うそ! トイレットペーパーがない!
営業の外回り中、突然の腹痛に襲われ、見知らぬ公衆トイレに駆け込んでほっとした矢先に、地獄へと突き落とされた。
肛門爆発のカウントダウンが進んでいた緊迫した状況ではあったが、トイレットペーパーの確認を怠った俺のミスだ。
手持ちのティッシュも無く、身動きが取れなくなってしまった。
このままトイレを出て、この匂いを振りまきながら素知らぬふりを続けられる程、俺は強い男ではない。
もしやトイレットペーパーの芯を外すと予備が押し出される仕組みなのかもしれないと思い、芯を取り出してみたが、結局何も起こらなかった。
詰んだ。
途方に暮れて、取り出した芯に目をやると、何やら字が。
【当たり】
はぁ?
トイレットペーパーの芯に【当たり】の文字が刻印されている。
そして隣にはこんな事が書いてあった。
【当選者はトイレの魔界へご招待】
トイレの魔界?
次の瞬間、俺はすごい力で便器の中に吸い込まれた。
ここがトイレの魔界なのか?
見知らぬ場所で目が覚め、周りを見渡すと、ドラキュラが住んでるような、怖そうなお城が見えた。
「ここで何してる!」
突然声をかけられた。
「いや、魔界へご招待って……。気が付いたらここに……」
「ご招待? 何言ってるんだお前、人間か!」
声をかけてきたのは悪魔だった。
頭に角が二本、背中には黒い羽、お尻には変なしっぽがあり、手にはホークのような槍を持っていた。コテコテの悪魔だ。
でも怖さは感じない。むしろ可愛い。というのも、この悪魔やけに小さいのだ。大きさは十センチってとこだろう。
「怪しい奴だな! 大魔王様に報告しなければ。おい! 人間! ついて来い!」
俺は仕方がなくこの悪魔について行き、大魔王とやらのいる城の中まで連れて来られてしまった。
「どうした? 一体何事じゃ」
さすがに大魔王だ。体も大きく、ラスボスのオーラがある。
「この人間が魔界に紛れ込んでいまして、招待されたとかわけのわからない事を言っております!」
小さい悪魔は俺の事を報告した。
「どういう事じゃ? 人間!」
大魔王は俺に発言を求めた。
「トイレットペーパーの芯に【当たり】って書いてありまして……」
そこまで言ったところで大魔王は納得したとようにうなずいた。
「あー、それなー。もうキャンペーンは終了しておる。おそらく担当者が当たりを回収し忘れたのだろう。あれは不評でのー」
「キャンペーン終了? 不評?」
あの当たりは、イベントの残骸だったってこと?
「まぁ、特別にこの魔界の説明をしてやろう。
ここは【トイレの魔界】と言って、ここで生まれた悪魔が、トイレの汚し方や、人間に見つからない隠れ方等の教育を受け、世界中のトイレに派遣されている。
普通より悪魔の体が小さいのはそのせいじゃ。
昔はわりと楽に汚せたのじゃが、最近では、洗剤やトイレの進化に伴って、体を壊す悪魔が続出してしまい、悪魔不足に陥ってしまったのじゃ。
この現状を人間にわかってもらう為に、トイレットペーパーの芯に当たりをつけて、当たった者をこの魔界に招待し、トイレの悪魔と同じ苦しみを与える体験ツアーをやったのだが、かなりの不評だったんじゃ」
あちゃー。それは招待じゃなくて、拉致して拷問しただけだろー。
「とにかく、トイレの悪魔さん達が、非常に大変な状況なのはわかりました。ということで、元の世界に帰して下さい」
「残念だがそれは出来ない。キャンペーン期間外だからなぁ、申し訳ないけど」
はぁ? そこ重要なの?
