いしました。しかし、少しばかり事情を聞いてください」
マザーが少し呼吸を正そうとした、その瞬間だった。
ずっと私の両脇を掴んで重そうに持ち上げていたエンジェルの手が、つるりと滑り私は落下した。
完全に脇汗のせいである。
小さきエンジェル、すまなかった。
宇宙空間に落下という概念があるとは知らなかったが、私はものすごい勢いで落ちていった。いや、落ちるというより吸い込まれている感覚と言った方が正しいか。
かと思えば、急に目の前が輝き出し、見慣れた銀河から辺り一体真っ白な世界へと様変わりした。
「……すごいな」
「あなたは、この宇宙にはどのくらい地球と同等の文明レベルを持つ星があると思いますか?」
落下は唐突に浮遊感へと変わり、白いヴェールを身に纏った巨大な女性の右手に支えられた。
この女性が、マリアなのだろう。
――でかいな。強そうだ。
「あなたはマリアさん、ですか」
私としたことがマリアの姿に萎縮してしまったのか、つい敬語になってしまっていた。
「えぇ、そうです」
「そうだな……そういった類は得意ではないが、これだけ広いんだ。2、3個は文明がありそうだ」
「違います。答えは80,000,000,000,000,000,000,000文明を超えます。今も増え続けています」
「……」
「日本語ですと80垓です。そう。桁違い、という表現がとても符号します。その中のたった一つの星の、一人の王女の力になって欲しいのです」
「もちろん力になる。だが、その桁違いの中からどうして私が選ばれたんだ?」
「最高のボディービルダーだからです。あなたは、人を変えることができます。自分を律し、ただひたすらに禁欲的。そんなあなただからこそ、その声は人々に届く。たった今、自ら死を選ぼうとしているその王女もきっとあなたなら……」
「分かった。最初から断るつもりなんてない。その子が死のうとしているなら尚更だ。私の全身全霊を持って、その子の力になることを約束しよう」
私がそう言った時、ヴェールで隠されたマリアの顔が少し微笑んだ気がした。
「ありがとう。この宇宙はとても広くて、多くの人が存在しますが、やはりあなたは私のお気に入りです」
「こちらこそありがとう。最高のボディービルダー、それは私にとって最上の褒め言葉だ。では、任せてくれ」
「えぇ、お願いします。どうか彼女を破滅の運命から、救ってください」