平成一三年~一八年
平成一三年(2001年)9月11日。WTCビルに航空機が激突する映像が世界中を駆け巡った。この日NYダウと日経平均株価も暴落し、以後そのまま低迷しつづける。
WGIの社長室で航平は決算書に目を通しては破り捨てて、電話を取る日々が続いた。電話の相手は穂高邦夫である。
「あ、会長。誠に申し訳ありません。また運転資金の方を…」
社長室の片隅のテレビではブッシュ大統領の「悪の枢軸に対して制裁を行う」という声明がライブで流れていた。そして全米各地で繰り広げられる戦争反対のデモも。建国史上初めて本土を攻撃されるという汚点を残した大統領は、再選を期して起死回生の逆張りを仕掛けた。平成十五年(2003年)3月20日、イラクへの空爆に踏み切ったのだ。
WGIビル一階の取引所では〝売り″の単語が飛び交っていた。だがその中で信也は冷静に新興市場の市況を見ていた。内線電話が鳴る。社長室からだ。
―おい。ついにドンパチが始まったな。そっちはどうだ?
「全面安ですね。でも、これはチャンスでもある」
受話器の向こうが沈黙する。
「アメリカで起きた90年代後半のITブームは、必ず日本にも現れる。今のうちに落ちたところを拾いましょう」
信也は思い切った進言をしてみた。
―逆張りか。気が進まねえな。ここは見(ケン)だ。買いは安定株だけにしとけ。いいな。
「社長!」
しかし電話は切られた。信也は受話器を戻してすぐに飛び出して行った。社長室の航平は書類チェックをしていた。殴り込みにでも来たような信也を航平は片手で遮る。
「話は終わってるぞ」
だが、投資顧問が珍しく詰め寄った。
「社長。いや、荻原組本部長」
「おい」
この職場では禁句だ。
「ちまちま安定株だけ買い付けて、二年間滞納している上納金が払えますか?」
「ほお。俺を脅すのか?」
面白いことを言い出したな、とも思う。
「あんたがコケたら、俺も東京湾に浮かぶんだ」
「今時、そんなヤクザはいねえよ」
鼻で笑われた信也は、書類をどかして航平を睨んだ。
「どっちでもいい。俺が言いたいのはこうだ。ギャンブルする気がないんなら、ヤクザなんかやめちまえ!」
航平は怒るではなく、意外そうな顔で信也を見た。あのときのこいつに似ている。対峙したまま、しばらく睨み合った。
「わかった。いいだろう」
今度もまた、事態を変えるのかもしれない。航平は立ち上がって、信也の頬をつねった。
「勝負してみろよ。坊主」
言質は取った。社長室を出た信也は、吹き抜けから見下ろす一階の取引所に向かって叫んだ。
「みんな、聞け!」
従業員一同が、信也を見上げている。
「今日からは新興市場を土俵にする。ヤフージャパン、楽天、ライブドア…ITと名のつくものは、拾って拾って拾いまくれ!」
イラクでは砂漠の攻防が始まり、連日CNNが戦況を報じた。民家が空爆されていく映像も隠すことなく流された。戦争は全てを塗り替える。ブッシュ大統領の支持率は、株価とともに上昇した。NYダウと日経平均のグラフが、この年の三月を底値に上昇して行ったのだ。リンチ事件もあった。爆弾テロも頻発した。さまよえる戦争難民たちの姿があった。だがその後四年にわたって日本のITバブルは続き、WGIの業績も鰻昇りとなった。社長室の片隅のテレビでは、大統領が再選の笑みを浮かべていた。
「アメリカもまたアメリカという幻影に弱い、ってことだな」
航平は評論家のようなことを言い、すぐに「くっだらねえ」と自嘲しテレビを消した。