「そちらの手違いで連れて来られて、帰れないなんておかしいじゃありませんか!」
「ほー。いい度胸しておるのー。お前はおそらくよほどの悪運の持ち主だろう。回収し忘れの当たりを引き当てるなんてそうはいない。そういう悪運の強い奴は、わしは大好きじゃ。お前のその悪運に免じて、お前とある取引をする事にする」
「取引?」
すると、大魔王はこう言った。
「三歳になる息子、魔王の【トイレトレーニング】を成功させる事じゃ」
確か、トイレトレーニングとは、二、三歳の子供がおむつを卒業して、自分でトイレで用を足せるようになるトレーニングの事で、子供の最初の試練といっても過言ではないと聞いたことがある。
でも、そもそも悪魔ってトイレに行くものなの? 悪魔がトイレでふんばってる姿を想像して吹き出しそうになったが、ここはトイレの魔界だ。そうだとしても不思議ではない。
「悪魔不足解消の為、王妃は悪魔の出産で大忙しなのじゃ。それで、別の者が息子に教えようとしたが、今まで誰がやってもダメじゃった。一週間以内で息子のおむつを卒業させる事。もし、成功すれば、今お前が一番欲しいものを褒美にやる。もちろん、元の世界にも帰してやる。しかし、出来なければ、お前の魂をもらう」
成功したらご褒美まで貰えて、元の世界にも帰えれるなら、一か八かやるしかないないだろう。
こうして大魔王との命がけの取引は成立した。
「こんにちは、魔王さま」
ホントに三歳児? 結構でかい。さすが大魔王の息子だ。
「人間! 人間!」
「そうです。人間です。よろしくお願いいたします」
面倒だから人間と名乗る事にした。
「人間! 遊ぼ! 遊ぼ!」
まぁ、魔王とはいえ、まだ無邪気で可愛いな。
「じゃ、馬になれ! そして奴隷になれ!」
前言撤回。生意気な子供だ。
それからひとしきりこき使われた。よほど遊びに飢えていたのだろう。
やっと遊び疲れてくれて、大人しくなった魔王さまに優しく話しかけた。
「魔王さま。私は魔王さまが一人でトイレを出来るようになる手助けをするようにと、大魔王様に命ぜられました。だから、一緒に頑張りましょう」
「えー。やだ。めんどくさい! おむつでいいー」
本人やる気なしかい!
これじゃ誰も上手くいくはずがないよなー。
「そんなこと言わずに、明日からおむつではなく、パンツをおはき下さい。そして、そこから始めましょう」
次の日の朝から本格的にトイレトレーニングを開始した。
まず便座に座る練習から始めた。ここは魔界であり、スマホやパソコンで調べる事も出来ない。まるで手探り状態だ。
「う〇ちやおしっこをしたくなったら、私に教えて下さい。私がトイレまで担いでまいりますから」
「うむ。わかった。もう出た」
もうすでに漏らしていた。マジか?
「次からは、事前に言って下さいね!」
おむつを取ってしまったので、パンツが汚れてしまった。
「気持ち悪いでしょ。そうならないように教えて下さいね!」
そのうち上手くいくだろうと思っていたが、この魔王さま、どういうわけか、粗相をしてから俺に教えてくる。事後報告なのだ。
何度も何度も注意を繰り返しても、魔王さまは一向にトイレに行こうとしない。魔王さまがパンツや床を汚す度に、私が洗濯と掃除をした。そんな事をしているうちに、時間だけが過ぎていった。
もう今日が最終日になってしまった。
「人間! おしっこ出た」
また事後報告かよ!
その時、私の中で我慢していたものがあふれだした。
「何回言ったらわかってくれるんだよ! おしっこする前に言えって言ってるだろうがよ! いい加減にしろ! ふざけるな!」
俺は怒鳴り散らした。
すると、魔王さまは泣き出してしまった。
「人間に怒られたー。わぁーん! わぁーん!」
もう後がない焦りもあったのかもしれない。生意気だけどまだ三歳の子供を怒鳴ったのはまずかった。
魔王さまは泣き続けた。
その時、何故か俺の母親の言葉が頭に浮かんだ。
【赤ん坊は泣くのが仕事みたいなもんだ】
そして思い出した。
俺は親から粗相をして怒られた事など一度もなかったということを。
「魔王さま。怒鳴ってしまってごめんなさい。私が間違っていました。悪魔であるあなたの仕事は汚す事。その本能に逆らう方が無理なのです。普通にトイレになんて行く必要はありません。掃除はこの人間におまかせ下さい。とことんお付き合いいたします。
トイレの魔王さまらしく、派手に汚して下さい」
俺は腹を決めた。こうなったら最後の最後まで付き合って、魂でも何でもくれてやる。
すると、魔王さまが突然言い出した。
「何だか、お前を困らせるのもつまらなくなった。これからは自分でトイレに行く」
気が付くと、魔界に行く前と同じ状態、つまりお尻をふけない状況で公衆トイレの便座に座っていた。時計を見ると、時間は魔界にいる間進んでいなかったようだ。
何とか俺は許された。結局、魔王さまはさみしかっただけだったのかも……。そんなことを考えていたら、張り紙があった。
【魔王のトイレトレーニング成功の褒美じゃ 大魔王】
あれだけ頑張って、ご褒美ってこれだけ?
確かに、今、俺が一番欲しいものはこれに間違いないけどさー。
俺の前には、トイレットペーパーが一つ置いてあった。