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それでも朝は来る

 航汰は夢を見た。目の前で芽衣奈が死ぬ夢。何度も何度も何度も何度も、芽衣奈は航汰の前で繰り返し胸を貫かれて、死んだ。まるで航汰の記憶に刷り込むように、もう二度と忘れないようにと。さながら呪いのように何度も繰り返し死んだ。

 そんな夢を見たせいだろうか、飛び起きた途端に吐き気を催した航汰は思わず、手で口を押さえる。部屋は真っ暗で人の気配は無い。気絶する前のことはさすがに覚えていたが、思い浮かべようとすると、益々吐き気は酷くなった。もう吐くと確信し、堪らず枕元にあったナースコールならぬドクターコールのボタンを押す。すぐに真都梨が駆けつけて来てくれて、背中を摩りつつ、隣のトイレまで付き添ってくれた。

 吐いてすっきりしたせいか、頭も冴えてくる感覚と追いついて来た感情に航汰は涙を浮かべる。家族が死んだ訳ではないのに、否、それ以上の悲しみと突然世界にたった一人で放り出されたかのような寂しさを覚えた。一度でも泣き声を上げたら、何かが決壊してしまう。そう確信して、嗚咽すら出さないように服の袖を噛んで泣く航汰の背中を、真都梨は「大丈夫。大丈夫よ、航汰くん」と慰めながらいつまでも摩ってくれていた。

 少し汚れてしまった患者服を真都梨に預け、新しい患者服に袖を通した航汰は「ご迷惑をおかけして、すみません」と彼女に謝る。どうしても我慢できなかった罪悪感があった。しかし、真都梨は怒ることも無く、「正常なストレス反応だから、恥ずかしいことじゃないわ。心が健康になろうとしている状態だから、良いことなのよ」と航汰の頭を撫でた。


「誰にも言わないから、もう寝た方が良いわ」

「……はい」


 心身共に弱っているせいか、子供扱いされても特に嫌がる反応を返して来ず、真都梨の手を受け入れるような反応すらしている航汰に、彼女は優しく微笑んで、ベッドに寝かせた。正直、ここまで寝過ぎて腰が痛いし、寝られる気がしなかった航汰だが、高校生にもなって寝たくないと駄々を捏ねる訳にもいかず、代わりに真都梨と少し話したいと言って、彼女を部屋に留まらせた。

 話といっても、真剣なものではなく、非常に他愛のないものだ。航汰の学校生活についてだとか、そこから発展してどこそこのたい焼きが美味しいだとか。真都梨は航汰の話について、追及すべきところがあるのにも関わらず、そういったことは一切訊いてこない。ただ、彼がする話に相槌を打ち、肯定し、何気ない話題を振るだけだ。だが、航汰の話を蔑ろにしたり、話半分に聞いたりしているということでも無いと、彼女の態度や表情で分かる。それをぼうっと見ていた航汰は、思わず逆に訊いてしまった。


「先生……は、どうして他に訊かなくちゃいけないことを訊かないんですか?」

「訊かなくちゃいけないこと?」

「はい。……その、どうして僕があの時、あそこにいたのか……とか」


 自分で触れたくない話を振ってしまう。何故、あの時、航汰が学校の屋上にいたのかだとか、こんな体になったのかだとか。自分で言ってしまってから、航汰は後悔した。何故、自分から辛い方へ話を持って行かなくてはいけないのかと思ったし、また言いようの無い悲しみと胸が締め付けられるような苦しみが込み上げてきそうになる。心のバランスを崩しそうになった航汰を真都梨は知ってか知らずか、一言で安定させてしまった。


「航汰くんは強い子なのね」

「……え? 強い、ですか?」

「ええ、とっても。大抵の場合、何かショッキングなことがあった子は、意図的にその話題を避けたがるの。何か全然関係無い話をしたくて、誰かに甘えたくて私を頼ることも少なくないわ。でも、あなたはそういうことは無いのね。そういう子は元々強い子が多いの」