カネは儲けた人間を狂わせる。六本木ヒルズのレストラン、そのVIPルームではシャンパンタワーが、カクテル光線で虹のように輝いていた。信也とヒルズ族の三谷、堀田はモデルの女たちを侍らせて密度の濃い儲け話を検討していた。
法改正で手数料は激減した。にも関わらず航平が株屋を始めたのは、より金になる情報が手に入るからだ。信也は社長の意図をしっかり理解していた。何よりも信也自身が金儲けが好きだったからだが。三谷と堀田の会話を、何気なく盗み聞く。
(堀田くん、どうやら上村さんが動くみたいだよ)
上村ファンドの代表は、孤高の相場師でもある。
(放送局でしょ。おいしい話だよね…)
囁き声をしっかりと脳にインプットして、信也はピンクのドンペリを飲み干す。ヤマト放送だな、と推測する。他社の情報はインサイダー取引には当たらない。彼らには見返りに、経営するグループの株を顧客に売りつけてやる。これはそういう暗黙のトレードなのだ。
今夜はこのネタだけで十分だったので、信也はコースターに何か書き堀田の前にさりげなく置いて、パーティールームを出た。堀田は「23時 玄関先ワゴン」と書かれたコースターのメモを見やる。今夜のお礼がしたい、と言うのだろう。
指定の時間。六本木ヒルズの玄関先に待機していたスモーク貼りのワゴンが出発する。車内には前戯が用意されていた。堀田と三谷は慣れた手つきで、当時まだ“脱法ドラッグ”と呼ばれていたクスリを歯茎にすり込んだ。
「信ちゃん。これ、違法じゃないよね?」
訊いてくる堀田に、助手席の信也がルームミラー越しに答える。
「抗うつ剤だから、れっきとした医薬品。ま、来年には違法になるけどね」
「ドラッグと法律は、永遠のイタチごっこだねえ」
独り言のように堀田が言う。三谷の方は少し目が怪しくなっている。
「今夜は何?俺、癒し系キボンヌ」
希望する、という意味の当時流行ったオタク言葉だ。堀田もリクエストする。
「俺はバリバリのウルトラハードで頼む」
信也はふたりの希望に添った秘密クラブを、自分の情報網から引っ張り出した。
そこでは退廃的な空気漂う乱交パーティーが催されていた。ステージ上では、米軍女兵士が拘束されたイラク兵にセクハラをしている。実際に報道された事件のパロディらしい。裸の女たちに囲まれた堀田は、どんよりした目でそのステージを見ている。辱められているイラク兵が、突然拘束服を破って吠えた。
「そうだ、イラク頑張れ!ファックユー、USA!ファッキュー」
掘田の叫びに応えるかのように、イラク兵が米軍女兵士を逆にレイプし始める。IT界の寵児は嬌声を上げてステージに上って行った。また別の部屋では、三谷が巨体の女たちの乳房に埋もれて甘えていた。
「ママ、ママ…ぼくがきっと、ママを楽にさせてあげるからね」
癒しが欲しいとリクエストした大の男が、幼児のような甘え声で女にすり寄る。
「ケ。ガキが、生意気言うんじゃないよ!」
巨体の女が自らの乳房で三谷を窒息させようとし、平成の信長と呼ばれる男の恍惚がブルーライトに照らされた。
信也はこの秘密クラブの管理室で、彼らの様子をモニター・チェックする。この店自体がWGIの管理下にあるから容易い。お得意様に変事があってはならないとの配慮だったが、今の信也に変事と常時の区別はつきかねている。
ピンクの酒に粉ドラッグを溶かし
「ああ、もっと。もっともっとだ」
