私の実家は代々、東京の月島だった。
すなわちそれは、ソウルフードが「もんじゃ」だということを意味する。
月島において高貴な生まれの子どもというのはみんな、銀の匙ならぬ、もんじゃ用の小さなヘラをくわえて生まれてくるのだ。
かくいう私も例外ではない。
おしゃぶりより先にヘラ、という恵まれた環境のおかげで、私は物心がつくよりずっと前から、あの小さなヘラでぐつぐつと糊状になったもんじゃの生地を上手に鉄板におしつけ、やけどすることもなく器用にヒラリヒラリと口に運んでいたのだ。
そんな私は海外の大学に留学中、あの香ばしく焦げるソースの禁断症状に苦しんだ。まるで夢遊病者のようにソースの幻嗅にもだえながら、夜な夜な寮の廊下を徘徊していた私を救ってくれたのが、大阪から留学してきていた、のちに私が結婚することになる彼だった。彼は寛大にも、日本から持参していた虎の子のソースを、私に分け与えてくれたのだ。
それが縁となり、私は大学卒業と同時に彼と結婚し、月島から大阪へと移り住むことになった。同じソースの香りを愛する者どうし、うまくいかないわけがない、と思った。
ところが、ところがである。
大阪に到着するやいなや、私は「もんじゃ」が、口にするのもおぞましい比喩で愚弄され、嘲笑されるのを、うっかり耳にしてしまったのだ。すさまじい怒りと悲しみで私は正気を失いかけた。なんと浅ましい異境の地に来てしまったのだろう……。心の底から激しく後悔した。
大阪のソウルフードは言わずと知れた「たこ焼き」で、必ず一家に一台たこ焼き器があるというのも、まんざら大げさな話ではない。
ご多分にもれず、大阪生まれの夫は新婚生活に必要な家電リストの中に、たこ焼き器なる珍妙な品をごく当たり前のように入れてきた。
それを目にしたとたん、私はハッと気づいてしまったのだ。
人あたりがよく、いつも陽気な夫の、ふとしたときに見せる身勝手さの理由……その原因がほかでもない、この「たこ焼き」という食べ物にあることを。
なぜ、今まで気づかなかったのだろう……。こんなに一つ一つが丸く分断され、各人に分けやすい個人主義的な食べ物がソウルフードだとしたら、孤独に裏打ちされた、みじめな人格ができあがってしまうのも無理はない。
「たこパしような。おれ、焼くのうまいんだよ」
すっかり血の気がひいている私のようすに気づきもせず、夫は能天気に言いつのる。
たこパ、だ、と?
「たこ焼き」なんて不埒なもので浮かれたパーティーを成立させようとする傲慢さに、私は呆れ果てた。月島では「もんパ」なんて恥知らずな言葉はない。
ああ、私はアイデンティティを放棄してまで、この忌まわしいたこ焼き的個玉主義、もとい個人主義に飲みこまれなければならないのだろうか……。
悲痛な気持ちで、私は膨らみかけているお腹に手をやった。
私のお腹の中には今、新たな命が宿っている。
そう、銀のヘラをくわえて生まれてくるべき子どもだ。
この子にはどうしても幸せになってほしい。できることならば、膨張しつづける宇宙さながらに鉄板いっぱいに広げられた「もんじゃ」を、他人との境界線などなく平和に共有するような、愛に満ちた人生を送ってほしいのだ。
私は深いため息をついた。
なぜ世間には、浮気以上に価値観の違いによる離婚が多いのか、よくよく理解できたのだ。
「ちょっと値は張るけどさ、この、鉄板が取り外せて洗える機種はどうかな」
この期におよんで夫はまだ、たこ焼き器の機種に悩んでいる喜劇、いや悲劇か。
「離婚よ」と私は低い声でつぶやいた。
「は、なに?」と夫はきょとんとした。
「だから、り、こ、ん、って言ったのよ」
「はああ? なんで……」
私は意を決し、自分にはどうしても、偏狭で窮屈極まる、たこつぼ的たこ焼き文化は受け入れられそうもないことを夫に告げた。
「たしかに君とはちがって、おれは竹串をくわえて生まれてきた、さびしい人間だよ……」
夫は両目に涙を浮かべてうなだれた。
