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第2話

 そのあと航平は信也を自分のマンションに運びソファに寝かせた。応急処置をして顔や体中に包帯が巻かれている。航平自身は陽海の膝枕で耳かきをされながら、スクラップブックを確認する。小さな囲み記事の見出しは『大手銀課長自殺―民暴絡みか?』とあり、宗太郎の顔写真が添えられている。

「おい」

「はいさ」

 気の抜けた返事が返ってくる。この女のネジは少しゆるんでいる。

「ハル。お前は股さえ開きゃ、男が思い通りになるとでも思ってんのか?」

「や、ワンはよかれと思ってサ」

「くんフラーさ」

 沖縄の言葉で(大馬鹿だ)と言ったため、陽海はむっとして耳かきを奥に突っ込んだ。

「いて!」

「ニイニイこそワンをいつまで…」

 陽海が怒り始めたところで、信也が呻き始めた。

「おい」

 目配せされ、陽海がキッチンからビールといくつかのグラスを運んできた。目覚めた信也は、まだ状況がつかめずあたりを見回す。

「はい、気つけ薬」

 陽海がコップのビールを目の前に置いたが、やはりそこにいる人物もビールという飲み物すら認識していないようだ。

「まさかタマ取ろうとした奴の顔、忘れたんじゃねえだろうな?」

 少しずつ記憶が戻ってきているのを見計らい、航平は陽海を抱き寄せて見せた。

「こいつの愛人のヤクザだ」

 陽海は航平の手をつねってから、信也に両の手を合わせた。

「ごめん、嘘。うちの兄貴」

 記憶を取り戻した信也が身構える。

「お前、解答は満点だが、名前を書き忘れるタイプだな」

 航平は呆れたような顔で、自分の名刺を放り投げた。

「経営コンサルタントをやってる比嘉だ。銀行が嫌になったらうちに来い。平成の世の中で親の仇討ちなんて見所あるぜ」

 相手は何を言ってる?という顔。さらに航平は別の名刺を放った。『経世研究会 代表・長尾一慶』とある。

「お前の親父を追い込んだのは、そっちだ」

 言われて、信也は名刺と航平を交互に見た。

「長尾も俺も、経済ヤクザとか民暴とか呼ばれる輩だ。企業にとっちゃ〝あってはならない、なくてはならない存在″よ」

 隣で陽海が、手酌のビールを飲みながら補足する。

「兄貴が関東系でそっちのが神戸系。大和田組くらい聞いたことあるでしょ?」

 航平はスクラップブックを示して説明した。

「お前の親父は東西銀行で総会屋対策を担当していた。おそらく何かの案件で大和田組と揉めて、会社との板ばさみに耐え切れず死んだ…そんなとこだろ」

 信也は黙ったまま、ただ言葉の意味を反芻する。航平が柔らかい目でビールを勧め、信也は導かれるように一気に飲み干した。陽海はそこまで見届けると、グラスをキッチンに持って行く。

「さてと。私はお邪魔ね。瑠奈ちゃん、帰るよ。起きて」

 キッチンの奥には別の部屋があるようだ。ドアを開けて誰かを呼んだ。小さな女の子が目をこすりながら出てきた。

「アンマー(おかあさん)、終わった?」

「うん。ニイニイはまだお仕事だから、おうちで寝ようね」

 と、その娘を抱き上げる。

「え、子どもがいたんですか?」

 信也は思わず聞いてしまった。陽海は瑠奈の手を引いて、リビングを振り返った。

「にしては、チョベリグなナイスバディだったでしょ?ヒヒ」

 それだけ言い残して、母子はそそくさとマンションを後にした。信也は民暴の男とリビングでサシの状態になる。空気が淀む。

「で、真犯人を知った今どうする?大和田組は日本随一の暴力組織で、長尾は幹部の一人だ。間違っても、今日みたいな間抜けなボディガードは揃えちゃいねえぞ」

 試すような目、挑発するような口ぶりだ。

「どうすれば、長尾と同じ土俵に立てますか?」

 俺はまだ続ける気なのか?自分の言葉を疑う。言わされているのだろうか。催眠術のように。

「堅気じゃ無理だ」

「なります、ヤ…」

「調子に乗るんじゃねえ」

 打って変わった威嚇に、信也の毛細血管が緊張した。

「だいたいてめえ、詫び入れるのが先だろうが」

 今度は毛細血管が肌を泡立てる。航平は立ち上がり、床の間に掛けられた日本刀を取った。信也は固まったまま動くタイミングを逸した。鞘から抜いた刀が信也の左腕に当てられる。