と一気飲みして、グラスを壁に投げつけた。銀行員にもトレーダーにも、ましてヤクザにもなれない自分を呪った。
ようやく経営収支が上向きになった頃。航平は穂高を接待する席に、信也を連れて行った。銀座の高級クラブは、その日一日貸し切りだった。
「会長。長らくお待たせしました。ようやくお借りした事業資金、返済できそうです」
「そんなもん、いつでもええのに。比嘉ちゃんは律儀な男やな」
穂高は荻原組の中で唯一、この比嘉航平を信頼していた。筋モノのくせに、やたら真面目なこの男を。
「企業としての信用問題ですから。それと利息代わりと申しては何ですが…」
航平は穂高に耳打ちした。先日信也が得た情報を伝えたのだ。
「TOB(公開買い付け)でっか。ほな、今のうちでんな」
はやる穂高に、航平はプランの一端をちらつかせる。
「今はまだ。ひと月お待ちください、ガクンと値が下がりますので」
やはりこの男は真面目だ、と穂高は感心した。
内ポケットからバイブ音が鳴る。
「信也。会長のお相手を頼む」
携帯で部下に指示するために、航平は廊下に出た。
「ああ…創業者一族のスキャンダルを他のメディアに流せ。足を引っ張りたい連中が飛びつくはずだ。それからな…」
その間、信也は穂高と雑談した。いい機会。興味の尽きない相手だ。
「個人資産?知らんなあ」
「噂では、一兆円を超えるとか?」
聞いていたホステス達が驚声を上げる。
「かもしれんし、百万程度かもしれんし。どっちゃにしろただの数字や。数字いうんは、追っかけとるうちだけの華や。摘んでもうたら尻も拭かれへん」などと言いながら、隣に座るママの尻を撫でている。
「凄いです。自分も、会長のようなフィクサーになりたいです」
「ああ、やめとけ。仙人になりたがったナンチャラみたいなもんや」
「…杜子春?芥川の、ですか?」
「カネなんぞ、人の心失くしてまで欲しがるもんちゃうわ」
「そうよお。世の中で一番大事なものはやっぱり『家族』よ」
ママが尻を撫で続ける穂高の手をつねる。
「奥様に言いつけるわよ。メ」
場が笑いに包まれる中、信也は期待外れの答えに失望していた。まるで、坊さんか教育者が宣う綺麗ごとだ。
「ま。顧問くんは、わしより比嘉ちゃんを目指すこっちゃな。喧嘩が強うて頭も切れる、見た目も申し分なし」
周りのホステス達も頷いている。この女たちもあの男のフェロモンを感じているのか、と信也は軽く嫉妬する。
「何より、真面目にヤクザやっとるんがええわ。なんかの贖罪みたいにな。それが哀愁や色気を生む。わしはな、顧問くん」
どうやら名前も覚えてもらっていないのか、とイラつく。
(武田、だよ!ジイさん)
「彼が望むんやったら、穂高ローンの後継者にしてもええ思うとるんや」
「こ、後継者?」
「男が男に惚れる、いうやっちゃな」
「あらやだ。BLの世界ね」
若い女子達の間で流行り始めた新語で、ボーズ・ラブとかいう理解に苦しむ世界だ。嬌声を上げる女たちにも、信也は八つ当たり的にイラつく。
「BLは知らんが、男の子はみんなヤクザもんに憧れるもんやねんでえ。ガハハ」
(憧れ?)
グラスを持つ手が止まる。フルーレで航平を襲撃した自分の姿がフラッシュバックしたのだ。
(俺も心のどこかでアウトローに憧れて、この世界に引き込まれたのか?)
「会長。失礼いたしました」
航平が恐縮しながら席に戻った。
(だが、あれ以来俺はこの男の言いなりで、その上…引き立て役?どこがアウトローだよ。パシリじゃねえか!)
