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蛇帯 第九話

 窓を破って外へ落ちて行った巫女を追いかけるようにして、涼佑の脇をすり抜け、跳んだのは鬼だった。その手には槍が握られており、主人を守ろうと飛び込んで行ったのだと分かる。

 着地した巫女と黒い靄は互いにもつれ合うようにして落ち、時折、彼女の剣戟によって火花を散らす。そうしながらも靄はグニャグニャと形を変えて何かに定まろうとしているようだった。しかし、それも両者の間に割り込んだ鬼の一撃により、巫女と黒い靄は互いに距離を取った。


「遅いぞ、童子」

「は。申し訳ない」


 巫女は余裕すら感じさせる笑みを浮かべて目の前の獲物を見遣る。


「望の奴、目に焼き付けさせたは良いが、自分の跡を消すのは忘れていたらしい」

「いえ、問題ありませんでしょう。この程度、児戯にも満たない」


 その言葉に「確かにな」と返して、巫女は再び刀を構えた。状況はよく分かっていないが、心配そうに呼び掛けた涼佑にも彼女は微笑みかけ、「私は大丈夫だから、手は出さんでくれよ」と答える。その一言だけで自分が加勢しなくとも、彼女と鬼の力でどうにかなってしまうのかと少し安心はしたが、せめて足手纏いにだけはならないようにと、それ以上窓から身を乗り出すのはやめて、涼佑は階下へ降りようと部屋を出た。

 会話をしているうちに黒い靄はある形へと変貌し、再び襲ってきた。その形は大蛇を思わせ、振るわれた巨躯を二人は寸でのところで避け、透かさず斬り込んだ。尾に斬撃を受けた大蛇は痛みで悲鳴を上げ、その真っ赤な眼を怒りで染め上げて頭から突進して来た。


「童子、頼んだ」

「任されよ」


 具体的な指示が無くとも、どうすればいいかはよく分かっている様子の鬼は突っ込んで来た大蛇の頭を槍でいなし、涼佑が小蛇と共に外に出てきた頃には大蛇の頭を槍で貫き通し、地面に縫い付けていた。黒い血が噴き出し、無表情の鬼を濡らす。その凄惨な光景にぞっと怖気が走った涼佑は、思わずぎゅっと木刀を握り締める。しかし、鬼より鬼神の如きと思ったのは、その背後から跳んで来た巫女だった。地面に縫い付けられた大蛇の首から下を刀を真っ直ぐ突き立てて、そのまま引き裂いていく。暴れる大蛇などまるで意にも介さず、巫女はその小さな体で大蛇の上を駆け抜け、やがて尾まで辿り着くと、思い切り刀を振り抜いた。全身から黒い血を溢れさせ、やがて大蛇は何事か遺言のようなものを発して息絶えた。大蛇を見事に開きにした巫女は、返り血で全身を汚したまま、刀を二、三度振って血を払うと、そのまま振り向いて高らかに宣言した。


「やあやあ、我こそは此岸と彼岸の境を守る幽霊巫女とその式・八坂童子であるぞ!」

「主人、もう終わってる」

「だからだろ。こういうのは全部終わった後にやった方が隙を突かれなくて済む」

「順番が違う」


 ぼそりと呟かれたことには構わず「私達もアップデートしていかなきゃなぁ」などと言いながら、巫女は自分の成果を確認する。真っ二つに切り裂かれた大蛇を見て、彼女は心中で「まさか、奇しくも娘が呪詛に使った蛇と同じ目に遭わされるとはなぁ」とほんの少し哀れんだ。戦いが終わったと分かった涼佑は「巫女さん、ごめん。何もできなくて……」と謝る。


「ん? ああ、良いぞ別に。チョロい相手だったしな」

「この巨大な蛇、何なの?」

「望の父親の生き霊だな」

「生き霊?」


 生き霊を知らない様子の涼佑にどう説明したものかと少し考えて、巫女は「つまり、あれだ」と口にする。


「生きている者でもあまりに思いが強過ぎると、その思いだけが本人から離れて人を苦しめたり、彼岸に来た場合は襲って来たりする。霊の一種だ」

「強過ぎる思い……って?」

「今回は望の仕返しに対する仕返しだな。全く、流石親子だ。見事に似た者同士だよ」

「正当な恨みに対する逆恨みってことか。……理不尽だな」

「霊なんてみんな理不尽なもんさ」

「――この蛇、どうすんの? 処理とか……」

「ああ、それは問題無い。そのうちここの結界が働いて、浄化してくれるさ。その為には私が禊がないといけないけど」

「……そういえば、巫女さん。さっき童子さんのこと、八坂童子って……」

「ああ、こいつの名前な。その昔、あの辺りで大暴れしてた鬼、八坂童子。聞いたことくらいはあるだろ?」


 その名前を聞いて改めて涼佑は目を丸くした。彼否、八野坂町に住む人々にとって、その名は聞いたことがあるなんてものではない。唐突に思い出したある本のタイトルを涼佑は無意識のうちに口にしていた。


