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水国の王女
れく
異世界ファンタジー冒険・バトル
2024年11月02日
公開日
19,303文字
連載中
よくある異世界転生モノ。あるOLさんが王女様と間違われて転生してしまう恋愛冒険譚。
※絶景保存士シリーズと世界観を共有しています。

はじまり

 いつもと同じように仕事へ出て、いつもと同じように残業して、いつもと同じように帰るつもりだった。暗い夜道の中、腹に何か違和感を覚えるまでは。

 その日も遅くまで残業し、心中で上司への文句をぶつぶつ言いながらアパートへの道を歩いていた。駅から徒歩十分でも早めに出ればいいやという安易な考えで契約したところだが、こうやって夜道を歩いていると、もう少し考えるべきだったかなという気持ちになる。

 住宅地だというのに外灯は少なく、否が応でも不安が込み上げてくる。光の届かない暗闇の中から人間じゃない何かがぬうと現れそうで、怖かった。そんなことある訳は無いけれどと思いつつ、何となく肩に掛けているトートバッグの紐をぎゅっと掴んで、家までの道のりを急いだ。

 途中、何本か立っている外灯の傍を通り過ぎる。一本、二本、三本。しかし、四本目に差し掛かることは無く、突如前方からやって来た何者かに、私は正面からぶつかられた。どすっという音と共に腹に何か重い衝撃を受ける。それが何か認識する前に、私の意識はそこで途切れた。




「……イア…………ライア……さま…………アストライア様、アストライア様!」


 遠くから聞こえていた男の声が段々と近付いてくる。その声に導かれるようにして目を開けると、すぐ目の前に今まで見たことの無い美形がいた。あまりにも驚いて、喉から引き攣った悲鳴染みた声が出た。こんな美形を見た後では、その隣にいる女性はかなり失礼だが、普通を通り越して子供の絵みたいに見える。耳の長い美形は私の顔を見た瞬間、「アストライア様! お戻りになられましたか!」と喜色満面に涙も浮かべて見つめてくる。その表情が何だか怖い。そこで初めて気が付いたが、私は今下着同然の白く薄い布一枚しか纏っていない状態だった。通りで寒い訳だ。

 私がゆっくり立ち上がると、二人も同じように立ち上がる。不審者そのものの美形を警戒心から見つめていると、隣の女性が美形を励ますように言った。


「アイ様、きっとアストライア様はお戻りになられたばかりで、まだ馴染んでいないだけなのでは? もう少しそっとしておいて差し上げた方が宜しいかと思われます」

「そう、か……。いや、仕方ない。少し時間を置いてから、再度私の方から様子を伺ってみよう」


 こうして少し距離を取ってみて、分かったことがある。男の方は銀色のふわふわした髪をしていて、耳が長く、深い紫色の瞳を持っている美形。

 隣の女性はこうしてまじまじと見てみると、子供の絵なんて思ったが、とんでもない。むしろ、私の方が子供の絵みたいな顔をしていることだろうと思うくらいには美人だ。栗色の長い髪を一つに結った青い瞳の美人。男の方が紺色の軍服によく似た騎士のような恰好をしていて、女性の方は少し地味なドレスみたいな服を着ている。薄いピンクのドレスと黄緑の薄いストールを纏っていて、しかも肌が凄く綺麗だ。つやつやで光ってるようにも見える。

 そして、何より驚いたのはおよそ日本人らしくない色を宿している二人の言葉が何の問題も無く、分かるということ。今は私自身もひどく混乱していて下手に言葉を発しようとは思わないし、思えない。何より訳が分からなくて、怖い。怖いと無言になるタイプで良かった。

 色鮮やかな二人は何事か相談していたかと思うと、女性の方が近付いてきて少し両手を広げ、優しい微笑みを浮かべて言った。


「アストライア様、ご安心下さい。私は侍女のステラでございます。ほら、小さい頃、互いに星の名前でお揃いだと言い合いましたでしょう?」


 知らない。ステラというこの女性は懐かしそうな顔をして思い出話らしい話を振ってくるけど、私はそんなこと知らない。ただただ怖いだけだ。警戒し、何も言葉を発さない私を見かねたのか、ステラはそれ以上何も言わず、そっと私の手を取った。恐怖からびくっと震える私を落ち着かせようとステラは握ったその手を擦ってくれて、そこで漸く私はほんの少しだけ落ち着きを取り戻した。怖いことには変わらないけど。

 そこで少し周りを見回す余裕ができて、部屋の様子を観察してみる。ここは窓の一つも無い、石造りの部屋、というより空間と言った方が正しいか。どこかひんやりして乾燥した空気から多分、地下なのだろうなと思う。壁や床には白いチョークか何かでよく分からない文字が書かれており、私が寝ていたであろう場所には二つの円が重なったような模様とやはりよく分からない文字が書かれている。何だか不穏な感じのするところだと、私の表情から汲み取ったのか、二人は優しく声を掛けながらもさっさと出ようとしている。私だって、こんな不気味なところからは出たいので、ステラに毛布を被せられながら大人しく付いて行った。

