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第24話 カイシュタイン山へ

 わたしたちカイシュタイン登山隊600名は、まずライリーをめざした。

 ゾーイから持ち出した黒水晶はおよそ1000キログラム。

 ライリーでさらに追加する計画だ。

 黒水晶は大氷河を溶解するために使う。防寒や煮炊きにも役立つ。大量に必要だ。

 登山隊長にはシローになってもらった。副隊長はどこまでもわたしについていくと宣言したデヴィット。


 アイザックは登山隊の人選にあたり、シローの意見を聞いた。

 彼が推薦した登山に慣れた兵士55人が参加している。

 その中にはシローとともにミルガスタイン山に登った7人もいて、カイシュタイン初登頂を成し遂げると気炎をあげている。この8人が登山の中核となる。

 シローは登山経験者を100人は揃えたかったと言っているが、急な登山計画だったから、これだけ集まっただけでも幸いと思わなければならない。

 600人全員が鍛え抜かれた兵士だ。炊事兵も多数含んでいる。旅と登山を楽しみにしている者も多い。士気は高かった。

 シローがざっくりとカイシュタイン山麓まで20日、登山に30日、帰還に20日の日程を組んだ。

 ゾーイに帰ってくるのは12月になる予定だ。新年を無事にジルベールとともに迎えたい。


 10月12日に国境近くの軍事都市ライリーに到着した。

「お久しぶりです、クロエ様」

 金髪碧眼の城主、イーノ・ステップスが城門で出迎えてくれた。

 登山隊をライリーの兵営に宿泊させてもらい、わたしとシロー、デヴィットは司令塔に行った。

 以前ジルベールが利用していた5階の執務室を、いまはイーノが使っていた。

 そこで打ち合わせをした。

「わたしたちはカイシュタイン山に登ります。黒水晶をたくさん持って行きたいのです。ライリーにどのくらい備蓄がありますか」

「この夏に生成された黒水晶はおよそ5000キログラム。倉庫に保管してあります」

「運べるのは2000キロでやす」

「いただいて良いですか」

「どうぞ。もともとあなたがつくったものです」

 ライリーの責任者イーノが承認して、わたしたちは黒水晶合計3000キログラムを確保した。


「クロエ様に伝えておきたいことがあります」

 イーノが深刻な表情で言った。

「オースティン王が亡くなられました。サイラス王子の即位が確実視されています」

「オリバー王陛下が!」

 病が篤いとは聞いていた。ついに逝去されたのか。

 サイラス・オースティンが王位に就くのか。

 閲兵の際に軍事的野心を語ったことがある危険な男。

 わたしに殴る蹴るの乱暴をして、果ては婚約破棄し、国外追放に処したサイラス。

 殺したいほど憎いやつ……。

「教えてくれてありがとうございます。新王は争いを好む人です。ライリーの防衛をかためておいた方が良いでしょう」

「わかっています」

「このことをジルベールは?」

「僕も一昨日知った情報なのです。念のため早馬をゾーイに向かわせましたが、王太子は別の筋からお知りになっていると思います」

 ジルベールは中央軍団6万を掌中にしている。

 サイラスはどのくらいの軍事力を有しているのだろう。

 国軍をすべて動員して30万人くらい。

 そのうち4万はお父様の旗下だ。他の大貴族の兵力は?