「だけど、君と子どもが幸せになれるように、どうかチャンスをくれないか? おれはこれから一生、おれ自身はもちろん、君や子どもにも、たこ焼きなんて矮小な食べ物を口にさせるマネは絶対にしないと誓うから!」
その言葉を聞いた私は、ホッと肩から力を抜き、家電購入リストの中の「たこ焼き器」を、ぐりぐりと黒いマーカーで塗りつぶした。
そして二人は末永く、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし……。
とは、いかないのが世の常だ。
私の心は、またしても打ち砕かれたのだ。
あれほどまでに手塩にかけ、蝶よ花よと大切に育てた娘の口から、あんな残酷な言葉を聞かされるなんて。
「ママぁ、あたし明石焼きが一番好きかも!」
衝撃のあまり息が止まった。
ああ……、だが、娘に罪はない。
それもこれも全部、あの無神経な姑が「たまには、こんなんもエエやろ」と軽佻浮薄なノリで、娘を明石焼きの店なんかに連れていったのがいけないのだ。
たった半日といえども、あんなろくでもない女に大事な娘をあずけるなんて、私はどうかしていた。
「明石焼きの優しいお出汁の味にホッとする」と娘は言う。
な、ん、だ、と?
娘よ、ソースエリートのDNAを、いったいどこに落としてきたのだ?
腹か? 私の腹の中か?
我にもなく私はヒステリックになってしまう。
「ダメよ! ダメダメ。明石焼きなんか、材料も味つけもきっちり決まっていて、ほとんど自由度がない食べ物じゃない」
私の両目から、涙が滝のように流れ落ちる。
……そりゃあ私だって、娘が生まれたとき、多少の覚悟はしたのだ。
いつか、「ママ、私はお好み焼きが一番好き」などと言われる日が来るかもしれないことを。
だがそれはきっと娘の、「たこ焼き父」と「もんじゃ母」の仲を引き裂きたくはないという優しい心が、「中庸」を選択した結果なのだと理解しようと思っていたのだ。
それが、よりにもよって明石焼きとは。
私の絶望に追い打ちをかけたのは、ほかでもない夫だった。
「明石焼きかあ。美味いよな。そんなに気に入ったんなら、家でも作れるようにたこ焼き器、買っちゃうか?」
封印したはずの、あの恥ずべき家電の購入が、十数年ぶりに蒸し返されるなんて、いったい誰が想像できただろう。
もちろん、私はずっと知っていたのだ。
夫があの日の誓いをとっくに破り、私に隠れて、外でこそこそたこ焼きを食べていることぐらい。
それでも、家庭に持ちこまないのならと、ずっと目をつぶってきたのは、ひとえにかわいい娘の幸せのため、平穏な家庭を壊さないためだった。
私がいくら愛を叫んでも、一番身近な家族にさえ、その声は届かない。
だからこの国はいつまでたっても、イジメが絶えず、卑怯で愚かな誹謗中傷に満ちているのだ。
私の体は怒りで震えた。
「出るわ」と私は低い声でつぶやいた。
「は、なに? おまえまさか、家を出るなんて言い出すつもりか」と夫は青ざめた。
「フン、違うわよ。選挙に出るのよ。私、政治家になる!」
「はああ? なんで……」
「根本から変えなきゃ、この国ごと。全国民が、自由と博愛を象徴する食べ物へ忠誠を誓うように。この社会の閉塞感が、小さくまとまるしかない卑小な食べ物のせいだってことを知らしめなければ。子どもたちの未来のために、変えなきゃだめなのよ。ニッポンのソウルを、いえソウルフードを!」
夫と娘はポカンと口を開けている。
私は二人に優しく微笑んだ。
時間はかかったが、ようやく私は自分の進むべき道を見つけたのだ。
偉大なるもんじゃを、日本国民全員のソウルフードにしてみせる。そして、広大な鉄板をあまねく覆うもんじゃのように、日本を、いや世界を、香ばしい愛で覆い尽くしてみせるのだ!
ハッと我に返った夫が、「そーっすか!」とやけくそのように叫んだ。
「ソースだけにな」と、面白くもなさそうに娘がつぶやいた。