「『八坂の鬼さん』……」

「ん?」

「聞いたことがあるなんてもんじゃないよ。オレ、小さい頃、その鬼が出てくる絵本持ってた! 八坂の鬼伝説の絵本……!」

「マジか。お前の黒歴史、とうとう絵本になって語り継がれてるぞ。童子」

「……若気の至り故、弄るのは止めて頂きたい。主人」


『八坂の鬼伝説』とは、八野坂町を作ったと言っても過言ではない地形にまつわる伝説だ。

 かつてこの地・八坂で一人の鬼が暴れており、その力は当時の地形を変えてしまう程のものだった。元々山や坂が多かった八坂で童子が暴れ回ったせいで山や坂のいくつかは潰され、整地されて野になり、これが八野坂の名前の由来となっている。最も郷土研究では地震や土砂崩れなどの自然災害が原因だとされているが、それ自体を鬼として擬人化し、記録に残すことは珍しくもない。

 八坂で幅を利かせていたから、八坂童子。子供の頃の涼佑は単純な名前だなぁと少し思っていた。そんな暴れ者の八坂童子を懲らしめようとこの地に来たのは、一人の陰陽師であった。


「名前は忘れちゃったけど、凄い力の持ち主だったみたいで、あっという間に八坂童子を倒して改心させたっていう伝説だよ」

「うん。まぁ、だいたい合ってるな」

「本当に止めて下さい」


 当時の自分を思い出して恥ずかしいのか、手で顔を隠す童子の背中を巫女が元気づけるように軽く叩くも、涼佑には逆効果に思えて仕方なかった。涼佑の話を引き継ぐようにして、さらりと巫女が口を開く。


「で、その八坂童子を懲らしめて改心させたのが、私のご先祖様って訳だな」

「へぇ、そうなん――え?」


 唐突に投下された話に、涼佑はまた自分の耳を疑うことになった。その反応に巫女が「あれ? 言ってなかったっけ?」と呑気に答える。


「聞いてないけど!?」

「んじゃ、今言った」

「ご先祖様、っていうことは巫女さんの家系って……」

「ああ。うちは代々、隣町の七賀戸神社で神主やってる。八野坂は童子の土地だから、当時のこいつが神社なんか建てんなって言ったから隣町に建てたんだ。もし、こいつがまた悪さしようとしたら、いつでも駆け付けられるようにっていう意味もあるけど」

「主人。それ以上、己の話はいいですから」


 これ以上、昔の話はされたくないのか、今湯を沸かすからさっさと禊をしろと鬼は巫女を急かす。その反応にニヤニヤ笑いを浮かべながらも、巫女は「へいへい」と家の中へ入って行った。


 巫女が禊ぐと、いつの間にか大蛇の死骸は無く、壊された涼佑の部屋も元通りになっていた。便利なものだと思いつつも、彼はあの大蛇について持ち上がった疑問を解消しに行こうと、巫女の部屋へ行った。巫女は丁度、布団に横になって何やらネットサーフィンでもしていたらしく、タブレットを指でなぞっていた。その幽霊らしくない姿に、涼佑は入った途端、「へぁ……?」と間の抜けた声を出してしまう。


「何してんの? 巫女さん」

「ん?……願い事チェック。定期的に見ないと、うちの評判に関わるからなぁ」


「早い、安い、安全がうちの売りだから」と言いつつ、本当に目を通しているのか不思議に思う程速いスクロールに、涼佑は「そ、そうなんだ」としか言えなかった。


「よし、今日の依頼なし。で、どうした?」


 巫女がタブレットのカバーを閉じてその辺に置き、その場に座り直したことで、涼佑も彼女の前に正座する。


「さっきの大蛇のことなんだけど。生き霊ってことは、望の父親はまだ生きてるってことだよな?」

「そうだな。――まぁ、いずれはここに来るだろうとは思ってたが、こんなに早く来るとは思わなかった」

「だったら、もしかしたらまた来るかも……」


 涼佑の心配とは裏腹に、巫女は「また来ても、また斬ればいいから、問題無いと言えば、無いんだがなぁ」と零す。涼佑の言うことも尤もだと思ったのか、巫女は神妙な顔をしていたかと思うと、「よしっ!」と膝を叩いて立ち上がる。迷わずに部屋を出て行こうとする巫女の背中に「どこ行くんだよ? 巫女さん」と涼佑は声を掛ける。その問いに巫女は振り返ること無く、一言答えた。