「僕は別に……強くなんて……」


 実際、今一人になるのが嫌で、寂しくて真都梨を頼ったことは事実だ。だから、自分は強くないと思った航汰だったが、真都梨は否定する。


「辛いことを思い出して倒れたのに、起きてすぐ向き合おうとする時点で、航汰くんは精神的に凄く強いのよ」


 真都梨の言葉を聞いても、航汰にはよく分からなかった。それほどまでに航汰にとって自身の感情を押し殺し、耐えるのは当たり前だったからだ。だから、いくら『強い』と言われても、実感というものが湧くことは無かった。どう答えていいのか分からない様子の航汰に、真都梨は少し困ったように微笑んで、「今は分からないかもしれないけれど、いつか分かる日が来るわよ」と言った。それからは「さあ、もう寝なさい」と言われて、航汰は言われるがままベッドに体を横たえた。





 翌日になって、目を覚ました航汰はまず真都梨の診察を受けた。昨日から何も食べていないせいで、漸く空腹感がやって来たくらいで、空腹感が戻ってきたということはそれだけ回復してきたということだった。朝食として、ご飯と味噌汁に野菜と魚を使ったおかずが二品。こんなに食べて良いのかと思った航汰だったが、真都梨はにこにこしながら「良いの良いの」と言って、航汰以上に喜んでいる様子だった。そのことを指摘すると、彼女は受け持った子が元気になるのが嬉しいのと本当に幸せそうに言った。


「ここには私の他に栄養士兼調理師の人もいるから、栄養面においても信頼が置けるのよ」

「はぁ……そうなんですか」


 ふわり、と味噌汁の良い香りに航汰はそういえばと思い出す。最後に母の手料理を食べたのはいつだっけと思った。いつも両親は共働きで帰りが遅いから、航汰はいつもインスタントのラーメンや冷凍食品、時には外食で済ませていた。そんな彼の食生活を憂いて、時々芽衣奈が弁当を作って持って来てくれていたっけと、決して遠くはない記憶なのに、何だか遥か遠い思い出のような気がして、航汰はまた涙が滲んできた。

 しかし、そんなしっとりとした気持ちも、突然開けられたドアに遮られ、びくりと肩を震わせて航汰は目元を袖で拭った。ドアから顔を覗かせたのは美智瑠だった。昨日と同じ身支度をして、機嫌が良さそうに笑った。


「せんせぇ、航汰起きてる~?」

「あら、美智瑠ちゃん。もう朝ご飯食べたの?」

「ううん、まだ。食べに行くついでに航汰の様子見に来た」


「いやぁ、まさかあの純弥に掴みかかるなんて、ちょっと見直したわ?」と何故か上機嫌な美智瑠が不思議で、航汰は箸を口に含んだまま、小首を傾げる。そんな彼の背中をばしばし叩いた美智瑠は、「他人がご飯食べてる時はダメよ、美智瑠ちゃん!」と真都梨に注意されていた。そのついでに言うように美智瑠は真都梨に向き直って告げる。


「あ、そういえば、せんせ。後でゴウのこと起こしてやって。あいつ、今日ダメな日っぽいんだぁ」


『ダメな日』という単語が気になった航汰だったが、個人的なことだろうと予想はできた為、まだ彼らのことをよく分かっていないうちに訊くのは不躾だと思い、食事を再開しながら成り行きを見守る。真都梨は心配そうな顔で「あら、そうなの……」と呟くと、すぐに明るく笑って「分かったわ。後で行くわね」と言って、美智瑠に朝食を食べに行くよう促した。それに「じゃ、よろしくー」と言い残して、美智瑠は最後に航汰の頭を撫でて出て行った。美智瑠に子供扱いされたのは、流石に不満に思った航汰だったが、食事中だったせいで、抵抗できずにそのままにしてしまった。ややムッとした表情のまま、口の中の物を咀嚼し、嚥下した彼は真都梨へ疑問を投げかける。


「先生、あの、『ダメな日』って……」


 それを聞いた真都梨は申し訳なさそうに「ごめんね」と言ってから、説明に入る。


「ここにいる子達には、それぞれ他人に触れられたくない……所謂、話題にしたりするのも辛かったり、嫌だったりする子が多いから、個人の『禁止事項』があるの。今のはそれに触れてしまうから、ゴウくんが話してくれるまで待ってて。ね?」


 真都梨が念を押す、ということは余程触れられたくないことなのだろう。そう思った航汰は素直に「はい」と返事をした。

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