 ここはやっぱり地下だったようで、石造りの階段を昇り切ると、アイと呼ばれていた男が頭上を手で押した。ずず、と重い音を響かせて天井がずれると、淡い光が差し込んできた。眩しくはないけれど、不安を煽られる。ステラに手を引かれて私は地下から脱出した。


 そこは松明が等間隔で置かれた白い石造りの神殿のような場所だった。遠くに見える外の景色はまだ薄暗い。夜明けか日が暮れているのかは分からなかった。


「アイ様、もう夜が明けてしまいそうです」

「では、アストライア様。こちらへ」


 そう言って、アイは正面から外へは出ずにすぐ近くの壁を触ったかと思うと、押した。一見、扉だと分からないようにくり抜いてあった壁を動かしたらしく、そこから外へ出て行けるようだ。もうこの際、細かいことは気にしないようにしようと思ったが、絶対に私の立場は碌なもんではないなとだけ確信が持てる。そのまま二人と一緒に外へ出た私は、誰にも見られないようある建物へ連れて行かれた。




 建物の中に入り、急ぎ足である部屋へ連れて行かれる。そこでやっと毛布から顔を出せた私は、「すぐにお湯の準備をして参ります」と言ってステラが去って行ってしまったので、アイと二人きりになってしまった。正直、気まずい。というかこの人、表情があまり変わらないから何を考えているのか分からない。

 アイは私のすぐ前まで来て手を取ったかと思うと、いきなり手の甲にキスをしてきた。見知らぬ男の唇の感触が否が応でも手から伝わり、恐怖から今すぐにでも振り払いたくなる。そして、慣れないその行動に今度こそ私は取り乱した。


「いや、何っ!? 何何何っ!? 何してんの、あんたっ!?」

「……は? 何、とは……?」


 いや、何はこっちの台詞だ。アイはいきなり手を振り払われて、何故かきょとんとしている。きょとんとしたいのもこっちですとは思うけど、それでも構わずにアイは尚も迫ってきた。


「まさか、魂がお戻りになられた衝撃で記憶に混濁が見られるのだろうか……? アストライア様、お忘れですか? あなた様と恋仲のアイビーの名を。あなた様の近衛騎士の名を」


 いや、知らねーーーーーー!!!!

 訳が分からないことばかりで頭がパンクしそうな中、そう言ってやりたいが、何だかアイの纏う空気が変なので、答えられずにいると、彼は続けた。


「ああ、お労しいアストライア様。やはり、あなた様のお命を狙った者共のせいで、このようなことに……。斯くなる上はあなた様と同じように常世へ送ってやるしか……」


 おい、こいつもしかしなくてもヤバい奴なんじゃないの?

 アイは鬼気迫る表情で腰に提げた剣の柄を握る。ちょっと血の気が多いなんて言葉では誤魔化せない程に目つきが尋常じゃない。この勢いではこのあすとらいあ様? を殺した人達を本当に殺しに行きかねない。ここは私が何としても止めなければ、よく分からないうちに殺人現場に居合わせてしまう可能性が高くなる。知らない土地での面倒事はなるべく避けたい。意を決して、私はなるべくあすとらいあ様のイメージを損なわないように――一切分からないが――口を開いた。


「お……止めなさい、アイ。わたくしはそんなことを望みません、ことよ」

「し……しかし、アストライア様。此度のことは私も流石に許せません……!」

「でも、ほら、こうして無事に戻って来れたことですし、もう済んだことですわ。私も、水に流して差し上げてもよくってよ」


 もう元ネタの喋り方とか所作なんて、全く知らないから全部ヤマを張ったけど、どうだろう。当たってるかな、とちらりとアイの表情を盗み見てみれば、物凄く不審な目つきをしていた。ヤバい、殺されるかも知らん。あれだけ愛してますオーラを全身に纏って熱烈に喋っていたんだ。ちょっとでも前のあすとらいあ様と違うところがあったら、剣を抜くかもしれない。これ、下手に喋らない方が良かったのでは?

 アイは尚も無言でじいっと、不審者を見る目つきで見つめてくる。きつい。これは精神的にかなりきついものがある。元来、あまり嘘が得意でない私は密かに冷や汗をだらだら流しながらも努めて平静を装おうと黙る。たっぷりと数秒の後、それまで高く甘い声だったアイからは信じられないくらいの低い声で言われた。


「お前、アストライア様じゃないな?」


 私は自らの死を覚悟した。

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