「こっちが、妹の分」

 さらに右腕を指した。

「こっちは、俺のタマ狙った分」

 つまり腕二本を獲る、と言っている。信也は金縛りにあったように身動きができないでいた。

「まけてやる」

 今度は刃を頬に当ててきた。スッと刀が引かれ、血が噴き出した。意表を突いた執行に、信也が頬を抑えて呻く。

「そうだな…三年だ。おまえの人生を三年、俺によこせ」

 意味が分からない。

「カタギがヤクザの土俵に上がるこたねえ。おまえらには正義の味方がついてるだろうが」

 また助言を送る理解ある先輩の表情になっていた。そして刀を鞘に納めながらアドバイスを、命令を続けた。

「まず、証拠を集めろ」

 その夜のうちに信也は自宅に帰された。次の日の午後まで体を休めてから、言われるまま父の書斎を探った。机や箪笥の引き出しをあさってみた。書斎と廊下には、警察から返却されたダンボール箱が積み上げられている。各々「済」の印字がついている。信也はため息をついてひとりごちた。

(警察でさえ見落とした物を見つけろって?)

 もう三時間は探した。気分転換に家を出ようと玄関で靴を履いていたとき、あるものが目に飛び込んできた。ゴルフ・バッグだった。

(とうさんは何年も前に腰を痛めてから、ゴルフは一切やってなかったはずだ)

 信也はバッグを担ぎ上げ、リビングに運んだ。ポケットの中や底を探るが、ボールやティが入っているくらいだ。床に全クラブをぶちまけた。転がった一番ウッドのヘッドが外れた。いい予感と嫌な予感がした。シャフトの中を覗くと、紙切れが丸めて捻じ込んである。取り出して見ると、どうやらビジネス手帳の一ページに書きなぐられたメモのようだ。

 89年12月28日の欄に『KK広報誌800』とある。

(KK。経世研究会?)

 90年3月30日の欄には『長 当36290051』とも。

(長尾、当座預金…)

 そういう意味だろうか、さらにそのあと『15オク』と続いていた。他にもあるかもしれないと二番のヘッドを外してみる。今度は紙焼きの写真が丸まっていた。そしてそこには仰向けに寝る全裸の宗太郎の姿、そして馬乗りになる裸の女の後ろ姿が写っていた。信也の脳裏に「美人局」という古い言葉が浮かんだ。予感はどちらも当たっているようだ。

 その日のうちに、信也は比嘉コンサルタントに向かった。航平は社長室で、本格的なトレーニング器具を使って背筋や胸筋を鍛えていた。ゆうべの日本刀から察するに、彼は抜刀術のような真剣を遣う剣術を習熟しているのかもしれない。

「ほう。そんなものが見つかったか」

「ええ。これがメモのコピーです」

 航平が汗を拭いてコピーを見る。

「…なるほど」

 考え込む航平に、じれったそうに信也が訊いた。

「どうかしましたか?」

「そういうカラクリか。一緒に来い」

 と、航平は上着を羽織った。

 黒塗りの外車で連れて行かれた先は、山北印刷所という操業停止中のさびれた印刷所だった。航平が乱暴にシャッターを開けると、埃をかぶった印刷機が並んでいた。カビと古いインクの臭いが鼻腔を突く。周りを見回しダストボックスに目を留め、蓋を開けて中をかき回した。広報雑誌『月刊経世』のバックナンバーが出てきた。