「涼佑の言うことも尤もだからな。もうここに来ないようにしよう」

「何か対策があるのか?」

「ああ。幸い、あれは呪いにもなりうるものだからな。とっておきの方法がある」


 そう言って巫女は涼佑と小蛇を連れて、一度外に出てから神社の本殿へ向かった。




「よし、これで良いだろう」


 祈祷を終えた巫女は祈りを込めた小さな札をお守り袋に入れ、小蛇の首に掛けてやった。小蛇の体に合わせて作られた小さなお守り袋は首に掛けておいても、あまり邪魔にならない印象だ。その可愛らしいお守りに喜んで、小蛇はちろちろと舌を何度か出し入れした。嬉しそうな小蛇を満足そうに見て「それをしていれば、もうあの生き霊がこっちを辿って来ることも無いだろう」と笑った。


「私のお守りはよく効くぞ?」

「良かった。これで取り敢えずは安全……なんだよな?」

「ああ、その筈だ」


 これでもうあの大蛇がここに来ることは無い。良かったと胸を撫で下ろし、小蛇に「絶対外しちゃダメだぞ」と念を押す涼佑の傍らで、巫女は微笑んだ。





 深い水底から浮き上がるようにして、男は意識を取り戻した。未だぼうっとする頭で、目だけを動かして周囲を見回すと、どうやらここは病院のようだった。助かった……? 助かったのかと全身は痛むが、男はほっとした。

 何とか上体だけを起こして改めて周りを見ると、今は真夜中なのか、部屋の中は真っ暗で物音一つしない。身動ぎしてすぐ顔に何か冷たい紐のようなものが触って一瞬ぎょっとしたが、男はここが病院だということを思い出して、ナースコールの配線だろうと思った。

 電気が点いていないせいで、暗闇に目が慣れていないうちは全く見えないので、男は手探りで明かりになる物は無いか探した。不意に手に硬く小さな物が当たり、それに改めて触れてみると、ベッドに備え付けらしい何かのスイッチだった。おそらくこれが電灯のスイッチかなと思い、男は指先に力を込めてスイッチを切り替えた。

 やはりそれは電灯のスイッチだったようで、枕元にあった電気スタンドの電気がチカチカと何度か点滅しながらも、枕元周辺を明るく照らす。しかし、男は電気を点けてすぐ後悔した。


「あぁああああっ!!??」


 もう何度上げたか分からない悲鳴を、男は掠れた喉から飛び出した。さっきまで顔に触れていた冷たい紐のような物の正体が分かったからだ。

 それは一匹の蛇だった。太く、青みがかった長い体を天井から垂らし、その尻尾が顔に当たっていたのだ。考えてみれば、ナースコールの配線が天井から垂れ下がっている訳が無い。毒蛇かもしれないという恐怖から男は必死にベッドから降りようとしたが、包帯を巻かれている片足が吊られているせいで降りることはできない。足を動かそうとすると激しい痛みが襲ってくるので、おそらく骨が折れているのだろう。それでもどさっと落ちてきた巨大な蛇から逃れようと、ベッドの上でできる限り暴れようとしている男はその周辺へ視線を移したことで、今の自分が置かれている状況を認識した。見ると、蛇は一匹だけではない。何匹、否何十匹もの蛇が男が寝ているベッドだけではなく、床や壁、天井にすら蠢いている様を男は見てしまった。


「うわぁああっ!! わぁあああっ!!?? な、なんだっ!? 何だよこれ!!」


 そして、そんな蛇だらけの部屋の隅。ベッドより離れているところにはあまり光が届いていないせいで、よく見えないが、『何かいる』。逆さまに天井に吊られているような格好の『それ』は、辛うじて人の形をしているのだと分かる。顔が青黒く腫れ上がり、その首には三又に裂かれた蛇の死骸を巻き付けている。着ている服は所々破けており、そこから生々しい抉れた傷が見えた。最早顔の造作は原型が無いが、男にはそれが先日死んだ自分の娘だと分かった。


「あ゛ぁあ゛ああああああああっ!!!! わぁあああああああっ!!!!」


 一刻も早くここから逃げ出したい。その一心で男はベッドから飛び降りようとして勢い良く身を捻ったせいか、体を支えていた方の手がベッドの上で滑り、後頭部を思い切りベッドヘッドへ打ち付けてしまい、また男は気を失った。

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