自分に芽生えた感情が嫉妬以上のものだと気づかぬまま、信也は酒を呷った。
数日後からヤマト放送局前の公道に、右翼の街宣車が日参した。古い手だが効果的、と小島が評したあのやり方だった。
「旭日烈風隊、であります!天下の公器であるはずの放送局が~創業者とテレビ局の派閥争いに振り回され~あろうことか、ハゲタカファンドまでが便乗し~自ら、その魂を売ろうとしておりまあす。我々はあ~愛国の士なのであります。もはやこの状況をお、看過できないのであります!」
右翼然とした男のアジに通行人たちが立ち止まる。警官たちも取り囲んではいるが、険しい顔で手をこまねいている。思想の自由を盾にする以上、彼らを取り締まれるのは「騒音に関わる環境基準」を超えたときだけなのだ。やつらも選挙時の街頭演説と同じデシベルでしかアジってはいない。
「言論の自由!そう、言論の自由が~今まさに~侵されようとしているのでありま~す」
どの口が言ってやがる。警官の一人が舌打ちする。
前代未聞のマスメディア買収劇が始まろうとしていた。ただ歴史が示すこの事件の顛末は、銃弾(カネ)の浴びせ合いからの泥沼の法廷闘争に帰結する。誰もが得をしなかったかに見えるその陰で、荻原組と穂高邦夫個人だけは莫大な利益を手にした。表と裏の顔を使い分けて、闇はより深く濃くなっていった。
翌年の平成一八年(2006年)。信也が籍を置く第一協同東西銀行の看板が外され、KIZUNA銀行という名称に変わった。金融界の再編統廃合はまた一段階進み、世界でもトップクラスのメガバンクが誕生した。
だが信也はあいかわらず銀行ではなく、NYと灰色の証券会社を行き来していた。どこにも属さない分、彼は誰からも干渉を受けることはなかった。銀行もホイッスラーも比嘉社長ですら好きにさせていた。この日も与えられた顧問室でPCで株価をチェックしていた。まだIT株は値上がりし続けている。
(勝って当たり前、がこんなに退屈だとはな…う)
デスクの下では、女秘書が信也の股間に顔をうずめている。特段秘書経験も資格もなかったが、某女優に似ていたので雇うことにした。内線電話が鳴り、受話器を取った。
「ああ、買いだ。ただ、そろそろロスカットはきつめに入れておけ。いや、パーセンテージは任す」
当たり前のことをいちいち訊くなと言わんばかりに電話を切り、デスクの下に潜っている女に言った。
「おい、脱げよ」
そろそろそこまでさせてもいいだろう、と思ったからだ。夕暮れが窓の外に広がっていたので、上半身裸でガラスに手をつかせようとした。秘書はさすがに嫌がった。
「派遣、切られたいのか?」
脅すと女は涙目で頷いた。信也はズボンのファスナーをおろし、秘書のスカートをたくし上げる。と、なぜか女の背中に菩薩の刺青が浮かんだ。模様まで見えた。確か半跏思惟菩薩像とかいうやつだ。躊躇している間に菩薩は消えていき、真っ白な背中に戻った。萎えた信也はデスクに戻って言った。
「…もういい。帰れ」
女は泣きながら服を着込み、出て行った。残った信也は引き出しから古びた週刊誌を取り出す。もう十年以上も持ち続けているあの写真誌だった。
(経世研究会はたしかに東西銀行をゆすっていた。利益供与があったのは事実だ)
自分の運命を変えた事件。目の前で父・宗太郎が女と同衾している写真が揺れる。
(長尾逮捕の切り札となったメモとこの写真。だが、どこか違和感を感じるのはなぜだ?)
そうだ。ずっと消えない、もやもやしたもの。写真の中の女の真っ白な背中を凝視する。
「長尾が消えて、得したのは誰だ?」
いつの間にか、口に出していた。
航平は四一歳になり老眼鏡をかけて新聞を読むようになっていた。「史上最長の好景気」の文字が歪んで見える。一流建築家が設計した豪邸のリビングの壁に埋め込まれたテレビからは、経済学者がしたり顔で解説する声が聞こえる。
―2002年から今なお続く戦後最長の「いざなみ景気」ですが、これはあくまで財務省
が示す数字のレトリック、いやトリックです。デフレや就職氷河期は続いていますし、実体経済そして一般市民の実感は依然として「失われた時代」なのです…。
航平は答えるようにつぶやいた。
「バカ野郎。お前らが何もしねえだけだろ。これを逃すようなやつにゃ、一生好景気なんか来ねえよ」