「おしぼりだ。見ろ」

 うしろの信也にその雑誌を手渡した。

「おしぼり?」

「暴力組織の枝どもが飲食店に買わせるやつだ。厄介事から守ってやる代わりにな」

「あ、みかじめ料?」

 確かそんな呼び名だ。ショバ代、用心棒代と言うのかもしれない。

「原理は同じだ。企業の総務部にこいつを、年間購読料十万くらいで買わせる。総会屋をおとなしくさせる手数料だ」

 メモの記憶をたぐる。

「…広報誌800」

 つまり神戸大和田組は、東西銀行に毎年八千万円のみかじめ料を払わせたということ。

「だが、それは序の口。次は屑みてえな担保を押し付けて融資させる。一度通したら、あとは打ち出の小槌さ」

「15オク」

 全てメモと符合する。航平は工場を見回して続けた。

「長尾はな、こいつで保険をかけたんだ」

 そして、闇社会の会合について語って聞かせた。

 ―先週のことだ。俺は関東侠星会荻原組組長に呼び出された。引き合わせたい人物がいる、って話だった。新橋の料亭に来てみれば、予想通りの男がそこにいた。大和田組の長尾だ。そこには荻原といううちの組長と、小島という若頭も同席していた。若頭ってのは組長を補佐する立場だ。組長が俺に紹介した。

「比嘉も知ってると思うが、こちら神戸からいらした長尾さんだ」

 オヤジがわざわざ紹介するからには、そいつにはそれ相応の貫目がある、ということだ。オヤジは無駄なことはしない男だからな。

「ああ、どこかの株主総会でお見かけしたことがあるかもしれませんね。へえ、大和田組の方だったんだ。比嘉です」

 俺は用意していた答えで長尾に一礼した。俺の性格と言動を知っている若頭が言った。

「単刀直入に言うが、比嘉よ。お前、チョロチョロすな。いいか。今後一切、てめえは東西銀行に関わるな」

 若頭は恫喝するように睨んだが、俺は受け流した。

「ここは、東京ですよね?」

「あそこは昔から大和田組のお得意さん、いわば関東の中の聖域だ。知らねえとでもぬかす気か?」

 俺はあからさまに鼻で笑って言った。

「初耳ですね」

「ああん!」

「おい、客人の前だよ」

 またヤクザらしく凄む小島をオヤジが穏やかに制した。一見すれば中小企業の社長くらいにしか見えないが、実は底知れず恐ろしいお人だ。

「いや、しかし。オヤジ」

「穏便にって、総長から電話もらってるんだ」

 関東侠星会のトップのことだ。小島も今はじめて知った様子で、その場がしばらく凍った。長尾だけが淡々と提案する。

「比嘉さん。自殺した総務課長の件、そっとしておいてくれませんかねえ?」

 俺はその言葉にそっとほくそ笑んだ。つまり、関東のドンに電話させるほど、神戸が慌ててるってことだ。自分の狙いが間違っていないことを確認できただけ、この茶番に参加した甲斐があると思った。長尾は「これで」と言って、俺の前に権利書を差し出した。

「うちで使ってた印刷所です」

 権利書には山北印刷とある。ここのことだ。

「長尾さんのお気持ち、ありがたく頂戴しとけ」

若頭が横から口を出し、組長までも長尾相手に茶番を続けた。

「この男うちのホープでしてな。よう稼ぎよる。ですが、まだまだ未熟者です。長尾さん、よろしくご指導ください」

 俺は渋々頭を下げながら、ふざけんな、つぶれかけの町工場なんか押し付けやがって、と思ったがな―。

 要約すると…大和田組のシマに手を突っ込もうとした荻原組の企業舎弟比嘉航平は、神戸側に不利な案件を詮索していた。それを知った長尾が手土産片手に釘を刺しに来た。だがその手土産は手土産ではなかった…信也は、最初に航平が言った「保険」の意味を考えてみる。

「つまりここを譲っておけば、万が一のとき比嘉さんにも捜査の手が伸びる…そういうことですか?」

 正解だ、と航平は少しだけ口角を上げ

「俺の脛も傷だらけだ。だからこの件は蒸し返すな…ヤクザがヤクザに脅しかけられたってわけさ。舐められたもんだよ、ハハ」

 と笑ったがすぐに真顔に戻って、ダストボックスに拳を入れた。アルミ製の箱がグニャリとへこんだ。両肩を怒りに震わせながら航平が言った。

「お前の仇討ち、俺も乗っからせてもらうぜ」

 今度は鬼の形相になっていた。信也はその血走った目の中に、炎とも濁流ともいえない渦のようなものを見た。


 一週間後、信也は東京検察庁の建物を見上げていた。

(正義の味方、か)