 王が自由に使える兵力はどのくらいなのだろう。

 わからない。

 もっとオースティンの国情に気を配っておけば良かった、と悔やんだ。


「わたしたちは明日ここを発ち、ペール山を経由して、カイシュタイン山へ向かいます。帰りにまたライリーに泊めていただけますか」

「いつでも歓迎します。クロエ様にはできる限りのご協力をさせていただきます」

「ありがとうございます。登山の本隊は100人で、500人は先に帰りますので、よろしくお願いします」

「わかりました。兵営には空きがありますので、だいじょうぶです」

 イーノはライリーの城主として、ここの状況をしっかりと把握しているようだ。

「クロエ、あなたも頂上をめざすのですか」

 わたしは「はい」とも「いいえ」とも言わなかった。

 カイシュタイン山がどれほど危険なのか、わたしは知らない。

 生きて帰るとジルベールと約束している。

「状況によります」

「ご無事をお祈りしています」と王太子の親友は言った。


 10月14日にペール山に到着。

 ネフ・ゲオーグ鉱山長に面会した。人間とドワーフのハーフ。短躯で色黒の宝石採掘専門家。  

「夏にはお世話になりました。その後も水晶の採掘をつづけてくださり、感謝しています」

「クロエ様はヴァレンティン語がお上手になられましたなあ。水晶はですなあ、ジルベール殿下が掘れば掘るだけ買い取ってくれますからなあ、良い儲けになりますなあ」

 ネフにも特有のなまりがあった。シローより癖が強いかもしれない。

「エリエル様降臨の伝説を教えてもらいたいのです」

「カイシュタイン山降臨伝説ですなあ」

「はい」


「昔々、エリエル様は東の国でソル様とけんかをされましてなあ、大げんかになりましてなあ、ソル様はそりゃあ力の強い神様ですから、エリエル様は負けましてなあ、北アッティカ山脈にお逃げになりましてなあ」

 なあ、という語尾にアクセントがある。不思議な口調だ。

「ソル様は怒り狂っておりましてなあ、追いかけましてなあ、カイシュタイン山で追いつきましたなあ。太陽神はそこで大熱波を発して山の氷を溶かしましてなあ、洪水を起こしましてなあ、月光神は水に飲み込まれましたなあ。ソル様は今度は大寒波を起こしましてなあ、エリエル様を大氷湖に閉じ込めましたなあ」

「エリエル様は生きておられますか」

「そりゃあ月光神ですからなあ、死んではおりませんなあ」

「大氷河から出られたら……」

「大きな声で歌を歌うでしょうなあ。歌が大好きな神様ですからなあ。踊るかもしれませんなあ」

「エリエル様が閉じ込められているのは山頂ですか?」

「そうとは限りませんなあ。伝説では大氷湖と伝わっておりましてなあ」

「大氷湖?」

「大きな氷の湖ですなあ」

 わたしは希望を見つけた気がした。

 氷の湖があれば、そこに黒水晶を全部投入すれば良い。

「ありがとう、ネフ」


 鉱山長の管轄地に馬を預かってもらい、そこから先は徒歩で山中に分け入った。

 森林の中の曲がりくねった登山道を登り、下り、また登り、下った。

 標高は緩やかに上がっていった。

 登山隊は10キロから15キロ程度の重い荷物を背負っている。わたしも同じだ。ものすごく疲れる。だが、この山歩きはほんの準備体操に過ぎない。

「8000メートルの登山は死ぬほどきついでやす。本当に死人が出るでやす。こんなのは散歩でやす」

 シローが言う。ネフとちがって、語尾にアクセントはない。 


 標高2000メートルを超えると森林はなくなり、草原になった。やがて植生もまばらな荒原に変わった。

 見晴らしの良い稜線を歩いていく。

 シローとその山仲間たちの機嫌がいい。

 わたしも山歩きを楽しんでいた。

 午後には天気が急変することがある。強風が吹き荒れ、ときには雨が降る。

 午後2時頃には宿泊地を決め、テントを張る。

 炊事兵たち30人ほどが働き、料理をつくる。

 即席のパンを焼き、干し肉と干し野菜でおかずをつくってくれる。

 山中で食べるごはんは、空腹も相まって、とても美味しい。


 10月17日の早朝は、雲ひとつない快晴だった。

 2300メートルほどの山頂に立ったとき、巨大な山塊が眼前に現れた。 

「あれがカイシュタイン山でやす」とシローがわたしに教えてくれた。

 白き山。周囲にある標高3000メートル以上の山々が小山に見える。大きすぎて距離感がうまくつかめない。

 すぐそこにあるようでもあり、丸一日かけてもたどり着けなさそうでもあった。

 結論から言うと、さらに遠かった。

 カイシュタイン山の麓についたのは、10月21日のことだった。

 標高およそ2500メートルのゴロゴロした石の平原。

 山頂の高さは正確にはわかっていない。8000メートルを超えると見られている。

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