言ってすぐ、俺もテレビと会話するようなオヤジになったか、と後悔する。気を取り直してひろびろとした邸内を見渡す。
(見ろよ、まるでモデルハウスだぜ)
二度結婚した。最初はITバブルが膨らみ切った五年前、女子アナウンサーとだった。アクセサリー代わりのつもりだったが、装飾品だとしても何もできない女だった。家事はもちろんセックスさえ拒むようになったので、一年も保たず別れた。二度目は銀座のクラブの女だったが、一緒に住み始めた瞬間からうんざりした。まるでこの家がクラブのように思えたからだ。無論ふたりには多額の慰謝料を払ってやった。
リビングでブランデーを飲みながら、洋風建築の豪邸には不似合いな仏壇に語りかける。
(おい。お前のバカ娘は、めったに寄りつきもしねえぞ)
陽海の娘・瑠奈は戸籍上航平の養女になっている。だがくだらない女たちを家に入れたのがまずかったか、小六から長い反抗期が続いている。外から暴走族の鳴らすフォンの音が聞こえる。そのうちの一台が近くに止まる気配もする。航平が新聞を置いて腕を組んだ頃、男ものの特攻服を着た茶髪に眉毛を抜いた若者がずかずかと玄関に現れた。一七歳になった瑠奈だった。彼女は何も言わずキッチンに向かって行き冷蔵庫を開けた。
「おい」
航平がリビングから声をかけたが、瑠奈は返事もせず缶ビールを開けて飲んでいる。仕方なくキッチンまで行く。
「もう半月も前の話だがな、学校から電話あったぞ。留年するか中退するか、どっちか選べってよ」
背中で聞きながら半分ほど飲み干し
「就職する。関東侠星会荻原組に」
と、即座に答えた。用意していたプランか。
「ぬかせ」
「あれ?父親なら、わが子が跡を継いだら嬉しいもんだろ?」
「バカ野郎」
「養い親じゃ嬉しかねえわな。な、一度聞こうと思ってたんだけどさ、俺の…ホントの親父って誰よ?」
航平は黙った。
「言えねえのか、わからねえのか。どっちにしろ、あんたは家族じゃねえ。あんたは…」
ビール缶を投げられ、養父はよけずに顔で受けた。
「アンマーを殺した仇だ」
言い捨てて、養女はまた玄関から出て行った。航平は仏壇の陽海の遺影を見る。
(どこで間違えた?)
それからしばらくして、航平は若頭の小島とジャズ・バーで会った。無論ふたりだけの貸切にしてある。
「例の信用金庫の総務部から連絡があったぜ。あとは本部長の出番だな」
ヤマト放送の件は時間がかかるだろう。じっくりと蜜を吸いつくしてやるつもりだ。今回はその資金を信金から無利子で引っ張る、迂回融資の件だった。内部で起きていたセクハラ疑惑をネタにして、あくまで“お願い”をしていただけだが、今回もこちらの言いなりになってくれるだろう。
「ああ。うまくやっとくさ」
だが航平は物憂げにグラスに口をつける。
「なんだ?笑いが止まんねえんじゃねえのかよ」
仕事の話は終わった。小島は帰り支度をしかけた。
「なあ、頭。個人的なことで相談があるんだ」
「お前が?俺に?相談?」
不意を突かれ、小島は大笑いした。
「ガキのことだ」
笑うのをやめ、離れかけた止まり木に座り直した。
「何だ。ヤクザにでもなるってか?」
航平が黙って頷く。
「うちの倅も、中学のとき同じ事を言ったぜ。心配するな、麻疹みてえなもんだよ」
「その後はよ?」
「倅か?今じゃ区役所勤めさ」
作ったような話をされたが、航平は安堵の顔で大きく息を吐いた。
「おいおい。お前も人の親なんだな」
「いや。瑠奈は違うんだ…」
そう言えばこいつとは長いつき合いだがプライベートな話はしたことがなかったな。
「頼みがある」
俺に頼むなんざ余程のことだな、と思い「言ってみろ」と受け入れてみせた。
「瑠奈を、あんたの組でしつけてくれ」
さらに航平はバーボンを一気に飲み干して
「俺だと、また殺しちまう」
と、吐き出すように言った。小島は黙り込んだ。気まずい空気をかき混ぜるように、しゃがれた女の声が流れていた。音楽の事は知らない。ブルースというのだろうか、耳を絡めとるような曲調だった。そして武闘派の若頭は、頭の切れる金庫番の男からさらに意外な言葉を聞く。
「俺はよ、頭。もっと明確な罰を受けたいんだよ」
ああ、この男も修羅だか無間地獄だかをさまよっていたのか。明確な罰、という聞きなれない言葉が小島の頭を行き来した。
つづく