 エレベーターで特捜部のフロアまで上る。堅牢に見える検察取調室のドアを開けると、三人の検察官が待っていた。中でも年かさの検察官が信也を迎えた。

「よく来てくださいました。おかけください」

 訪問の主旨は、航平のコネクションである法曹界の人物を通じて地検特捜部に電話で伝わっている。

「武田信也さんですね。担当検事の平山です」 

 渡された名刺には「主席検事 平山某」と書いてある。ゴリゴリの捜査官をイメージしていたが、平山は小役人のように穏やかな人物に見える。心の中には巨悪を憎む青い炎が燃えているのかもしれないが。信也はまず名刺がわりに、航平がスクラップしていた「大手銀課長自殺」の記事のコピーを差し出した。

「ぼく、彼の息子です」

 平山がうむと先を促すように頷いたので、今度はメモのコピーを数枚テーブルの上に置いた。検察官たちが身を乗り出して覗き込んだ。

「武田メモ!」

「やはりあった!」

 平山の部下らしき検察官ふたりが口々に言う。捜査関係者の間ではそう呼ばれているのか。だとすれば自分が出頭しなくても、いずれは再捜索され白日の下に晒されたのだろう。密告者のような後ろめたさを軽くするため、信也は自分に言い聞かせる。

「それでは、信也さんの知ってる範囲で詳細をお伺いしたいと思います。よろしいですね?」

 若い検察官が小型テープレコーダーのスイッチを入れた。

「宜しくお願いします」

 信也は恭しく頭を下げてみせた。

 ひさしぶりの家族ぐるみの遊園地だったが、瑠奈はフリルつきの洋服が不満だった。これでは走り回れない、と陽海に言ったが「あなたは女の子だから」と取り合ってもらえなかった。

「瑠奈。お花畑行ってみる?」

 だが娘は黙って首を振り、興味深そうに出店の射的を凝視する。

ベンチにはふたりを見守る航平が座っている。ポケットの携帯電話が鳴る。着信者を一瞥して「おう、どうだった?」と聞くと、信也の声が返ってきた。

―一年通え、と言われました。

「朗報じゃねえか。東京地検特捜部が大ネタと認めたわけだ」

―それと、取り調べが終わったらニューヨーク支店に異動した方がいいって…どういう意味ですかね?

 地検は信也の勤務先についても調べ上げている。俺の知ってる限りじゃあ、東西銀行のNY支店は近年立ち上がったばかりのはずだ。だが証人を隠すにはうってつけ。

「国内じゃ、検察も完全におまえを守りきる自信がねえってこった。チンコロがバレたら、やつら地獄の底まで追ってくるからな」

―でも、そうなるとかあさんは…。

 瑠奈が陽海の手を振り切り、射的の方へ走っていくのが見える。

「安心しろ、お袋さんはウチの組で守る。指一本触れさせねえよ」

―はあ…しかし。

 瑠奈が靴を脱いで、射的の台に上っていく。

「そうしろって。それに金融の本場で修業するのは、おまえのバンカー人生にもプラスになるんじゃないか?箔も付くしな」

―わかりました。かあさんのこと、くれぐれも…。

「たりめえだろ。おめえらはもう俺の家族同然なんだからよ。何かあったらまた連絡しろよ」

―はい。

 航平は電話を切ると

「ったく、めんどくせえガキだ」

 と、吐き出した。向こうを見ると、瑠奈はよほどフリルが邪魔らしく袖をひきちぎっている。

「瑠奈ちゃん!」

 陽海が叱るのも構わず瑠奈はライフル銃の引き金を引いた。そして見事大きな景品を撃ち落としたのだ。やるじゃねえか、と航平はにやりと笑う。

「ターリー(お父さん)。見て見て」

 瑠奈に手を振って呼ばれ、ふたりを眩しげに見ながら航平は立ち上がった。

「さあて、こっちも潜るか」

 この携帯電話はもう使わない方がいいだろう。航平は公園の名称になっている大きな池に放り投げた。

 平成九年(1997年)5月23日。東西銀行東京本店ビル玄関前に、検察庁のワゴン数台が停車していた。助手席の平山主席検事が腕時計を確認して言った。

「午後1時15分、執行」

 担当検事のふたりを先頭に、捜査官および事務官ら数十名が踏み込んで行った。

 時を同じくして長野の温泉旅館に潜伏していた航平は、浴衣姿で自分の事務所の部下に電話をかけていた。

「ああ、売りだ。東西銀行、一万株を空売りしろ。つべこべ言わずに売れってんだよ」

 怒鳴ってから電話を切り振り返ると、荻原と小島が総桐の卓を前に座っている。

「よう、比嘉。俺はともかくオヤジを呼びつけるとは、おめえ図に乗ってやしねえか」

 若頭が言う。

「俺も命が惜しいんでね」

 ぶっきらぼうに答えたため小島が身を乗り出しかけたが、組長は気にかけていないようだった。

「いいよ、頭。俺はいい骨休めだ。で?」

 荻原は用件を催促した。

「こいつらを叩いてください」

 世田谷土地開発、帝都証券、消費者金融スマイルのパンフレットを卓の上に広げて見せた。小島の顔がみるみる赤くなり

「大和田組と戦争させる気か、ゴラァ」

 と、悲鳴とも威嚇ともつかぬ雄叫びを上げた。航平はそれには答えず、荻原だけを見て言った。

「大丈夫です。本家は当分動けない状態になります」

 しっかり画は描けている、と目で訴えた。

「それなりなんだろうな?」

「まずは十億。翌年からは五億ずつ納めさせていただきます」

 荻原は満足したようだった。

「いいだろう。あとは小島と詰めといてくれ。風呂でも浴びるよ」

 と、隠居老人のごとく手ぬぐいを首に巻いて退出していった。大筋合意ができて、航平はやれやれと足を崩しながら言った。

「頭よお。腹くくってくれよ」

「もし神戸が動いたら、てめえに責任がとれんのか」

 全く納得はいってない口ぶりだ。航平は思う。サラリーマンなら上司を説得するのに好条件やらお世辞を駆使したりするだろう。だが、俺たちはヤクザなのだ。

「オヤジがいつも言ってるだろ?金の取り合いはタマの取り合い、って。いま土俵に立ってるのは俺の方なんだ。砂かぶるくれえで泣き言いうなよ」

 火をくべなければならない。

「な、泣き言だと?」

「ふだんタダ飯食ってんだ。たまにゃ働け、つってんだよ!」

「んだと、このクラゲ野郎!」

 ふたりが一触即発の睨み合いになったとき、部屋の電話が鳴った。航平が大急ぎで受話器を取る。

「始まったか?」

―社長、テレビありますか?

「おう」

 部屋のテレビをつけると、画面はちょうどガサ入れのニュースだった。レポーターが興奮気味に報告している。曰く『本日午後1時過ぎ。東京地検特捜部が東西銀行本店の一斉捜査に乗り出しました。容疑は暴力団関係者に対する利益供与。繰り返します、暴力団への利益供与…』。

 航平は受話器に向かって「株価は?」と訊いた。

―落ちました。ええと、始値から300円、あ、今520円安。

 満足げに頷いた。

「よおし、売って売って売りまくれ」

 電話を切ると、置き去りにされていた小島の呆れ顔があった。

「おめえ、もうヤクザじゃねえな。ただの株屋だ」

「勘違いしないでくださいよ、頭。これは行きがけの駄賃。本命はそっち」

 パンフレットをもう一度見て小島は

「オヤジが黒ってんなら黒なんだろ。今回だけは、てめえの顎に使われてやる」

 と、懐にしまった。

「はは、うれしいね。ところで頭、クラゲ野郎って?」

「あ?」

「いま、俺に言ったろ」

 小島は子供にでも教えるかのように、航平を見据えて言った。

「俺ら武闘派は地下、おめえら経済ヤクザは海ん中。きちんと棲み分けて獲物を狙うわな。刺す相手を探しながら、水中でひらひら泳いでるおめえらはクラゲ野郎ってこった」

 航平は口をへの字に曲げた。

「だったらサメとかシャチとか、もっとこうカッコいい…」

「姿が見えねえ、掴み所がねえ、煮ても焼いても食えねえ…やっぱ、おめえらはクラゲだ」

 うまいこと言いやがる。航平は苦笑いと舌打ちを同時にした。一方の若頭には忸怩たる思いが拭えない。こいつのゲームのために、ウチの若い者何人かが死ぬか懲役に行くことになるだろう。だが、やるしかない。小島は立ち上がり、客間を出しなに

「間違っても身内を刺すなよ。クラゲ野郎」

 と、クンロクだけは入れておいた。



つづく


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